2024年ウズベキスタン旅行7日目(2024-05-02)の記録です。
この日はブハラからサマルカンドの移動日。 ブハラ最後の観光にホジャエフ博物館を訪れたのですが、華やかな映える見た目と裏腹に歴史的背景には重いものがあり、その対比が印象に残りました。
今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
散策
前日まででブハラのメジャーな見どころはだいたい見たので、昼過ぎまではまったり街中を散歩+1か所観光スポットを訪れます。 本当はバハウッディン・ナクシュバンディーの廟*1も気になったのですが、ちょっと町中心部からは離れているようなので、パスしました。またの機会に。
もう何回も通りがかったり通り抜けたりした、タキ・ザルガロン。
外から見るといくつものドームが連なる様子がよくわかります。
煉瓦だと木材みたいな梁を渡せないので、天井を作ろうとするとこうなるのが自然なのかなーと、イランで見たモスクの礼拝堂を思い出したりしました*2。でもヒヴァのモスクなどは木製天井なので勝手が違うよう。
昨日も訪れたウルグ・ベク・マドラサ。内部は昨日見たので、今日は外観だけ。
タキ(たぶんタキ・ザルガロン)で見かけた、バッテリーのレンタルサービスと思しきもの。
キリル文字読めないのでハードル高いけど、ちょっと使ってみたかった気がする。
カラーン・ミナレットとカラーン・モスク。
時間帯によって見え方も変わるので、何度訪れても良い場所です。
向かい側にはミル・アラブ・マドラサもあるし、時間が許せばこの広場でのんびり風景を眺めるのおすすめです。
ブハラ到着日に夕飯を食べたレストラン(テラス席)の向かい側のモスク。銘板の英語表記にはKhoja Kalon Mosqueとあり、16世紀後半の建築とのこと。
残念ながら扉は鍵がかかっていました。
工事中らしいので、そのうち入れるようになるのかも?
そのすぐ近くのGavkushon Madrasah(銘板の英語表記)。こちらも16世紀後半の建物。
メジャーな観光スポット以外にも数百年前の建物がかなりの密度で残っていてすごい(小並感)。
さて、次のお目当てのところまで歩くのですが、そろそろ中心の観光エリアを抜けます。
たぶん住宅街?
こういう、いかにも旧市街っぽい路地を歩くのも好き。(ただ、人影がまばらすぎて、夜はちと怖いですが。)
道端にイスラーム圏の墓石のようなものを見つけました。
墓地とかではなく道端にあるのが不思議。。。
中心部からだいたい徒歩10分くらいで、目的地のホジャエフ邸に到着です!
ファイズッラ・ホジャエフ博物館
- Google mapsの表示名 : Fayzulla Khodjaev Museum
- yandex mapsの表示名 : Музей Файзуллы Ходжаева
- 入場料 : 30千So'm
門を抜けた先の庭園。門の外からの写真は撮り忘れました。。。
私以外は団体客が多かったです。
だいたい車(観光バスなど)で正面まで乗り付けてくるようで、たぶん歩いてくる人は少ない気がします。
さて、上の胸像の人物が、この博物館の名前の由来のファイズッラ・ホジャエフ。 大商人の家(というのがまさにこの博物館のはず)に生まれ、モスクワに学び、ブハラ革命で大きな役割を果たした後にブハラ人民ソビエト共和国で首相を務めた人物です。 ソビエト連邦の民族共和国境界確定にあたっても活躍しウズベキスタン創設につながったことから、「ウズベキスタンの父」とも呼ばれるそう。 なのですが、スターリンの大粛清で失脚し、亡くなったとのことです*3。
このへんは2日前に訪れたマドラサの展示で見た、アイニーやフィトラトとも関わる話ですね。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
さて、そんな歴史的背景を頭に入れた上で細い通路を抜けると、なんとも華やかな空間が迎えてくれます。
結婚写真(?)の撮影をしていると思しきカップルもいました。
テラスのような半屋外空間を設け、その上の平屋根部分を木の柱で支える様式はこの旅で何度も目にしたものですね。
たとえば、同じくブハラのボラハウズモスクや、ヒヴァのクルナ・アルクなどなど。
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com


まず、上の写真で向かって左側の部屋に。 団体客のガイドの話を横で聞いた限りでは、こちらは冬の寝室だった気がします*4。 こういった壁の造り(壁龕を設けて装飾品を置く場所とする)をTokcha bandi styleとガイドさんが解説していた気がします。(がしかし、ググっても出てこないので、私の聞き間違いorスペルミスかもしれません。)
左の写真の右端に移りこんでいる肖像画はこちら。ホジャエフの肖像画のようです。
往時の生活用品や写真を展示しているエリアもありました。
左の写真、2階に屋外に面した席が設けられているのが印象的です。(支える柱がなくてもなんとかなるんだ、という点。)
こちらはたぶん厨房。
奥に見えるのはたぶんノン(ナン)を焼く釜でしょうか。
昔の市場などの様子をとらえた写真もあり、興味深かったです。
先ほど外側から見たテラス正面の部屋はこちら。
ひと際大きく華やかなお部屋です。確かこちらは夏の部屋(寝室?)と言っていた気がします。
部屋の中央では団体客にガイドさんが説明をしていたのですが、手元にあるのはゆりかごだそう。
また、この部屋は壁の装飾を修復したものだそう(やらたと綺麗だと思ってたので納得。)。 なんでもソビエト時代は装飾を(漆喰で?)塗り潰して学校にしていたとか。
すぐ隣のこちらの部屋はソ連時代の漆喰?をクリーニングしただけもの。
先ほどの修復された部屋に飾られていた写真。
中央の写真の中央がファイズッラ・ホジャエフ本人で、その家族と共に写ったもの。
ガイドさんの解説曰く : ホジャエフの右が娘で、シベリアの収容所送りになるも生還し、収容所で知り合ったドイツ人と後に結婚し。間に男子を設けた(というのが左の写真。)後に離婚。離婚後はカザフスタンに移住し、そこで再婚したそう。 また、上で言及した男子は、現在はタシケント在住の医師とのこと。
向かって右の部屋には、ソ連の粛清についての展示もあり、大粛清の犠牲者を追悼するカリモフ前大統領の言葉も掲示されていました。
建物の映え感と、重い歴史的背景のギャップが激しい。
Turki Jandi廟
帰り道で廟を見かけたので寄ってみました。
銘板によると、Turki Jandi Mousoleum(英語表記)という17世紀の建物だそう。
他に観光客もおらず、静か。
ですが、解説パネルがウズベク語、ロシア語(たぶん)、英語併記と充実していました(ウズベク語はキリル文字表記)。
建物も2020年に修復されたそうです。
管理人らしきおじいさんがいらしたので挨拶したら、日本語で「こんにちは」と言ってくださいました。
廟の建物内部には井戸があり、おじいさんがこの井戸を指さしてザムザムと言っていました。
メッカのカアバ神殿のザムザム?と思って首をひねっていたのですが、解説パネルを見るとその通りのようで、どうやら「この井戸の水には癒しの効果があり、それはこの井戸がメッカのザムザムとつながっているからだ」という伝説があるんだとか*5。
中には桑の木が生い茂っており、おじいさんがジェスチャーで食べるよう勧めてくださいました。
"qora"という単語はわかったので、おそらく「黒い実は甘い」ということを仰っていたのだと思います。
で、実際甘くて美味しかったです。
桑の実が好きなのに日本で食べる機会があまりなかったので、かなり嬉しい。
ブハラに来てから街中で桑の実がなっているのをたくさん見て気になっていたものの「街路樹はダメかな...」とパスしていたので、ブハラを発つ前に口にする機会ができたという意味でもありがたいです。
ちなみにウズベク語では桑は"tut"のよう。
昼食
ブハラ初日の夕飯のお店が美味しかったので、再訪しました。
初日に訪れたときの旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
前回は外だったのですが、今回は早めの時間で空いていたからか、素敵な中庭に通していただけました。
やはりマドラサ*6の中庭は良い。
ちなみに、中庭に入ってきた写真だけ撮って帰る観光客もいました(ええんかいな)。


前回の反省(?)に立ち、今回はきちんと野菜たっぷりのサラダを注文。 同行者がお腹を壊していたので、今回は1人でプロフ1皿食べたのですが、意外とすんなりお腹に入りました*7。
食べ終えた後もお茶を追加して、しばらくのんびり過ごしました。 どうやら脱水気味だったっぽい。。。
レストランから出ると、マドラサ前の水路の水量が増えてました。
水源がどうなってるのかとか、水量をどう制御してるのかとか気になります。
名残惜しいですが、ほぼ丸3日過ごしたブハラの街から、次の街に向かいます。 ということで、水を買って、タクシーでブハラ駅まで移動します。
サマルカンドへの移動
ブハラ駅
3日ぶりのブハラ駅。
駅入場時にチケットもパスポートも確認されませんでした。
駅内部は2階から眺めるとこんな感じ。


売店もあり、飲み物や軽食も買えるようです。
列車

列車は確かシャルク号。
アフラシヤブ号もあった気がするのですが、早々に売り切れて買えなかった記憶があります。
少しお腹が空いてきたので、車内販売のサモサをいただきました。
なんと意外にも温かいもので、美味しかったです。
約2時間半の乗車でサマルカンドに到着しました。
サマルカンド駅
駅ホームの時点で既にボリューミーなナン(ノン)がアピールしていて、サマルカンドらしさを感じます。

駅から市街地(というか観光エリア)までは距離があるので、しばし移動です。
トラムが目に入って一瞬乗りたいと思ったのですが、同行者もいるので大人しくYandex taxiで移動します。
夕食
夕食はサマルカンドの道端のお店で。
ローカルなお店かなーと思ったのですが、店員さんは初手から英語で声をかけてきてくださったので、観光客慣れしているよう。


同行者のお腹の調子が悪いので、あっさり目にしようと思って、サラダ、ナン、チュチュワラを注文。 サラダはハーブや味付けはあんまりなかったかな。 チュチュワラはかなりあっさり優しい味付けで良かったです。
夜の散策
まさかの中国語入りの看板を発見。漢字、キリル文字、ラテン文字と入り混じってて面白い。
レギスタン広場のライトアップを見に行ったら、かなりの人出。
ちなみに写真からも分かるのですが、レギスタン広場とここの間には柵があります。
恐らく、レギスタン広場に入るにはチケットが必要なようです*8。
このあと大音量の音楽と共にライトアップショーが始まり、次々と色が変わるカラフルなライトアップに、広場はまるでゲーミングレギスタン広場のような様相を呈していました。
こういうのを期待してるわけじゃないんだよなー…と思いつつ、こういう文化があるのはそれはそれで面白いかもしれません。
翌日に続きます。
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
参考文献
- [1] 小松久男, 梅村坦, 宇山智彦, 帯谷知可, 堀川徹 編 (2005)「中央ユーラシアを知る事典」平凡社 ISBN: 4-582-12636-7
- [2] 小松久男(2018)「近代中央アジアの群像 革命の世代の軌跡 (世界史リブレット人 80)」山川出版社 ISBN: 978-4-634-35080-9
- [3] 宇山智彦 編著(2010)「中央アジアを知るための60章【第2版】 (エリア・スタディーズ26) (エリア・スタディーズ 26)」明石書店 ISBN: 978-4-7503-3137-9
*1:https://www.tripadvisor.com/Attraction_Review-g303936-d553779-Reviews-Bakhautdin_Naqsband_Mausoleum-Bukhara_Bukhara_Province.html 参照
*2:イスファハーンの大モスクのこと。王のモスクではなく、もっと古い方です。
*3:以上、参考文献[1] p.446 「ファイズッラ・ホジャエフ」の項、参考文献[2] p.52 注「ファイズッラ・ホジャエフ」、参考文献[3]p.69-p.73「ソビエト体制への抵抗と適応 バスマチ運動とファイズッラ・ホジャエフ」より。なお、wikipediaには大粛清で1938年に処刑された旨記載されていますが、参考文献[1], [2], [3]の該当箇所ではやや間接的な表現になっており、処刑されたかどうかはこの記述だと分かりませんでした。
*4:でも写真からすると南に面してるわけでもない気がするので、勘違いかも?
*5:日本でも福井県は若狭の神宮寺のお水送りと、奈良の東大寺のお水取りで似たような話があった気がします(要出典)。
*6:表の銘板には、Abdurahmoni A'lam Madrasasi XIX ASR (19世紀)という記載がありました。
*7:この後お腹を壊すなどもなく無事。思うに、野菜と温かいお茶が大事なんだと思います、たぶん。
*8:このとき既に夜9時近くで、この時間だとマドラサの建物が開いてない気がするので、チケットを買っても建物内部は見れないかも?という気がします。。。