世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2024年ウズベキスタン旅行 4日目 : ヒヴァからブハラへ

2024年ウズベキスタン旅行4日目(2024-04-29)の記録です。 この日はヒヴァからブハラへの移動日です。寝台列車(と言いつつ昼行便ですが)に乗り、だいたい400km*1を約7時間かけてまったり走ります。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝の散策

昨日に引き続き、少し早めに起きて朝食前に散策します。 昨日の朝やこれまでの観光は中央の通り近辺のエリアを歩くことが多かったので、今朝は西門以外の門や、城壁沿いなど、これまであまり歩いてないところをメインに歩きます。

まずはホテル近くの南門(これは城壁外から見たところ。)。

城壁外を城壁沿いに少し歩くと、墓のようなものがあって不思議に思いました。

城壁内に戻って西門に向けて時計回りに歩いていると、こちらにも墓らしきものがあります。

もうしばらく歩くと、城壁にくっついたような建物と、この墓の謎を解く鍵になるかもしれない(?)石碑もあったのですが、残念ながら読めず。有識者の方いらっしゃいましたらぜひ書かれた内容/ご意見を拝聴したいです。

城壁内側、南西の角の墓。ここまで集まると壮観ですし、やっぱり城壁に墓を作るのは不思議に思います。 ちなみに、このあと北側の城壁までぐるっと回ったのですが、城壁に墓があったのは南側(と、この南西の角あたり)だけだったと思います。

なお、後で宿の人に聞いたところ、これらが墓というのは正しいようです。 曰く、イチャン・カラで死んだ人はイチャン・カラ内部に葬る(逆にハーンであっても城外で死んだら城外に葬る)のが普通で、そのための場所、とのこと。ただ、なんで城壁に作ったのかは聞きそびれました(単純に土地が足りなかったのかな。。。)。 また、「城壁外面の墓は偽物で、あれは墓への畏敬の念を利用して、城壁を敵兵が登らないようにするためのもの」という趣旨の説明を聞きました。 本当だとしたら面白い一方、google mapの空撮写真を見る限りでは城壁外面に墓らしきものがあるのは南側に限られ、東、北、西の城壁には見当たらないので、ちょっと引っかかる気がします。

西門を超えて、クフナ・アルクのあたり。 このへんのかまどとかタンドールとか、実際に使っているのか気になります(近くにレストランがあるので、もしかしてそれ用とか?)。

北門のあたり。

北門側は、西門あたりに比べて生活感がある気がします。

通学(たぶん)する子供たちも見かけました。

散策していると、共通チケット対象ではないものの世界遺産に含まれている建物*2にもいくつか出くわし、「既に1日半歩き回った後なのにまだまだ見尽くせていないんだなー」ということに今更気が付きました。 ということでまた行きたい。

銘板によると、Amir To'ra Madrasasi(1870)。

マドラサ手前には半地下の不思議なスペースが広がっていました。 何に使うんだろう。

こちらはモスク。Hasanmurod Qushbegi Majidi (19世紀)。

Arabmuhammadxon Madrasasi (1616)。

こちらは中央通り近くのものですが、ガラスに覆われた不思議なものがありました。

中を覗くとこんな感じ。 ドーム状で、パイプもつながってるようなので、水道関連の施設とかでしょうか?(ぱっと思いつくのは貯水装置とか?)

こちらは東門すぐそばのハンマーム(銘板曰く、Anushaxon Hammomi 1657)。

散策後、宿に戻って朝食です。

朝食後、イチャン・カラ内のお店で昼食のナンを購入しました。 名残惜しいけど、いざ次の街に出発です!

ブハラへの移動

ヒヴァ駅まで

ヒヴァ駅まではタクシーかなーと思っていたのですが、ホテルの方からは「タクシーだと遠回りだけど、歩くと近いしいろいろと見れるから歩きの方がおすすめ」(意訳)と言われたので、歩きで行くことにしました。 ということで、駅のある東門方面に向かいます。

やたらとドームがつらなるエリア。 方角的には、さきほど朝の散策で見たハンマームな気がします。

東門から城壁の外に出ます。

外から門を振り返ったところ。 門の外にもこのようなミナレットを備えた建物が残ります。

こちらは門の外のマドラサ。銘板によると1905年建造のようです。

だいぶ駅まで近づいてきたところ。 ヒヴァ駅までは、広々とした道が広がります(たぶん自動車は通行禁止)。

ヒヴァ駅着! 東門からここまでだいたい1~1.5km程度で、時間にして(写真を撮りながらゆっくり歩いて)20分くらいだったと思います。

駅からイチャン・カラ方面を振り返ったところ。 道の両側にはホテルなどの近代的な建物が数多く並んでいました。 さきほど言及した広々とした道と言い、もしや古い建物をだいぶ取り壊して、観光用に再開発した...?

駅構内~出発

駅に入るときには手荷物検査はありましたが、チケット確認はありませんでした。

ヒヴァ駅のロビー。

駅内部の売店。 お菓子もあった気がするのですが、写真に撮りそびれたので間違っているかも。

定刻の15~20分前に改札が始まり、いよいよ乗車。 ちなみにチケットは確認されましたが、パスポートは一瞥されただけでした。

昼ですが、寝台列車です(逆にタシュケントからヒヴァに来るときは夜行便だったはず。) ということで、寝台の下の段をボックス席のように利用します。 4人で1つのコンパートメントで、今回の乗客は私とその同行者と、相席になったベルギーから来た老夫婦でした。

ほぼ定刻の11:10に発車し、ヒヴァを後にします。 7時間の鈍行*3の旅、はじまりはじまり。

列車の旅

ヒヴァ近郊では比較的緑豊かな景色も目に入りました。 と言っても天水だけではこうはならないと思うので、おそらく灌漑による景色のはず。

朝に買ったナンを食べます。 ただ、食べ物(ピロシキシャシリク)、飲み物(水やビール)の車内も販売あったので、特に何も準備していかなくても大丈夫だったかもしれません。 他にもお土産やモバイルバッテリーなど?の販売もありました(バッテリーはレンタルかも?)。 後は食堂車もあるそうなのですが、行きそびれました。ただ、隣のコンパートメントの方からは満席で食堂車に座れなかったと聞きました。

今回は西から東に向かうのですが、コンパートメント(進行方向右側)は南寄りで、日が当たるとかなり暑かったです。 なお車内にエアコンはありません。カーテンがあったのがせめてもの救いなのですが、それでも暑い。。。

ということで、乗車時は大半を窓が開けられて風通しの良い廊下で涼んで過ごしていました。

ただし、ヒヴァから離れると当面はこんな景色の中を走るので、窓を開けると砂が入ってきます。 砂が入らないように乗務員が窓を閉めるけど、暑がった乗客がまた窓を開ける、という静かな攻防(?)が行われていました。

草?が碁盤の目上に並んでいるところも多々ありました。 恐らく人為的なものかと思います。 ざっとgoogle検索したところでは、「草方格」という防砂用の物のようです*4

茫漠とした光景が広がります。 昨年9月に中国西部の河西回廊を旅した時も思ったのですが、湿潤な気候の日本ではまず見ないので、このような光景を眺めるとはるばる遠くまで来たなとある種の旅情を感じます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

ちなみにこのへんになると携帯電話も圏外でした。

ちなみにこの時は日本のゴールデンウィークだったので、車両には他にも日本から来た方がいたので、廊下で涼みつつお話したりしました。 いろんなところに行った旅の先達で、中国からパキスタンにフンジュラブ峠を超えてフンザに行くのがおすすめと言われました。なお、この方が行ったときはタリバンが出没していた時期で、かなり危なかったとか。(前後に外国人観光客が撃たれる事件もあったとか。)ヌクスからヒヴァでご一緒したAさんにもフンザお薦めされたので、行きたい欲が高まる。

ブハラが近づくにつれ、再び緑が戻ってきました。

乾いた大地での灌漑の重要性を感じます。

ブハラ駅から市街地まで

おおよそ7時間の乗車で、定刻より2, 3分早いくらいでブハラ駅に到着です!

改めて見ると行き先はアンディジャンと、本当に遠くまで行くのだなーと印象に残りました。

ちなみに駅ホームには売店もあり。水を切らしそうになっていたところなので、無事に買えて助かります。

さて、残るはここからホテルまでの移動。 地図を見ればわかるのですが、観光地となるブハラの旧市街まではかなり遠いです。 ということでYandex Goでタクシーを呼んで移動です。 ちょうど夕方だからか、渋滞に出くわしたりもしました。

途中の新市街あたり。ヒヴァよりだいぶ都会な気がします。 ブハラの旧市街は10世紀より前に遡る歴史を持つのに対し、新市街は19世紀後半に開業した鉄道駅(カガン駅)を拠点としてロシア人街として形成されたそう*5*6。 ということで、旧市街と新市街は性格だけでなく起源も異なるようです。

旧市街は道が狭く曲がりくねったところもあり、タクシーの運転技術に目を瞠りました。 自分は車の運転ができない人間なので、尊敬します。

さすが旧市街だけあり、階段などで車が進めなさそうなところもあったので、目的地直前で降ろしてもらいました。 運賃を払おうとしたらお釣りがないから?または目的地まで着かなかったから?か少なめで良いと一部返してくれたのですが、旧市街の運転がかなり難しそうだったのでそのままお渡ししました。

ブハラ駅からなんだかんだで30~40分くらいかかった気がします。

夕食

夕食は、ホテル近くのマドラサを利用したこちらのレストランで。 と言っても中は満席だったのか、レストランの前のタプチャンの席に座ることになりました。

タプチャンに座り、日も傾いて涼しくなった中、夕空を眺めながらチャイをいただきます。 チャイは甘く、スパイスが効いているもので美味しかったです。 この日はずっと移動だったので、これは至福の時間。

ちなみに向かいにある建物はモスク。Yandex mapsによると、Xo’ja Kalon Masjidiというそう。 その前に見える池はハウズと呼ばれるかつての貯水池。

前日のヒヴァのレストランと違い、こちらのプロフはとっても美味しかったです。 レーズンやレンズマメなどいろいろと入っているところも個人的には推し。 ただ、サラダの欄にあったヨーグルトサラダ(ケバブの隣に映りこんでるもの)は野菜が殆ど無いので選択をミスりました。 サラダとは...?

食後タプチャンでしばらくまったりしていたら、ヌクス→ヒヴァでご一緒し、ヒヴァで別れたAさんと出くわしました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com ヒヴァと違ってそこそこ大きい街だと思うので、この偶然にはびっくりしました。 ヒヴァからブハラまで車をチャーターして来たとのことで、なかなか過酷なドライブだったそう。

ひとしきり話した後、ホテルにチェックイン。 シャワーを浴びる前に髪の毛を触ると、砂がまとわりついていたからかゴワゴワした感触でした。 もちろん心地よいものではないのですが、初めての感覚だったことに加え、あの砂だらけの光景の中を旅してきたことを示すものだと思うと面白いものでした。

翌日に続きます。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

  • [1] 小松久男, 梅村坦, 宇山智彦, 帯谷知可, 堀川徹 編 (2005)「中央ユーラシアを知る事典」平凡社 ISBN: 4-582-12636-7

*1:google mapsでヒヴァ→ブハラの車での経路検索結果。

*2:建物の銘板に世界遺産のマークが記されている。

*3:走行中のyandex mapの表示によると時速80kmくらいだったので遅めの印象です。

*4:たとえば http://www.ryokukaclub.com/siryousitu/souhoukaku/souhoukaku1.html など参照。

*5:参考文献[1]p.457「ブハラ」の項「1868年...(中略)... 86年ロシア外務省の駐ブハラ政治代表部が機能しはじめ, 翌年ブハラ市の南東約13kmに中央アジア鉄道のカガン駅が完成すると, これを拠点としてロシア人の新市街, 新ブハラが形成された.」

*6:ここでは、現在のBukhara I駅と19世紀のカガン駅を暗に同一視しています。現在のブハラI駅がgoogle mapsを見るとカガンKogonの街にあることが理由です。