世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2023年トルコ旅行記 1日目~2日目 セルチュクへの移動とエフェス遺跡(エフェソス遺跡)観光

2023年のゴールデンウィークのトルコ旅行1日目~2日目(2023-04-26~2023-04-27)の記録です。

トルコ旅行全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

セルチュクまでの移動

羽田空港からイスタンブールまで

羽田空港

2023年4月26日午後5時半頃、羽田空港第3ターミナル。 初日の移動は、21:55羽田発、翌日5:15イスタンブール国際空港(IST)着のTurkish Airlinesの便(TK199)を利用しました。羽田から直行便が出ているのはとてもありがたい。

羽田の国際線の保安検査場がかなり混んでいるらしいとの事前情報がtwitter公式の発表にあったのでだいぶ早めに着くようにしました。 ただ、私が空港に着いたタイミングではだいぶ空いていました。荷物は機内持ち込みできるバックパック1つだけだったのでチェックインを機械で済ませ、夕飯を食べて18時半頃から保安検査場に並んだのですが、15分程度で保安検査場を通過できました。

あまりにも時間が余ったので、予習が間に合わなかった本を読んで過ごしました。

イスタンブールへのフライト

ひたすら寝て食べてしたら着いたのでフライトの記憶はあまりないですが、覚えていることをメモすると

  • 機内放送はトルコ語、英語、日本語でした。(日本語があったのは、確かANAとのコードシェア便だったからだったと思われます。)
  • 機内安全ビデオはトルコ語と英語。ビデオの最後にすこーしだけ手話が入るのですが、英語版とトルコ語版とで登場人物(CG)の動きが違う気がして、仮にそうだとしたらここは字幕と音声を変えるだけでなくて、動画も別に作ってあって興味深いなと 思いました。
  • エコノミークラスを利用しましたが、アメニティセットが配られました。中身は覚えている範囲では、歯ブラシ、歯磨き粉、アイマスク、耳栓、リップバーム、靴下。

イスタンブールからイズミルまで

イスタンブール国際空港

イスタンブールには大きな遅れもなく到着しました。 着陸後のアナウンスが、確か"Welcome to Istanbul, the meeting point of the world."といった内容だったのが印象的でした。 空は分厚い雲に覆われてがっつり雨が降っており、気温も15℃を切るくらいで寒かったです。

国内線への乗り継ぐので、İç Hatlar Transfer / Domestic Transferの案内に従って進みます。

水飲み機。なぜか中国語が色付きで面白い。ちなみにここで水をペットボトルに補給したのですが、このあと手荷物検査がもう一度あって、処分することになりました。残念。

手荷物検査と入国審査を済ませたら、国内線の出発待ちエリアに移動。 新しい空港だけあり、非常に綺麗でした。早朝ですが売店なども営業していました。

8時発の便(TK2312)を予約している*1ので、しばしここで待ちます。

待ち時間の間にやったことなど :

  • ドルをトルコリラに両替しました。(国内線出発待ちエリアですが、両替所がありました。)
  • 空港内でペットボトルの水を買ったのですが、500mLで30TL(このときのレートで200円くらい?)でした。街中で買ったときは5TLくらいでした。ブランドの違いはあるかもしれないですが、この価格差はすごい。
  • 事前にインストールしておいたeSIMを起動して動作確認しました。物理的にSIMを差し替えなくても設定変更ですぐに利用できるので便利。
  • 無料WiFiがあります。ただし、電話番号がない場合は、下の写真のような機械にパスポートを読ませて利用しました。

イズミルへのフライト

ここからTK2312便で、イズミル(İzmir)のアドナン・メンデレス空港(Adnan Menderes Havalimanı / ADB)に向かいます。

30分から1時間程度遅れて離陸。フライトは1時間ちょっとでしたが、機内食のホットサンドが出てきました。

きちんと温かいもので、とても美味しかったです。この後旅の最中に何度も思ったのですが、トルコはパン(エキメッキ)がおいしい。

また、他のお客さんが頼んでいるのを見て飲み物にアイランがあることに気が付いたので、すかさず頼みました*2。 昨年イランに行ったときは毎日ドゥーグを飲んでいたような人間なので、これは嬉しい。

離陸こそ遅れましたが、機内食を食べて窓からの景色を眺めていたらあっという間につきました。

ADB空港からセルチュクへ

飛行機を降りて、事前に予約したトルコ国鉄(TCDD)の列車に乗ってセルチュク(Selçuk)へ向かいます。 ちなみに、ADBからセルチュクに鉄道で向かう場合、トルコ国鉄の他にイズバン(İzban)も利用できます。ただ、イズバンの場合は乗り換えが必要なことと、トルコ国鉄の便の方がタイミングが良かったので、私は今回はTCDDを利用しました。 トルコ国鉄の予約方法と乗車方法は別の記事に書きました。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

空港の案内板には"TCDD"の文字列が見当たらなかったのですが、警備の方に場所を訊いた(これが初のトルコ語会話実践)ところ、"Metro"の案内に従えば着くとのことでした。 下の写真は、空港を出てすぐのところ。この写真の奥のエスカレーターを上がっていきます。

案内板。"Metro/İzban"の案内が目指す方向。 この案内板の書き方からも察せられる通り、実はアドナン・メンデレス空港駅はトルコ国鉄とイズバンの駅で共用されていました(線路も共用)。

案内の通りに向かうとイズバンの改札があって一瞬混乱したのですが、トルコ国鉄の予約を印刷したものを見せたら、そのまま奥に進むように言われました(予約や切符の確認は車内で行われました。)。 非常にややこしいのですが、ホーム手前はイズバンの乗り場で、トルコ国鉄の乗り場はホームの奥の端にあります(一応、柵で仕切られている。)。

この写真の一番奥の箇所がトルコ国鉄の乗り場でした。

下は、トルコ国鉄の乗り場から振り返ったところ。イズバンとトルコ国鉄では車両の乗降口の高さが違うようで、ホームの高さが異なることが分かります。 なお、写真に移っているのはイズバンの車両で、トルコ国鉄車両ではありません。

ちなみにこのときは雨上がりで、カエルの鳴き声のような音で賑やかでした *3

乗車方法や車内の様子については、上に書いた別記事を参照。

列車はほぼ定刻通りに運行し、セルチュクに着きました。

下の写真は、セルチュク駅で撮影したトルコ国鉄の車両。なお、左側の車両はイズバンのものです。

トルコ国鉄のセルチュク駅(ホーム側から撮影したもの)。

ちなみにイズバンの乗り場へはすぐ隣、地下通路を通れば行けるようです。

セルチュクからエフェス遺跡へ

セルチュク散策と昼食

駅前すぐに水道橋跡とアタチュルクの巨大な垂れ幕(?)があって、いきなりトルコを感じる組み合わせでした。

このときは大統領選挙も近く、この垂れ幕と一緒にCHP(共和人民党)の旗がはためいていたので、選挙戦の一環で普段はないのかもしれません。

駅から西に延びる通りはレストラン(というよりロカンタ?)が多く、昼食はここのロカンタで摂りました。

メインはムサカ(ナスとひき肉の煮込み)、右のスープはメルジメッキ・チョルバ(mercimeki çorbası)というレンズ豆のスープ(ポタージュに近い)で、どちらも美味しかったです。 メルジメッキ・チョルバは優しい味ながらボリューム感もあって好き。ムサカも気に入って、日本に帰ってからも再現を試みて何回か作ってます。 ご飯も頼んでしまったのですが、パンが無料でついててくることに後から気づきました。ミス。

なお、お代は135TLでした。日本で外食するのと大差ないのでは。。。

エフェス遺跡への移動

ドルムシュに乗るためにオトガル(バスターミナル。鉄道駅から徒歩10分くらい。)に向かいます。 オトガルではタクシー運転手や旅行会社の客引きがかなり声をかけてきますが、それを無視して奥に進むとドルムシュ乗り場がありました。

このときは他の観光客もいたので、ドルムシュは10分待たずに発車しました。 扉が閉まる前に走り出すので、立っている場合は振り落とされないように要注意。

エフェス遺跡(Efes Örenyeri)への所要時間は10分以下、運賃はこのときは15TLでした。 着いたのは遺跡の北側のゲート。

エフェス遺跡観光

概要など

  • (たぶん)公式サイト : Efes Örenyeri
  • 広いのと、どこが何の施設だったかが分かる方が面白いので、地図があった方が良いかと思います。私は地球の歩き方の地図を事前にスキャンしておきました。地図はホテルなどでもらえるかもしれない(ホテルにそれらしきものが置いてあった気がします。)が、私はホテルに寄らずに直接遺跡に行ったので確認しそびれました。
  • 解説パネルはトルコ語と英語が併記されています。
  • この後多数の博物館や遺跡などを巡る予定だったため、エフェス遺跡のチケット売り場で、Museum pass Türkiyeを購入しました。代金は2500TL、日本のVISAカードが使えました。
  • 団体客が大勢いました。聞こえる言語も英語、中国語、韓国語、スペイン語あたりと多種多様。また、トルコの小学生くらいの団体もいました。
  • 解説パネルによると、ケルスス図書館など、いくつかの見どころは崩壊していたものを(元の部材を使って?)復元したもののようです。そのため、どこまで往時の姿を再現しているかは自信がないです(感想が的外れなものになっているかもしれません。)。
  • 13時半頃に入場して17時半頃までいたので、だいたい4時間くらいかけて見て回りました。見どころが多いので、以下では印象に残ったものについてだけ書きます。

北ゲート周辺

北側ゲート入ってすぐの箇所には、マイルストーンや棺などが展示されていました。 壮麗な建物や彫刻に比べると地味なのですが、日常生活が垣間見られるこのような品々は個人的には大好きです。

街道に設置され、都市との距離を示すマイルストーン。解説パネルによると、「帝政時代には街道の建設や維持に貢献した皇帝の名前も彫られた。帝政時代後期には、皇帝への忠誠心を示すために、特に道路の建設や維持に貢献していない皇帝の名前が彫られるようになった。」とのこと。

こちらは並べられた棺。

その中でも、ちょっと気になったものが下の写真の棺 :

解説パネル曰く、棺は遺体が入るサイズとのことなのですが、この写真の棺を含めて、長さ1m程度のものがいくつかありました。 あくまで推測なのですが、サイズが小さいことと、写真中央の人物の見た目が幼いことから、これは子供用の棺かもしれません。 ちなみに、古代ローマにおける子供の死亡率は(現代日本の基準では)高く、5歳までの生存率はおよそ半分とのことでした*4

もう一点気になったのは、棺が並ぶ場所。古代ローマでは十二表法が市域での埋葬を禁じており、埋葬は通常は市域の外で行われていたと読みました*5。また、解説パネルにも(一般論として)墓地は市壁の外にあったと書かれていました。一方、棺が展示されていた場所はもろに市壁の内側のようでした。もともと別の場所で発掘されたものをこの場所で展示しているだけかもしれないですが、市域が後から墓地の上にまで広がっていったのだとしたら興味深いなと思いました(あくまで仮定の話です。)。

アルカディアン通り周辺

先に進むと見えてくるのは、こちらの大きな通り。 アルカディアン通りと呼ばれ、かつてはこの先に港があったとのことです。

エフェス遺跡の敷地内はいたるところに猫がいました。

アルカディアン通りの、港とは反対側にあるのが、大劇場。

クレテス通り周辺

ケルスス図書館

エフェス遺跡のシンボルともいえる、ケルスス図書館*6

下から見上げると華やかな天井装飾が目を惹きます。

なお、上の写真は図書館正面のファサードで、内部に入るともっと地味です。

建物の下の方は石、上の方はレンガ、というパターンは他にイスタンブールのアギア・イレネーなどでも見かけました。 たぶんレンガの方が密度が低いからかな。 (ただ、このへん復元だと思うのでどこまで正確かは分からないですが。)

どんな本が所蔵されていて、どういう人々が何の目的で図書館を利用していのか気になります。(これは誰かが研究しているはずなので、調べてみたい。)

通りのそこかしこに見られる碑文。

残念ながら中身は全く読めないのですが、こういうのを読めると楽しいんだろうなー、と思いました。 ちなみに、私が言語を学ぼうと思う第一の理由は旅行での実用のためなのですが、他の理由として「一次史料を読めるようになりたい」という野望もちょこっとあります。まだまだ言うだけで全然実行には移せていませんが。。。

また、時間が足りなくて読みそびれたのですが、今回の旅行の予習の本を調べたときの以下のような本が出てきて、機会を見つけて読んでみたいなと思っています。

ただ、このあたり本はラテン語碑文の扱いが多いようです。対して、エフェソスの碑文はギリシア文字のものが多いようですし、帝国東部ではギリシア語が広く用いられていた*7ようなので、どこまで参考になるかは分かりません。

テラスハウス

クレテス通りに面して、傾斜地に建てられた住居跡があり、テラウスハウスと呼ばれています。 その一部(というより大半?)は通常は追加料金が必要ですが、museum passで入れます。

壁画やモザイク床の装飾が見事。

壁の大理石。煉瓦や漆喰の上に装飾用の大理石の板をはっていることがわかります。 やはり全て大理石で作るなんていうのは神殿や公共の建物くらいで、個人宅は(おそらく富裕層の邸宅だとは思いますが)そうはいかないのかなと思ったりしました。

個人的に興味を引かれたのは、水道管と思しき管。 科学史や技術史に興味があるので、地味ですがこういったところが気になります。

特に2枚目は縦横に管が走っているのが印象的でした。 確かこのへんにキッチンかトイレという趣旨の解説パネルがあった気がしたのですが、写真を撮りそびれたのでうろ覚え。。。

なお、テラスハウス内部の見学は、傾斜地を登る形の順路で進みます。 そのため、団体客の中には「疲れたので引き返して下で待つ」と言って途中で見学を諦めた人もいました。

公衆トイレ

テラスハウスを出て再びクレテス通りに。

こちらは古代の公衆トイレ。建物内の三方に便座(?)が並んでいます。

便座の下を水が流れる水洗式*8で、加えて便座の前の溝にも水を流して、お尻を洗うのに用いたそうです。また、真ん中のスペースには水をためてあり、水道にトラブルがあったときに備えていたとのことです(以上、団体客のガイドさん解説を立ち聞き)。

便座の間に仕切りなどは全くなさそうです。公衆トイレが社交の場だったという記述を読んだことがある*9*10のですが、仕切りなしの便器に座って並んで歓談するのは現代の感覚からすると興味深いです。

ちなみに、この隣にある浴場のあたりからはケルスス図書館などを一望することができます。

ハドリアヌス神殿

解説パネルによると、元々ハドリアヌス帝に捧げられた神殿とのことです。

西暦300年頃以降に他の皇帝4人(ディオクレティアヌスコンスタンティヌス、マクシミアヌス、テオドシウス)の像が立てられたとのこと。 確かに、神殿前の台座をよーく見ると、皇帝の名前が書かれているように見えます。 たとえば下の写真の上から3行目は、"DIOCLETIAN"から始まっているので、たぶんディオクレティアヌス帝のこと...?*11

また、ずっと上の方で写真を載せた碑文はギリシア文字を使っていたのですが、こちらの台座の碑文はギリシア文字を使っていないのでラテン語のようですね(ギリシア語だったらディオクレティアヌスはΔから始まる気がします。)。もしそうであれば、ギリシア語とラテン語がどう使い分けられていたのか(または単純に時代の違いか)なども気になりました。

神殿内側の浮彫に描かれているのは、エフェソスの創建神話とのことです(解説パネルの情報)。

トラヤヌスの泉

こちらは泉(水場という方が適切かもしれません)の建物。 彫刻の一部はセルチュクの考古学博物館に展示されています。

建物ばかり見て、どう水道に接続されているのかを観察しそびれた。。。

その他

遺跡のあちこちに陶製(たぶん)の円柱形の物体が見られたのですが、たぶんこれも水道管? 1つ1つは意外と短くて(たぶん30cm前後)、水道管だとしたら水漏れしないようにどうやって接合したかが気になります。(写真2枚目の突出部に残る白っぽい物体が関係してそう。)

再びセルチュク

エフェス遺跡は南北に入り口があるのですが、セルチュク行きのドルムシュは北側から出るので、北側に戻ります。

再びドルムシュに乗ってセルチュクに戻りました。

夕食はお昼のお店と同じロカンタで。200TLでした(ラム肉が入ると高くなる気がします。)

ちなみに、ドルマの中身の米の量が思ったより多く、「お米とパン両方を食べる」というミスを昼に続いて犯しました。

翌日に続きます。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

*1:東京からイズミルのフライトを検索したとき、最初に出てきたのは7時IST発の便だったのですが、乗り継ぎ時間が2時間を切るのは怖いので、8時からの便を予約しました。

*2:国際線でももしかしたらアイランを頼めたかもしれないですが、確認しそびれました。。。

*3:日本のアマガエルの鳴き声とはまた異なる音だったので、カエルだとしたらどんな種類なのか気になる。

*4:参考文献[1] 第7章 寿命からローマ社会を見る p.213 表7 古代ローマの平均寿命モデル

*5:参考文献[1] 第8章 ライフサイクルからローマ社会を見る p.284 「共和政期初めの十二表法が「遺体を市域において土葬または火葬してはならない」と命じていたことからもわかるように、ローマでは古くから生者と死者の空間が峻別され、埋葬はふつう市域の外でおこなわれていた。」

*6:人が多くて混んでいたので、実際はいったんスキップして最後に訪れました。

*7:参考文献[2]第12章 ローマの社会 p.236 注8 「ギリシア語は、アレクサンドロス大王以降、帝国東部における国際語の位置にあった」

*8:参考文献[2] 第5章 ローマ「帝国」とは何か p.166「溝を流れる水のうえに穴の空いた木板や石板を置いたもの」

*9:参考文献[2] 第5章 ローマ「帝国」とは何か p.166「便座と便座の間に仕切りはなく、会話をしながら用を足し、ここもある種の社交場であった。」公衆トイレの写真としてはエフェソスのものが用いられています。

*10:参考文献[3] p.69 図のキャプション「公衆トイレ。共同で使用され、交流の場所として人気だった。」ただしこの本はガリアについてのものなので、エフェソスについても正しいかは自信がないです。

*11:"DIOCLETIANUS"にはなっていないですが、格変化によるものなのかな、という理解です。ただし、私はラテン語や古典ギリシア語は学んでいないので、これはあて推量です。