世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

中国の簡牘(木簡・竹簡)についての本のメモ(2023年 西安+河西回廊の旅の復習)

2023年秋の河西回廊の旅で漢代の木簡をいくつも目にして興味を惹かれたので、復習として中国の簡牘(木簡・竹簡)についての本を何冊か読みました。 この記事には、それぞれの本の内容と感想、本の比較をメモとして残しておきます。

2023年秋の河西回廊の旅のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

要約

  • 木簡・竹簡そのものへの入門としては、タイトルの通り「木簡学入門」が良さそうです。前半では木簡・竹簡の形態、主要な出土例、研究史などの背景を丁寧に述べてくれているため、前提知識を固めることができました。ただし、やや内容が古いところもあるようで少し注意が必要かもしれません。((e.g.)長城の防衛組織の構造は旧説のよう。)
  • 漢帝国と辺境社会」「ある地方官吏の生涯」は、木簡・竹簡から当時の社会について何が分かるかを紹介しています。前者は漢代の長城周辺の兵士や官吏(また彼らの家族も少し顔を出します)が主題で、「木簡学入門」の後半と被る内容もあります。後者は少し時代を遡って秦代に生きた地方官吏の一生を扱います。
  • 対して、「木簡・竹簡の語る中国古代」は少し毛色が異なり、「文字を書きつける書写材料はどのように変遷してきたか」「特に、木簡・竹簡はどのように用いられていたか」に主眼が置かれています。文字文化という文脈で、石碑や紙についても論じています。

木簡学入門

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1984年刊行の講談社学術文庫を再刊した、中国の木簡学の入門書です。 最初の3章で木簡学の基礎(木簡の多様な形態と役割や、主な出土例、研究史など)について述べ、それ以降の章では木簡から読み取れる内容を紹介する構成になっています。

若干古さを感じないでもないですが、前提知識ほぼゼロだった人間としては、木簡について幅広く知ることができ、良い本だったと思います。

個人的には、最初の3章で木簡そのものについて述べているところに一番興味を惹かれました; 実物を見たとき、ついついどんな文字が書かれているかにばかり目が行ってしまったのですが、木簡の長さや形にも意味があるということを知って目からうろこが落ちる思いでした。詳細は旅行記の方に書いたので、そちらを参照。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

また、4章以降では木簡の釈文と現代語訳が多く掲載されていたり、11章では著者自身による冊書の復元過程が述べられるなど、木簡を読み解く例をほんのわずかながら垣間見ることができたという意味でも興味深かったです。

増補新版 漢帝国と辺境社会 長城の風景

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出土木簡史料(敦煌漢簡と居延漢簡)や発掘成果などに基づき、漢代の河西回廊近辺の長城と、そこに暮らす人々の姿を描いた本です。様々な木簡(その多くは日常の業務の記録)から、長城の防衛組織の組織構造や人数規模といった硬い話から、兵士や官吏たちの日常、更には金銭トラブルや、兵士/官吏の家族の姿まで幅広く当時の世界が語られています。

これらの内容ももちろん興味深いのですが、その過程で用いられる種々の木簡(日々の巡回の記録、勤務日数や作業内容の記録、備品目録)の存在そのものも非常に興味深いと思います。というのも、これらの木簡は、2000年もの昔に文書行政が施行されていたことの傍証だからです。日々の記録に矛盾や規則違反がある場合に、釈明を求める木簡も残っており、監査まで行われていたという点には驚きました。個人的に特に興味深かったもの : 戍卒にも定休日があるとのことなのですが、休みを取っていない戍卒が存在することについて本人とは別の者(上官?)に釈明を要求する木簡が見つかった話(p.176)。

「木簡学入門」との比較 :

  • 扱う題材が類似しており、引用される木簡にも同じものがありますが、こちらの方がスコープが絞られている分、個々のトピックがより深く掘り下げられ、生き生きと描かれていると思います。(e.g.)戍卒と吏の違いが明確に述べられていたり、彼らの家族についても述べられていたり。
  • また、本書の方が情報も新しいようです。(∵)本書のもととなった中公新書版は1999年出版で「木簡学入門」の元の講談社学術文庫版よりも新しく、加えて今回の版では改訂も加えられています。(e.g.)(1)長城の防衛施設の組織図について、「木簡学入門」にあったものは本書では旧説として退けられています。(2)懸泉置の遺跡や木簡への言及が見られます。

増補新版 木簡・竹簡の語る中国古代 書記の文化史

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副題「書記の文化史」が示唆するように、木簡・竹簡を主題としつつ、古代中国における文字文化/書記文化/文書行政について論じた本です。「詳説世界史研究」の巻末読書案内で知りました。 本書で取り扱う中心的な問いは「様々な書写材料(甲骨、青銅器、石、木簡・竹簡、紙)は古代中国でどのように利用され、それらの利用はどのように変遷してきたのか?」と言えるかと思います。甲骨や青銅器には軽く触れるのみですが、石刻や紙にも紙幅が割かれています。(とはいえ、木簡・竹簡が占める割合が多いのは確か)

上に書いた問いに対する本書の答えを極めて雑にまとめると :

  • 書写材料は「甲骨/青銅器/石→木簡・竹簡→紙」と直線的に変化してきたわけではない。甲骨や青銅器の文字はたぶんに呪術的な意図を持って書かれたもので、また石刻も内容はほぼ頌徳碑や墓誌に限られるなど、両者とも限られた用途でのみ利用されていた。その意味で、古代の普遍的な書写材料は木簡・竹簡であった。
  • 書写材料は単に文字を書く媒体であるだけでなく、その物理的特性にも意味があった。(e.g.)検の封泥を収める空間、符につけられた刻み目、冊書として編綴した場合に後から簡を追加するのが容易であるというファイル的特性。
  • 木簡・竹簡から紙への移行は、全ての用途で一斉に起こったわけではなく、段階的になされた。その際、書写材料の物理的特性への依存性が弱い用途から移行が起こったと考えられる。(e.g.)書籍が最も早く、検や符などは最も遅かった。

一般向けとはいえ論証・議論する文体になっており、ぐいぐいと読ませる文章であると感じられました。議論にあたっては様々な文献史料、出土史料が引用されています。ただし、やや飛躍や著者の主観が強く感じられるところもありました(著者が斯界の大家であろうことは認識しています)。

なお、「漢帝国と辺境社会」「ある地方官吏の生涯」などとは以下の点で異なります : 「漢帝国と辺境社会」「ある地方官吏の生涯」が主に「木簡から当時の社会について何が読み取れるか」(具体的には、前者は長城の防衛組織や兵士/官吏の日常業務、後者は地方官吏や周囲の人々の一生や日常生活)を述べているのに対して、本書の主題は「文字がどのように何の素材の上に書かれ、使われてきたのか」になっています。

ある地方官吏の生涯 木簡が語る中国古代人の日常生活

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「喜」という名の秦代の地方官吏とその周囲/同時代の人びとの生涯や日常生活を、主に睡虎地秦簡などの出土文字史料をもとに描き出した本です。とはいえ、喜本人について直接書かれた史料は限られているので、本書では秦代の他の史料や、漢代の史料も利用しています。たとえば、生誕(喜は生年月日と生まれた時間まで残っている)については、当時の日書(占い)では生まれた時刻も占いの判断材料になっていた話を紹介したり、喜が「史」(書記官)の資格を取得した箇所では、当時の書記官登用試験や識字教育の様子を紹介したり、などなど。

睡虎地秦簡は法律関連の簡牘が多く含まれ、かつ、著者も法制史が専門のようで、法制度の記録を通して当時の社会の様子を描き出す記述が多かったと思います。 また、岳麓書院蔵簡や里耶秦簡など、比較的新しい出土史料も利用されています。

あとがきは「あとがき 文献紹介をかねて」とも題されており、関連する話題をより詳しく知りたい場合の本の紹介があります。これはとても嬉しい。