2025年北京旅行の予習に読んだ歴史の本
2025年秋・冬あたりの旅の行き先は北京を予定しています。 予習として、北京や明清時代の歴史についての本を何冊か読んだので、内容や感想をここにメモします。
なお、別途読んだ中国伝統建築についての本のメモはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
北京の歴史
- 著者 : 新宮学
- 出版社 : 筑摩書房
- 出版年 : 2023
- ISBN : 978-4-480-01782-6
タイトルから北京の地方史的な内容を期待したのですが、やや方向性が異なりました。そのような話もないわけではないのですが、中国史(または東部ユーラシア史)を一通りさらいつつ、北京に関連のある話題を詳しく述べたり、その流れの中で北京がどのように位置づけられるか、に力点が置かれていたと思います。その意味では、「北京から見た中国史」「中国史における北京」と言ったタイトルでも良かったかもしれません。 なお、分量としては元以前が約180ページ、明清が約170ページ、中華民国以後が駆け足で約30ページとなっています。
本書で一貫している北京の位置づけは、「農耕世界と遊牧世界の境界に位置する、多民族の交わる都市である」というもの。 この文脈で真っ先に思い浮かぶのは、遼・金・元・清などの漢民族以外を主体とした王朝の都(または重要な都市として)として北京が選ばれた話かと思いますが、それだけでなくもっと昔の時代の話も扱っています。たとえば、安禄山がこの近辺の生まれで、長城地帯の辺境のバザールでブローカーを務めて頭角を表していった話[p.101]が印象的でした。
また、先ほど地方史的な話が少ない旨書いたのですが、清代については6章-3から7章にかけてある程度触れられています。個人的に興味深かった話は * 北京の内城と外城の区分は現代にも反映されており、内城は官庁街と屋敷町、外城は下町、という傾向が見られる[p.300]。(これ、東京の台地と低地の違いみたいな話で面白い。) * 北京外城に建てられた会館(ある種の同郷組織)の大半は、士人が上京して科挙を受験する際の滞在先として設立された[p.303]。 * 清代の琉璃廠が書店街として有名で四庫全書の編纂のための「四庫館」もここに開設された[p.308]。
なお、欲を言うと、もう少し地図が欲しかったです。すぐ上で触れたような話の際には北京の地名、紫禁城内部を紹介するときは建物の名前がそれぞれ頻出するので、地図なしだと隔靴掻痒の感がありました。(明代紫禁城(を含む北京城)の地図はp.224にあるのですが、清代とは建物の名前が異なるものもありました。)
海と帝国 明清時代
講談社のシリーズ「中国の歴史」の1冊です。 本書(学術文庫)は2021年出版ですが、元の単行本は2005年出版のようです。
著者自身が「はじめに」で述べている[p.24]ように、一風変わった叙述になっています。個人的にはかなり好みでした。
具体的には、
- 経済・交易を中心にした記述になっています。(ただしその枠組みを述べた1章の記述は、私には観念的すぎるように感じられ、あまり理解していません。)。
- 海域世界に触れている個所が多いです。(e.g.)倭寇、鄭和の遠征、鄭芝龍・鄭成功、19世紀南シナ海の海賊。
- 皇帝などだけではなく、より広い階層の人々について述べられていると思います。その分、皇帝の事績や宮廷での権謀術数といった話の記述は(通常の歴史書に比べると相対的には)少なかったと思います。(このへんの比重のおき方は作者も明示的に意図してのことのようです[p.59]。)たとえば、
- 自然環境に言及している個所も歴史の本にしては多かったかと思います。
ただ、いかんせん通常の政治史の話の基本的な部分も抑えつつ(ここはやはりシリーズものの一部として明清時代の通史を書かなければいけないという制約もあったのかも?)、経済など本書の特徴となる部分について述べているので、情報量が多いです。 加えて、経済史の見方について私の見識が不足しており、未消化な部分も多いです。
ということで、かなり好みの良い本だと思うのですが、今回の読書では理解しきれていない箇所が多いので、いずれまた読めればと思っています。
北京大学版 中国の文明 文明の継承と再生 明清-近代
- 著者 : 袁行霈, 厳文明, 張伝璽, 楼宇烈(原著編集), 稲畑耕一郎(日本語版 監修・監訳), 松浦智子(翻訳)
- 出版社 : 潮出版社
- 出版年 : 2016
- ISBN : 978-4-267-02027-8
- 著者 : 袁行霈, 厳文明, 張伝璽, 楼宇烈(原著編集), 稲畑耕一郎(日本語版 監修・監訳), 岩田和子(翻訳)
- 出版社 : 潮出版社
- 出版年 : 2016
- ISBN : 978-4-267-02028-5
「北京大学版 中国の文明」(原題 : 「中华文明史」)シリーズのうち、明清時代を扱った2冊です。
章立ては時代順ではなくトピック毎に分けられています。扱う話題は幅広く、経済・科学技術・社会・教育などなど(このへんは上記出版社のページの「目次」参照。)。 文明史というだけあって、政治史上の事件の類などにはあまり触れず、こういった時間スケールの長い話題を中心にしており、個人的には「そうそう、こういう歴史の本が読みたいんですよ~」という気分で大変好み*1。ただし項数も情報量も多いので全編きちんと読んだわけではなく、興味のあるところはじっくり、そうでないところは流し読みしています。
全編通して、史料からの引用が多く、地に足の着いた記述になっている点も良いかと思います。 ただし、引用は書き下し文なので慣れが必要*2なのと、ところどころ引用が多すぎて「それ注にすれば良かったんちゃうか?」と思う箇所もありました。
特に個人的に楽しめたのが、3章などで扱われている自然科学関連の話(個人的に好みのトピックなので。)。 有名どころの文献についてその執筆の舞台裏などを知れたり、今まで存在を知らなかった文献を知れたりもしました*3。
前者だとたとえば、
- 李時珍「本草綱目」 : 中国各地の薬草・薬物を実地で観察・採集し、栽培や服用実験も行ったそう[p.164]。内容は今でも大部分が正確だとか[p.174]。
- 徐光啓「農政全書」 : 既存文献をまとめた部分が大半だが、自分で実験・調査した内容も一部に含まれている[p.179]。自身で、農作業だけでなく圃場での実験も行っていたとのこと[p.165]。
後者だとたとえば、
- 徐霞客「徐霞客遊記」: 著者が30年余にわたってほぼ毎年行ってきた旅を記録したもの[p.165-p.166]で、自然地理学的な内容(地形・気候・地質・動植物の分布)も記載されている[p.182]。
- 阮元「疇人伝」 : 中国歴代(と一部に西洋)の数学者、天文学者の伝記集[p.186,p.188]。前近代中国にありがちな暦の占い的な内容には触れず、あくまで暦算の技術的な内容に限定している(と前書きにも明記してある)[p.189]。
あとは、個別の文献の話以外だと、
- 前近代中国では計算の道具は長らく算木を使った計算が主流だった。元代には算盤と算木が併用され、明代中期以後は算盤が算木に取って代わった(算盤が使われるようになったのは、中華文明の歴史だと意外と最近の話なんだな、ということを初めて知りました。)。
- 康熙帝が西洋の宣教師を重用して科学的事業にあたらせるだけでなく、自ら彼らから数学を習っており、講義を聴くだけでなく練習問題を解くなど自習もしていた[p.425] (皇帝業は相当忙しいはずなので、皇帝の事績として話盛ってるんでなければ、なかなかすごいことかと。。。)。
図説国子監 中国歴代王朝における最高学府
- 著者 : 孔喆(著), 岩谷季久子(訳)
- 出版社 : 科学出版社東京
- 出版年 : 2019
- ISBN : 978-4-907051-48-8
中華王朝の最高学府とも言われる、「国子監」について紹介した100ページほどの本(というか著者あとがき[p.103]曰く「小冊子」)です。ちなみに著者は孔子の子孫で、かつ孔廟・国子監の研究員とのこと[p.103, p.104]。
副題には「中国歴代王朝における最高学府」とありますが、最初の1章を除き、ほぼ全て北京国子監を扱っており、時代も明清(と少し元)、特に清を主に扱っています。
扱うトピックは目次からも察せられる通り幅広く、国子監での教育の実際や、卒業後の学生の進路、はたまた現存する建物についての建築的解説なども扱っています。 少ないページ数でこれだけ多岐にわたる話題を扱うため、情報密度が高くやや羅列的な感は否めないかもしれません。(ということで、私は読む前に「これを知りたい」という疑問を書き出して、疑問への答えを探す気持ちで読みました。じゃないと目が滑る。。。)
たとえば、
- 何を教えていたの? : 四書五経などの儒学以外にも、兵・刑・天官・河渠・楽律が講じられた[p.41]。ただ、科挙試験や考職試験に出ない範囲を積極的に学ぶ者は少なかったそう[p.49-p.50]。(現代でもありそうな話...。)また、付属校の1つの「算学館」では、天文や暦法が教授されていた[p.29-p.30]。
- 教授方法は? やっぱり講義? : 自習・講義・考課(テスト)の3本柱[p.52]。自習がメイン[p.49]で、学習ノートを定期的に提出して添削を受けていた[p.42]。講義は清代には月4回程度だった[p.52]が、明代にはほぼ毎日講義があったそう[p.78]。
あと、ロシアからも留学生を受け入れていた話も印象的でした。
国子監の存在や「最高学府」という位置づけはなんとなく知っていたのですが、じゃあ実際にどういう教育が行われていたのかとか、卒業後の進路はとか細かいところは全く知らなかったので、実際に訪れる前にこの本でイメージを具体化できて良かったです。
なお、国子監の建物配置に言及している箇所が多いのですが、地図が掲載されていません。そのため、適宜webで検索して見ながら読んだ方が良いかと思います(「国子监 导览图」などで検索)。
2025年春 中国・中央アジア旅行7日目 : アルマトゥ観光
2025年春、中国→カザフスタン→ウズベキスタンの旅7日目(2025-04-25)の記録です。 前日は伊寧(イーニン)からバスに乗ってアルマトゥまでやってきたので、この日はアルマトゥ観光初日! 自分にとって初めての国ということもあってか、特に観光地らしいところに行かなくても、街中を歩いたり食堂でご飯食べたりするだけでも、かなり楽しかったです。 と言いつつ、博物館も2つ訪れたので、大満足な1日でした。
今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
散策
初めてのカザフスタン! がっつり観光するぞ! といきたところですが、体調不良 + 前日は長時間移動だったので、がっつり寝て、のんびり昼前にチェックアウトしました。 チェックアウト時、ONAYカード*1をどこで買えるか訊いたところ、なんとその場でチャージ済みのものを売ってくれました。ありがたい。
木漏れ日が気持ちいいです。
道行く人々の顔立ちは、モンゴロイドもコーカソイドもいて多様。
会話はロシア語もカザフ語(たぶん)も聞こえました。
中央アジアと言えば(?)サムサ。
す、すねるまるけみ...? と一瞬読みかけたけど、これたぶんキリル文字筆記体ですね。ブロック体に直すとСупермаркетіなので、スーパーマーケット。
結局ロシア語は予習が間に合わずほとんど身に着かなかったのですが、まさか筆記体の記憶がこんなとこで活用されるとは思いもしませんでした。
地下鉄駅の入り口。
アルマトゥでは路線バスが充実していて、結局地下鉄には一度も乗りませんでした。
ただし渋滞がなかなか激しかったです(ということでバスはだいぶゆっくりになることも。)。
トロリーバス!
日本では絶滅してしまいました*2が、ここアルマトゥでは現役。
とは言え、トロリーじゃない普通のバスもほとんどが電動自動車なので、そちらと比べたときにトロリーバスがある意義ってなんなんだろう?と思わないでもない...。(ぱっと思いつくのは、バッテリー不要or容量が少なくて良いので軽量化できる、充電の時間をとらないので車両の稼働率が高い、とか?)
LU○Pのような電動キックボード。
実際に走っている姿もアルマトゥの街中でよく見かけました。
中国では電動バイクをよく見かけましたが、こちらではキックボード式なんですね。
ただし、歩道で音もなくつっこんでくるのはどちらも共通。
しばらく歩くと、パンフィロフ公園のあたりに出ました。
何やら記念写真を撮ってる若者たちの一団に遭遇。
ここパンフィロフ公園の名前は独ソ戦で活躍した師団の名前に由来し*3、園内には多くの記念碑や像、当時の兵器(?)などが置かれています。
そして、対独戦勝記念日は5月9日で間近。
賑わっているのはそれが理由かな、と思われます。
そちらとは別に、観光バスから降りてくる小学生?くらいの集団も見かけました。
たぶん校外学習的なものかな。
ソ連軍が被ってそうな帽子を被っていた子達もいました。
昼食
前日の夜とは別のスタローヴァヤで昼食に。
やっぱりいろんな料理(しかもあまり知らない料理)が並んでいるとワクワクします。
無難な炒め煮系の料理に。
中国内陸部と違って、基本辛くないのはありがたい。
ペースト状のものはマッシュポテト。
どちらも優しい味で、美味しくいただきました。
いかにも観光客向けのお店よりも、こういった地元の人が日常的に利用するお店のご飯が好き。
ところでこちらの文、1行目はカザフ語のはずなんですが、公式のキリル文字表記じゃなくてラテン文字表記なところが気になります。
1つ目の単語、asは食べ物や食事の意味っぽくて(店名にあったashanaは食堂の意味なので)、その後のynyzはトルコ語の知識から察するに所属を表す接尾辞(2人称複数)だと思われます。
ここまで観光地っぽいところは全然行っていないのですが、街中を歩いて食堂でご飯食べるだけでもかなり楽しいです(初めての国、という要因が大きいかもですが。)。
国立民族楽器博物館
とは言え、せっかく来たので観光地も訪れます。
まずは国立民族楽器博物館*4。
木造の建物は1908年建造とアルマトゥの建物としては古く、当初は軍の建物として造られたそう。
紆余曲折を経て現在は博物館として利用されているそうです*5。
開館時間の情報はこちら。
なお、入館料はクレジットカードで支払えました。
導入のホールに入ると、ドンブラの曲が控えめな音量で流れており、気分がアガります。
管楽器と打楽器
まずは、管楽器と打楽器の部屋の管楽器。
中央のアルプホルンのようなものは"KINDS OF KERNEY"とのこと。
karnayという表記でウズベキスタンのタシュケントの博物館でも見かけましたが、あちらは金属製、対してこちらは木製。
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
ちょっと意外だったのは、右端のバグパイプ(たぶん)。 バグパイプと言えば、ヨーロッパ各地のものやイランのネイアンバーン(Ney-Anban)などは知っていたのですが、中央アジアにもあるとは知りませんでした。 ちなみに名前はЖЕЛБУАЗ/ZHELBUAZ。
打楽器いろいろ。
右奥のタンバリンっぽいものや、左下の鈴がつらなったもの(はҚОҢЫРАУ/KONYRAUの一種、と記載あり)はある程度想像ができるのですが、右下の3つのもの


はどうやって音を出すかもイメージがつきません。
もっと馴染のある太鼓系統のものもありました。
ドンブラ
カザフの楽器と言えば、ドンブラ! という印象があります。 なお、2弦の撥弦楽器、という意味ではウズベキスタンや中国新疆のドゥタールに近いものがありますが、私は違いはよく分かっていないです。
カザフを代表する楽器(と勝手に思ってる)とあってか、館内にはドンブラがずらりと並びます。
洋梨型のものから、角ばったもの、細いものなど、様々な形のものがあるのが見て取れます。
ドンブラと言えば洋梨型の印象だったので少し意外でした。
この旅行の前の3月に、桜美林大学でのレクチャーコンサート「楽器は語る~カザフの器楽と伝説~」にお邪魔していて、その時に「昔は規格が統一されてなかった」と聞いた気がする*6ので、形のバリエーションもそういうことなのかも?
ちなみに、上記のレクチャーコンサートについては詳しい記事を書いてくださった方がいらっしゃったので、興味がある方はこちら参照: note.com
変わり種もいくつかありました:

- kossazなる、ドンブラを2つくっつけたような形のもの(上の写真)。2本の棹に分けたら1人で弦を押さえられなくない?と思ったのですが、どうやって演奏するのか気になるところ。
- さきほど2弦と書いたのですが、dombra ushemと書かれた3弦のものも見かけました。
- "double sided dombra"なる両面に弦をはったものもありました。これはさらに演奏方法の想像がつかない。。。
コブズ
ドンブラに同じく2弦ですが、こちらは擦弦楽器です。 元はシャーマンの楽器として扱われていたそう*7。
ボディの上半分が空のものもあれば、透かし彫りをつけたものもあり、バリエーション豊かです。
こちら、左側2つは大振りで、確かnarkobyzと書かれていた気がします。
右側3つのうち両側はkylkobyzとあったのですが、ただのkobyzとの違いはよくわかっていないです。
これだけたくさん並んでいると比較して見えてくることもあって、


- 左右のペグのどちらが上にあるかは任意性があるよう。展示されてる中では向かって右が上にあるもののほうが多かった気がします(ざっと数えて2/3くらい)。
- 弦を支える駒は中心からずれているものが多く、たいていは向かって右側にずれていました。でもほぼ中央のものもあったり(左上の写真。)
- 基本は全て2弦なのですが、1台だけ4弦のものがありました(右上の写真の、3つのうち中央のもの)。
カザフの楽器その他
箏のようなzhetigenや、
ハープ状のadyrnaなどもあり。
ただ、発掘されたものをもとに復元された古くて新しい楽器もあると聞いた気がする(たぶん明石書店のエリア・スタディーズ。ただし今手元にないので、未確認)ので、もしかしたらこのへんもその種の楽器かも?
世界各地の楽器
後半1/3くらいはカザフスタン以外の楽器を扱っていました。
文化的に近いところだと
ウズベクや、


ヤクートとトゥバ(左)、アルタイとハカス(右)など。
近隣に限らず、
インドや東アジア(左端には見覚えのある楽器が...!)
ヨーロッパまで幅広く扱っていました。
楽器は演奏を聴いてなんぼ、と思うと物だけ並んでてもありがたみは薄いかもですが、名前も知らない楽器が並んでるだけでどんな音がするんだろうとワクワクします。 あと、キャプション(写真撮った)にはきちんと名前が書いてあるので、帰国後に楽器の名前から検索してyoutubeでいろいろと音を聴けてかなり楽しいです。
ONAYカードチャージ
次の目的地に歩く途中で、ONAYカードのチャージができる機械を見つけました。
ここまで歩く途中でバス停近くにないか探していたのですが、結局バス停にはあまりなく、ネットカフェ?などの店舗の外にあることが多かった気がします。
言語がカザフ語orロシア語しかないようなのですが、石器時代さんの以下のブログを拝見していたので、特に問題なくチャージできました。 何事にも先達はあらまほしきことなり、ということで感謝です。 syachikuai.com
コク・バザール
次の目的地はコク・バザール/ゼレニー・バザール。左のコク・バザールと読む表記はカザフ語、右のゼレニー・バザールはロシア語かと思いますが、いずれも緑のバザール、という意味のようです。
と言いつつ、緑はトルコ語だとyeşil、ウズベク語だとyashilなので、カザフ語のкөкとえらい違うな、と思ったところ、(google翻訳を信じるなら)көкはblueの訳語っぽいです。
日本語でも「青」で緑っぽい色を表すことがあるし、このへんの境界どうなってるんだろ。
一応整理しておくと(google翻訳を信じるなら) * green : yeşil(トルコ語)・yashil(ウズベク語)・жасыл(カザフ語) * blue : mavi(トルコ語)・ko'k(ウズベク語)・көк(カザフ語)
(こう見るとトルコ語のmaviが謎...) テュルク諸語かじった人間としては気になるところですが、肝心のバザールの中に入っていきます。
何か買いたいものがあるわけではないのですが、現地の食品がずらりと並んだ活気あふれるバザールは見て回るだけでも楽しいです*8。
なお、タシュケントのチョルスー・バザールに比べると気持ち少し上品というか、秩序だっていて落ち着いている印象を受けました*9。 チョルスー・バザールを訪れたときの旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
私は行っていないのですが、写真にも写っている2階部分にはカフェがあるようで、バザールを眺めながら一息つくのにも良いかもです。
漬物類?の売り場。
商品も気になるところですが、kaspi.kzのQRコードが掲示されており、キャッシュレスが浸透していることをうかがわせます。
日本ではなかなか見かけない、大きな肉がずらりと並ぶ様は壮観。
冷静に考えると肉の大きさ以前に、常温で剥き身でおいてあるのは日本ではなさそうな光景ですが、やはり乾燥してるから物が腐りにくい、とかなんでしょうか。
看板からも分かる通り、肉はカザフ語でет。トルコ語ではet、ウズベク語では(確かペルシャ語由来の)go'shtで、このへんの違いの経緯も気になるところです*10。
ちょっと意外だったのが、魚があったこと!
このとき見たものは干物か、干物以外だとサーモンが多めでした。
内陸国のはずなので、どこからの品物なのか気になるところ(輸入品なのか、はたまた湖で獲れたものなのか)。



奥の方には野菜売り場もありました。 目にも鮮やかな赤い大根?が気になったのですが、местныеというのは野菜の名前ではなく、「地元」という意味のロシア語のよう。
ちなみに私が食品売り場を眺めるのが好きなので食品売り場をメインで見ましたが、それ以外の売り場もありました。
散策
再び、歩いての移動。 アルマトゥは中心部に行きたいところが固まっているので、歩いて移動できるの嬉しい。
バザールの近くで見つけたアパレル?店。日本関係あるのかな。
ミネラルウォーターの広告も中央アジアっぽくて良き。
パンフィロフ公園を突っ切って南西に
しばらく行くと、何やら立派な建物に遭遇。
地図(yandex maps)によると、Kazakh-British Technical Universityという大学だそうです。
wikipedia曰く、2001年設立と意外と新しい*11。
大学の向かいの公園には何やら勇ましげな女性の銅像がありました。
このへん旧ソ連を感じますね。
お次はドンブラを抱えた銅像。
台座にはКҰРМАНҒАЗЫとあり、19世紀カザフの高名な音楽家、クルマンガズのことのようです。
3月のレクチャーコンサートで聞いた名前だったのでピンときました。
知識が増えて、見えた景色の解像度が上がるの、めちゃくちゃ楽しい。
像の前の噴水(?)もドンブラを象ったもの。
そして極めつけに、ドンブラケースらしきものを持ってる若者を何人か見かけました。
思わずおお!と声が出そうになったのですが、不審者になるので自重。
そんなドンブラ推しのこの施設、なんなんだろうと思って地図を見てみたら、”Kurmangazy Kazakh National Conservatory”とあり、国立音楽学院のようです。
こうやって自分の興味のある場所に偶然出くわせるの、街歩きの醍醐味感があって楽しい。
せっかくならコンサートも行ってみたくなり、"Parade of Ancient Instruments"というコンサートの案内にかなり惹かれたのですが、数日前に終演したもののようで無念。。。
アルマトゥ博物館
次の目的地はアルマトゥ博物館。
館内に入ると、まずはリンゴのモチーフをちりばめたホールがお出迎え。さすがはアルマトゥ(アルマトゥの名前の由来は確か「りんごの里」)。
アルマトゥにある博物館で言うと国立中央博物館の方が有名かと思うのですが、あちらはカザフスタン全体についての展示、こちらはアルマトゥあたりの地域についての展示です。 こちらは日本で言うと市の郷土博物館みたいな位置づけかと思います。 個人的には国立中央博物館(後日行きました)よりこっちの方が好みですね。
情報量多くて1回で消化しきれなかった(タッチパネルで詳しい解説も見れるので時間が溶ける)ので、後日もう一度行きました。 ということで、ここの記事では2回の訪問で見た内容をまとめて記載します。
また、展示の内容については https://izi.travel/en/browse/861e3cf0-112c-496c-a4fa-32712c958a7d/en (確か公式音声ガイドだった気がする)でも見れるので、興味がある方はどうぞ。
中世以前
先史時代はあまり興味がないのでスキップ。
紀元前5~3世紀頃の品々。
確かサカや烏孫の人々が残したものだった気がします。
動物モチーフ、特にこのような大きな角を持った鹿のようなモチーフの品、遊牧・牧畜文化では幅広く見かける気がしていて、
2年前に訪れた甘粛省博物館でも張掖出土のものを見かけました。
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
異なる旅で見たものをこうやって比較できるの楽しいです。
続いて、都市としてのアルマトゥが形成された頃の展示。
概ね、11世紀~14世紀頃の発掘品が展示されていたと思います。
ヒトデのような不思議な形のランプ(キャプションには"Fired clay lamp"と記載)。
中央に油を入れてヒトデの足の部分(?)に芯をさせば、複数の火を同時に灯せて明るさ強めで便利、ということなのかな。
水道管。
遺跡などを巡ってるといろんなところで前近代の水道管を見かけるので、用途(上水なのか下水なのか)や技術面(漏水を防ぐための接合はどうしてた?)、運営方法(敷設も維持管理も誰のお金でやってた?漏水したらどうするん?とか)など気になるところが盛沢山。
ちなみにトルコのエフェソス遺跡で見たときの旅行記はこちら(この例だと住宅内の水道管まであって古代ローマの技術水準の高さに驚きます...) amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
モノの展示だけでなく、文献史料の記載についてのパネル(というよりディスプレイ)展示もありました。 たとえば、「バーブル・ナーマ」にアルマトゥについての言及があったり、「ザファール・ナーマ」にコクトベの名前が出てきたり*12。
あとは、アルマトゥで発掘されたディルハム硬貨の銘にアルマトゥの名が入っていて、どうも当地で作られたものっぽい話が印象的でした(出土文字史料の話が大好きなので)。
ただ、このときの中世都市アルマトゥがそのまま続いて現在のアルマトゥになったわけではないようです。 というのも、上で述べたバーブル・ナーマからの引用では、アルマトゥは過去に存在した都市として触れられているためです。
カザフ・ハン国と地域の民俗
まずは、武器や
狩猟などの道具が並べられています。
特に気になったのがこちら、鷹狩の道具。左奥のものは鷹に被せる目隠しのようです(適当に画像検索すると、実際にタカやハヤブサが被っている様子が分かります。なかなかかっこいい。)。
中央の革製の手袋はたぶん鷹を止まらせるときに手を保護するためのもの。
中央奥のパチンコのような物体は、キャプションには"support"と書いてあったのですが、用途はよくわからなかったです。
お次はもっと日常的な生活で利用した道具類。
容器類いろいろ。
下段中央の棒が刺さった縦長の樽のようなものは、馬乳酒を作る容器だった気もするのですが、自信がないです(確か、棒は樽の中身をかき混ぜて発酵を促進するために使うとどこかで聞いた気が...?)。
個人的に一番気になったのは、右上の独特な形をした革製の容器。
キャプションの写真撮り忘れたのですが、確かtorsykという馬乳酒の容器だったと思います。
先が尖っていると内側洗うの大変では?とか余計な心配をしてしまう。。。
近代 : ヴェールヌイ
時代は下り19世紀半ば、コサックがこの地に要塞を築き、ヴェルヌイ市と呼ばれるようになります。 これが現在の都市アルマトゥの直接の起源のようです*13。
展示室には、この時代の住宅?の内部が再現されています。
タッチパネルで詳しい情報を見ることができました。印象に残った話は:
- 19世紀後半から既に都市の計画的な緑化が行われてきた(散歩しててアルマトゥやたらと緑が多いなーと思ってたので、こんなに昔からあると聞いてびっくりでした。)
- 1887年と1911年に大きな地震に襲われている。
- 毎年のように雪解け水による洪水・土石流に見舞われており、特に1921年のものは大規模(上記の地震よりも死者が多いくらい)
20世紀
ロシア革命によって帝政が終わり、ソビエト連邦が成立します。 ここアルマトゥは、カザフ・ソビエト社会主義共和国の首都となります*14
20世紀前半には飢饉、大粛清、 そして第2次世界大戦(「大祖国戦争」)などに相次いで見舞われ、この時代は苦難の時代としてパネルで言及されていました*15。
第2次世界大戦ではアルマトゥは戦場にこそならなかったものの、兵士として前線に向かった人々もいました。
また逆に、ソ連西部から人々や工場などが次々とここへと疎開してきたそうです。
戦後、1950年代~1960年代の品々。
右上、よく見ると、torsyk(上で出てきた、革製の馬乳酒容器)の形を真似たと思しき陶磁器が印象的でした。
当時のテレビ番組や音楽を扱ったコーナーもありました。
日本で言うと昭和の著名演歌歌手なのかな(知らんけど)。
登山
狭い区画ですが、アルマトゥ近郊の登山についての展示もありました。
曰く、カザフスタンの登山の歴史は1920年まで遡るそうですが、大衆的な登山(?)*16は1995年からだそうなので、意外と最近。
昔の登山の様子を写した写真や、年季の入ってそうな登山道具も。
アルマトゥ近郊は良さそうな登山コースが多く*17、しかも市街地中心部から近いので羨ましいです(日本でいうと北アルプスの麓の松本とか、八ヶ岳の麓の茅野みたいな立地な気がします。) この旅でも後日(途中までロープウェイというチートを使いますが)軽く登山してきました(後で書きます)。
その他の展示
何やら広々とした空間。
天井中央の円形の部分はユルトの中央天窓を象ったもの(のはず)で、カザフスタンの国章にも用いられており、カザフの象徴なのかなと推察されます。
あまり詳しく見ていないのですが、軍人たちについての品々(古写真や手紙、本など)が並べられており、愛国教育の場かなと想像されます。博物館に入ったとき、迷彩服の集団が座ってて、何か集まりの場としても使われてたっぽいです。
こちらは最後の展示室。
展示室入口の説明は"The Hall is dedicated to the December of 1986. The exhibition displays unique items, archive documents, photo and video materials, reflecting the history of that time."といたって簡潔。
関係者の生涯の紹介や、彼らにまつわる品々の展示があります。がしかし、1986年12月に何があったかという肝心の部分については触れておらず、やはり扱いが難しい話題なのかなと考えてしまいました(単に私が見落としただけかもですが。)。
少しおしゃべり
見学性、高校生らしき一団と出くわしました。先生らしき人に引率されてたので、校外学習っぽい? そのうちの1人の少年に英語で少し会話しました。 * 少年 : Where are you from? * 私 : From Japan. * 少年 : I thought you are from China (少し残念そうに) * 私 : Actually, I'm Chinese * 少年 : 你会说汉语吗? * 私 : 会说会说!
曰く、学校で中国語を習っているそうで、カザフ語・ロシア語・英語・中国語少し、ということで4言語話せるというすごい方でした(しかもこれ言語の特徴や系統が全然違う4言語というのが強い。私は日英中(少し)に赤ちゃんレベルのトルコ語とウズベク語なのですが、日本語とトルコ語・ウズベク語はかなり文法的に近いので。。。)。 他にも少女に你是中国人吗?って訊かれたりで、中国の存在感大きいんだなーと感じました。
夕食
前日に引き続き、今夜もqaganatで夕食です。
でも前日とは別の店舗。
地図で見る限り、アルマトゥにはqaganatがかなりの数あってびっくりです。
お手頃な値段で野菜含めてバランス良いご飯が食べれるのはかなり嬉しいです。
あと、このときのお茶がとっっっても香りが良くて美味しかったです。確か、茶葉に加えて、ミント・クローブ・八角?・グレープフルーツが入っていた気がします。
これ自分で再現したいな(なかなか贅沢にハーブやスパイス使うことになるけど...。)。
空港
バス移動
路線バスで空港に移動します。
夕方ということもあってか、バスはどれも超満員で乗れないものもありました(空港近くになったらさすがに空いてきたけど。)。
ちなみに乗客を観察していると、料金払ってない人がそこそこ多かったです。 カードをタッチする以外にも、スマホで窓に貼られたQRコードを読み込めば払えるのですが、どちらもやってない人を複数見かけました。 で、道中で運転手さんが何か叫んで、人々が支払いをする、なんて一幕もありました。
バスはなぜか空港からやや離れた場所に止まるので、そこから少し歩く必要があります。
ということで空港到着!
カプセルホテル
翌朝のフライトなのですが、朝早いので空港のカプセルホテルに泊まります。
まさかのクレジットカード決済エラー(国外のをうけつけない?)っぽくて、現金で支払いました。手持ちがあって良かった。
風呂キャンかと思ったのですが、まさかのシャワールームがあり、助かりました。
翌日に続きます。
参考文献
*1:アルマトゥのバスや地下鉄に乗る際に使うプリペイドカード
*2:つい最近まで立山黒部アルペンルートで運行していて私も乗ったことがあるのですが、wikipedia曰く2024年で運行停止したそう。
*3:https://www.advantour.com/jp/kazakhstan/almaty/panfilov-park.htm
*4:この表記はgoogle mapsのもの。なお、Yandex maps英語版の表記は"Ihlas Museum of Folk Musical Instruments"
*5:公式?音声ガイド https://izi.travel/en/browse/f86fbfac-b9a1-4735-a45d-823854feb584/en
*6:記憶があやふやなので、別のところで聞いた話かも。
*7:上記レクチャーコンサートにて聞いた話。
*8:とは言え、観光客向けの施設ではないと思うので、迷惑にならない程度にしとこう、と思うのでした。
*9:単純に時間帯とか曜日の関係で人口密度が違うだけ、とかかも。
*10:ぱっと思いつく推測 : カザフはイスラームとの接触が遅いからペルシア語からの影響が少なくてずっとテュルク系のет、トルコ語はたぶん言語純化運動でgo'sht系の単語からetに戻されたんじゃないかなーと思ってるけど、特に根拠なし。
*11:https://en.wikipedia.org/wiki/Kazakh-British_Technical_University
*12:いや、でもコクトベって「緑の丘/山?」とかの意味な気がしてかなり一般名詞っぽいし、名前だけだと今のアルマトゥのコクトベと結びつけるには弱いのでは?
*13:参考文献[1]p.44~p.45 「アルマトゥは中世に集落のあった場所だが、都市としての歴史は、1854年にロシア帝国が進出と統治の拠点としてヴェルノエ要塞(のちヴェルヌイ市)を築いたことに始まる。」ただ、上で中世アルマトゥの展示で見たように、水道管があったり貨幣の鋳造をしたりした場所となると、「集落」というよりかは「都市」と呼ぶ方が適切な気もします...。
*14:参考文献[1]p.45 に「29年にはソ連内のカザフ自治共和国(1936年からカザフ共和国)の首都に定められ」。ここでは、ソ連邦の共和国であることをより明瞭に示す名称「カザフ・ソビエト社会主義共和国」で表記しています。c.f. https://kotobank.jp/word/%E3%81%8B%E3%81%96%E3%81%B5-1516927#w-1516927
*15:"harsh, tragic pages of our history"
*16:"mass moutaineering"をこう解釈したのですが、あんまり自信はないです。
2025年春 中国・中央アジア旅行6日目 : 中国(イーニン)→カザフスタン(アルマトゥ)陸路国境越え(バス)
2025年春、中国→カザフスタン→ウズベキスタンの旅6日目(2025-04-24)の記録です。 この日は伊寧(イーニン)からバスに乗ってホルゴスで陸路国境を越え、カザフスタンはアルマトゥへ移動します。 人生初の陸路国境ということで、感慨深い1日になりました。
今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
チケット購入について


旅行記の前に、伊寧(イーニン)→アルマトゥの国際バスのチケット購入について。 前日のサリム湖へのチケットと同様、wechatの公式アカウント「伊犁州汽车客运总站」の「在线购票」から事前に時刻や残席数の確認、購入が可能です。だいたい直近数日〜1週間分しか表示されないようです。私はここで事前に購入しておきました。
- いわゆる身份证は不要(パスポート可)。
- 電話番号が必要。私は中国の電話番号を入力したので、日本の電話番号で通るかは不明。SMSで乗車用QRコードへのリンクが送られてきます。
- 支払いはwechat pay
- 上記QRコードで改札は通過できますが、後述するように国際便は紙チケットも必要とのことで、バスターミナル窓口で紙チケットを受け取った方が良いかと思います。
ちなみに「(经都拉塔)」と表示される場合は霍尔果斯(ホルゴス)ではなく都拉塔という別の国境を経由するようです。
バスターミナルまで


前日に同じく朝早いので、再び前日と同じお店で朝食をテイクアウトしました*1。 旅先で良さそうなお店があったら、他を探すのが面倒になって何度も行きがちな人間です。
これは前日もあったのですが、バスターミナルに入る手前で「去阿拉木图吗?」(アルマトゥに行きますか?)と何人かから声をかけられました。 正直にアルマトゥに行くと答えたら、両替できるよと言われたのですが、ターミナル外の両替商が信頼できるか分からなかったので、見送りました(ちなみに提示されたレートは1RMB = 70KZT)
eチケット(QRコード)で改札を通過し、テイクアウトしてきた朝食をいただきます。
あまり時間に余裕がなくて味わえなかったのが残念。
さーてバスに向かうかーと思ってスタッフさんにバスの所在を訊いたところ「紙チケット取った?」と確認されました。 eチケットでええんちゃうの?と思ったのですが、スタッフさん曰く後で国境あたり?でチェックされるらしく、必要とのこと。窓口でパスポートを見せればもらえるとのことだったので、いったん改札を出て窓口でもらってきました。危ない危ない。あとついでにトイレ(改札外)も行ったのですが、前日に続き、ここのトイレは厳しい。。。
乗り場に向かうと、アルマトゥ行きのバスが4台も並んでました。
どれに乗るのが正しいか一瞬分からなかったのですが、eチケット(QRコード)にバスのナンバーが書いてあったので、すぐにわかりました。
自分が乗る便はこちら。
バスで2か国の国旗が並んでるの、陸路国境を感じさせて良い。
島国に生まれ育った身としては、人生初の陸路国境にかなりワクワクします。
ここでも両替商のおっちゃん(さっき建物外で会った人と同一人物な気がする)が登場したので、両替をお願いしました。 なんとwechatpayで人民元を払って現金でテンゲを受け取る方式。1000元を70000テンゲに両替しました。 ちなみに、両替だけでなく、電源の変換プラグの販売もしてました。
ということで乗車! なお、リュックはトランクに預けました。
経験上、中国の長距離バスは、座席番号が指定されていても実際は自由に座るケースが多かった気がするのですが、こちらのバスは指定通りの座席に座るようです。 先頭が展望席で私は2列目だったのがやや悔しい。。。
遅れた人を待っていたようで、定刻9:30から20分ほど遅れて発車しました。
ちなみに車内の時計はカザフスタン時刻*2。
乗客は中国語話者が多かったですが、カザフスタンのパスポートを持っている人もそこそこいました。
道中
体調いまいちで軽く寝てたので、写真少なめです。
中国側
出発早々、乗務員さんが手続きのために身份证やパスポートを回収していきました。ただし、私はややこしいコーナーケース*3のため、とりあえず後で対応することになりました。
しばらく田園風景の中を走った後、
ホルゴスのビジターセンター?でいったん停車。
トイレ休憩兼乗務員さんの方で何かの手続きだったのですが、乗客は特に何も対応することはなく、待ち時間でした。
そこからまた少し走ると、何やら建築ラッシュに湧く光景を眺めて
次の停車地点に。
私は保留になってた手続きのためにここで降りて窓口に説明に行きました。
なんだかんだでいろいろと説明したのですが、コーナーケース過ぎるので詳細は割愛。
売店(上の写真で右側に写りこんでいるところ)の看板には中国語とロシア語(たぶん)が並び、国境近くであることを感じさせます。
なお、同じバスに乗ってた人はここの売店で両替してました。レートは出発時と同じ1RMB = 70KZT。
なお、ここから追加で乗ってきた乗客もいました。ということで、たぶんここはホルゴスのバスターミナルな気がします(ちゃんと地図みとけばよかった。)。
中国出国
ということで、ついにやってきました、いよいよ国境! *4
乗客はここで荷物を全て持っております。 荷物を検査機に通した後、出国審査に並びます。
出国審査ではレーンでいろいろ(職業とか居住地とか旅程とか)訊かれた後、見事別室送りになりました。 陸路国境が初であるのに加え、出入国での別室送りも初だったのでビビりました。 別室では、手荷物開けて全部チェック、書類(eビザや鉄道チケットやホテルの予約の控えとか)とかは何の書類かを訊かれて、スマホの中身は写真なども確認してました(なお、やりとりは全て中国語)。 と言っても高圧的な感じではなく、淡々と手続きが進んでいく感じで、最後の方には「荷物ぐちゃぐちゃにしてすまんね」と言われたり、終わった後は「ご飯食べた?まだだったら食堂で食べてく?」とお誘いを受けたり。 私の場合は時間にして30分から1時間くらいだったかと思います。
さて、せっかくご飯のお誘いを受けたのですが、バスの他の乗客を待たせてるので、急いで出口に向かいます。 幸いバスはまだいて*5、案の定私が最後の1人だったので、周りのお客さんに「待たせてすみません」と言いながら乗り込みました。
カザフスタン入国
ここでも乗客は再び荷物を持って降ります。
入国審査エリアでは、大きなシェパードが何頭か元気に走り回っていました。でも威圧的な感じではなく、犬同士でじゃれてて可愛いかったです。 犬が可愛かったからかバスの乗客が写真を撮ったのですが、カザフスタンの兵士?に撮るなとジェスチャーでやんわり示されて、その場で写真削除してました。
入国審査では特に何も聞かれず、パスポートを渡して写真を撮って、あっさり通過しました。
昼食
開けた景色の中をひた走ります。
出国審査の出口で自転車の人も複数見かけたのですが、こんな茫漠とした大地の中を自転車という人力で旅する気力には恐れ入ります。
まさにmiddle of nowhereという言葉がぴったりな景色ですが、しばらく走るとレストランがあり、ここで昼食休憩になりました。
人影もまばらな土地かと思うのですが、営業してくださってて本当にありがたい。
メニューはこちら。
私はキリル文字はギリ読める(音は分かるけど、ロシア語もカザフ語もほとんど単語を知らない)のですが、個人的にはこのメニューけっこう面白かったです:
- 中国語からの音写(というか外来語)と思しきものがいくつもある :
- 2行目 : ГУЙРУ / 过于肉
- 3行目 : СУЙРУ / 碎肉
- 6行目 : ЖУСАЙ / 韭菜
- 7行目 : ДИН-ДИН ЦОМЯН / 丁丁炒面
- 「肉」に対して、ロシア語のМЯСОと、カザフ語のЕТが両方使われている。
私は体調イマイチ食欲イマイチなので、軽めにМАНТЫ/包子にしました。
てっきりカザフ風のものかなと思いきや、中華風の見た目。あとお箸が出てくるところも中国寄りですね。
ちなみに、本当は4個だけど在庫が足りなくて3個とのこと(その分値段も3/4になってるし、食欲もいまいちだったのでちょうど良い。)。
隣席で少し話した女子2人は、「絶対食べきれないから」ということで、ラグマン1皿を2人で分けて食べてました。 量を見たところ、体調万全な私も絶対食べきれない量でした。(私これでも日本ではけっこう食べる方だと思うので、大陸のご飯の量の基準、だいぶ多い気がします。)
カザフスタン側
アルマトゥに近づくにつれ、段々と緑が増えてきました。
曇ってる上に写真もイマイチで分かりにくいですが、街が見えてくると、背後の天山山脈(たぶん)がだいぶ目立っていました。
松本や甲府に近いものを感じます。
ほどなく市街地に入ります。
昼食のお店のメニューはロシア語(たぶん)/中国語併記でしたが、ここまでくると当然もう中国語はなく、看板もほぼ全てキリル文字(と言いたいところですがラテン文字もそこそこありますね。)。
陸路をひた走っているうちに、前いた街と次いた街とで言語が切り替わっていくの、陸路国境を感じさせてくれて個人的には好きな体験です。
願わくは国境近辺の街で文化が少しずつ変わっていくようなグラデーションも感じたいところですが、今回はそのへんすっ飛ばしてアルマトゥまで来ているので、それはまた今度の機会にします。
ということで、現地時間16時半前、アルマトゥはサイラン・バスターミナルに到着ですー!
出発が中国時刻で10時過ぎ(カザフスタン時刻7時過ぎ)だったので、9時間半近くの旅、人生初の陸路国境越え、ということで貴重な経験でした。
アルマトゥ
バスを降りると早速タクシー運転手さんたち多数がタクシーの勧誘に現れましたが、「yandex go」と言って断りつつ、ここで初めてのロシア語会話:「Где туалет?」(トイレはどこですか?)と訊いたところ、運転手のお兄さんはロシア語ではなくジェスチャーで返してくれました。複雑なロシア語はわからんのでありがたい。
親切にもカザフ語、ロシア語、英語の3言語表記。
ちなみにトイレは有料でした。
近くにSIM屋もあるそうですが、私は事前にeSIM*6を準備してあったので、これでyandex goを呼んでホテルに移動します。 去年ウズベキスタンを旅したときはyandex goはcomfortにしていたので、今回もそうしました。 が、こちらではかなりきれいな車が来てしまい、自分には高級すぎたな、というのが正直な印象です。
ホテルチェックイン後、近くのスタローヴァヤ(食堂)、qaganatで夕食です。
並んでいる料理から選んでいくスタイルです。
指差しで注文できる、という話も聞いていましたが、普通にいろいろと訊かれます。
ロシア語ほぼ全くできない身としてはやや焦りましたが、まごついてたら、隣の青年が英語でサポートしてくださいました。ありがたい。
右下のグラタンのような料理は油やや多めですが、それ以外はあっさりしていて、新疆の料理よりもだいぶ胃に優しい印象です。
翌日に続きます。
中国建築についての本のメモ(2025年北京旅行の予習)
2025年秋・冬の旅行先は北京!(予定) 北京には主に明清時代の中国伝統建築が数多く残ります。
せっかく見に行くなら知識を身に着けたほうが楽しめる、ということで中国伝統建築についての本を何冊か読んでいきました。 この記事では、一連の予習で読んだ本それぞれのメモと、本どうしの比較について記します。
要約・比較
- 建築知識 : 最初の1冊に良さそう。コンパクトながら基礎知識や用語から各時代の建築を一通り概観できるかと思います。
- 図解 中国の伝統建築 : 構造や架構に興味がある人に特におすすめ。断面透視図のイラストが多く、柱や梁、組物の配置などが分かりやすいです。
- 中国歴史建築案内 : 構造や架構よりも建築の文化的側面(様式と格式の関係や、建物の使われ方など)の話が多め。装飾・色彩の章もあり。
- 北京古建築 : 対象が北京に絞られる分、微に入り細を穿つ記述と豊富で大きい写真で、各建築を詳しく扱っています(ただ構造や架構の話はほぼなし。)。明清時代の文献や絵画からの引用が多いのが、他と比べて大きく異なる点。
- 図説 民居 : 中国各地の民居(伝統的な住宅建築)を主にイラストで概観できます。文化的な側面(建物の使われ方や装飾、風土との関係など)が主な話題。
- 中国の城郭都市 : 現存するものに限らず発掘成果などに基づいて個別具体の城郭都市について詳しく論じています。ただし、時代には偏りがあり、唐宋以前が詳しく、元以降はかなり簡潔。
中国伝統建築全般
「建築知識 2024年7月号 中国の建物と街並み詳細絵巻」
冒頭で中国伝統建築のルールや特徴、用語などを概観*1した上で、時代順に中国建築を幅広く紹介していきます。 扱う時代も地域も幅広いです : 時代は副題の「新石器・古代王朝から清朝まで」が示唆する通り、また地域も北京や西安などの名の知れた古都ばかりでなく、福建(土楼)や新疆(陸屋根民居)、雲南(タイ族の高床式住居)などにも触れています。 加えて、建築だけでなく家具や服飾にも項が割かれています。
図は写真ではなくイラストが中心。 (全てではないですが)建築の雑誌らしく寸法も書き込んであり、実物をイメージする助けになるかもしれません。
また、本書の特徴として、現存する建物の解説というよりは、過去の建築を再現する、という建築史的な観点からの記述になっていることが挙げられるかと思います*2。 現存しない建物についても、発掘成果や文献の記述(たぶん)などに基づいて復元図が描かれています。(e.g.)咸陽宮(p.34)や大明宮(p.50)など
該当部分のページ数は80ページないくらいとコンパクトですが、充実の内容かと思います。
「図解 中国の伝統建築」
- 著者 : 李乾朗(著), 恩田重直, 田村広子(訳)
- 出版社 : マール社
- 出版年 : 2023
- ISBN : 978-4-8373-1601-5
李乾朗(2007)「巨匠神工 : 透視中国経典古建築」遠流出版 の和訳本です。 ただし、全訳ではなく、原書の51建築から38建築を抜粋し、再編集を施しているとのことです*3
構成は、建物の種別(「寺院編」「宮殿編」「民居編」)。原則、1つの節で1つの建物を扱っており、1つの建築に対して4~10ページとって詳しく解説しています。 節の間のコラムとして、一般論も扱っています(「殿堂式と庁堂式」「斗拱(組物)」など。)。 また、全体を通じて、イラストと写真を多用しています。
本書の特徴として、透視断面図(?)のイラストを中心にしていることと、(特に寺院建築については)構造や架構の話題が充実していることが挙げられるかと思います。 私はこのへんの話題が(別に理解しているわけではないですが)好きなので、断面透視図(?)を眺めながら、「なるほど、ここの部材がこうつながってるのか~」など読み解けるのが面白かったです。
なお、特に構造や架構周りの話題では建築用語が頻出します。巻末に用語集はあるのですが、慣れないと面食らうかも。 また、建築用語は日本建築のものに置き換えられているようです(e.g.「廡殿」ではなく「寄棟」など。)。 日本建築をかじったことがあるので、このへんはハードルが低くなっていてよかったです(がしかし、本格的に中国建築の話をかじろうとしたときは、中国の用語を知っておきたいところ。)。
なお、構造や架構に興味がある場合はこちらの個人ブログや、そこに記載のある参考文献も良いかと思います。 chounamoul.exblog.jp
「中国歴史建築案内」
- 著者 : 楼慶西[著], 高村雅彦[日本語版監修]
- 出版社 : TOTO出版
- 出版年 : 2008
- ISBN : 978-4-88706-295-5
原題は「中国古建筑二十讲」。 ただし体系だった教科書というよりは、あくまで非専門家向けの読みものかと思います。 構成は時代順ではなく概ね建築の種類別(紫禁城、陵墓、庭園、住宅建築など)ですが、最後の方は「建築装飾」「色彩」など建築を彩るモチーフの話などになってきます(このへんはあまり読んでないです)。 写真も豊富で、平面図などもあり。 加えて、巻頭に地図があり、本文中で扱った建築の所在地が一通り分かるようになっていて便利です。 なお、紹介する建物の個数は多く、上の「図解 中国の伝統建築」に比べると、建物1つあたりのページ数は少ないかと思います。
印象に残ったのは、建築の様式と格の話。具体的には「柱間で測って大きい方が格が高い」「屋根は廡殿式(寄棟)が一番格が高い」などの話で、特に紫禁城の章では宮殿内の複数の建物を比較して例示しており、分かりやすかったです[p.58など]。このへんは現地で実物を見るときの視点が養われたと思います。
ただ、構造とか架構とかの話が(1章の斗栱などの話以外は)あまり出てこず、代わりに情景描写的の記述が多いあたりは、ちょーっと個人的な好みではなかったかもしれません。 また、細かい話ですが、本文中で図/写真への言及がなく、その点やや読みにくく感じられました*4。
地域やカテゴリを限定したもの
「北京古建築」
- 著者 : 王南[著], 李暉[監訳], 岩谷季久子[訳]
- 出版社 : 科学出版社東京[出版], 国書刊行会[頒布]
- 出版年 : 2024
- ISBN : 978-4-336-07642-7(上巻), 978-4-336-07643-4(下巻)
タイトルの通り、地域を限定して北京の古建築を扱った本です。 王南(2015)「北京古建築」中国建築工業出版社 の和訳ですが、全訳ではなく、原書の16章から8章を抜粋して再編集したものとのことです(「監訳者あとがき」より。)(恭王府についての記述を探しても見つからなくておかしいなと思ったら、これが原因だったっぽい。。。)。
序論で北京の地理から説き起こし、本編では建築の種別の編成に北京を紹介していきます(章立てなどはリンク先参照)。 北京に限定しているためか、1つ1つの建築をかなり詳しく掘り下げており、情報量が多いです。 また、それ以外にも、これまで上に書いた書籍とは様々な違いがあります:
- 明清時代をはじめとした文献・絵画史料からの文章や絵が多数引用され、往時の姿を知る縁も与えてくれています*5。たとえば、文献で言えば清代の「日下旧聞考」はたびたび引用されていますし、絵画で言えば先農壇での祭祀を描いた雍正年間の「祭先農壇図」(上巻p.149)や、北京近辺の水系や水利の様子を描いた乾隆年間の「都畿水利図」(上巻p.9)など。昔の様子についての記述について「なぜそれが分かるのか」が気になるので、こうやって史料を紹介してくれるのは嬉しい。
- 扱う建築の網羅度合いはここまでに書いた本よりも高いと思われます。たとえば、紫禁城についての第二章では、上に書いた「建築知識」「図解 中国の伝統建築」「中国歴史建築案内」などであまり触れていない建物も多数扱っていました。
- 31cm x 23cm(大雑把に)と大きめの本で、写真や図も大きく印刷されており、非常に見やすかったです。
なお、非常に詳しいので、よっぽど興味がある方以外は、通読するのではなく、自分の興味のある建築について調べる、というリファレンス本的な使い方になるかもしれません(私もこの読み方をしており、通読していません。)。
ただし、構造や架構の話はあまり見かけなかった気がします(このへんの話は上記の「図解 中国の伝統建築」が詳しい。)。
「図説 民居 イラストで見る中国の伝統住居」
- 著者 : 王其鈞 著, 押川雄孝, 郭雅坤 訳, 恩田重直 監訳
- 出版社 : 科学出版社東京, 東方書店
- 出版年 : 2012
- ISBN : 978-4-497-21202-3
中国各地の伝統的住宅建築をイラストと文章で紹介した本です。
イラストは鳥瞰図だけでなく、平面図や断面図もあります。 イラストのサイズも大きく、イラスト上での注釈も多いので、文章での説明を視覚的に理解でき、読みやすかったです。
トピックとしては構造や架構の話はあまりなく、空間配置や装飾、建築の使われ方、風土や歴史との関連などの話題が主だったと思います。
軽く拾い読みするだけでも、中国全土の民居の多様性を感じられるかと思います。 少数民族の住居が多種多様であることに加え、同じ漢族の中庭式の住宅(建物が中庭を囲む)でも、北京の平屋で開放的な四合院と、安徽の高い壁と小さい中庭のややもすると閉鎖的な高楼とではずいぶんと印象が異なります。
「中国の城郭都市」
以前別の記事に書いたのでそちら参照。
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
ただ、元以降の記述は非常に少なく、明清時代の北京については言及が皆無だったので、今回はあまり読みませんでした。
*1:この部分の用語解説けっこう詳しいのでありがたい。
*2:http://shahr.seesaa.net/article/510678979.html も参照。
*3:冒頭「刊行によせて」の下の「編集部より」参照。
*4:本文中で具体的な建築名が出てきたとき、それが今のページ(や前後のページ)の写真に対応するものなのか写真を逐一チェックしにいかないといけないので...。「~寺仏塔(図a.b)」のように言及があれば、本文中で「図x.y」と現れたときだけ図/写真を見に行けば良いので、よりスムーズに読めると思います。
*5:上掲書などでも「営造法式」や「周礼」などには言及していますが、本書で引用している文献の方がはるかに多いかと思います。
2025年春 中国・中央アジア旅行5日目 : サリム湖観光
2025年春、中国→カザフスタン→ウズベキスタンの旅5日目(2025-04-23)の記録です。 この日は伊寧(イーニン)からバスに乗り、サリム湖(赛里木湖)を観光します。
今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
サリム湖へのアクセスなど
サリム湖は伊寧から距離がある上、景区内も広大で、人の足ではとても歩ききれないです。
ただ、観光地として人気だからか、ありがたいことに便利なセットのバスチケットがありました : 具体的には、伊寧のバスターミナルからの往復 + そのままバスに乗って景区内を移動する、というもの。 ちなみにバスチケットとは別に景区の入場料も必要なのですが、そちらは出発前に車内で支払いました(wechat payを利用しました。)。 あと、「連絡のためにこのwechat groupに入ってね」とかもあったので、wechatはあった方が良いかと思います。

バスチケットは事前にwechatの公式アカウント「伊犁州汽车客运总站」の「在线购票」から購入しました(当日に窓口で買うのも可能かと思います。)。 上の画像で往返と書かれているのが往復チケットです*1。 いわゆる身份证は不要ですが、電話番号の入力欄もありました。私は中国の電話番号を入力したので、日本の電話番号で通るかは不明です。SMSで乗車用QRコードが送られてくるのでこれで改札を通過。(購入完了画面からも乗車用バーコードを表示できるのでこれをスクショしてもいけるかもだけど、未確認。)
バスターミナルまで
バスが朝早いので、ホテルからバスターミナルに向かう途中のお店で朝食をテイクアウトしていきます。
たくさん並んでるのでぜひいろいろと試したいところですが、調子に乗って食べすぎるとすぐお腹を壊すので控えめに。
ということで、牛肉包子と八宝粥、茶葉卵にしました。
いやー、でもずらりと並んだ中華朝ごはんを見るとワクワクするし、特に粉もの系(?)とか気になるし、一都市に滞在するなら、こういうお店に足しげく通って全部試してみたい。
バスが出るのはこちらの伊犁州汽车客运总站。
入口は写真右側にあります。
改札後、まだ時間に余裕があるので、テイクアウトしてきた朝食をここでいただきます。
牛肉包子、肉っぽい食感とほどよいスパイスの香りが美味しかったです。
八宝粥はタピオカミルクティーみたいな方式だったのですが、ピーナッツがさすがにストローを通らなくて無理を感じました笑。
トイレは改札外(写真左側)にあるのですが、改札のスタッフさんに一声かければ通していただけました。
なお、トイレは厳しいです。ウルムチのバスターミナルの汚い方のトイレと同じ方式です。 詳しくはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
しかもウルムチのバスターミナルは改札内には比較的綺麗なトイレがあったのですが、こちら伊寧のバスターミナルはここしか選択肢がないっぽいです。
気を取り直してバスに乗車。
バス車内はターミナルと雲泥の差で、新しい車両でとっても綺麗でした。前の座席の背面にUSB充電の差し口もあったり。
登山装備っぽい服装の人や、キャンプ装備らしきものを担いでる人も見かけました。
上述の通り、車内で景区入場料の支払もあり、このへんの手続きで30分くらい待った気がします。
道中

市街地を出てしばらくは農地が続きますが、
1時間くらいすると段々と山がちなエリアに入ってきました。
草を食む家畜の姿。に加えて、よーく見たら左側に天幕(ユルタ?)も見えます。
春だからか花をつけた木々も見かけました。
街中の桜のように一面の花というのも良いですが、緑の山にポツポツと咲いてるのもコントラストが綺麗で好き。奈良の山桜もこんな感じなのかな(見たことない)。
巨大な吊り橋。ここからぐるりと大回りして標高を上げ*2、
吊り橋に上がります。
天山天池のときも思ったのですが、背の高い針葉樹 + 草地が同じ高度にある、という組み合わせがは日本ではあまり見ない気がします。
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
遠くには雪をまとった峰々も見えました。これすっきり晴れてたら木々の緑と青空と雪の白で対比が綺麗だったろうなー。
約2時間の乗車で、景区入口に到着です!
ここでバスはいったん停車し、窓口で手続きが必要な割引チケット対象者(高齢者)はバスを降りて購入手続きに進み、私含めて残りの面々は車内で待機。がしかし、ここでちょっとしたトラブル発生: チケットを買い間違えたおっちゃんがいて、その対応などあって1時間近く待たされました。。。「永遠に待つわけにもいかないし、期限切って時間すぎたら置いていこう」という話に(wechat groupでバスのスタッフさんが通知)なったのですが、おっちゃんは期限ぎりぎりに戻ってきてセーフ。
景区内
景区内に入った後も引き続きここまで乗ってきたバスに乗りします。 湖をぐるっと一周しつつ要所要所で降りる時間を取る形式でした。
ということで、第1の停車地点。
サリム湖本体とご対面です。
雪をまとった峰々が水面に映し出される様は
4月後半ですが、湖畔にも氷が残っています(後のほうでもっと大規模に氷が残るところも見れます。)。
惜しむらくは曇っていること。晴れていたら青空と氷や雪のコントラストが綺麗だったんだろうなーと想像されます。
水は見事に透明。
地質に詳しい方なら石を見て語れたりもするのかなーと思うのですが、私は残念ながらそちらの知識がない。。。

ついつい湖面に目が行きますが、湖岸に目を向けると、春の訪れを待つ(?)植物も目に入ります。
葉がとても小さいので乾燥や寒さに強い姿なのかなー、これ本格的に春が来たらどうなるんだろうなー、など気になります。
再びバスに乗って次の停車地点に移動します。ちなみに車内からでもかなり眺めが良いです。
ということで2か所目の停車地点に到着。
こちらは湖岸に背丈の高めの植物が生えていて、さきほどの場所とはやや様子が異なる気がします。なんでだろ。
湖面にうすーく氷が張っているのが見えます。
さきほどもこちらでも湖岸に氷が積もっていたのですが、湖面に張った氷が波に運ばれて湖岸に集まるのかな。
さて、バスに乗って次の停車地点に移動するかーと思って駐車場に戻ったら、なんとバスがいません。 まさか置いて行かれたか?と思ったけど、同じバスに乗っていた面々も周りにいたので、それはなさそう。 wechatでグループチャットを開くと、前の地点で置いて行かれた人がいて、その人を迎えにバスが戻ったとのことでした。
待っている間、バスで近くに座っていた青年と話したのですが、なんと山東省から電車で35時間もかけて来たとのこと(参考までに、google mapsで自動車のルート検索すると、伊寧から3000km~4000kmくらい)。 前日の高速鉄道で話したおばさまたちも成都→ウルムチを寝台列車で移動したそうなので、中国では長距離(1000km以上)移動のための寝台列車は需要あるんだなー、と思いました。
ということで後続の人も合流して、次の地点に移動です。道中、荒涼とした光景も見えますが、画像検索すると青々とした草原が広がる写真も多いので、春~夏になるとだいぶ違った光景が見えるようです。
そちらも気になる一方、雪をまとった峰々や湖岸に積もった氷などは夏場には見れなさそうなので、ジレンマ...。
3か所目(たぶん)の停車地点。ここでは湖とは反対側、斜面を登る方向に遊歩道が続いていたので、そちらに行ってみることにしました。
地表は枯草...と思いきや、
新芽や花も目にすることができました。
木道が続いているのですが、
上の方は積雪が残っていたので、ほどほどのところで撤収しました。
この雪解け水が湖の水源になってるんだろうなー。
ベンチでリスを発見。やたらと人の近くにいても逃げないなと思ったら、観光客がスナック菓子?で餌付けしていていかがなものかと...。
このへんで体調が怪しくなってきたので、若干記憶があやふや。ということで、旅行記も駆け足でざっと書いていきます:
お次の停車地点のあたり。
移動中の車窓から。湖面も良いけど、草原と残雪の山の眺めも良い。
湖畔で見つけた花。
最後の停車地点(確か)。
ここに来る前に、上で書いた山東省の青年が「もうどこもだいたい景色同じでは?」と言い始めて、ちょっと共感したのですが、ここは氷結した面積が大きく、他とは異なる風景でした。
チケットの購入トラブルもあって最初待たされましたが、なんだかんだ5時間半ほど滞在できて満足。 ということで、18時半ごろに、伊寧に向けて出発。
ところで、ぐるっと一周したのに流れ出る川を見かけないと思ったら、どうやら本当に流出河川がないようです*3。
展望台
サリム湖を発った後、帰路で展望台にも停車してくれました。
奥に見える橋は、たぶん今朝も通ったもの。
課金すれば乗馬もできるのですが、景色眺めるだけで満足だったので、しばらく眺めてました。
夕食
伊寧に着いたのは21時半近く(でも新疆時間だと実質19時半)。
体調悪い上に翌日は長距離移動なので、昨日と同じお店でさくっと夕食にします。 お店の人に顔覚えられていたみたいで、笑顔で「又来了」と歓迎してくださいました。
昨日と同じ一品、「羊排揪片子」。
風邪っぽいときは温かいスープ物が身に沁みます。
昨日の反省を活かし、おかわりは断りました。
翌日はいよいよ、人生初の陸路国境越え、バスにのってカザフスタンに向かいます。
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
*1:片道チケットを購入した場合でも、「追加料金を払えば復路もそのまま乗せてもらえる」旨、出発前に車内で説明がありました。
*2:このへんちょっと記憶が曖昧
*3:百度百科「赛里木湖」https://baike.baidu.com/item/%E8%B5%9B%E9%87%8C%E6%9C%A8%E6%B9%96/1244110 の項で、「赛里木湖湖水支出主要为湖面蒸发及少量渗漏」と記載あり。
2025年春 中国・中央アジア旅行4日目 : ウルムチから伊寧への移動と伊寧観光
2025年春、中国→カザフスタン→ウズベキスタンの旅4日目(2025-04-22)の記録です。 この日はウルムチから伊寧(イーニン)に鉄道で移動し、伊寧の博物館を観光します。
今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
ウルムチ駅
朝7時半過ぎ(新疆時間にするなら5時半過ぎなので、超早朝)、ウルムチ駅にやってきました。
前回の旅では旅の終着点がウルムチで、ここで降りたわけですが、今回の旅はここから西に西にと国境を越えます。
本日はまずは伊寧まで、約5.5時間の旅です*1。
ちなみに伊寧までは夜行列車でも行けます。時間と費用(寝台列車のおかげでホテル不要)の効率を考えるなら夜行列車が良いのですが、昼間に車窓の眺めを見たい + 今回の旅は長め(当社比)なのでしっかり休養したい、ということでホテル泊+昼便にしました。

中国の新しめの駅、何度見ても空港みたいな規模感ですね。
朝早いですが、朝食を摂れるお店が何軒か営業していました。
昨日に引き続きお腹の調子が悪いので、超軽めあっさりめのものにしました。
昨日は辛いもの食べてないので、純粋に食べ過ぎか寒さが原因っぽいです。ミス。
食後さして待たず改札が始まっていたので、乗車です!
左の緑の列車に乗ります。確か「高速列車の値段なのに大して速くない」と不評な車種だった気が...(要出典)。
ところで、最近中国の鉄道に乗るときは、改札開始してちょっと経って列がはけてから改札口に行くようにしてます。 列に並ぶのが面倒 + 別に急がない(荷物が少ないので荷物棚競争をする必要がない)ので。。。
ウルムチ→伊寧の鉄道
車内の様子

私が乗った車両は団体旅行のおじちゃんおばちゃん多数で賑やか(婉曲表現)でした。 ちょっと面白い一幕も : おばちゃんが車内販売のマーラー味ジャーキー(?)を買おうとしたらスタッフさんが「能吃辣的吗?」(辛いの食べれますか?)と訊いていたのですが、おばちゃんは「我们是四川人」。これにはスタッフさんも思わず笑っていました。
隣のおばさまがそのグループの一員だったので、話したらいろいろと面白いお話を聞けました。
- 団体さんは全員、四川からのグループツアー。なんと全部陸路で成都からウズベキスタンまで旅するとのこと。ちなみに最初に成都からウルムチまで鉄道移動で、24時間以上かかったそうでなかなか過酷。
- 四川出身ということで、九寨溝をお勧めされました。なんと8回も行ったそうで、おすすめは10月後半から11月前半の秋とか。
- 成都の近くの山は一通り登ったとか。いくつかお薦めの山も教えてくださいました。
- 6月に京都に旅行に行くとのこと。日本について、秩序立ってる、偽ブランドとかない、小さな島国だけど世界の上位の強国ですごい、などなど好意的なコメントを聞けました。
- あと、中国*2あるあるの「結婚してるの?子供いる?」とか訊かれたのですが、やっぱり中国でも最近の若い人は子ども産まないね、という話になったり。息子さん夫婦も子供は1人だけだそう。
周りの人は12時前に昼食にしていました。インスタント麺とか、インスタント卤肉饭とか。新疆時間だったらまだ早いのでは?と思いつつ、朝食が少なくてお腹が空いてきたので、私もちまちまナン(前日に天山天池に連れて行ったナンの残り)をかじっていました。 ちなみにナンを買ったときの袋には賞味期限は生産日から6日と書かれていました*3。新疆の乾燥した気候ならもっと日持ちするんじゃないかと思ったのですが、ここがウルムチで新疆にしては降水量があるからか、それとも全国基準だからかなどなど気になるところ。
精河駅で少し停車。乗務員さんが「たばこ1本だけなら吸う時間もあるよ」と言ってお客さん達がたくさん降りたのですが、急遽停車時間が短縮されたらしく、ほどなくして皆さんぞろぞろと戻ってきた。「たばこに火を付ける時間もあらへんやん」ってぼやいてる人も。
車窓からの眺め
ウルムチから出てしばらくは農村風景や工場など、人の生活を感じる眺めが続きます。
この円錐形の塚が集まってるのは、たぶん墓地とかですかね...?
がしかし、段々と荒れ地も増えてきました。
とは言え、これでも南疆よりは緑が多い方かも?(局所的なものに過ぎないかもしれないですが)
茫漠とした乾燥地の向こうに、雪をまとった山も見えます。
ちなみにこの光景は全て進行方向右側の眺めです。進行方向左側には天山山脈が見え、山肌は緑豊かなようです*4。
段々と起伏のある光景に変わってきました。
ウルムチからしばらく西進してきましたが、途中で進路をいったん南/南西に転じ、山地を突っ切るルート*5なので、たぶんそのあたり。
日本の山は森林限界を超えない限りは木々に覆われているので、乾燥して大地をむき出しにした山の姿は印象深いです。
このへんから良い景色が現れるたびに隣のおばちゃんと「快拍快拍!」と盛り上がり、私が窓側に座ってたのですが、交互に写真を撮ったりしてました。この辺、赤の他人との距離感は中国らしい気がする*6。
段々と草地も見えるようになってきました。
ちなみに伊寧の年間降水量は約300mm*7で、ウルムチの約350mm*8に近いですね。
参考までに南疆の降水量を書くと、カシュガルは約85mm*9, トルファンは驚異の約15mm*10で、北疆が南疆に比べて水に恵まれていることが分かります。
5時間半となかなかの乗車時間でしたが、景色を眺めたり隣の人と喋ったりと楽しい移動時間でした。
ということで、定刻より10分くらい早く、伊寧駅に到着です!
伊寧駅から市街地へ
駅を出て振り返ったところ。
今回の旅では伊寧駅からは乗車しないので、今のうちに姿を拝んでおきます。
列柱と尖頭アーチ(たぶん)が並ぶ駅正面のデザインは新疆らしさがある気がします。
昼食
さっき電車の中でナンを齧っていましたが、微妙にお腹が空いてきたので、駅前のお店で軽く何か食べることにします。
店名は麺推しですが、なんとなく気分でプロフにします(量は少なめにしてもらった気がします)。
さっぱりした漬物がついてくるので、油多めのプロフとちょうど良い組み合わせでした。(と言いつつプロフはウズベキスタンで食べたものよりは油控えめだったかも?)
あと、人参が甘くておいしい。
食べてる最中、地元の人っぽいおじさまがラグマン(たぶん)を頼む時に「不要放辣子」って言ってて、「そうだよね! 微辣でも十分辛いよね!」と勝手に親近感を覚えました。
市街地へ移動
駅前から路線バスに乗って、市街地に移動します。 と言っても伊寧は駅と市街地中心部がかなり近い方だと思います(トルファンとかに比べると圧倒的に近い。)。
ちなみに支払いはAlipayでバス(公交)支払いQRコードを事前設定しておき、そちらで支払いました。 中国、だいたいどの町でもAlipayかWechatpayの乗車QRコードでバスや地下鉄に乗れるので、物理的にカードを入手する必要がなくてありがたい。
林則徐記念館
アヘン戦争で有名な林則徐。敗戦後に左遷されたのがここイリの地ということで、林則徐の事績を記念した博物館がこちら。
「林则徐生平事迹展」と「林则徐精神展」の2つに分かれていて、後者の展示の方がだいぶ新しめです。ただ、だいぶ扱ってる内容は被ってた気がします。後者はさらっとしか見ていないです。
また、展示の解説部分は脚色強めな表現が多かったと思います(プロパg...。
林則徐は1785年の生まれ。家は貧しく、苦学の末に科挙に合格したことが紹介されています。
一番右のパネル曰く、14歳で秀才(科挙の地方試験たる郷試の受験資格を得ること)、20で挙人(郷試に合格)、27で進士(いわゆる科挙に合格)*11だそうで、さすがに科挙対策以外のこともやっていた気がするものの、とんでもない根気だなと恐れ入りました。いやでも最終的に合格したから良い方かな...(中には合格せずに一生を終える人もいそう。)。
科挙の話はざっくりとしか知らないので、きちんと本を読んでみたいところ。
林則徐の清廉潔白な人格を示すエピソードの解説が続きます(往々にして偉人のエピソードは後世に増えるのでどこまで本当かこれだけではわからぬ。。。)。
林則徐の書いた、戒め/家訓的なもの「十無益」。
ちょっと気になったのは、治水に関する業績(科学技術史が好きなので。)。
堤防維持から洪水時の堤防補修、はては農業用の水利まで幅広く関わったそう。
水運については、「畿輔水利議」で北京周辺の水利を整備して食料を増産し、江南からの食料輸送コストを削減することを提案したとか。
明清時代(永楽帝の北京遷都後)の中国では、北京など北方の食料需要を、江南の農産物(大運河などで北方に運ぶ)で満たしていた*12わけで、「このコストを削減しようというわけか、大プロジェクトだなー」と印象に残りました。
上のパネルの下に展示されていた、関連する文献史料。
一番左の「畿輔水利経進稿」、名前からして「畿輔水利議」の草稿とかでしょうか。
一番右の「奏折」というのは、清朝において官僚が皇帝に送った公用文書だそう*13。私の雑な読解力頼みですが、近年にない川の凍結のせいで工事コストが上がっている旨などが書かれています(左ページ冒頭「歴年河凍未見如今年之厚」あたり)。ただこれひっかかるのが、明らかに印刷されたものだということ。報告書なら1部(か少数部)あれば良いので、当時なら手書きで済ませる気がします。もしかして後世になって印刷したもの?(有名な人の書簡集を出版するようなもの、とか。)→よく見たらページの変わり目に「林文忠公政書 甲集 東河奏稿 巻一」っぽい文言*14が書かれているので、やはり、報告書の原本ではなく、後から出版したもののようです。
いよいよ、アヘンの取り締まりの話に入ります。中国語だと「虎门销烟」と書かれていて、「虎门」はこれが行われた場所の地名。
1839年6月、林則徐53歳の時です。


こちらは、林則徐のアヘン取り締まりに関わる当時の文書*15。
2件ありますが、内容が対照的です。 左の文書はキャプションに「嘉奖奏折」と書かれており、「林則徐鄧廷楨各加一級」(鄧廷楨は人名)などと文言にあることから、アヘン取り締まりにあたった林則徐らへの褒章(?)の文書のようです。対して、右の文書では「革職」ということで、彼らを罷免する文書のよう。
また、戦争のずいぶん早い段階で罷免を喰らったんだなというのが読み取れます。 というのも、左の文書は道光19年(西暦1839年)4月、右の文書は道光20年(西暦1840年)9月のこと*16、対してアヘン戦争の開戦は1840年で南京条約の締結は1842年*17だからです。
ちなみにこの時代の文書、漢文(古代漢語)というよりは現代中国語に近い気がします(現代中国語の知識で割と読める。)。
さてさて、だいたいアヘン戦争の解説の文脈だと「責任を取らされて左遷されました」で終わるところなのですが、人生はそれからも続くわけで、ここから新疆編スタートです。
といってもまずは遠く西の新疆までたどり着くところが大変で、冬が迫る中旅を続け、時には馬車(?)の中で寝るなど、道中の様子が当時の本人の日記に残されているそうです。 また、この移動の話は嘉峪関の博物館でもちょこっとだけ扱っていたのを思い出しました。 詳しくはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com イリに到着したのは1842年12月ごろのこと*18。
新疆(というかイリ)での林則徐の主な功績として治水/利水が挙げられています。
中でも阿齐乌苏大渠なる用水路の建設が大きなもののようで、解説パネル曰く今も(人民渠と名前を変えつつも)現役の用水路として利用されているそうです。
1845年の春から夏にかけて、南疆各地を訪れて検地*19も行っています。行き先の中には、クチャ、カシュガルなど、去年の旅行で私が訪れた場所もあり、感慨深いです。
解説パネル曰く、林則徐はこのように南疆各地をめぐった際には現地のウイグル族とふれあう機会もあり、その経験からか「回疆竹枝词」なる詩集(?)*20中にはウイグル語が多数登場しているとか。 baiduで検索したところ、解説が出てきて、 https://zhuanlan.zhihu.com/p/522455626 たとえば、「百家玉子十家温」について玉子 = yüz(百)、温 = on(十)と書いてて、確かに音はあうし、理解に多言語が必要なこういう文って面白いなーと思いました(ただし真偽のほどはわからないです。)。
イリに到達して約3年の1845年12月、左遷(というか追放?)期間を終え、新疆を離れることとなります。
そのまま陝甘総督(陝西省と甘粛省の総督)、陝西巡撫、ついで雲貴総督(雲南省と貴州省の総督)を歴任します。
左遷を経た後にも、キャリアの最晩年にけっこうな要職*21を歴任してるの強い。
1850年に反乱鎮圧のための欽差大臣に任命されるも、任地に向かう途中で病没します。
ということで、前半の「林则徐生平事迹展」はだいたいここまで。
後半の「林则徐精神展」もあったのですが、内容がけっこう被ってそうだったので、軽ーく流し見で済ませました。
タクシーで次の目的地に移動します。
イリ・カザフ自治州博物館
本日2つめの目的地、イリ・カザフ自治州博物館です。
いまさらですが、イリ・カザフ自治州の州都がここ伊寧、という位置関係です。
主な展示は3つ: 伊犁州历史文物陈列(イリの通史・文化財展示)、イリの自然、「波马古墓」出土の金属器。 「波马古墓」出土の金属器が一番の見どころかと思います(ただ、後述しますが場所が分かりにくいので要注意。)。
伊犁州历史文物陈列
地域を語るにはまず風土から、ということなのか、まずはイリの地形の模型が出迎えてくれます*22。
ちょうどガイドツアーの団体さんと同じタイミングだったので解説を横で聞いたところ、中国で唯一北極海にそそぐ川がある、という話が印象に残りました。たぶん写真右上の川。雑にbaidu検索した結果だと、额尔齐斯河、イルティシュ川のことのようです。
また、南にあるイリ川は、カザフスタンのアルマトゥ方面に流れていきます*23。 今回の旅でこれから向かう先に流れていくと思うと、何やら感慨深いです。 イリ川は伊寧市街地を流れているので、せっかくだから一目見に行ってみても良かったかな(行きそびれた。)。
「鍑」(フク)と呼ばれる、ユーラシア草原でよく見られる調理器具。
ハミや西安の博物館でも見かけていて(下記リンク参照)、どれも青銅製だったと思うのですが、この解説曰く青銅製は高価なもので、一般の人は石や陶製のものを利用していたそうです。知らんかった。。。
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
ちなみに日本の弥生時代の脚付き甕もかなり似た形状な気がします。 が、脚付き甕は取っ手がなかった気がしていて、ここは大きな違いでしょうか*24。
文字による記録がある時代の方に興味があるので、先史時代はさくっと流して進みます。
刘平国治关城诵石刻という、後漢時代の石碑のレプリカ。
所在は天山の南、かつてクチャと烏孫(だいたい今のイリのあたり)を結んでいた古道にあるとのことです。
モノを見た限りでは、ほとんど文字読めなくない?というのが正直な感想ですが、左下の釈文によると、亀茲*25左将軍の劉平国が亭障を築いたことが述べられているそうです。
石碑好きなので、こういうのが大好き(いやでもこの品は判読できないよな。。。)。
時代は下って、唐代のイリの石人(たぶんレプリカ)。
ウズベキスタンでも見かけたものです。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
この旅でもカザフスタンの博物館などでたびたび見かけました。 ここも中央ユーラシア草原の文化圏だったんだなーと感じます。
唐の滅亡後、この地は西遼などの統治を経て、モンゴル帝国の支配下となります。
特に、チャガタイ・ウルスの拠点アルマリクはここイリ(ホルゴス近辺)とのこと。
また、モンゴル帝国による交通の整備などで東西貿易も活発化し、東方の陶磁器がここイリの地を経由して多数中央アジアや西アジアに運ばれたそうです。
上の元代の染付*26もそのような一品でしょうか。
イスタンブールのトプカプ宮殿でも元代の染付を見かけたのを思い出しました。 イリ経由の品は陸路輸送だけど、イスタンブールにはさすがに海路の輸送かな...? amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
その後、イリは東チャガタイ・ウルスなどを経てジュンガルの勢力地となり、乾隆帝の遠征によって清の版図に組み込まれます。
上の石碑(レプリカ)は、この事績を記念して建てられた「平定准噶尔勒铭格登山之碑」。
私の写真が下手でよく見えないのですが、漢語だけでなく複数の言語で書かれています。表面は漢語と満州語、裏面はモンゴル語とチベット語。
清朝が多様な文化/言語を包含した多元的な帝国であることを感じさせます。
ちなみにこの石碑のある格登山、どこだろうと思って高德地图で検索したところ、カザフスタンとの国境ギリギリにあって驚きました。
ところで碑文にも使われていた満州語、今は話者は極めて少なくなっているものの、近縁のシベ語を話すシベ族の人々がここイリの地に住んでいます。 女真の故地の中国東北部から遥か遠く西のこの地になぜシベ族が集住しているかというと、
ジュンガル併合後、清朝が辺境の防備のために内地からの(?)移住を命じたためです。
移動距離もすごいですし、150年前の移住によってこちらでは言語が保たれたのに女真の故地では満州語がほとんど失われてしまったことも含め、歴史のダイナミズムを感じさせます。
ちなみに左上の地図によれば、東北部の瀋陽を発ち、なんと4000km以上もの道のりを*27を1年3か月(しかもうち7か月は一か所に逗留)で移動したそうです。 確かに計算上は1日20kmとか移動すれば8か月で4800km移動できますが、車がない時代にすさまじい移動距離です。 しかも兵士だけでなく兵士の家族も一緒だっそうですし、移動手段とか、途中の物資どうしてたのかとか気になるところです(遊牧民なら移動のハードルは下がりそうですが、女真は遊牧民ではなかった気が。。。)。 地図の太い矢印は文字での記録が残っている経路と記載されているので、気が向いたら調べてみたい。
あと、今になって思えば、本屋でシベ語の本があるか探してみてもよかったかもだし、伊寧から川を越えたらすぐそこがチャプチャル・シベ自治県らしいので、行ってみてもよかったかも。。。
ロシアによるイリ占領などについても扱っていましたが、ここでは略。
個人的に気になったのは、イリについて述べたこのへんの文字史料。
林則徐の「回疆竹枝词三十首」は先ほどの林則徐記念館でも見かけましたね。
歴史の教科書に載ってる資料は国レベルや中央のものが多いので、地方の歴史をうかがい知れる史料の存在を知れるのは嬉しいです*28。
「波马古墓」出土金属器
本館一番の見どころのはずの「波马古墓」出土金属器、展示室の場所が分かりにくくて、なんと
博物館1階のこの真っ赤(double meaning)な展示を抜けた先にあります。
一室だけと展示規模は小さいですが、きらびやかな品々が並びます。
これらの品々は「波马古墓」と呼ばれる墓の副葬品。
1997年、道路工事中に偶然発見されたものだそうです。
キャプションには時代について「隋唐」と記載があり、西突厥の墓のようです。
展示はレプリカとオリジナル両方あり(下に載せた写真の品々についてはレプリカと記載がなかったので、たぶんオリジナル。)。
こちらはなんとも目力の強いマスク。
大きさはだいたい人の顔と同じくらいで、被葬者の顔にかけられていたのではないかと推察されます。
目だけでなく、眉毛や顔の輪郭(というかあごひげとほおひげ?)にも宝石が象嵌されています。
口ひげ部分にも枠があるので、もしかしたら元はここにも宝石があったのでしょうか。
ちなみに百度百科にもわざわざページがあり*31、一級文物に指定されているそうです。
金製のカップ。丸い枠の部分には宝石が象嵌されていたものと思われます。
これで何を飲んでいたか気になるところです(飲食文化の歴史に興味があるので。)。と言っても、これは副葬品なので実用に供したかは怪しいですが。
ちなみに形は異なりますが、金製のカップなどは、西安の陝西歴史博物館でも見かけました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
警備のおばさまがいて少し話したのですが、やはりこの展示室がこの博物館一番の見どころ、とのこと。 また、日本から来たと言ったら、ここの展示品は以前日本にも行ったことがある、と教えてくださいました。 と言われて思い出したのですが、2023年に東京富士美術館で開催されていた「世界遺産大シルクロード展」で、こちらの品をいくつか見かけた記憶があります*32。
自然
時間がなかったのでざーっと流し見しかしていません。
地質、植生、
動物など一通り。
また、鉱物資源についてのコーナーもありました。
イリ盆地の形成過程や、地層、岩石の種類など解説されていたのですが、いかんせん地質学の知識が不足していて、未消化です。。。(あと、地質学の用語(e.g. 地質時代の名前)が日本語と中国語とでけっこう異なるので、さっと読むだけでは理解は難しかったです。)
夕飯
2日連続で夕飯がラグマンだったので、今夜は別のものにしたいなー、と思ってレストランを検索して、近場で良さげなところに来てみました(左の马百开来羊排揪片子というお店。)。
普通に小綺麗なお店で、ボロい恰好で1人で来る場ではないのでは?と一瞬思いましたが、まあまだお客さんも少なかったので気にしないことにします。
店名にも入っている「羊排揪片子」、サイズが心配だったのですが、訊いたところ1個で1人分にちょうど良いとのことだったので、これを頼みました。 ちなみに頼んだ時点では「羊排揪片子」が何なのかよくわかっていなかったのですが、
出てきた料理を見ると、具材が羊肉、じゃがいも、にんじんで、ショルパじゃん!とびっくりしました。
手前の白いものはワンタンや水餃子の皮のようなもので、これが「揪片子」のようです。
ちなみに「揪」(jiū)は手でつまむなどの意味で、この文脈だとちぎる、が近い気がします。
揪片子自体は山西省でよく見られる郷土料理らしい*33ので、ショルパと揪片子が新疆で融合したものなのかもしれません。
肝心のお味ですが、香菜などの香りとほどよい羊の風味、あとうまみもあり、バランスよく美味しかったです。
なお、途中でスープと麺(揪片子)を足しますか?と訊かれて少しだけお願いしたら、想定以上の量が足されて食べきれませんでした、、、無念。。。 中国(特に西北部?)は食事の量が多いので、おかわりはもってのほかですね(そろそろ学習すべき)。
翌日に続きます。
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参考文献
- [1] 冨谷至, 森田憲司 [編] (2016)「概説中国史 下 近世-近現代」昭和堂 ISBN: 978-4-8122-1517-3
- [2] 藤島達朗, 野上俊静 [編] (2024)「令和増訂 東方年表<大字版>」平樂寺書店 ISBN: 4-831381030-1
*1:C841 8:26 → 13:59
*2:だけじゃなく中央アジアや、あと日本でも地方とかでもありますが
*3:中国の食品は賞味期限そのものは書かれてなくて、生産日と、賞味期限までの日数が書かれてることが多い気がします。
*4:google mapの衛星写真やストリートビューを見た限りでは。
*5:高德地图、または https://www.openrailwaymap.org/ など参照。
*6:か、単に東京近辺だと見かけないだけか。大阪のノリはもしかしたら似てるのかも?
*7:https://en.wikipedia.org/wiki/Yining
*8:https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%9Cr%C3%BCmqi
*9:https://en.wikipedia.org/wiki/Kashgar
*10:https://en.wikipedia.org/wiki/Turpan
*11:このへんの用語法は明清時代のものです。詳細は要出典。
*12:参考文献[1] p.146, p.158
*13:https://baike.baidu.com/item/%E5%A5%8F%E6%8A%98/1705850
*14:あれ、漢籍には詳しくないので自信がないのですが、このような部分って小口側にあるんじゃないんでしたっけ???
*15:と言ってもレプリカかもです。原本だったら、新疆じゃなくて中央とか事の起こった広州にありそうなので。。。
*16:西暦への変換は参考文献[2]p.125を利用。4月と9月なら旧暦と西暦の年がずれることもないっしょ、と雑に書いてます。
*17:参考文献[1]p.214
*18:1843年1月19日を指してイリ到着の1か月後という記載があったため、12月ごろ到着と書いています。
*19:原文は「勘地」。たぶん検地のような意味だと思うのですが、自信はないです。
*20:竹枝词は、詩というほど高尚なものでもなく、元は民間の俗歌のようなものっぽい?
*21:清朝の官制には詳しくないので、これが要職かは自信がないですが。
*22:イリ・カザフ自治州に塔城地区や阿勒泰地区などを加えている気がしますが、このへんの行政区分の位置づけはきちんと理解していません。
*23:といってもアルマトゥに流れ込むわけではなく、途中で北に流れを転じます。
*24:西安の博物館で見たときの音声ガイド曰く、立てて使うのも、上からつるして使うのも可能ということで、取っ手に縄などを通してつるしていたんだろうな、と推察されます。
*25:クチャのこと
*26:中国語だと青花
*27:高德地图で自動車利用で検索すると、瀋陽駅から伊寧駅まで約4200km。ただし、こちらの地図のルートだとウランバートルなどを経由しているので、もう少し遠回りかと推察されます。
*28:日本についても、地方史が分かる同時代の文献はあんまり知らない気がする。ぱっと出てくるのは「北越雪譜」とか「新編相模国風土記稿」とかくらい?
*29:红宝石と記載がありました
*30:中国語だと镶嵌xiāngqiànというそう。
*31: https://baike.baidu.com/item/%E9%95%B6%E5%B5%8C%E7%BA%A2%E5%AE%9D%E7%9F%B3%E9%87%91%E9%9D%A2%E5%85%B7/63104695
*32:ただ、写真撮影禁止だったので、確証はないです。
乳利用・牧畜・遊牧についての本のメモ
2025年のゴールデンウィーク旅では、カザフスタンのスーパーで多種多様な乳製品を見かけて食べて/飲んでみたり、博物館で遊牧民の生活道具を見たりして、乳利用や遊牧・牧畜に興味が湧きました。 ということで、旅行後に関連する本を何冊か読んだので、この記事に本の感想などをまとめておきます。
旅そのものについてのまとめはこちら
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
乳利用について
人とミルクの1万年(岩波ジュニア新書)
- 著者 : 平田昌弘
- 出版社 : 岩波書店
- 出版年 : 2014
- ISBN : 978-4-00-500790-5
ユーラシア各地の牧畜民を訪ねフィールドワークを行ってきた著者が、専門書「ユーラシア乳文化論」を執筆した後、同様の題材でより一般向けに書いたのがこちらの本です[「あとがき」より]。 タイトルからすると、約1万年の乳利用の歴史を過去から現在まで眺めた本のようにも見えますが、歴史の話よりは、現在の世界各地に見られる多様な乳利用のあり方を紹介する部分が多めです。
1章で乳利用が人類史においてどのような意義があるのかを述べた上で、2章で搾乳の開始時期についての考古学的議論と、ミルクの科学を概説します。その上で、3章から6章でユーラシアの4地域(西アジア、南アジア、北アジア、ヨーロッパ)でのミルクの利用を紹介し比較しています。7章では乳利用がそれまで行われてこなかった地域に着目し、乳利用が行われてきた地域との比較から乳利用を促した要因について論じています。以上を踏まえて、8章ではユーラシアでの乳利用の発展の歴史について、著者の説を述べています。
本書で特に興味深かったのは、p.47で紹介されている次の視点です:
- 乳加工においては、ある乳製品がまた別の乳製品の原料になる、といった連鎖が見られる。これを「乳加工体系」と呼ぶ。(e.g.)ミルクを乳酸発酵でヨーグルトに→ヨーグルトを振盪してバターとバターミルクに分離→バターは加熱して水を飛ばしバターオイルに、バターミルクは加熱凝固脱水でチーズに、という具合。
- 乳加工体系は、最初のステップに応じて、いくつかに分類できる。最初にヨーグルトにするか、クリームを分離するか、凝固剤で固めるか、熱で濃縮するか、など。
この考え方に基づき、3章~6章の各章では各地の乳加工体系が模式図で簡潔かつ分かりやすく表現・分類されています[p.54~p.55図3-1など]。 加えて、「ミルク」「スキムミルク」「バターミルク」「バターオイル」などの用語にも事前に定義が与えられています[p.33表2-1]。 これらのおかげで、ある乳製品がまた別の乳製品の原料になる、といった連鎖が可視化されて文章だけの場合より遥かに分かりやすくなり、多様な乳文化の比較や体系的な理解につながったと思います*1。
また、3章~6章で紹介された4つの地域はそれぞれ、高温・乾燥、高温・湿潤、低温・乾燥、低温・湿潤とちょうど気候の性質が異なる4地域となっており、気候の違いが乳利用の違いに及ぼした影響を見ることができ、対比が興味深かったです。
ただし、内容に濃淡はあります。たとえばヨーロッパでは乳加工系列の話はあまり出てこず、もっぱら熟成チーズに焦点を当てています。(一方で、バターの話はほぼ出てこない。)
また、乳加工の発展の歴史についての記述は、やや議論が粗く感じられました。というのも、本書の内容は全体的には現在見られる乳加工体系に主眼を置いており、それらは乳加工の発展の歴史を論じるのは論拠として弱いと感じられるからです*2。この点については、過去の乳加工そのものが分かる文献史料や、考古学的知見などをあわせて補強すると説得力が増すように思われます(がしかし、紙幅の都合もあるので致し方ないと思います。2章で乳利用の起源を論じるときは考古学的な話もありましたが、p.190では文献研究についても言及されているので、恐らく著者の専門書「ユーラシア乳文化論」にはこのへんの内容も詳しく書かれているのではないかと考えています。)
ミルクの歴史
- 著者 : ハンナ・ヴェルテン
- 訳者 : 堤理華
- 出版社 : 原書房
- 出版年 : 2014
- ISBN: 978-4-562-05061-1
文化史の本を多数出している原書房*3の「「食」の図書館」シリーズの1冊です。
タイトルは「人とミルクの1万年」と似た趣旨に思えますが、以下の2点で前掲書とは異なります。
一応、1, 2章では世界各地のミルクや乳加工[p.29]の話題も扱っているものの、かなり駆け足に触れるだけ。また、5章で現代のミルク事情について触れる過程で東アジアも出てきますが、やはり主な焦点は英米をはじめとした西欧圏です。
本書の主な話題*5は、近代(19世紀以後)のミルクが抱えていた危険性(3章)と、それを克服してきた歴史(4章)かと思います。たとえば、
- 混ぜ物 : ミルクの量や質をごまかすために、様々なものが混ぜられていた。水(衛生的とは限らない)で薄めたり、それをごまかすために小麦粉やでんぷん、チョークを入れたり、果ては「泡立ちをよくするために」動物の脳まで入れていた[p.80]。イギリスでは1901年の法律(「牛乳には少なくとも3パーセントの乳脂肪分と8.5%の無脂乳固形分が含まれていなければならない」と規定したもの)の制定を機に下火になった[p.81]。
- 衛生面 : 牛舎が不衛生[p.75, p.83]だったことに加え、輸送時も冷却されず雑菌が繁殖する[p.84]、蓋のない桶に入れられて街を運ばれる際にごみが混入する[p.86]などなど。この問題に対し、19世紀末から20世紀初めにかけて、2つのアプローチが取られた: 1つは認証(酪農場や輸送・保存手段が衛生的であるかを検査し合格したものに認証を与えるしくみ)[p.106, p.110]、もう1つは低温殺菌[p.111]である。最終的には低温殺菌が優勢となった。たとえば、アメリカでは1940年代までにほとんどの州で、低温殺菌を義務付ける法律ができたp115)。
乳加工の話がほとんどなく、舞台も英米が主だったので、今回の一連の読書の目的に沿うものではありませんでしたが、我々が現在スーパーなどで買っている安全な牛乳が決して当たり前のものではなく、どのような経緯を経て実現したかを垣間見れるという意味では、興味深かったです。
ちなみに同シリーズに「ヨーグルトの歴史」「チーズの歴史」などもあったのですが、目次をぱらぱら眺めた感じだとこちらも欧州に主眼が置かれているようなので、今回は読みませんでした。
ユーラシア乳文化論
- 著者 : 平田昌弘
- 出版社 : 岩波書店
- 出版年 : 2013
- ISBN : 978-4-00-025417-5
上記の「人とミルクの1万年」の元となっている本です。こちらはお値段1万円近く、記述もかっちりしており、専門家向けの研究書という位置づけかと思います。
さすがに通読はせず、興味のある個所(主に中央アジアを扱った5章あたり)を拾い読みしました。 というのも、「人とミルクの1万年」の方には中央アジアはあまり扱われていなかったためです。
ひとまず、今回の旅で気になったカザフスタンの乳加工文化については、ざっくり言うとモンゴルのものと類似しているようでした。具体的には、(1)馬乳 : 乳酸発酵で馬乳酒にする。(2)牛乳 : 静置してクリームを分離し、残ったスキムミルクからはチーズを、クリームからは加熱によりバターオイル、または攪拌によりバターを得る[p.192]。ただし、地域によっては別タイプの乳加工体系もあるとのこと(レンネットなどの凝固剤を利用したチーズ作りや、乳酸発酵させてからチャーニングによりバターを得るなど。)。
また、近現代の中央アジアでの搾乳動物の変遷の話も興味深かったです : 具体的には、カザフスタンでは、20世紀にヒツジ・ヤギからの搾乳が見られなくなり、牛(元来はメインの家畜ではなかった)からの搾乳が主になった、という話です[p.206-p.207]。フィールドワークで得た描像がそのまま前近代にあてはまるわけではない、というのは要注意ですね。
最後に、上の「人とミルクの1万年」の箇所で触れた通り、乳加工の歴史の記述の根拠が気になって、本書の対応する箇所(第8章 「ユーラシア大陸における乳文化の一元二極化」仮説の提起)も見てみました。議論の主要部分はやはり現代のフィールドワークからの知見に基づいているようですが、の4節「仮説検証への試み」[p.405-p.407]では(まだ研究の途上という書きぶりながら)、前近代の文献の調査や、その記載に基づく再現実験についても触れられており、非常に好奇心を掻き立てられました。具体的には、「本草綱目」や「斉民要術」に記載された乳加工を再現して乳加工体系の図にまとめたり、はては古代メソポタミアの粘土板やヴェーダ文献の記述なども今後の課題として挙げられていました。 これはめちゃくちゃ興味をそそられます。本書の出版は10年以上前なので、その後の進展なども気になるところ。
牧畜について
遊牧民、はじめました(光文社新書)
- 著者 : 相馬拓也
- 出版社 : 光文社
- 出版年 : 2024
- ISBN : 978-4-334-10423-8
モンゴルでの遊牧民のくらしを、著者のフィールドワーク体験を中心に紹介した本です。 馬の背に揺られて3日間も続く季節移動、肉と乳製品中心の食生活、濃密な人間関係、はてはトイレ事情などなど、実体験ならではの豊富なエピソードにぐいぐいページが進みます。また、なんと本文中の写真はカラーで掲載されています(巻頭ではなく本文中の写真です。)。
...と、当たり障りのない部分から紹介を始めましたが、本書を読み始めてまず面食らったのが、冒頭から始まるモンゴルの人々に対するdisり。 といっても、基本的にはどれも著者の過酷な実体験に基づくもの。 その詳細なエピソードの数々は本書(特に1章)を見ていただくとして、ここでは袖の部分の紹介に「ときに草原を馬で駆け、(中略)ときに遊牧民たちにどつかれる日々」とあることだけ触れておきましょう*6。 ちなみにそんな著者も、「おわりに」を次のような文章で締めています「かつては言えなかったモンゴル遊牧民への感謝の気持ちを、素直にここで記しておきたいと思います。モンゴルの大草原よ、これほどまでの機会を与えてくれて、ありがとう!」。
話題を元に戻すと、著者はモンゴルの人々のこれらの荒っぽさ(婉曲表現)を、過酷な環境に求めています: 「遊牧という暮らしの成立には、他社への複雑な配慮や思考を発展させるわけにはいかなかったのだ」[p.67]「草原に暮らし、遊牧民を続けるということは、ある意味では人であることを部分的に捨てることも要求される。動物的感性や、物理的パワーがコミュニティで尊ばれたように、それは現代のモンゴル遊牧民にも色濃く残された強者感でもあるからだ。」[p.67-p.68]
どれほど過酷かというと、
- 遊牧民の暮らしは肉体労働。運動量を測定したところ、夏のある1日の49歳の女性の例で、歩数が約3.8万歩、消費カロリーは約4700kcalにも達したとか[p.134]。
- 冬場の冷え込みは厳しく、日中でも-20℃(地域によっては-40℃も珍しくない)[p.163]。そんな中夜は畜糞燃料で暖を取るも、朝は寒さで午前4時には目が覚める*7。
- 野生動物の襲撃もあるそう。子供が一人で歩いていたら狼に後をつけられていたり[p.245]、狼の群れに一晩で数百頭の家畜が殺されることも(中国の事例ですが)あったり[p.243]。また、著者の滞在中に村に狼が現れ、人々が銃や斧を手に飛び出す一幕もあったそう[p.245]。
などなど。ただし、このへんの説明に私は完全には首肯できていないです。遊牧だから、というよりは、前近代的要素(肉体的な能力の重要性が高い、公的制度が頼りにならない、など)が残る社会では似たり寄ったりなのでは?という気がしています。完全に伝聞ですが、インドとか昭和の日本とか。。。
また、もう1点印象に残ったのが、モンゴルにおける遊牧の非一様性です。
- モンゴル最西部はカザフ人が多い[p.90]。カザフ人はモンゴル人とは言語(カザフ語)も宗教(イスラーム教)も異なる[p.90]し、遊牧の様態も異なる。具体的には、カザフ系の人々の移動が2回/年である[p.94]のに対し、モンゴル系の人々の場合は約7回/年p.68。移動頻度の低さ故、キイズ・ウイ(カザフの天幕)の方がゲルよりも大きく、居住性も高いとか[p.94]。
- モンゴル西部の調査地ではラクダは駄獣として少数飼育され、搾乳や食肉としての利用は積極的には行われていなかった[p.289]。対して、南部の沙漠地域ではより多数のラクダが飼育され、搾乳[p.310]や食肉としての利用[p.312]が行われている*8。
なお、本書は一般向けのものかと思いますが、同著者によるより本格的な書籍もあります
草原の掟 : 西部モンゴル遊牧社会における生存戦略のエスノグラフィ www.nakanishiya.co.jp
目でみる牧畜世界
- 著者 : シンジルト(編)
- 出版社 : 風響社
- 出版年 : 2022
- ISBN : 978-4-89489-310-8
科研費の成果の1つとして、著者らの研究をまとめた本。 というとお固そうなイメージですが、大判にカラー写真がメインの構成となっており、ぱらぱらめくって眺めるだけでも世界の様々な地域の牧畜の様子を知ることができて面白いです。
個人的にはあまり知らなかったヒマラヤ[p.74]やアンデス[p.86]などの高地での牧畜の話や、干上がったアラル海跡地でラクダの牧畜が行われている[p.62]話が印象的でした。 あとは、ブータンの例で「他の牧民の放牧地で放牧を行うことはルール違反だとみなされる」[p.75]という記述があり、このへんの牧畜民と土地の私有(というより権利関係?)が気になりました*9。
ただ、あくまで著者らの研究成果を1冊の本にまとめたものなので、世界各地の牧畜を満遍なく体系的に概観しているわけではないかと思います(あくまで著者らが実際に訪れて調査したところが中心。)。 また、副題にもあるように、牧畜社会から社会における「共生」を考えるような観念的な議論もところどろこにありましたが、それらの箇所は読んでいません。
遊牧・移牧・定牧
- 著者 : 稲村哲也
- 出版社 : ナカニシヤ出版
- 出版年 : 2014
- ISBN : 978-4-7795-0848-6
世界各地の牧畜社会で長年にわたって*10フィールドワークを行ってきた著者が、フィールドワークの思い出から、各地の牧畜の様相、はてはそれらを踏まえて牧畜の類型論などについて論じた本です。 扱う調査地は副題にもある通り、モンゴル、チベット、ヒマラヤ、アンデス(ということで、西南アジアは範囲外ですね。)。 1章~9章で各地でのフィールドワークについて述べ、10章と11章はそれらを踏まえた一般論などになっています。 なお、私は全部をきちんと通読したわけではなく、割と斜め読みです(特に類型論を扱った10章)。また、11章は読んでいません。 また、以下に書く紹介は私の印象に残った話が中心ですが、情報量が多い本でここでは言及できていない点も多いです。
幅広い地域をカバーしているため、本書のフィールドワーク部分を(斜め読みながら)読むと、各地の環境に適応した生業の姿と、それ故の牧畜社会の多様性を感じられます(p.331-p.337にまとめがあります。)。
- 家畜の種類が多種多様([p.336 表10-2]): モンゴル北部のタイガ地帯ではトナカイが中心[p.54]、アンデスではリャマとアルパカ[p.336]、ヒマラヤやラダックでは地域にもよりますがヤクやゾー(雄)/ゾモ(雌)(ヤクとウシの雑種)、などなど。話が逸れるのですが、ヤクは寒さに強く暑さに弱い、牛は寒さに弱く暑さに弱い、ゾー/ゾモはその中間だそうで、放牧する標高や移動の時期が異なるのは興味深かったです[p.162, p.157-p.158]。
- 家畜の利用方法もいろいろだったり環境を反映してたり : たいていの地域では搾乳を行うものの、アンデスではリャマ・アルパカからは搾乳は行わない[p.269-p.270, p.273]。常に気温が氷点下の地域/季節では食肉は何もしなくても冷凍で保存される[p.62]。アンデスではアルパカは毛、リャマは運搬力が利用され[p.270]、特に後者は収穫期の農民の収穫物の移動を行う代わりに農作物を得たりもする[p.273-p.274]。
加えて、だいぶさらっと書かれていますが、フィールドワークの生き生きとした描写も印象に残りました。
- まず、調査地にたどりつくまでも大変なことが多々 : 馬に乗って遊牧民の幕営地を探すもなかなか見つからず夕闇が迫ったり[p.61]、ヒマラヤの調査地では村まで道路が通っておらず山道を徒歩で歩いたり[p.204-p.205]、アンデスの標高4700mもの高原でバスが故障して道中で一夜を明かすはめになったり[p.250]。
- 加えて、現地の人伝に調査地を見つけて調査を行う過程も垣間見れました : 祭りで怪我した女性を介抱したらその人の夫が副村長(なお副村長含めて村人は酔っぱらってて看病できず)で、さらに調査をお願いしようとした牧民の息子の洗礼親がこの副村長で...というご縁で調査のOKをいただいたり[p.254-p.255]。
文化人類学って体力もコミュニケーション力(それも論理云々とかよりは仲良し力)が必要なんだなー、とひしひしと感じました。私の知ってる研究とだいぶ違って面白いです*11。
本書の最後の方では「移動」に着目して牧畜の類型論について論じており、これまで読んだ内容を整理/分類するのに有益ですが、ちょーっと納得いっていない箇所もあります。
- まず、「遊牧」と「移牧」の明瞭な線引きは難しいと認めつつ[p.316]、上下移動の性質が強いものを移牧/水平移動の性質が強いものを遊牧[p.319]と、(あくまで分類ではなく、類型として)定義しています。(ここは異論ないです。)
- その上で、著者が調査したアンデスでの牧畜について、「移動は行うものの移動の水平距離も標高差も極めて小さく、移動前後での気候や生態系にほぼ変化がない。この意味で、遊牧や移牧と移動の意味が異なる。」(私のざっくりした要約)[p.266-p.268,p.322]として「定牧」という類型を導入しています。
で、アンデスの「定牧」について、調査例が少ない(著者自身のものも含めて2地区だけ)ため、これだけで新しい類型を設定するには数が足りないかなー、というのが正直な印象です。 もちろん、仮設提起だと受け取れば妥当かとは思うのですが、論証とまでは言えないかなーと感じました。
ちょっと引っかかるところも書いてしまいましたが、フィールドワーク部分だけでもかなり貴重かつ興味深いものだと思うので、おすすめの本です!
*1:これなしだと下手したら「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリット」みたいなことになりかねない。。。
*2:現在の乳加工の姿は過去を反映しているとはいえ、過去の姿そのままとは限らないので。
*3:という印象があります
*4:そういう意味では原題の"MILK: A GLOBAL HISTORY"はちょっと誇大な気もする。。。
*5:と私が読み取ったもの
*6:なお、著者の約20年前の経験も含まれているため、本書の記述が今も正しいとは限らないことに注意。これは著者自身が「はじめに」でも述べています。
*7:著者が滞在したのは貧しい家庭のため燃料が不十分とのこと。
*8:著者の記述はあくまで一地方のラクダ祭りや、一家庭での見聞を記録したものです。私の記述では、情報を落とした結果、やや過度に一般化したものになってしまっており、これは本書の記述から飛躍してしまっているので、要注意。
*9:農耕と違って土地の私有の概念が希薄そうなイメージがあるのですが、とはいえこのように放牧地は一時的にではあるけどもある程度占有されるわけで、土地の所有が明文化されているのかなど気になります。
*10:p.xiii 曰く35年
*11:大学院で研究してた時期もあるのですが、だいたい机に向かってました。
