世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

船山徹(2013)「仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき」岩波書店

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河西回廊の旅(2023年)と新彊の旅(2024年)の復習に仏教史の本を何冊か読みました。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

で、仏教史の本を調べている最中に、こちらの訳経に焦点を絞った本をたまたま見つけて、まさに上記の旅に近いトピックなのでは?と思って読んでみることにしました。

書誌情報

  • 書名: 仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき
  • 著者: 船山徹
  • 出版社: 岩波書店
  • 出版年: 2013
  • ISBN: 978-4-00-024691-0

内容と感想など

タイトルが示す通り、仏典のインドの言語から漢語への翻訳の歴史について論じた概説書です。 僧伝や経録などの一次史料を元に、仏典の漢訳の様子を描き出しています。

本書で取り扱うトピックは、漢訳が実際にどのように行われたか(漢訳はどれくらいの時間がかかったのか、1人で行ったのか複数人で行ったのか、黙々と行ったかそうでないか、など)から、中国における経典の撰述や編輯、漢訳という営為が中国語に与えた影響、はては現代翻訳理論との関連など多岐にわたります。

個人的には、最初に挙げた「漢訳が実際にどのように行われたか」という話(主に本書の3章と4章に対応)と、漢訳が中国語に与えた影響の話(7章)が特に興味深かったです。具体的に気になった話は、以下の通り:

  • どうも「単語単位で漢語への逐語訳を行ってから、漢語として適切な文章になるように単語を並び替える」という方法で翻訳していたようです(p.62-p.63)。これは衝撃でした(今の価値観だとあまり良い翻訳の方法ではないように見えるので。。。)。
  • 「訳主」と呼ばれる翻訳の責任者は(特に外国出身者の場合)必ずしも翻訳を行っていたわけではなく、インド諸言語の原典を口述するのが主な役割となることもあったとのことです(p.72)。そもそも外国出身の僧侶の場合は漢語を全く解さないか、解しても口語のみで文語には堪能でないケースが多かったと考えられるそう(p.91, p.96)。
  • 隋唐以後とそれまでは訳経を行う場(「訳場」)の形態が大きく異なっていたそうです。具体的には、隋唐以後では少数の専門家のみで翻訳を行うのが主流となったのに対し、それまでの訳経では在家信徒などの聴衆の前で訳経僧が翻訳と解説を行ったり聴衆と訳経僧による質疑応答もあったりするなど、いわば法会のような行事であったとか(p.55-p.57)。特に、後者のような訳場で鳩摩羅什が訳経を行う様も描写されていて興味深かったです(p.68-p.69)。
  • 仏典漢訳では、音写/音訳のために新しい漢字が創られたとのこと。具体的には、「僧」「鉢」「塔」など(p.182)*1。この漢字、今では1文字でさも意味があるような顔をしていますが、元は純粋に音を表わすために作られたというのは驚きでした。

また、上に書いたような話がどういう史料のどういう記述から分かるかも述べられていたり、場合によっては一次史料の原文(漢文、もとい古代漢語)と現代語訳を引用して説明したりするなど、推論の過程を垣間見れるという点も非常に面白かったです*2

こう書くと専門的な研究書のようにも聞こえるのですが、さにあらず。 著者自身が述べている*3ように、あくまで一般向けの書籍となっています*4。 実際、専門的なトピックであるにもかかわらず、筆者の筆力ゆえか難渋さを感じさせず、スムーズに読み進めることができました*5*6。 私が気づいた表面的なところで言えば、読者に親切な記述の仕方をしてくださっていると思います。具体的には、ところどころでそこまでの議論のまとめを提示したり、議論が長くなる場合は先に概要を提示したりしています。(e.g.)「以上にみた五世紀の流れを簡単に整理しておこう。」(p.36)、「ここまで述べたことはつぎの二点にまとめられる。第一に、...」(p.96)、「以下に述べる事柄を最初に要約しておきたい」(p.224)。また、第9章には「各章のまとめ」も用意されています。

シルクロード関連の書籍だと求法僧の旅路に焦点があたることが多く、訳経そのものについては手短に済まされることが多いかと思うのですが、彼らの旅路の目的はあくまで仏典を伝えることにあったわけで、その最後の一仕事としての漢訳という営為について知ることができ、大満足の読書体験でした。

*1:当該箇所に明記されていないのですが、「僧」は「僧伽(サンガ)」、「塔」は「卒塔婆(そとば、ストゥーパ)」の音訳に用いられたと理解しています。

*2:と言っても、私にはこれらの記述を検証できるほどの能力はないですが。

*3:「...仏典の漢訳について専門家以外の人が読めるものを一冊にまとめたいと思ったのはこうした事情による。」(p.vi)「漢訳の特徴に興味を抱く一般読者、学生、その他多くの方々に通読していただけるよう(略)読みやすくなるように配慮したつもりである。」

*4:たとえば、体裁から言うなら、研究書によくみられるような詳細な注はほとんど付されていません。

*5:正確に言うならば、私はこの分野について大した背景知識はないので、あさーい読みをしているかと思います。たとえば、固有名詞は適宜読み飛ばしました。ですので、私がここで書いた話は「浅い読みをしても得るところがある書き方をしてくださっている」と割り引いて捉えていただいても良いかもしれません。

*6:なお、仏教(史)についての前提知識全くなしだと躓くところもあるかもしれないです。が、本記事冒頭にあげた仏教史の本をどれか(岩波ジュニア新書の「仏教入門」か講談社メチエ選書の「仏教の歴史」あたり)読んでからであれば特に問題なく読めるかと思います。