世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2024年新疆旅行18日~19目 : ウルムチ観光+帰国

国際バスターミナル。今回は利用しませんが、ここからカザフスタンなどに向かう長距離バス便があります。

2024年シルクロード新疆の旅18日目(2024-09-28)と19日目(2024-09-29)の記録です。 いよいよ最終日! 昨日見切れなかった新疆ウイグル自治区博物館を再び見て、本屋を除いてみたり、次の旅に向けて陸路国境越えの交通手段について下調べしたり。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食など

ホテルに朝食がついていないので、近くのお店に向かいます。

「魔族」という一風変わった名前のお店に遭遇。 洗剤と思しき商品の容器が並んでいるので、日用品のお店とかかな。 今回の旅でここ以外でも見かけた(写真は撮りそびれた)ので、チェーン店なのかも。

通りがかった銀行では、現金の利用を促す言葉が流されてました。 がしかし、今回の旅でも現金使わなかった気がします。

昨夜見かけた煎饼果子のお店にしようかと思ったのですが、まだ開いてませんでした。

ということで、近くの蘭州牛肉麺のお店にします。

真っ赤なラー油(辣子)がなんとも魅力的。 お店の人はラー油は入れず、客が受け取り時にカウンターで自分で入れる方式でした。

ということで、少し控えめにラー油を入れます。 卵と牛肉麺で、合計17元。 ラー油とパクチーの香りが食欲をそそります。 ラー油、赤いけど見た目ほど辛くないし、むしろ香りが良いんですよね(日本の一般的なラー油と方向性が異なる気がします。)。 たまに日本の蘭州牛肉麺のお店で「ラー油、パクチー抜き」を頼む方を見かけるのですが、なんというか、だいぶ牛肉麺の良さを減じてしまうような。。。(お寿司のわさび抜きとかに近い...?)

新疆ウイグル自治区博物館

前日に引き続き、自治区博物館に向かいます。

今日は土曜日だから、外は前日にまして人が多かったです。 私は事前に予約してあったのですが、この時点で「予約は既に午後16時までいっぱい」と話している人もいました。 ということで入れない人もいたかも?

公式の解説も今日は売り切れ、音声ガイド機も全て貸出中で借りられませんでした。

出土文献の展示

前日は見そびれたのでここをまったり見ていきます。 やはり地味目な展示だからか、他のエリアに比べると人は少な目。 「有些人觉得没有意思吧」って言ってる人がいたのも聞こえました。

展示は4部構成(簡牘・帛書、紙、石刻、保存・研究)ですが、第2部の紙の文献がメインでした。(他はレプリカ多め。)

簡牘の展示は前に蘭州でもうだいぶ見たので、軽く眺めるだけにします。

蘭州の簡牘博物館を訪れた話はこちら参照: amber-hist-lang-travel.hatenablog.com 簡牘についての本のメモはこちら: amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

ということで、メインの紙文書を見ていきます。

こちらの品はトルファンのアスターナ古墓群出土の「北凉缘禾六年翟万随葬衣物疏」*1。 随葬衣物疏とは字義通りには副葬品のリストのこと。それが転じて死者の来世の平安を願う内容が書かれるようになったそうです*2。 「〇〇一枚」「〇〇一領」とかあるのが読みとれて、品物と数量を指しているようです。ただ、5行目一番下にある「黄金千斤(?)」はさすがに盛ってるんでは?という気がします。 最後の方には「左清龍右白?前朱雀後玄武」と四神が言及され、死者の平安を願う内容なのかな、と想像されます。

こちらは「唐西州高昌县上安西都护府牒为录上讯问曹禄山诉李绍谨两造辩词事」*3という、唐代のとある訴訟を記録した文書。 内容は音声ガイド(wechatミニプログラム)によると: まず、原告(曹禄山)の兄の曹炎廷が、被告(李绍谨)に絹織物275匹を貸した後に、行方不明になったとのこと。そして、被告が原告の兄から絹織物を借りたことを認めなかったため、原告が被告に絹織物の返還を求めた、とのこと*4。 欠けてるところがあったり手書きで読みにくいところもあるので、「…禄山年卅」「二百七十五」などしか私は読めないのですが、1000年以上前の訴訟の内容が残っているのは興味深いです。 まさか原告も被告も自分たちのもめごとが1000年以上残るとは思わなかっただろうな。

トルファンのアスターナ古墓群出土の『論語』(鄭玄注)の雍也篇の残巻*5。 孔子の『論語』は様々な注釈と共に読まれることが多く、これは後漢の鄭玄がつけた注を伴うもの。 鄭玄の注は宋代には読まれなくなって散逸してしまったものの、この残巻のような出土品(主にトルファンや敦煌から)をつなぎあわせることで全体の1/3以上がわかっているそうです*6。 注の復元はもちろんですが、そもそもこれだけ昔の書物を読んできたことにも、とんでもない執念を感じます。

医学書いろいろ。 科学技術史好きな人間としては気になるトピックです。 展示されている現品は漢語のものですが、他にも様々な言語の医学書が新疆各地で出土しているとのこと。

唐代の、咳の治療のための処方を記した文献*7。 3行目下に「甘草」、4行目冒頭に「麻黄」とあるあたり、比較的馴染みのある生薬の名前が読み取れます。 ただ、乾燥した新疆の土地でもこれらの生薬が栽培できたのか、はたまた内地から輸送してきたのかは気になるところ。 乾燥といえば、やっぱり乾燥した土地柄だから咳とか呼吸器症状の悩みも多くて、この文献みたいなのが残ってるのかなー、まあでも1サンプルで過度に一般化するの良くないなー、と思ったのですが、解説曰く結論だけ見るとこれはあながち間違っていないそうです*8。

こちらは、この展示室の個人的ベストの「唐宝应元年六月康失芬行车伤人案」*9、なんと1200年前の交通事故の記録です。 2人の子供が牛車にぶつからられて怪我をし、その親が牛車を操作していた者を訴えた記録だそうです。2行目の「史拂船男金児」と「曹没冒女想子」は被害者側(史拂船の息子の金児、曹没冒の娘の想子、という意味のよう)を指しているようです。

漢語以外の文献もありました。 回鶻文字の「弥勒会見記」*10。 解説いわく、言語としては焉耆語で書かれており、中身は弥勒菩薩が衆生を救う、仏教劇?の物語を記しているそう。

中央左に穴と円形の余白があるのが気になるのですが、まず穴は紐を通すためのものだったようで、貝葉文書でよく見る形式だと思われます。 材質は紙なのに、貝葉文書の形式を引き継いでいるのは面白いです。 また、周りに余白を設けているのは、「文書を繰り返し読むと傷んで穴が広がってしまうので、それで文字が消えるのを防ぐため」という説明もどこかで読んだ気がするのですが、出典がわからないため、保留。

故宮展

この時は琺瑯工芸品をテーマにした展示がありました。 主に清代の品が中心。

こちらのように、周代?の青銅器の形を模したものが目についた気がします。

琺瑯の種類や技法の話も書いてたのですが、軽く流すだけにしました。

文物展

昨日も見たのですが、一部をもう一度見ました。 旅行記としては昨日の旅行記にまとめたので、そちら参照。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

途中でやたら子供みたいな声のガイドさんがいるなーと思ったら、本当に10歳あるかないかくらいの子供がガイドをしていました。ガイド体験企画とかかな? 男の子の方は簡単な一言解説だけでしたが、もう少し年上の女の子の方はけっこう詳しめの話をしてて、なかなかすごい。

昼食

前日に同じく、博物館内のカフェにて昼食。

昨日はサンドイッチだったので、今日はベジプロフ。 レーズンが入ってるのは好み。 そういえば肉+レーズンは今回の旅では見かけてない気がします。 ウズベキスタン旅ではブハラのプロフがこのタイプで好みでした。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

ミイラ展示

ここは人が多め。

ミイラというと古代エジプトのものが有名ですが、あちらは内蔵を取り出すなどの処理を人手で行って作られるもの。 対して新疆のミイラは、普通に埋葬された遺体が、乾燥した気候故に自然と腐敗せずミイラになったものだそうです。

展示されていたミイラは、時代的には先史時代から唐代?あたりのアスターナ古墓群のものまでありました。 ただ、ミイラはちょい生々しすぎるので写真は遠慮しておきました(そもそも撮影可だったかどうか未確認)。

ミイラについて、肺結核を患っていたと見られる、とか、おそらく熱中症で死亡したと見られる、などの言及もあり、やはり骨以外の組織も残っていると分かることも多いのだなと興味深かったです。

新華書店

中国の旅先では本屋を覗くようにしてるので、今回も新華書店にやってきました。

新華書店では鞄などはロッカーなどに預けるお店が多かった(万引き防止?)のですが、ここのは少し違ってました : 鞄を預けるのではなく、鞄を覆う袋をもらい、それにロック?(万引き防止タグみたいなもの)をかける、という方式でした。 確かに鞄にものを入れることはできなくなるので、これで万引き防止にはなりそう。

1階

民文图书のコーナーでは、ウイグル語だけでなく、カザフ語やクルグズ語(キルギス語)のコーナーもありました。 興味深いのが、カザフスタンのカザフ語もクルグズスタン(キルギス共和国)のクルグズ語も、キリル文字で表記されるのに対し、ここ新疆ではアラビア文字(正確には原題ウイグル語表記に用いられている改良アラビア文字?)が用いられていること。 『論語』はアラビア文字表記のタイトルがナスタアリーク体になってて読めぬ。。。

ウイグル語で書かれた様々なトピックの本だけでなく、ウイグル語の教本や、

中国語の教本もありました。

ウイグル語の教科書、買おうかと一瞬思ったのですが、テュルク系言語は日本語と文法が近いので、たぶん日本語で学んだほうが楽なんだよなー、ということで見送り。

ベストセラー?のコーナーでちょっと気になったのは、こちらの「行走中国」。中国の地理/旅行記の本ですが、ぱらぱらめくった感じでは、地域別というよりかは、「山」「大運河」などテーマ別での記述になっていました。文字メイン。

自己啓発書のコーナーでは日本語からの翻訳書も見かけました。 中でもこちらの「被讨厌的勇气」(嫌われる勇気)はだいぶ目立つ陳列になっていてびっくりでした。

歴史など(2F)

続いて2Fの社会科学コーナー。

歴史書もここにあります。 話それるけど、日本だと歴史って人文学にカテゴライズされてあんまり社会科学と明言されることは無い気がする?

歴史地理学みたいな話が好きなので、「透过地理看历史 春秋篇」とか「中国古代河流」とか、タイトルだけでだいぶ気になる。

「消失的古城」、てっきり最近の再開発で消えた古城の話かと思ったらそうではなく、清末から民国初期の都市の市井の人々の生活を描いた本のようでした。

やはり史記メジャーなようで、解説本がいくつもありました。 この写真には写っていませんが、まさかの「宫崎市定解读《史记》」(日本語からの翻訳書)もあり、びっくり。

バスターミナル+高速鉄道駅

この旅もほぼ終わりなので、あとは空港へ、となるところですが、次回の旅に向けて少し情報収集をしてきます。 次回の旅は中国新疆から国境を越えてカザフスタンに行く計画なのですが、国境越えの交通手段の詳細などを聞きに、バスターミナルなどに行きます。

なお、時系列が前後するのですが、その「次回の旅」の旅行記はこちら: amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

BRTで移動

ということで、前日朝に引き続いてBRTで移動します。

走る道は専用レーンじゃないのでBRTと呼べないのでは?と個人的には思うのですが、この改札はBRTっぽさがある気もします(適当。)。

連節バス。日本ではあまり見かけないので、ついつい写真を撮ってしまいます。

国際バスターミナル

ということで、バスターミナルに到着。 陸路国境がない国に住んでると、国际汽车站っていう文字列の時点でワクワクします。

案内板には中国語とロシア語?があり、これも良い。

2階の国際線のチケット窓口で、アルマトゥへの路線について質問しました(あくまで2024年時点での情報です。実際に行く方は必ず最新の情報を確認してください。)

  • ここウルムチのバスターミナルで買えるのは、ウルムチ出発の切符だけ。他のバスターミナル出発の切符を買うときは、その出発地のバスターミナルで買う必要あり。
  • 辺境通行証は不要。パスポートさえあればOK(これは中国パスポートでも外国パスポートでも同様。)。
  • 1日前までに買うのがおすすめ(当日だと満席になっていることがあるので。)
  • オンラインでも購入可能。ただし、今はまだシステムが不便なのでおすすめしない、半年後には良くなってるかもね、とのこと。

ちなみに翌春に伊寧からアルマトゥへのバスに乗ったときはオンラインで購入しました: amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

なお、ここの2階のトイレはかなり厳しいです。 個室が扉がなくて、隣の人の便器の水がそのまま流れてくるので、向きによっては他人のブツも流れてきます。。。

高速鉄道駅

お次は鉄道駅に。

窓口に並んで聞いた話だと

  • 辺境通行証とかはいらないはず、パスポートとかがあればOK
  • カザフスタンへの国際列車はこの時点ではまだ運行していないし、予定も不明。

結局2025年春の旅でも国際列車は運行しておらず、上記の通り国際バスで移動しました。

市街地から空港へ

移動

用事も済んだので、空港に向かいます。 フライトは翌朝なのですが、朝早いので、今夜は空港のカプセルホテルに宿泊です。

机场快线の案内板があったのですが、もう最終便が出た後とのこと(この時点で20時前。でも新疆の感覚だと現地時間18時くらいなので早すぎない?)。 ということで、気を取り直して、路線バスと地下鉄を乗り継いで空港に向かいます。 話逸れるのですが、バスターミナルと高速鉄道駅があるのに地下鉄が通っていないのは、ちょっと不便。

このとき乗ったバスでちょっとおもしろいことに気がついたのですが、乗った車両には左右両側に乗降口がありました。

なんでだろうと思ったのですが、乗り場が路肩だけでなく、上の写真のように道路中央の分離帯にある場合もあったので納得です(中国では車は右側通行)。

地下鉄に乗り換えます。 ICカードを買わなくてもalipayで乗れるのは便利。

車内の電光板の表示は中国語・ウイグル語・英語の3言語あり、ウイグル語のときだけ文字が流れる方向が逆になっていて興味深かったです(当たり前といえば当たり前なのですが。)。

空港にて

空港ではこちらのカプセルホテルに宿泊します。 チェックインでちょっと手間取ったのですが、コーナーケースすぎるので詳細は割愛。

夕飯のお店を探してたらおにぎりのお店があってびっくりでした。

しかしこれから日本に帰る身、やはり最後は新疆料理で締めようと思います。

32元で空港価格だなーと思うのですが、しょうがない。 今回の旅最後のラグマン、ということで噛み締めていただきました。 なお、辛さなし+麺少なめ、でお願いしたのですが、それでも多かったですね。あと、ピーマン?が辛いので避けて食べました。

日本へ

ウルムチ空港

翌朝9/29、上海を経由して東京に帰ります。

制限エリア内のお店、果物やドライフルーツ、ホータンの玉など、新疆らしい品物を扱うお店が多かったのが印象的です。

上海へのフライト

搭乗はバスで。 前日に予告があった通り、だいたい40分遅れで離陸しました。 まあ乗り継ぎ時間に余裕があるのでOK。

機内食は牛肉面と鸡肉饭の選択肢があったけど、牛肉麺はもう昨日食べたので、後者にしました。 鶏肉とジャガイモかな?

上海浦東空港

およそ4時間半のフライトで、上海浦東空港に到着。

まったりお昼にします。 メニュー見て「牛肉麺ってそういえば蘭州のじゃなくてこっちのもあったな」と思い出したので、牛肉麺を注文。 果たして機内食の牛肉麺がどっちだったのか気になります(というか汁物は機内食に向かなさそうだし、どっちでもなかった気もします。)。 唐辛子マークがついていたのですが、さすが上海、ほとんど辛くないです。 ただ、さすが上海の空港、お値段69元となかなかのお値段です。

上海の空港で地味に感動したのが、トイレがTotoのウォシュレットだったこと。 18日ぶりのウォシュレットで、一瞬もう日本に帰ってきたのかと思いました(気が早い)。

この後、羽田へのフライトで帰国しました。 機内は日本語話者多めだったのが印象的でした。

以上!

参考文献

  • [1] 關尾史郎 (1998)「西域文書からみた中国史 (世界史リブレット ; 10)」山川出版社 ISBN:4-634-34100-X
  • [2] 橋本秀美(2009)「論語 : 心の鏡 (書物誕生 あたらしい古典入門)」岩波書店 ISBN:978-4-00-028294-9

*1:展示品番号0511

*2:参考文献[1]p.20-p.21「随葬衣物疏とは本来は、死者が埋葬されるさいに身にまとっていた衣服やアクセサリー・調度品のたぐいを列挙した、いわば副葬品リストともいうべきものだが、中国仏教の普及にともなって、しだいに死者の来世での平安を祈願する意味をあわせもつようになったものである。」

*3:展示品番号 0518

*4:wechatミニプログラム「新疆博物馆」中の解説「文书中记述了原告曹禄山向西州长史控告被告李绍谨:在弓月城(今伊宁市附近)向其兄曹炎廷借了275匹绢(丝织品),从弓月城前往龟兹(今库车县)贸易。其兄曹炎廷也带着绢、牲畜和其他财物与李绍谨一同前往。但后来只有李绍谨一人到达龟兹,其兄去向不明。李绍谨就像赖账,不承认借绢之事,曹禄山因此与李打架,并且告之官府。高昌县经过多次审讯查实,李绍谨终于供出实情并答应清还本利。」

*5:展示品番号 0524

*6:参考文献[2]p.44-p.45

*7:展示品番号0527

*8:wechatミニプログラム「新疆博物馆」中の解説「从吐鲁番地区出土医方中可见,润燥以及解决肺气上逆引起的咳嗽居本地医疗之重。」

*9:展示品番号0528

*10:展示品番号0531

2024年新疆旅行17日目 : ウルムチ観光

トルファン出土、1000年以上前の点心! ここまで綺麗に残っているのは驚きです。

2024年シルクロード新疆の旅17日目(2024-09-27)の記録です。 この日は夜行列車でカシュガルからウルムチに到着し、自治区最大の博物館を丸一日かけて満喫しました(なお見終わってないので続きは翌日に。)。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

夜行列車から市街地に移動

駅に到着

朝8時頃、ぼんやり目覚めた頃に、「朝日が窓から差し込み...」という車内アナウンスがありました。 カシュガルが8時半以後夜明けだったので、それに比べるとだいぶ早く、東に戻ってきたことを感じました。 ちなみに車内アナウンスによると、カシュガルからウルムチまで1453kmで、そこを途中停車駅なしで走ってきたとのこと。 日本で考えると青森から山口がだいたい1500kmくらい*1だそうなので、けっこうな距離を1晩でかっ飛ばしてきたのが分かります。

9時過ぎ、ほぼ定刻通りにウルムチ駅に到着です。

中国名物(?)、出口までが遠い鉄道駅。

到着駅のウルムチ駅はかなり大きい上に新しかったです。 さすが自治区の首府。 ところで、中国の駅は「{都市名}駅」が鈍行の駅、「{都市名}{東|西|南|北|}駅」が高速鉄道駅、ということが多いのですが、ここウルムチでは「ウルムチ駅」が高速鉄道駅のようです。 逆にウルムチ南駅が鈍行の駅だった気がします。

さて、寒いです。 前日いたカシュガルは最高気温が30℃近くあった気がするのですが、今日のウルムチはなんと最高気温9℃との予報。しかも雨降ってます。 寒いです(2回目)。

朝食

駅前のバス乗り場近くに「公交餐厅」と書かれたお店があった(写真右端)ので、ここで朝食。

豆乳 + 油条の中国北方の伝統的(ほんまか?)朝食にしました。 ただ、油条が冷めてて悲しい。。。

他のお客さんが店員さんのことを帅哥と呼んでるのを聞きました。 店員側が客を呼ぶときの呼称だと思ってたのですが、客から店員さんに使っても良いのね。

BRT

連節バスのBRTに乗車し、中心市街地に向かいます。

ただ、専用車線というわけではなく、普通に渋滞に巻き込まれていました。 BRTとは...?

ウルムチ駅前の乗車時には普通の路線バスと同様に乗車時にQRコードをかざしたのですが、市街地中心部だと改札と専用の乗り場があり、乗車時には支払いの必要はないようです。 ここはBRTっぽい。

ここから少し歩いて目的地に向かいます。

途中、屋内の食堂(フードコート?)っぽい施設を見かけて気になったのですが、どうも大学の食堂だったっぽいです(地図を見たら新疆大学の敷地のようでした)。

新疆维吾尔自治区博物馆

ウルムチ市街地では一番の観光地(主観)、新疆维吾尔自治区博物馆にやってきました。

入場など

入場には予約が必要です。 平日にもかかわらずそこそこ混んでいて、朝一番の予約枠はもう埋まっていました。 身份证で予約した人は直接タッチすれば入場可能なよう。 パスポートで予約した場合は、窓口で紙チケットに引き換えてもらい、チケットのQRコードを機械にかざせば入場できました。

入場時に大きい荷物は預ける必要がありました。 ロッカーもあった気がするのですが、自分のバックパックはロッカーに入る大きさではないということで、係の人に荷物を預け、荷物につけたものとお揃いの番号札を渡してもらう方式でした。 なお、食品の持ち込みは禁止と言われましたが、後から見たら館内で持ち込みのものを食べてると思しき人もいたので、どこまで厳格かはよくわからないです。

ロビーはなかなかの混雑。 「ガイドいりますか?」と声をかけてきた人がいましたが、自分のペースで見たいので断りました。 隣のお兄さんはいくらか支払ってお願いしてました。 ただ、ロビーをよくよく見てみたら「禁止个人或团队私自收费讲解」という注意書きがあったので、たぶん非公式の闇ガイド?だったのかも。

なお、自動音声ガイドもあるし、カウンターで公式のガイドさんもお願いできるようです。

展示構成

全体の展示構成は写真参照。

新疆は乾燥した地域だけあり、他の地域では残りにくい有機物も多く保存されています。 そのためか、服飾・出土文献・ミイラと、それら専用の展示室も設けられています。

服飾の展示から見始めたのですが、展示が多すぎて見終わらないことに気付いたので、まず全部の展示室をざっと早歩きで様子見だけしてみました。

  • 1階の国博展示室(1号展示室)は閉鎖中。
  • 1階のもう片方の展示室(たぶん2号展示室)は、いわゆる赤い展示。
  • 3階の出土文献の展示は目に見えて他より人が少なかったです。
  • 文字のない時代にはあまり興味がないので、先秦時代の展示はすっ飛ばすことにします。

ということで、見たい展示室を絞って見ていくことにします。

なお、私は好みが文字や言語に偏ってるので、じっくり見たりこの後の記事で取り上げたりした展示品も偏っています。 バーチャルツアーもあるので、偏りなく見たい方にはこちらがおすすめです https://www.720yun.com/vr/8f7jzghOuf1

服飾(第3展示室)

上の2点はいずれも春秋時代のものとキャプションに書かれた品。また、どちらも「毛」とキャプションに書かれていたので、毛織物のようです。 他にも夏と書かれていたものもありました。

これら漢代より前の展示品はいずれも柄などは地味目ですが、そもそも2000年以上前のものがここまで綺麗に残っているだけで驚異的です。

このへん私は全く知見がないのですが、織り方も分析対象のようです。 時代や地域によって織り方が変わるなどあれば、様式の比較・分析など面白そうです。

漢代のものになると、細かな柄の入ったものが増えてきます。 こちらはニヤ出土の品。

近づいてよく見ると、文字、というか漢字が記されていることが分かります。 今とは字体が違いますが、「王」「合」「秋」とかは一応読めますね。キャプション曰く「王侯合昏千秋万岁便宜子孙」と書かれているとのこと。 中央の「王」から左に進む文字列はそのまま読めそうですが、右に進む文字列はどうも文字の向きが上下逆で、反対側から眺めて読むようです。 「王」という文字の対称性を活かしたデザインで面白い。

この展示室で一番印象に残ったのはこちら。

近くで見ると、男性の裸体像が描かれているようです。 なんだかヘラクレスっぽくて、もしかしてギリシャ文化の影響とかあるのかも?と想像されました。 グレコ・バクトリア王国が今のアフガニスタンあたりにあったので、もしかしたらありうるのかも?

唐代についての展示は、布製品そのものよりも、当時の服飾の様子がわかる俑が中心。 展示構成上たまたまなのか、当時の服の実物があまり残っていないからなのかは気になるところ。

宋~元時代の帽子。 手前上部の突起状の飾りや、周りの毛皮が印象的です。

明清時代までくると、もう出土品ではなく、綺麗な伝世品がメインです。 ウズベキスタン見かけたドッピと類似した品もありますが、より尖ったものもあり。 パミール高原ツアーではキルギス族の方が尖った帽子を被っているのを見かけたので、もしかして民族や文化圏による違いだったりするのかも?

文物展 : 先秦(第7展示室)

注 : 後の節も含め、文物展は翌日にもう一度少し見たので、ここに載せた写真には翌日のものも一部混ざっています。

基本的に文字記録がある時代に興味があるので、先秦はざっくりとしか見ていません。

こちらは「蘑菇状立耳圈足铜鍑」。 今から2500年前~2200年前の品とキャプションにありました。 このような鍑(ふく)と呼ばれる調理器具は草原の遊牧民が用いていたものだそうで、この旅や以前の中国西北部の旅でも何度も見かけましたが、今回のものは今まで見てきたものに比べて装飾が目立つように思います。 青銅の鍑というだけで高価なものだそうなので、ここまで装飾されたものとなると、かなりの贅沢品で地位の高い人が用いていたとか、はたまた実用品というよりも飾ったり儀式に使ったりするものだったのかも? amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

ちなみに公式ミニアプリの解説によると、鍑の分布は西はヨーロッパのドナウ川流域、東は中国の黄河流域と、かなりの広範囲にわたっていたとのことです。

パネルですがけっこう驚いたのは、新疆の先秦時代の墓からタカラガイ?が出土していること。 当たり前ですが海から遠く隔たった当地でタカラガイが採れるわけはないので、沿海部からはるばる人の手で運ばれてきたと思うのですが、その距離に気が遠くなります。 似た系統の話としては、日本でも縄文時代に神津島の黒曜石で作られた石器が広く分布していることを思い出したりしました。

文物展 : 秦~唐(第8展示室)

秦~漢

ニヤ出土の小さな小さな印鑑。 底面に刻まれた文字は「司禾府印」だそうで「禾(穀物を表す)を司る」役所を表しており、漢代の内地からの屯田機構がこの地にも置かれたことを示唆しているようです。

文字好きなので、どこの博物館でも石碑と出くわすとついついじっくり眺めたくなります。

とは言え、欠けている部分も多く、文字もあまりくっきりとはしていないので判読は難しいですね。。。 解説パネル曰く、こちらの「裴岑纪功碑」は、後漢の永和2年(西暦137年)の敦煌太守の裴岑の戦功を記したものとのこと*2。 パネルに写っている部分は展示品の石碑よりも大きく、どういうことかと思って調べたら、清代に何度か拓本が取られている*3とのことなので、おそらく写っているのはそれらの拓本のどれかで、拓本が取られた後に石碑が損傷したものと思われます。

あとは実物はここにはないですが、漢代の隷書の石碑として非常に有名な「曹全碑」について、パネルで紹介がありました。 実物は前に西安碑林で見ていて、そうか、あの石碑に書かれた疏勒(カシュガル)も今回の旅で訪れたのかーと思うとなんだか感慨深いです。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

他にも、漢代の西域の各都市・地域からの出土品が並びます。

特に気になったのが、ニヤのこちらの簡牘(木簡)。 簡牘本体とカバー(「検」)と封泥、と中国の木簡(のうち、手紙のような目的で用いるもの)あるあるの見慣れた形です。

ちなみに簡牘についての話はこのへん参照。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

で、大事なのは、記されている文字が漢字とは全く別の文字である、ということ。 解説パネルには「佉卢文/Karosthi Inscription」とあり、カローシュティー文字/カロシュティー文字とのことです。 もともとは現在のパキスタン~アフガニスタンあたりで使われていた文字で、後漢に相当する時代にタリム盆地に伝播してきたそうです*4*5。 自分が数日前に訪れたばかりのワハーン回廊(入口)やパキスタン国境の峠、それらを越えてきた人々がこの文字を伝えてきたのだと思うとなんともワクワクします。

肝心の中身ですが、上の写真の中央下の簡牘については、キャプション曰く土地の売買契約を記したものだそうです。 当時の鄯善の王の紀年が記されており、王の系譜などの研究にあたって大事な情報だとか。

トルファン出土の金製品いろいろ。

右上の品、動物闘争文はこのあたりの時代の遊牧文化圏あるあるのモチーフだと思うのですが、前に似たもの見たことあるなーと思って帰国後に確認したら、去年訪れた甘粛省博物館で見かけていました。 あまりにも酷似していてびっくりです。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

こちらの記事によれば、シベリアでも類似した品が見つかっているそうで、分布域の広さにも驚きます。 忘れへんうちに Avant d’oublier: 第五十八回正倉院展で時候のものは白石鎮子

漢代の展示でひときわ人だかりができていたのがこの展示品。国家一级文物です。 品物自体は弓矢を射るときに腕を保護するための物だそう*6。 瑞獣と思しき絵柄も美しいですが、織り込まれた「五星出東方利中国」の文字列が、この品をひときわ特別なものとしているのではないかと思われます。 砂時計のような形の時は「五」の古い字体(解説パネル曰く小篆。台東区立書道博物館の展示で見かけたので、ギリ分かる。)。 博物館公式wechatミニプログラムの解説いわく、「五星」は水星・金星・火星・木星・土星の5惑星を表し、錦に用いられた五色もこれに対応しているとか*7。

魏晋南北朝

時代が下って魏晋南北朝時代になると書写材料として紙が普及し*8、紙の文書が残されるようになります。

こちらはブドウ畑の小作について記した文書とのこと。 一行目、「...銀銭?文租...」と読める気がして、確かに小作とか賃貸借っぽいですね。 ただ、ブドウ畑についてのものであることは私には読み取れず。。。 この文書が当時どのような役割を持っていたのかなど気になります。

出土地はアスターナ古墓、ということで、この旅前半で訪れたときの伏線回収: amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

こちらもトルファンの墓出土の、西涼時代の「秀才対策文」。

中国史で「秀才」というと、科挙か?と一瞬思ったのですが、西涼なので時代的にはまだ早いですね*9。 とは言え、やはり官吏登用制度における試験に関連した文書ではあるようで、推薦された候補者(「秀才」)に対して課された試験(「策試」「策問」と呼ばれる)の解答文、という意味で「対策」ということのようです(要出典)。 詳細についての論文はこちら https://sekio516.exblog.jp/33967416/ に記載があるので、確認したいときはこのへんの中身を見てみたいところ。

文面を見ると、

  • 「臣諮言..」とか「涼州秀才臣馬?言...」など、回答者の書き出しらしきものが読み取れます。
  • 「頓首死罪死罪」というのも何箇所かに見えて、確かへりくだるときの定型句だったはず。
  • 写真2枚目の最初の方には「智伯之?晋湯城」「水深九丈城高五丈」とあり、春秋末期の晋陽の戦いの水攻めの話のようです(要出典)。「歴史・故事を踏まえてあなたの考えを述べなさい」みたいな出題形式だったのだろうと想像されます(たぶん)。

ところでこの2件の文書、一部しか残っていない割には、虫食いとか腐食とかでボロボロになった感じではなく、綺麗に切り取られたような形をしています。 なんでだろと一瞬思ったのですが、おそらく人為的に切られたものかと思います。 というのも、(これらの文書についても該当するかはわからないのですが、一般論として)不要になった紙が副葬品を作るために再利用された*10*11そうで、おそらくこれらの文書も副葬品を作るときに切り貼りされたのではないかと思われます。 紙でできた副葬品の例としては、たとえば、トルファン博物館で紙でできた靴を見ました。

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さて、さきほどの秀才対策文は大人の官吏登用試験のものでしたが、こちらは子供向け?のもの。 前漢に成立した識字教科書「急就章」(または「急就篇」)です。

よく見ると本文の間に割り注が入っています。 左上の紙片の「駒」の下を見ると「小羊曰羔」とあり、たぶん「羔」の文字の解説でしょうか。 その隣の「詩云乗馬...」というのは詩経の典拠についての話かなーと思うのですが、文字を学び始めた子供向けの注にしては難しいことを言っている気もします。

さて、この時期は各地で石窟寺院が開削されるなど、仏教が盛んになった時期でもあります。

こちらは仏舎利を納める容器。 上野の東京国立博物館でもクチャのスバシ故城出土とされる舎利容器を見たことがあり、形(円筒の上に円錐が乗っている)が非常に似ているのが印象的です。

ホータン出土の壁画。

他にも、仏教経典の写本や、キジル千仏洞の石窟の実物大模型などもありました。

ちなみに仏教一色だったわけではなく、この符が示すように道教や、あと展示品があったかは覚えていないのですが、祆教(ゾロアスター教)も信じられていたそうです。 上の符、公式wechatミニプログラムの解説によると「急急如律令」と書かれているとのことで、確かに最後の行の最後の方、「如律令」とも読める...?

隋唐

木造建築の模型。 柱や梁、斗栱(組物)の構造がよく分かります。 古建築のこういった構造を眺めるのが好きな人間なので、これには思わずテンションが上がりました。 漢代の陶製の塔や家などは副葬品でよく見られるのですが、ここまで構造がわかりやすいものはあまり見たことが無い気がします。 キャプション曰く 唐代の「亭台式建筑」の姿を伝える唯一の品だそうです。

調布。当時の税の「租庸調」の「調」として徴収された布のことです。 ちなみに、東京の調布市もこれが名前の由来だったはずです(要出典)。 面白いのが、地名が入ってること。右上には「宣州」と記されています。キャプション曰く「宣州溧陽縣」のものだそうで、「宣州」の下にうっすら見える文字は「溧陽縣」に見えなくもない...? 雑に調べた限りでは、「宣州溧陽縣」は今の江蘇省にあったようで、海の近くの地域から、ここまで遠路はるばる運ばれてきたと思うと興味深いです。

いわゆるシルクロードと呼ばれる交易が盛んだったことで知られますが、人々も決して自由に移動できたわけではないようで、「過所」と呼ばれる通行証を発行・携帯する必要があったそうです。 こちらに展示されているのはその「過所」の例(ただしどちらも複製品。)。

末尾の「伊州刺史 張?」は役所の長の名前。 真ん中あたりの「康禄山」は人名っぽい。「康」はサマルカンドあたりの「康国」を由来にした、ソグド人あるあるの姓。「禄山」は安史の乱で有名な安禄山も同じ名前でしたね。 その次の行には「驢拾頭」とあり、おそらく引き連れている驢馬のことかと思います。けっこう細かいことまで書くんだなー、旅の途中で驢馬が死んで減ったり、逆に新しく買って増えたりしたらどうするんだろ、とかいらん心配をしてしまいました。

上で取り上げた文書類は主に漢語のものでしたが、他にも様々な言語と文字の文書が展示されていました:

ホータン語/コータン語の木簡、

サンスクリット語(ブラーフミー文字)文書

吐蕃語(古チベット語)木簡

クチャ語(ブラーフミー文字)の文書。

文字好きとしては多様な文字の出土品が一堂に会するだけでもワクワクする一方、漢語文書と違って全く読めない、というかそもそも文字の判別もできないのは悔しい気もします。いつか学んで読めるようになる日が来るかなあ。 あと、唐代でも紙と木簡が併用されているところも気になりました。目的によって使い分けてるとかだったら面白い(単に地域の違いとかかもですが。)。

この博物館の展示品の個人的ハイライト、唐代の点心!!! キャプション曰く小麦粉で作られているとのこと。 トルファン博物館でも似たものを目にしましたが、こちらの物の方が綺麗な気がします。 1000年以上前の加工食品がこんなに綺麗に残ってると思うと改めて驚かされます(やっぱり乾燥してるからかな)。 常温でパンを放置したら1週間でカビが生えるような気候に育った人間には俄かには信じられない。。。

右奥のは餃子っぽいです。

左手前の四角形の品は層状の構造が見て取れます。 パイ生地とまでは言わないまでも、1000年以上前にこのような食品を作る技術があったことが興味深いです。 たぶん、油を塗った生地をたたんで伸ばして、を繰り返してたのかな。 「斉民要術」等に製法とか書いてたりしないのか気になるところです。

さきほどのは完成品ですが、食品を加工する人々の姿も残されています。 キャプションには「这是一组从事簸粮、舂米、推磨、烙饼等家务劳作的妇女形象。」。 一番左の人物は搗き臼のようなもので穀物を搗いているようで、その右の人物は箕で穀物本体とゴミや殻を選り分けているっぽいです。 がしかし、たぶん米ではなく麦のはずで、麦の加工工程は米とは勝手が違うので、このへん私はよくわかっていないです。

その右は石臼で製粉をしているようで、

最後に一番右の人物は生地を伸ばしているようです。

他にも様々な俑が展示されていました。 左は雑技?の演者、右はユーモラスな踊りを舞う人のよう。 上の人物はポロに興じる様子を象ったものだとか。

こちらは顔だけ動物の、ユーモラスな印象の俑。「生肖」と書かれていたので、顔の動物は十二支の動物たち。 西安の博物館でも似たようなものを見たのですが、どういう意図で作られたのか気になります。

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後はやたらときれいな絵画もあったのですが、これはほんまに当時のもの...?(複製品とは書かれていないですが、流石に綺麗すぎて複製品な気がしてます。 後者に描かれている半人半蛇の人物(?)は伏犠と女媧。それぞれ手にコンパスと直角定規を持っており、漢代からこれが定型表現だったはず(要出典)。また、右側のひしゃくがたの模様は北斗七星とかでしょうか? だとすると、周囲に描かれた白丸は星星を表してるのかもしれません。

昼食

この時点で午後2時半ごろ。 キリが良いので、館内のカフェで昼食にします。 と言っても、あくまでカフェで、飲み物とデザート以外はサンドイッチとベジプロフと軽食だけしかありませんでした。

今回はサンドイッチ(22元)で。 うーん、ちょいぱさぱさか...?

文物展 : 五代~清(第9展示室)

五代~金

高昌回鶻・于闐・カラハン朝・西遼(カラ・キタイ)など、様々な王朝が興亡する時代に入ります。

それらの王朝の品々が展示されているのですが、特に気になったのが、複製品ですが、これ。 「勑(勅)」と大きな漢字で書かれる一方、その上にはホータン語が書かれています。于闐王から唐の沙州節度使にあてた文書で、カラハン朝との戦役での勝利を報告するものだそう。なお、宛先の節度使は于闐王から見るとおじにあたるそうで、言語にも血縁関係にも当時のなんとも複雑な情勢が現れているようです。

こちらはランプ。 ただ、この形は東アジアというよりはもっと西の方、イスラーム圏の造形に見えます。 もっと口数の多いものですが、この旅の翌年にアルマトゥで見たものが近い気もします。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

回鶻文字が記された板と杭のような謎の物体。 何の用途か不思議に思ったのですが、杭の方は、仏塔を築くときに定礎?として用いたものだそうです*12。

元~明

墓からの出土品などの展示もあったのですが、言語・文字好きなのでそれよりもパネルの展示の方が気になりました。

言語好きとしてはたまらない、当時の言語間の関係についての資料が(パネルですが)ありました。 ここに示された「高昌館課(または高昌館来文)」「高昌館雑字」は、明代の「四夷館」という国家機関が編纂した、漢語と回鶻語の対訳文集・単語集だそうです。 気になったのは、どうも回鶻文字を用いていると思しきこと。明代ともなるとアラビア文字表記に取って代わられているかと思ったので、少し意外でした。

「高昌館雑字」の方を見てみると、右から回鶻文字、漢字、回鶻語の音の漢字表記になっているようです。 私は回鶻文字は全く読めないですが、「天」の左に「騰克力」「騰吉里」などとあり、テュルク系の言葉で「天」って確かテングリみたいな音だったよな、というとこからの推測です。

西域から内地にやってきて活躍した人々の例。これも文化交流の歴史が好きな人間としては興味を惹かれる内容です。 特に科学史が好きなので、科学技術に広く貢献したと書かれてる阿鲁浑萨理や、農書「農桑衣食撮要」の著者の鲁明善、医学書「御製飲膳正要」の著者の忽思慧あたりは特に気になる。

拓本(のコピー?)ですが、亦都护高昌王世勋碑。高昌回鶻の歴史と、その元代での戦功について記した石碑だそうです。 で、武威で発見されたとあり、なんか見たことあるのでは?と思ったら、以前の旅で武威の文廟を訪れたときに展示されてるのを見てました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

元代の景教(キリスト教ネストリウス派)の石碑。十字架と共に刻まれた文字はシリア文字だそう。 この旅行のもっと後の話になるのですが、アニメ「天幕のジャードゥーガル」でソルコクタニ(チンギス・ハンの息子トルイの妻)が十字架と共に礼拝するシーンがあったと思いますが、確かソルコクタニは景教の信者だったはず。 唐代の中国にも景教は伝わっていて、そのことを記した石碑(大秦景教流行中国碑」)も西安で見たのですが、確か中国ではその後衰亡したはずで、どういう経路でモンゴル帝国で広まったのかは気になるところ。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

清

基本レプリカですが、石碑がずらり。 そろそろ集中力が持たなくなってきたのでざっとしか見ていませんが、ジュンガル平定を記した石碑などがありました。 漢字と満州文字が併記されてるのは清代の石碑ならでは。

そしてさきほどは「石碑」と書いたのですが、なんか違うのもありました。 木に彫られた碑ですね。 木材なんてすぐにボロボロになるから文字を彫って残すには向かないのでは、と思ったのですが、乾燥した土地だと残りやすいのかもしれないです。

新疆でよく見かけた柄の絹織物、このための呼び名があることをここで知りました。 キャプションのローマ字表記はAdlais silkですが、ググった限りだと、Atlas silk / Etles silkの方が一般的なようです。 キャプションに北京故宮博物院とありますが、おそらく清代に献上品として北京に送られていたものを、展示のためにこちらに持ってきたのではないかと思われます*13。

歴史地理が好きにはとっても気になる、方志(地方誌)の展示。 歴史は好きなのですが、政治的な事件とか戦役とか偉人の功績にはあまり関心がなくて、「この頃のこの土地にはこんなものがあって~、人々の風習はこんなで~」みたいな話が大好きなので、昔の地方誌は自分の「古代漢語(漢文)が読めるようになったら読みたい文献」リストのけっこう上の方に入っています。 パネルの解説を見ると、表に「私人」多数あることからも分かる通り、私撰のものもたくさんあったところが興味深いです(趣味で書いたのか商売として書いたのか、後者なら買う人がどれくらいいて、どういう目的で読まれてたのか、などなど。)(日本でも『利根川図志』とか『江戸名所図会』とかは確か私撰だった気がする。)。

ホテルに移動 + 夕食

バスに乗って移動してホテルにチェックインします。

夕飯にはまだ早いけど、朝もお昼も量が足りなくてお腹が空いたなー、ということでホテル近くの小さなお店で煎饼果子を買ってきました。 何も考えずに「全家福」(全部乗せ?)20元を頼んだら想定の2倍くらい大きいのが出てきてびっくりです。 ちょっと辛いですが、美味しくいただきました。 昼食のサンドイッチよりほんの少しお安く、味と満足感は遥かに上じゃ。

しばらくホテルでまったりし、夕飯の時間になったので外に出ます。

煎饼果子がけっこうがっつりだったので夕飯はさっぱり軽めに、ということで、海老餃子のチェーン店に。

餃子は海老がぷりぷりで美味しかったです。 だがしかし、皮は自分で(生地こねるところから)作ったもののほうがぷりぷりな気もする。

周りのお客さんは餃子以外にも海鮮メニューをいろいろと頼んでいたので、つられて自分もホタテを追加注文。 こちらもとても美味しかったです。 あと、そもそも海鮮料理は久々かも? 合計31.2元(と言いつつ、会計は注文一品一品ごとに行う形式でした。)。

地味にびっくりしたのが、店内に生け簀があったこと! というのも、ここウルムチは世界で最も海から遠い都市で、最も近い海岸線から2500kmも離れているからです*14。 さすがに海から運んでくるのは大変すぎる気がするので、陸上で養殖かな(それも人工海水を用意するのがかなり大変な気がしますが。。。)。

ホテルへの帰り道で、さきほど行ったのとは別の煎饼果子のお店を見かけました。 偏見かもですが、煎饼果子って、小さいお店や屋台などでおじさんおばさんが1人でやってるイメージだったので、こういった小綺麗なお店というのは少し意外感がありました。

無印良品、ではなく、MINISO(名創優品)、でもなく、長田優品なるお店。 これは初めて見かけました。 無印良品に似せる路線かと思いきや、ハングルがロゴに入ってるのも少し不思議ですね。

翌日に続きます。

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参考文献

  • [1] ヴァレリー・ハンセン(著), 田口未和(訳) (2016)「図説シルクロード文化史」 原書房 ISBN :978-4-562-05321-6
  • [2] 冨谷至(2014)「木簡・竹簡の語る中国古代 : 書記の文化史 増補新版 (世界歴史選書)」岩波書店 ISBN:978-4-00-026859-2
  • [3] 冨谷至・森田憲司[編] (2016)「概説中国史 上 古代-中世」昭和堂 ISBN: 978-4-8122-1516-6
  • [4] 關尾史郎 (1998)「西域文書からみた中国史 (世界史リブレット ; 10)」山川出版社 ISBN : 4-634-34100-X

*1:google mapsで自動車の経路検索をして出てきた距離

*2:戦功が永和2年のもので、石碑の時代については不明?

*3:百度百科「裴岑纪功碑」https://baike.baidu.com/item/%E8%A3%B4%E5%B2%91%E7%BA%AA%E5%8A%9F%E7%A2%91、「《裴岑纪功碑》的拓本主要有3种: ①雍正时初拓本 ...(略)...②嘉庆、道光年间拓本。...(略)...③清末民初拓本」

*4:展示パネル「东汉后期,佉卢文传入鄯善、精绝、于阗等绿洲城郭,在5世纪前后消亡。」

*5:参考文献[1]p.49-p.50(クロライナ王国についての文脈で)「わたしたちがこの王国の人々について少しでも知ることができるのは、西の山脈を越えてこの地にたどり着いた移民たちが、カロシュティーの文字体系をもちこんだからにほかならない。」「移民たちは現在のアフガニスタンとパキスタンにまたがるガンダーラ地方からやってきた。」

*6:解説パネル「为古代射箭时所用护臂(射褠)」

*7:「织锦织造以白、青、黑、赤、黄五色丝线见出,对应“五星”的吉祥语和星纹设计,呈现与金、木、水、火、土五行的密切关联」

*8:このへんの詳細は参考文献[2]の6章など参照

*9:参考文献[3]概説中国史p.216「後世、「科挙」として歴代王朝の官吏選抜システムの根幹をなす制度が創始されたのは、隋・開皇年間のこととされる。」

*10:参考文献[4]p.21 (随葬衣物疏について述べた後に)「しかし文書の大部分は、二次利用されて墓におさめられていたものである。具体的にいうと、死者が身にまとう紙靴、紙帽、さらには紙帯などに裏打ちとして利用されていたもので、このなかでは紙靴に利用されていたものがもっとも多く、靴の底面や側面のかたちに裁断されていた。副葬品の俑の腕の芯とされていたものもあった。しかし一番注目されるのは、アスターナ五〇六号墓から出土した紙棺(二三頁参照)であろう。墓主である張無價の亡骸をいれた棺自体が廃棄された文書を貼りあわせてつくられていたのである。」

*11:参考文献[1]p.20「文書の多くが現存しているのは、かつては紙が貴重なもので使いすてにされなかったからだ。職人たちは紙を再利用して来世へと旅立つ死者とともに埋める靴、像、張り子の副葬品などを作った。」

*12:公式バーチャルツアー https://www.720yun.com/vr/8f7jzghOuf1 9号展厅18「依据出土位置可以判定是修建佛塔时,用以奠基的木杵。」

*13:wechatミニプログラム「新疆博物馆」の解説「在清代,艾德莱丝绸作为贡品之一被运送至京城。」

*14:Guiness World Records https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/65051-most-remote-city-from-the-sea

2024年新疆旅行16日目 : カシュガル観光

喀什古城の裏通り。観光客向けのお店が並ぶ表通りとは異なり、人の生活の空気を感じられた気がします。

2024年シルクロード新疆の旅16日目(2024-09-26)の記録です。 この日はカシュガル最終日、博物館で歴史に触れ、喀什古城や町中をゆるゆると散歩します。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら

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喀什博物馆

カシュガル3日目ですが、やっとカシュガル博物館を訪問。 市街地中心部からはやや離れており、タクシーで行きました。 一応、予約が必要。

展示室はいくつかあるのですが、2階の「喀什文物陈列」がメインかと思います。 パネルの解説はナショナリズムがほとばしる感じですが、そのへんは流していきます。

手前の品は、「春秋時代」の鍑(ふく)と呼ばれる調理器具。 ユーラシア草原の遊牧民の間で広く用いられたそうで、この旅や以前の旅の博物館でたびたび見かけました。

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キャプション曰く、カシュガル地区ではこの1点しか見つかっていないそうで、少し意外かも。

こちらの展示室の中央に置かれた壺は、確か「镇馆之宝」と呼ばれてた気がする、「北朝時代」のもの。

全体的にモチーフが西方の様式な気がします。 持ち手の上の人面はひげが印象的だし、側面の人物像はインドっぽい?気もします。

唐代あたりのレリーフ。 解説ツアーの解説を横で聞いた話によると釈迦がお粥を飲んだ場面(たぶん、スジャーターの乳粥供養のこと)と言っていました。

仏教が盛んだったタリム盆地も、時代が下るとイスラーム教の勢力下に入ります。

こちらはそのことをわかりやすく示してくれる、アラビア文字の記されたコイン。 カラハン朝のもののようです。 キャプションには「桃花石可汗钱币」とあり、「桃花石可汗」はカラハン朝の王の自称だったそう*1。

一方で、漢字が書かれた硬貨もありました。 当地が異なる文化の境域に位置することが感じられます。

乾隆帝がジュンガル部を征服したことを記した石碑の文面。 石碑は北京の国子監にあるとのことです。

近現代のコーナーではここまでと少しが毛色が異なる工芸品なども展示されていました。 上の皿などは中央アジアらしい品々ですが、

このサモワールはたぶんロシアの影響かな。 グレート・ゲームの一端なのか、19世紀のカシュガルには確かロシア領事館が置かれていたと聞いた気がする(要出典)ので。

昼食

昼食はこちらの艾力扎提抓饭馆で。 前日までのパミールツアーでご一緒した広東夫婦の方からおすすめされたプロフのお店です。

店内は大賑わい。 よくよく見たら、大众点评で「喀什地区美食热门榜 第1名」と書かれてました。 そら混むわ。

抓饭(24元)を注文。 上に乗るお肉が意外と大きくてびっくりです。 美味しい上に量もあって嬉しい。あと、さっぱりした野菜のつけあわせがあるのもありがたいです。

お茶はバラの香りがした気がします。

周りで食べてる人が多かったので、ヨーグルト(3元)を追加注文。 酸味控えめですが、硬めでけっこう好みです。 これもしかしてビリヤニとライタのように、プロフと同時にヨーグルトを食べるものかな?と一瞬思ったのですが、周りを見るとそういうわけではなくて食後に食べるものであってるっぽいです*2

高台民居

バスで移動し、高台民居に向かいます。

ただ、私が地図を読み間違えたのか、バスを降りてからが大変で、歩道がない道を突破したりしました。。。

音楽イベントが開催される旨の看板があり、入口エリアではステージ設営などでが行われていました。

基本的にかなり綺麗に修復された建物が多く、写真映えする撮影スポットや、お土産屋や民芸品屋などが並んでいました。

奥の方に古い家(というか廃墟)エリアがあり、展望台のようなものが整備されて上から見れるようになっていました。 ピカピカの観光地と廃墟と、なんとも両極端。。。

喀什古城と散策

歩いて喀什古城の東門までやってきました。

表通りには観光客向けのお店が立ち並ぶ一方、

学校帰りの子供もたさくさん見かけたり

通り1本入ると観光客がほとんどいなくなってほとんど地元の方のみで生活感もあったり。

表通りの印象だと「古城ではなくテーマパークでは?」と突っ込みたくなったのですが、生活感のある一面も見ると一概にテーマパークと断じるのももしかすると違うかも。

再び表通りに。 屋台が立ち並ぶ通りでした。ラグビーボール型のメロン(というかハミ瓜?)が印象的。

ザクロジュースの屋台。

このあと夜行列車が控えてたのでお腹を心配して何も買わなかったのですが、帰国後この写真を見て後悔してます。。。次行くときはもうちょっと食に貪欲でありたい。

カシュガルで何回か見かけてるこちらの果物、最初は形がみかんっぽいから柑橘系かと一瞬思ったのですが、正体はいちじくでした(无花果と書いてありました。)。 日本で見るいちじくとは異なり、扁平な形なので、やや意外でした。

古城の外はあんまり歩いてなかったなーと思って、近くの繁華街も少々散策。

一見すると中国のよくある地方都市ですが、看板はウイグル語もあり。

スマホのバッテリー残量が心もとなかったのですが、今夜は夜行列車なのでモバイルバッテリーはまだ使いたくない、ということで、ミルクティー屋さんで休憩しながら、美团充电にお世話になりました。 wechatの信用スコアがなかったのでデポジット必要ですが、無事に借りれました。

前日に引き続き、結婚式のものと思しき車列と遭遇しました。 先頭に音楽を奏でる車、次に撮影用のカメラを後ろ向きに構えた車、最後に新郎新婦が乗っているであろう花で飾られた車、と3台構成でした。(もしかしたら前後の車にも関係者いるかもしれないけど。)

今回はズルナっぽい楽器も見えました。

喀什古城に戻ります。 レンタルバッテリー、借りた場所以外で返せるのはほんと便利なのですが、観光地だけあってか古城内では100mも歩かないうちにレンタルバッテリーステーション?に何個も出くわして、ほんとうにこれだけ大量に設置して儲かってるのか?と少し心配になりました。

観光客で大繁盛してるお店があり、なんだろうと思ったらナン屋さんのよう。 「爷爷的爷爷的爸爸的馕」という店名が本当のことかどうかはさておき、眼の前で生地を伸ばしてナンの形にし、はんこのような道具で模様をつけ、ごまや塩を振り、手際よくタンドールに貼り付けていく様は興味深かったです。 特に気になったのは、タンドールに入れる前にナンの裏に水?を塗っていたり(たぶん、タンドールに貼り付けたときに剥がれにくくなるから?)、タンドール窯に貼り付けるときにはナンは手で持つのではなく分厚い円盤状の道具に載せてから貼り付けてたり(手で持つには大きいし柔らかい)したところ。

ナンもプレーンだけでなく、いろいろな味付けのものがありました。

音楽が聞こえたので行ってみたら、カフェ?の外で音楽の演奏をしてて、普段着のおじさん2人が踊ってました。

別のところでは、ショーと思いきや観光客も巻き込んで踊ってたり。見るからに内地からの観光客っぽいけどやたらと上手い人もいました。 踊れる人多いなと思ったけど、もしかして新疆に限らず广场舞とかで気軽に踊る文化があるからとか?

夕飯にサモサをいただきます。

こちらのお店のは塩気強めだった気がします。 お茶もついてきて、やっぱり熱いお茶と食べると何割増しかで美味しい。

観光地じゃなくて日常生活っぽい場所も訪れたいなーと思って、人民公園にもふらっと行ってみました。

カードゲーム(たぶんトランプ)や

卓球に興じる人々を見かけました。 前から思うのだけど、中国の公園の野外の卓球台、これずっと出しっぱなしなのか、夜や雨の日には屋内にしまうのか気になります。 さすがに出しっぱなしで雨ざらしということも無い気がするけど、毎日動かすのも大変そう。

音楽が聞こえてそちらに向かうと、やはり踊る人々もいました。 广场舞は中国で広く見られる文化だと思いますが、やはり新疆、音楽は中央アジア寄りのものでした。 その横で、道中の果物屋さんで買ったぶどうをつまみながら、しばしまったりします。

夜行列車

まったりしすぎて時間に余裕がなくなってきたので、当初は路線バスの予定だったのを、タクシーで駅に向かいます。

駅についたのは、発車時刻の50分前。タクシーのおかげで意外と余裕を持ってつけました。

5日前にカシュガルに着いたときも夜行列車で、今日ここを発つのも夜行列車、と思うとなんだか感慨深い気がします。

駅到着時にはまだ明るかったのですが、改札が始まる頃には外も暗くなっていました。ちなみに日が沈んだのは21時くらい。

今回も软卧です。 いよいよ今回の旅の終着地、新疆の首府、ウルムチへと向かいます。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

*1:現地解説パネル「在中国历史上割据动荡的五代宋辽金时期,喀喇汗王朝多次朝贡,其首领自称“桃花石可汗”」。

*2:ただ、私含め観光客が多かった気がするので、地元式かどうかは不明。

山本冴里(2025)「8週間語学の旅」KADOKAWA

書誌情報など

  • 書名 : 8週間語学の旅 : 水先案内人はずれっちと様々な言語の海へ
  • 著者 : 山本冴里
  • 出版社 : KADOKAWA
  • 出版年 : 2025
  • ISBN : 978-4-04-606948-1

https://www.kadokawa.co.jp/product/322403000227

紹介・感想

「どこかへ行くと、3日目から現地のかたと、現地の言葉だけで話します。」と紹介される[p.2]著者*1が、自身が大学で行っている講義をなぞって読者を語学学習に誘う本です。 この講義がまた独特です。 語学の講義と言えば普通は「教員が知っている言語を教える」ものですが、この講義はさにあらず。 学生たちそれぞれが学びたい言語(教員が知らないものも含む)を挙げ、同じ言語を学ぶ学生どうしで協力しつつ、教員が伴走者として支える、という形式なのです[p.14-p.15]。

とは言え、学生に丸投げするわけではもちろんなく、見知らぬ言語にどうやって親しんでいけば良いかの汎用的なステップ・課題を毎週提示しています(これは本書第1部)。 基本的で汎用性の高い単語(疑問詞や数字、所有の動詞など)を覚える、という、シンプルに覚えるタイプのものもあれば、観察・予測などを求めるものもあります。(e.g.)複数の単語を目標言語の辞書で調べて法則性を見つける、自動翻訳を使って否定・疑問のマーカーを見つけて自分で文を作ってみて答え合わせする、など。

また、これらの課題に取り組むためのトレーニングとして、見知らぬ言語の言葉を観察・分析して自分で発見をするための様々な例題を講義の中で提示しています(これは本書第2部。ということで、読者としてはいきなり第1部の内容を実践するのではなく、実践前に第2部を読んだほうが良いと思います。)。 特に印象に残ったのが、月曜日・火曜日・...・日曜日のハングル表記をランダムに並べて、日曜日はどれでしょうか?と問いかけた問題[p.161]。恥ずかしながら分からなかったのですが、解説を見て思わず膝を打ちました。あとは、ベトナム語の単語の意味を推測する問題[p.170]では、漢語の多さに驚きました。 他にも、自力で発見することの楽しさを様々な言語の例で体験でき、読んでいて知的好奇心を刺激されました。ここは言語学オリンピックの問題に似ているかもしれません(私も言語学オリンピックは受けたことはなく、問題集を見ただけですが。)。

さらにおまけ編では、実世界での看板を観察して分かることを紹介しており、実践編として面白い。自分の旅先でもやりたいですね。

なお、本書全体としては、自力での発見一辺倒というわけではなく、そこはバランスを取っています:「活用を、ひとつひとつの様々な例から帰納的に把握していくのはやめましょう。必要な労力が大きすぎます。(中略)細かな活用の把握については、先人の知恵や工夫(まとめや、あれば反復練習のためのドリルなど)に頼ってください。」[p.52]。

学生さんのフィードバックコメントも引用され、講義の生き生きとした空気が伝わってくるようで、読んでて「自分もこの講義に参加したかったなー」と思ってしまいました。 自分の語学学習は基本的に文法メインで教科書を頭から読んでいくスタイルなのですが、若干受け身すぎる(自ら発見する楽しさが少なめ)のと、語彙が増えにくいので、この本の手法もぜひ取り入れていきたいところです。

「旅に行く前にはなるべく現地の言葉を学んでいきたい」、ということで今までいくつか言語をかじった話はこちら:

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*1:尤も、著者自身が認める通り、これはちょっと誇張。

2024年新疆旅行15日目 : パミール高原ツアー3日目

ムスターグ・アタの氷河

2024年シルクロード新疆の旅15日目(2024-09-25)の記録です。 この日はパミール高原ツアー最終日。 2日前にカラクリ湖から仰ぎ見ていたムスターグ・アタの氷河を間近で眺め、大自然のスケールに思いを馳せました。 いまだにあの氷の塊が流れるのが信じられない。。。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

移動

前日に同じく、朝9時(実質7時より前)にタシュクルガンのホテルを出ます。 パミールの山嶺が陽を浴びてて美しい。 昨日(の前半)と一昨日は南に走りましたが、今日は最終日ということで反転し、北に戻ります。

30分ほど走ると、この日の目的地が見えてきました。 2日前にカラクリ湖の湖畔から眺めたムスターグ・アタです。 2日前の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

初日に通りがかってるのにそのときは行かず最終日に行く理由ですが、ドライバーさん曰く、「標高が高い上に歩くので、高地に体が慣れた最終日に行くのが良い」(要約)とのこと。 確かに、タシュクルガンの町でも標高3000mを越えているようなので、この1.5日で高地順応できてそうな気がします。

ちなみに今日の行き先は少し歩くのですが、往々にして南疆*1の観光地は北疆に比べて体力がいらないことが多く、南疆に比べると北疆に来る観光客は高齢者が多いそうです。 北疆の観光地は草原を歩いたり馬に乗ったりすることが多くて高齢者にはきついとか。

ブレブレですが、外に見えたのは、なんと車道の端を走る馬! 観光用とかではなく、人々の生活の中で利用されているそうです。

一方、(写真は撮りそびれたのですが)トラックに載せられた馬たちも見かけました。 ドライバーさん曰く、こちらは氷河公園(この後の目的地)で観光客を乗せる馬が出勤するところだとか。

遠景の氷河を戴いた山と、近景の草地+馬、なんとも絵になります。

慕士塔格冰川公园

タシュクルガンから1時間ちょっとで、慕士塔格冰川公园に到着です! 上の方は寒いと聞いたので、着替えに持ってきたズボンやシャツを重ねました。 あと、サングラスも(単純に海抜が高く紫外線が強いのと、氷河からの反射も多いので。)。

中国の大規模観光地あるある、とりあえず最初はビジターセンターに入ります。 ちなみに、「高地なので3歳以下、60歳以上、基礎疾患(高血圧や心臓病など)のある方は入園禁止」との注意書きがありました。実運用がどこまでこの通りかはさておき、年取る前じゃないと行けないところってあるんだなと再認識しました。 ドライバーさんがチケットを購入してくださるのを待つ間、しばし待機。

模型があって、鳥瞰したときの概要をつかめます。 中央やや右、麓にある「游客服务中心」が現在地で、そこからシャトルバスで氷河の端のあたりまで登っていきます。 左に「国际登山基地」が見えるのですが、こちらは山頂を目指すガチ登山家の方向けのはず。私は雪山も登るのですが、7000m峰は想像もつかない世界ですね。

ということで、乗車。 このときは朝一番の第一便で人が少なかったからか、後ろに並んだバスではなく、バンでの移動でした。

乗車時間は意外と長く、15分くらいかけて標高を少しずつ上げていきます。 この道中の眺めも良かったです。がしかし、進行方向右側に座ったのに対し、反対側はムスターグ・アタを望めたので、上りは左側の座席の方がよさそうです(ということで、帰りはそちらが見える側に座りました。)。

バスの終点からは徒歩または馬で先を目指します。

ドライバーさんに事前に聞いた話だと800mくらい歩くので上りは馬、下りは徒歩がおすすめとのこと。 ただ、片道1人100元とそこそこ良いお値段がするのと、そもそも馬が朝早すぎてまだ来てなかったので、自力で登ることにします。 一緒のツアーに参加していた重慶女子は自力で登ったのですが、広東夫婦は馬を待つことに(ただ、鍵のトラブル?とかでこの日馬が来たのは11:30頃で、ご夫婦は上まで行くのを諦めていました。残念。。。)。

海抜が高くてきついけど、深呼吸してゆっくり登れば特に問題なく歩けました(登山と違って荷物もないのも大きい。)。

遠くに別の氷河も見えます。

だいたい20分くらいの登りで、一番上の氷河展望台に到着! 看板の海抜表示を見ると、バス終点からここまで標高差約100m程度でした。

近くで見ると、まるで岩山のよう。 近くの人間と比べると大きさも良く分かります。

氷河は「河」の字の通り流れるはず*2なのですが、目の前の氷の塊を見るとこれが流れるとは俄には信じがたく、時間スケールの長さに気が遠くなります。

遠くの氷河を眺めると、シワのような模様らしきものが見て取れました。

もしかして、眼の前のこの周期的な形も、同様に流れる過程でできたしわしわだったりするのかな。

溶岩表面にもしわのような模様ができるし、もしかしてゆっくり流れる流体には普遍的に見られる現象なのかな?と思ったのですが、後でざっと調べた限りでは原理が異なる気もします*3。

振り返って下を眺めても良い眺め。

もう少し近くで観察してみます。 横方向の縞模様はおそらく雪が降り積もったときにできたものかと思われます。 ちょっと面白いのは、右下あたり、岩(人の頭より大きいくらいのサイズでした)を巻き込んでいるところ。

こっちのほうがわかりやすいかも。 たぶんなんですが、氷河に押し流されてきた岩・石が、氷河が溶ける先端でこぼれ出てるところなのかな、と思います。 モレーンってこうやってできるのか。

改めて氷河の表面を見てみると、縦方向の模様が走っている部分もありました。 これは氷河表面が溶けたときの水によるものかな? そして触ってみると、完全に硬い氷です。これが流れるとは俄には信じがた(2回目

そろそろ良い時間になった + 馬に乗った一団も上がってきて人も増えてきたので、下り始めます。

観光客は馬に乗り、その前を人が手綱を引いて歩くのですが、この高地の上り坂にもかかわらず、私たちが普段の町中を歩くようなペースで歩いていらして驚きました。 ドライバーさんに聞いた話では、近くの村*4の方々が馬を引いてくださってるとのことで、やはり普段から高地に暮らしている方は違います。

馬は下りは空荷のこともあるよう(上りの片道でお世話になる人が多いので、それはそう)で、その場合は引いてた人が乗って下りていました。 やはり観光客を乗せてた時よりはペースが速く、山道で華麗に馬を操る姿はかっこいいです。

当然ですが上りよりはだいぶ楽なので、息も絶え絶え(?)に上る人たちとすれ違いつつ、バス乗り場まですんなり下山できました。

上りのときの反省を活かし、下りのバスではムスターグ・アタが見える側に座ったので、絶景を満喫できました。 しわのような模様や、全体的に枝分かれしてでろーん(語彙力)とした形から、確かに流れているようにも見えるので、間近に見たときとのギャップが印象的です。 見る空間スケールを変えると見え方が変わって面白いです。

隣に見えるゴングール山?方面。あちらもでろーんと氷河が発達していると思しき姿が見えます。

バスでビジターセンターに帰って来ましたが、帰りの集合時間までまだ時間があったので、ムスターグ・アタの勇姿をしばし堪能しました。

カシュガルへの帰路

3日間のツアーもいよいよ終わり、後はカシュガルへ戻るだけ。

とは言え、帰路の道中も絶景です。この日かどうかは覚えていないのですが、ツアー参加者の広東夫婦の旦那さんが「路上睡一觉,看不到一生的美景。」とツアー中に仰ってて、心から同意でした。

ムスターグ・アタを背景に草をはむヤク?の群れ。 後で写真を見返したときに気づいたのですが、牧夫の方の帽子はキルギス族などが被るタイプの帽子を被っていますね。 あと、写真は撮りそびれましたが、道中で犬も見かけました。野良犬などではなく牧羊犬だそう。

昼食の時間はないので、道中で日本から持ってきたカロリーメイトで栄養補給。 やはり高地だけあって、袋がパンパンに膨らんでいます。

水と緑に恵まれた眺めもあれば、

乾燥して荒涼とした眺めのところも。 降水が少なく河に水を依存するので、河から離れたときの差が激しいです。

一方で、同じ川沿いでも緑の気配のないところも多いです。 何がこの違いを生むんだろ?(ぱっと思いつくのは傾斜と流れの速さとか?)

白沙山白沙湖景区あたりを過ぎて、山間の道に入っていきます。

往路も通ったのですが、土砂崩れの復旧作業中のところも通りました。 今回は幸い通行止めになりませんでしたが、運が悪いと通行止めや渋滞などで数時間ロスするそうです。

だいたい4.5時間くらいのドライブで、17時前にカシュガル着! 現地時間の感覚だと15時前なので、だいぶ早めの到着な気分です。

順次お客さんを降ろして解散です。 広東夫婦は、明日も同じドライバーさんと1日ツアーとのことでした(行き先を聞いたはずなのですが、忘れました。。。)。 重慶女子はウルムチに夜行列車で帰るとのこと。初日は朝着の夜行列車から直行、帰りも夜行列車、でなかなかの弾丸旅行です。

夕食など

ひとまずホテルにチェックインします。 心なしか階段を歩く足取りが軽くなったように感じられます。「これが高地トレーニングか」と一瞬思ったけど、大して上で運動してないしこんな短期間で効くとは思えないので、単に上がきつかっただけな気もします。

夕飯はこちらのお店で。

ラグマンと、薄皮包子を頼みました。 薄皮包子が何かを知らずに頼んだのですが、

ウズベキスタンで食べたマンティと類似したものでした。 確かに中国の普通の包子に比べると皮は薄いので、尤もなネーミング。 具はかぼちゃとのことだったので、かぼちゃの方はつぶしたかぼちゃが餡になってるのかと思いきや、さいの目切りのかぼちゃが入ってで少しびっくり。 ピリ辛で、肉も少量入ってた気がします。

夕食後、ホテルに戻ったら太鼓の音が聞こえてきたので、外に見に行ったところ、車(ピックアップトラック?)の荷台で演奏する人たちがいました。 視認はできなかったのですが、ズルナのような音も聞こえました。

その後ろにカメラを構えた車、さらに後ろに花で飾られた車が続いていました。

ホテルの警備員さんに聞いたところ、ウイグル族の結婚式の始まりを告げるパレード?だそう。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

  • [1] 日本雪氷学会 監修 (2018)「新装版 雪と氷の事典」朝倉書店 ISBN:978-4-254-16131-1
  • [2] Slim et al (2009) “Surface wrinkling of a channelized flow” Proceedings of the Royal Society A

*1:新疆のうち南側の部分のこと。と言っても、トルファンあたりまでは含む気がします。対して北疆はイリあたりなどの印象。

*2:参考文献[1]「氷河は「重力によって長期間にわたり連続して流動する雪氷体(雪と氷の大きな塊)」と定義される.」

*3:参考文献[2]などでは、溶岩のしわは「粘性のある流体の上に、薄くて固いシートが乗っている」モデルで説明されていました。溶岩は表面が冷えて固まるためこのモデルが自然に思えますが、氷河の場合は「表面に薄くて固いシートがある」というモデルで説明するのは無理がある気がするので、おそらく違う原理なのではないかと思われます。

*4:確か5つ(?)の村が輪番

2024年新疆旅行14日目 : パミール高原ツアー2日目(クンジュラブ峠など)

クンジュラブ峠、パキスタンとの国境すぐそばの門

2024年シルクロード新疆の旅14日目(2024-09-24)の記録です。 この日はパミール高原ツアー2日目。タシュクルガンの町から出発し、さらに南下してクンジュラブ峠でパキスタンとの国境を眼前に眺めたり、ワハーン回廊の入口でアフガニスタンへと続く道に思いを馳せたりと、陸路国境を感じた1日でした。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食と移動

やはり(時計の上での)夜明けは遅く、写真は午前9時頃のもの。

8時半過ぎから朝食だったのですが、その時点ではまだ夜が明け始めたくらいの感覚でした。 朝食はバイキングは食器は使い捨てでメニューもシンプルなもの*1だったのですが、まあ標高3000m越えてるところだし、丹沢とかの山小屋よりは豪勢だなー、と思うと特に気にならず、むしろありがたいくらいでした。

9時過ぎに出発。 前日はカシュガルからタシュクルガンまで約290kmを走ってきましたが、今日はさらに100km以上南下します。

道中、前日に引き続き、ドライバーさんの身の上話なども聞かせてくださいました。

  • 甘粛出身の漢語話者ですが、ウイグル語をある程度話せるそう。カシュガルで生活するには、やはりウイグル語はある程度は必要とのこと。
  • かなりお酒を飲める方で、白酒を一斤?飲めるらしい。ただ、前と違って人に酒を進める文化はだいぶなくなったらしい。というのも、何人かで酒を飲んでそのうち誰かが亡くなったら(その場とかでなく家に帰る途中とかでも)、一緒に酒を飲んだ面子が賠償する必要があるからとか。
  • 実家は農家だけど、畑は今は人に貸してるらしい。借りた人は漢方薬の栽培をしていて、ちょうどCOVID19が流行ったあたりに板藍根を栽培してたのが大当たりしてかなり儲けたらしい。

進行方向右側の席だったので、朝日に照らされる山並みを拝むことができました。 前日も思ったのですが、山に植生がない、という点で日本の山の風景とは大きく違う印象を受けます。

ひたすら人の気配のない荒涼とした土地が続く...わけではなく、ところによっては人家もあり、街とは呼べずとも村と呼べるくらいの場所もありました。

途中、名物(?)の案内標識でいったん停車し、写真撮影タイム。 英語表示からも分かりますが、上から「パキスタン」「アフガニスタン」「ワハーン回廊」。 車道の案内標識に国名が並ぶというのは、島国で生まれ育った人間としてはワクワクするものがあります。 ちなみにパキスタンもアフガニスタンもここから見えるわけではなく、アフガニスタンにいたっては国境まであと400km程度あるとか(ドライバーさん談)。

後ろを振り返っても絶景。 遠景の雪山は、方角的には昨日近くで見たムスターグ・アタかも...?(いや、でもこんなに高くなかった気もする。)

ユルト?と家畜(写真を拡大すると牛っぽい)の群れ。 観光用などではなく、放牧のための(一時的な?)移動生活のためのユルトだそうです。 今は9月後半でこうやってユルトで遠くの牧草地に来ているのですが、冬は家の近くにとどまるそう。

牧点(pasture point)の標識。もしかしてどこでも勝手に放牧しては良いわけではなくて、「放牧可能なエリア」が指定されてるとかでしょうか...? モンゴルの事例ですが、遊牧民であっても自由にどこでも遊牧できるわけではない(季節の変わり目での放牧地からの立ち退き期限が決まってる、など)、という話は以前読んだ記憶があります*2。

こちらにも、ユルトと家畜。

以前、 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com などの本を読んだときに「セルロースを消化する家畜の力*3を利用し、農耕が不可能な乾燥した地域でも人の営みを成立させるのが牧畜の本質」とふんわり理解したのですが、過酷な環境で実際にその姿を見ると、地に足のついた理解というか、本で読むのとはまた違う感慨を覚えた気がします。

なお、タシュクルガンの街を出てすぐあたりで「業者さんが家畜を買い付けに来て、カシュガルまで出荷する」とドライバーさんが話してたので、おそらく「家畜が人の営みを成立させる」具体的な形は、以前とは異なったものになっているのではないかと思われます*4。

山間部に入り、ぐいぐいと標高を上げていきます。

道沿いに並んだ下向き矢印の標識が現れました。 なんだと思ったら、ドライバーさん曰く積雪時にも道路の範囲が分かるようにするためのものだそうです。

この旅でも随一の数と密度の家畜の集団を目撃。 ドライバーさん曰く「家畜は財産なので、ここの所有者はお金持ちに違いない」だとか。

写真を拡大してみるとヤクのようです。 前日に白沙山白沙湖景区で見かけた、観光客を乗せるヤクは、白い毛の個体がほとんどだったと思うのですが、ここでは白い毛の個体はむしろ少数派っぽいです。 やっぱり観光用には映える個体を連れて行くのかな。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

写真は取りそびれたのですが、中国ではなかなか見ないデコトラ?ともすれ違いました。 ナンバープレートも中国のものとは異なり、パキスタンの車だそうです。

そしてナンバープレートといえば、見かけた中国車のナンバープレートもなかなかすごくて、「京」(北京)や「魯」(山東省)などと書かれたものもありました。 google mapsで経路検索したらここまで4000km以上あるのですが、ほんまにここまで運転してきたの???

クンジュラブ峠

タシュクルガンの街から約2時間のドライブで、中国・パキスタンの国境のクンジュラブ峠に到着です! 高山の中の陸路国境って辺境も辺境のはずなのですが、大きな駐車場に、トイレ、売店まで並んでいて、思った以上に観光地でした。

駐車場から国境のゲートまでは、カートで移動です。

しばしの乗車で、「国门」(国境ゲート、というか検問所?)までやってきました! 陸路国境を目にしたのはこれが人生初です。

写真撮影禁止という注意書きも1箇所だけあった気がするのですが、周りの人は写真撮りまくってたし、警官?や兵士?も見てても一切止めなかったので、陸路国境ってこう、写真撮影禁止とかもっとピリピリした場所じゃなかったんか...?と若干困惑しつつも私も遠慮なく写真撮ります。 ちなみに、警官?に「写真撮りたいからこっちに立ってもらえますか?」って声かけてる観光客はいたのですが、さすがにこれは断られてました。

さらに先に進むと、正真正銘の国境ゲートがありました。 このゲートの先はもうパキスタン。 向こう側にはパキスタン国旗が翻り(あと、テントのようなものにもパキスタン国旗が描かれているっぽい)、

I ♡ PAKISTANのオブジェがあるのも見えて、ふおお、ほんとうに陸路国境を目にしてるんだなあ、と感動しました。 今回は国境は超えないのですが、パキスタンを旅する力が身についたら超えてみたいなー。

隣では、国境の標識?と記念撮影する人で長蛇の列ができていました。

なんと海抜5100mだそう! …と思ったのですが、web上の情報をいくつか見た感じだと、もう数百m低いっぽいです*5。 が、いずれにせよ、これまで訪れた最高地点が富士山(3776m)なので、自己ベスト大幅更新です! 富士山と違って自分の足で歩いてるわけではないので達成感的なものはないですが、とはいえ、相応の感慨はあります。

随分ときっちりした制服の警官?がいるなと思ったら、国旗降納?を見れました。

一通り満喫したので、カートで駐車場に戻ります。

移動

再び、車で移動。 ここが今回の旅程の最南端なので、来た道を北に戻ります。

しばらくは高山らしい光景が続きますが、徐々に標高を下げていき

比較的なだらかで開けたところまで戻ってきました。 でもそれでも標高3000mくらいあるかと思うので、日本の標高感覚だと一瞬変な気分になります。

何やら車の流れが止まってる?と思ったら、家畜が道路横断中でした。 ドライバーさん曰く「牛も羊も止まってくれないから、あっち優先。」。 ちなみに今回出くわしたのは山羊や羊のようでした。

こちらも山羊など。 往路よりも家畜に出くわす機会が多かったです。往路は朝早すぎたから、とかかな。

ワハーン回廊

クンジュラブ峠から1時間弱、次の目的地のワハーン回廊に到着です。

google mapsより
中国は様々な国と国境を接しており、そのうちの1つがアフガニスタン。 地図を見るとアフガニスタン東部に、北のタジキスタンと南のパキスタンに挟まれた細長い領域があり、その東端が中国に接しています。 ワハーン回廊は、この細長い領域の山間を走る谷をつなげた回廊地帯のことです。

今回訪れたのは、その中国側の東端のさらに東の国道(地図にG314とあるもの)近くの観光エリアです。 ということで、「ワハーン回廊を訪れた」とはとても言えず、あくまで「ワハーン回廊入口をチラ見した」と言うべきな気もします。

がしかし、あの山と山の間の谷が回廊になっていて、ひたすら歩いていけばアフガニスタンにつながる、と思うと感慨深いものがあります。 とはいえ、パキスタンとの国境のクンジュラブ峠とは異なり、こちらは国境は開放されていなかった気がします(要出典)。

向かって左(南側)に目を転じると、草原が続くのが見て取れます。 このへんは確か川沿い。

パノラマにするとこう。

クンジュラブ峠ほどではないですがある程度は観光地化していて、オブジェや記念碑や解説パネルなども置かれていました。 ちなみに、このオブジェの前ではおじさんどうしの怒鳴りあいの喧嘩が発生してたりしました。たぶん写真撮影の順番をめぐってのものかと思うのですが、血気盛んやな。。。

玄奘ここを通ったことの記念碑。他にも、東晋の法顕、後漢時代の安世高の2人の訳経僧がここを通過した旨の記念碑と解説パネルがありました。 こういうのを見ると、どうやって場所を特定するのとかいつも思ってたのですが、ここの解説パネルには少し言及があり、冯其庸氏の文献研究と実地踏査により1998年頃?にこの見方が確立したっぽいです*6。

13時も過ぎた頃で、レストランと売店もあるので、ここで軽く昼食にします。

ただ、レストランは簡単なビュッフェの割に38元と高め。ということで、私は前日に買ったナンの残りと、あと売店で買ったソーセージで昼食にしました。 まるで登山の行動食。

ツアーで一緒の面々は、売店でカップ麺を買ってました。 がしかし、水道は当然通っていないので、ペットボトルの水を買って、それをお店の電気ポットで沸かす、という形式でした。 まるで登山(2回目)*7。

移動

再び車に乗り、北に戻ります。

相変わらず家畜の群れにちょくちょく遭遇します。 これは最接近したときのもの。 基本的に羊ですが、少数の山羊が混ざっていました。 確か、羊の群れに山羊を1頭とか少数混ぜておくと、群れのコントロールがしやすくなるみたいな話をどこかで聞いた気がします(要出典)。

パキスタンからと思しきデコトラ?を写真に収めることができました。 どちらもウルドゥー語と思しきアラビア文字が印象的です。

次の目的地は、この向かって右手の山を東西に超える道です。

盘龙古道

国道(G314)をそれて、盘龙古道に入っていきます。 ちなみに「古道」と言ってるけど最近できた名所かと思います*8。 看板にある通り、一方通行です。

最初はなだらかなのですが、いくつもの急カーブを経て標高を上げていきます(動画は撮ったのですが、写真は撮りそびれました。。。)。 連続する急カーブに車酔いする人も多いそうですが、今回は幸いにして全員無事でした。

20分近くの上りで峠に着き、いったん休憩。

ここまでも眺めは良かったのですが、ここの一番の見どころはここからの下り。

ヘアピンカーブが続く道を上から見下ろすことができます。

展望台が整備されているところもありました。

よくこんなところに道を通したなと、人類の土木技術に敬服するばかりです。

ドライバーさん曰く(超早口中国語だったので、私が正しく理解できていれば)、どうも元々鉱山開発のために道路を通したけど、規制で鉱山を掘れなくなって、一般道路兼観光名所に転用した?っぽいです。

さきほどまで眼下に見えていた連続するカーブを下って標高を落としていくと、

ようやく平地が見えてきました。

下り終えたところには、こんなオブジェが。 「今日走过了所有的弯路 从此人生尽是坦途路。」 先程までの急カーブの連続と人生の道のりをかけているようで面白い。

移動

道を進んだ先にサービスエリア的なところがありました。 私たちツアー参加者はワハーン回廊で昼食を摂ってたのですが、ドライバーさんはまだだったので、ここでドライバーさんのご飯休憩。

その間、景色を見ながらのんびり。 ここもなかなか景色が良かったです。 湿潤な地域に育った身としては、乾燥して山肌が見える山並みというだけで目を引かれる景色なのですが、さらにそこに氷河の雪解け水(たぶん)に育まれた緑が彩りを添えるという点が、いかにも中央ユーラシアの景観でたまりません。

待ってる間に、同行者の方から夕飯に四川料理のお誘いを受けました。 が、タシュクルガンに着いたら1人で博物館に行く予定だったのと、辛いのには弱いので、残念ながら見送り。

ドライバーさんも戻ってきたので、再び移動開始。

移動中に、路肩に生えてる気が面白いらしいという話が出たので、しばし停車して観察

近くで見ると、小さい黄色い実がたくさんなっていました。 沙棘(shā jí)と呼ばれる木だそう。 実は未熟なときは酸っぱく、熟したら酸味は減るものの渋みが強いとのこと。 食用に向かないのでは?と思ったら、健康ドリンクの原料として人気だそうです。

話によると、育てて実をならせるところまでは簡単なものの、収穫が大変でお安くはないそうです(棘が多かったり、実は触るとすぐに皮が破れてしまう、など。)。 ということで、冬に実が凍ったときに木をゆすって落とすのが定石とのこと。凍ってるので皮が破れる心配がないんだとか。

土の表面に見える白いものはドライバーさん曰く塩だそう。

さきほども書いたばかりですが、乾燥した山肌と、谷沿いの緑の対比が鮮やかです。

班迪尔蓝湖

先程から谷の川沿いを走ってきており、そのまま進むと湖にたどり着きました。 こちらは通称「班迪尔蓝湖」と呼ばれる湖。 正式には「下坂地水库」と呼ばれるダム湖のようです*9。 ドライバーさん曰く、この水もやはり雪解け水が集まったもので、遠くヤルカンドに流れるそう。

湖面が鏡のように、山並みを見事に映していました。 映えスポットなのか、路肩に駐車して写真撮影している人たちが他にも何組かいました。

博物館(帕米尔文化博览园)

初めての町では現地の博物館に行く、というのをモットーにしているのですが、タシュクルガンにも博物館があります。 今回のツアー日程には入っていなかったので、この日町に戻ったところで博物館でおろしてもらい、1人で見ることにしました。

がしかし、「この博物館は移転しました」との張り紙が...! 移転先は歩きで行ける範囲なのですが、時刻は既に18時半過ぎ(新疆基準だと-2時間~-3時間くらい)、博物館の開館時間を考えるとかなりギリギリです。 ということで急いで向かおうとするのですが、さすが標高3000m越えの町、走らず早歩きするだけでもすぐに息切れしてしまいました。

移転先の帕米尔文化博览园には、10分かからないくらいで到着。移転先が近くで良かった。。。

ゆっくり見る時間はなかったので、現地ではざっと流し見+写真を撮りまくりました。 かなり新しい博物館のようで建物はかなり立派ですが、展示はモノよりもパネルが中心かな。マルチメディア展示があまり稼働していなかったのは、博物館ができたばかりなのかもなので、今後に期待です。

自然編

パミール高原は、自身と周囲に世界の8000m峰14座が全てあることから「万山之祖」、また氷河の雪解け水が多数の河の水源となることから「万水之源」と呼ばれるとか。

植物標本や動物の模型?なども展示されていました。 タシュクルガンには野生動物自然保護区も設定されており、チルー、ヤク、チベットノロバ、ユキヒョウなどさまざまな貴重な動物が生息しているそう*10。

歴史篇

解説はところどころ熱いナショナリズムが迸るのですが、そのへんは脇に置いて見ていきます。 まずは石器時代から始まるのですが、私は文字記録がない時代への興味が薄いので、スキップ。

張騫の西への旅や、西域都護府など、新疆の博物館あるあるの話題なのですが、意外と面白かったのが、右下の漢の様式の銅鏡の出土地域についての図。現在のウズベキスタン・キルギス・タジキスタンあたりから、遠いものではカザフスタンの北西部からも出土例があるそうです。日本の古墳などから見つかる例は知っていたのですが、西の方にもこれだけ広がっていたのは知りませんでした。

これも今回の旅で何度も見かけた、求法僧の話。 玄奘や法顕がパミールを越えた話は、今日ワハーン回廊の入り口でも見かけましたね。

こちらの図の出典の「欽定皇輿西域図志」は、乾隆年間に編纂された新疆の地誌?地図?だそう*11。 前近代の地誌はかなーり興味があるので、気になる。

公主堡古城遗址、海抜4000mの峻険な山の上に築かれた唐代の遺跡だそう。中国最高(物理)の遺跡とも。 地図(高德地图)で調べたところ、今日のお昼に訪れたワハーン回廊入口の近くにあるようです。 石頭城(前日の旅行記参照)のときにも思ったけど、あの時代によくこんなところに城を建てたものだなと驚かされます。

この後は、清代のジュンガル平定や、左宗棠の話、近現代の話もあるのですが、近現代はあまり興味がないので、ここではスキップ。

民俗編

主にタジク族の文化を紹介しています。 「タジク」という言葉からはタジキスタンとのつながりを連想し、実際、イラン系の民族ではあるようですが、言語はタジキスタンのタジク語(イランのペルシア語と同様?)とはやや別系統のようです。

伝統的な装い。 さすがにここまで華やかなものではありませんが、円筒形の帽子にスカーフを巻いた女性は町中でも見かけました。

鷹の舞と伝統楽器。 鷹の舞(塔吉克族鹰舞)は国の無形文化財(国家级非物质文化遗产)にも登録されているとのこと。 タジク族の伝統文化では鷹を強者や英雄の象徴とみなしていて、民話や民謡によく登場するそうです。

国境編?

中国の博物館あるある、赤い展示。 今まで訪れた博物館の赤い展示コーナーでは、たいていは新中国成立に関わる功績などの展示が多かったのですが、ここは国境の町だけあり、国境警備隊をテーマにしていました。

今朝訪れたばかりの、クンジュラブ峠の国境について。

なかなか興味深かったのが、国境の巡視などの移動にヤクを利用していること。 確かに、道路も通っていない高山地帯を移動するのには理に適っています。

国境巡視の過酷さを伝える展示。 険峻な地形や氷河・雪などは想像ついていたのですが、「斗野狼」は想像ついてませんでした。狼出るんか。。。

この後、近年のタシュクルガンの経済発展についての展示もあったのですが、ここでは略。

タシュクルガンの街+夕食

博物館からホテルまでは町中を歩いて戻ります。

道行く人々は彫りの深い顔立ちの方が多く、円筒形の帽子+スカーフをかけてる女性も3人ほど見かけました(ただ、スカーフをまとっていたのは皆さん高齢の方だったので、若い人はあまり伝統衣装は着ていないかも?)。

新华书店站というバス停があって、こんな小さな町に新华书店があるのかと驚いたのですが、店舗らしきものは見当たらず、高德地图を見たらさすがに閉店済みでした。

あと、小さい町ですが、美团外卖の配達員の方を見かけて驚きました。それだけの需要があるんだ。。。

夕食は道中のお店でラグマン。 砂肝っぽいものが入っていたり、目玉焼きが乗っていたりと、ここまでであまり出会ってなかったタイプのものでした。砂肝はちょい臭みがあったけど、半熟目玉焼きはよくあうし、何より野菜多めで嬉しい。

ホテルに着いたので、明日に備えて早く寝よう...としたところで、鍵が開いて他の人が部屋に入ってこようとするというイベントが発生しました。 私は課金して1人で1部屋を占拠していたのですが、どうもホテル側の手違いっぽいので、その旨本人とカウンターで説明して無事解決。

翌日に続きます。

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参考文献

  • [1] 相馬拓也(2024)「遊牧民、はじめました。 : モンゴル大草原の掟 (光文社新書)」光文社 ISBN: 978-4-334-10423-8
  • [2] 平田昌弘(2014)「人とミルクの1万年 (岩波ジュニア新書 ; 790)」 岩波書店 ISBN: 978-4-00-500790-5

*1:写真撮りそびれたのですが、手元のメモによると、マントウ・漬物・簡単な炒め物・プリプリの凉皮のようなもの・お粥・豆乳

*2:参考文献[1]p.91

*3:参考文献[2]p.7-p.8「反芻動物は、主に第一胃の中に細菌類や原虫類を生息させているため、胃が一つしかない動物(単胃動物)では消化しにくい食物繊維(セルロース)などをも消化し、栄養素を吸収することができます。だからこそ、草だけを食べていても、ウシのような大きな身体を維持でき、大量のミルクも生産することができるのです。乾燥地などで家畜が、栄養価の低い植物だけに依存して生きていける理由がここにあるのです。」

*4:ただし、あくまでタシュクルガンの町を出てすぐのときに聞いた話なので、ここクンジュラブ峠近くまで業者さんが来ているかはわからないです。

*5:百度百科の「中国红其拉甫国门」 https://baike.baidu.com/item/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%BA%A2%E5%85%B6%E6%8B%89%E7%94%AB%E5%9B%BD%E9%97%A8/1658158? には4733m、日本語版wikipedia「クンジュラブ峠」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%96%E5%B3%A0 には4880m、英語版wikipedia ”Khunjerab Pass” https://en.wikipedia.org/wiki/Khunjerab_Pass には4693mと、かなりまちまちな数字。

*6:論文タイトルも解説パネルに書かれてました :「玄奘取东归入境古道考实 – 帕米尔高原明铁盖山口考察记」

*7:というか、日本の山だと水場でタダで水汲めることも多いので、そっちの方が恵まれてる。。。

*8:一応、玄奘がここを通った言い伝えたがある、みたいなことも現地のパネルに書いてたのですが、真偽の程は不明。

*9:百度百科 下坂地水库 https://baike.baidu.com/item/%E4%B8%8B%E5%9D%82%E5%9C%B0%E6%B0%B4%E5%BA%93/64345376

*10:塔什库尔干野生动物自然保护区是目前喀什地区唯一的自然保护区,也是我国大型珍稀濒危高原野生动物的密集分布区,栖息着藏羚羊、野牦牛、藏野驴、雪豹、黑鹳、胡兀鹫等国家一级保护野生动物10种、国家二级保护野生动物25种,被誉为“高寒生物种质资源库”,是我国雪域高原地区重要的物种基因库。

*11:百度百科「钦定皇舆西域图志」 https://baike.baidu.com/item/%E9%92%A6%E5%AE%9A%E7%9A%87%E8%88%86%E8%A5%BF%E5%9F%9F%E5%9B%BE%E5%BF%97/10116618 「《钦定皇舆西域图志》是清代新疆首部官修通志,始纂于乾隆二十一年(1756年)」

2024年新疆旅行13日目 : パミール高原ツアー1日目(カラクリ湖、タシュクルガンなど)

カラクリ湖から眺めたムスターグ・アタ

2024年シルクロード新疆の旅13日目(2024-09-23)の記録です。

今日から3日間はパミール高原の少人数ツアーです。 カシュガルから車で、300km近い道をひた走り、パミールの絶景を堪能した1日でした。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

概観

google mapsより(地形表示)
パミール高原ツアー1日目、この日は車でカシュガルからタシュクルガンまで約290kmの道のりを走ります。 上図の行程は実際の軌跡ではなく、経路検索で出てきたものなので、あくまで参考程度に(とはいえ、他に道もないはずですが。。。) 道中訪れた観光地は星マークで表示しています(カシュガルのものは無視してください。)。

ツアーは、前日にカシュガル古城で通りがかった旅行会社で手配しました。

あと、このへんを訪れるには辺境通行証(通称「边防证」)が必要になるので、事前に取得しておきましょう(前日の旅行記参照。ただし情報が古いです。)。 中国国内の人でも、自分の車でくる人の中には辺境通行証が必要なことを知らない人もいるらしく、途中の検問でとんぼ返りするはめになるんだとか(確かドライバーさんから聞いた話。)。

この日の移動では、タシュクルガンまでの道中で検問が数カ所ありましたが、検問の方とドライバーさんが二言三言話すだけで、すんなりと通行できました。 がしかし、欧米系の観光客の乗った車が検問でがっつり止められてるところも見かけたので、常にゆるゆるというわけでもなさそうでした。

カシュガルからの道中

なかなかの長距離移動、ということで、夜明け前に早々に出発します。 今回は私も含めて参加者全員が辺境通行証事前取得済みなので、早々に出発でしたが、そうでない場合は辺境通行証の手続きが必要になって出発が遅れるとか*1。

ツアー参加者は、自分・広東省の夫婦お2人、重慶の女性お1人。 ちなみに重慶の女性はなんと当日朝着の夜行列車で合流という弾丸スケジュールでした。

カシュガル市街地を出て、一路南西へとひた走ります。 途中、写真のような大型バスを何台も見かけました。 ドライバーさん曰く、いずれも私たちと同じような旅程でタシュクルガン方面に向かう団体ツアー客だけど、大抵は高齢者が多いとか。

道路の舗装が新しい箇所も多く、ドライバーさん曰く「国亲节連休にあわせて工事してたのが終わって数日前に開通したばかりのところもある」とか。道路は新しいし連休前でまだ混んでないしで、良いタイミングだね、とのこと。

ドライバーさんはホスピタリティあふれる方で、道中いろんな面白い話をしてくださいました。観光地や地元の話もですが、昔の変わったお客さんの話も面白かったです:

  • 上海育ちの潔癖なお客さん、1人でスーツケース2個も持ってきてなんだと思ったら、枕や布団、洗面器まで自前で用意してたり、
  • 福建の人で「朝は墓地には行くのは縁起が悪い」とみなす人がいて、朝一でアパクホージャ廟につれていこうとしたら怒られたり、
  • 広州のお客さん、休憩時に「お茶にでもしますか」と言ってスッと荷物から茶器セットを出してきたり、

などなど。

山間エリアに近づくと、荒々しい山並みが迫ってきます。

克州冰川公园

克州冰川公园に立ち寄り、小休憩の時間です。 ちなみに「克州」とは、おそらくこの地域クズルス・キルギス自治州(克孜勒蘇柯爾克孜自治州)の略称。

あくまで短時間の小休憩なので、入場料が必要なエリアには入らなかったのですが、

遊歩道が整備されており、間近に赤い山肌を眺めることができます。 鮮やかな赤は、酸化鉄によるもの*2。 その色ゆえに红山と呼ばれているそうです。

そしてこれまた印象深いのが、山の前を流れる盖孜河。 なんと水が灰色! おそらく、氷河が岩などを削ってできた微粒子が含まれている影響ではないかと思います*3。 水量も意外と多く、どうもぎりぎり水の多い季節だったみたいです*4。 我々が走ってきたカシュガル方面に流れ、近くの農地や街を潤しているようです。

赤い山肌と、滔々と流れる灰色の川、なんとも異世界感のある眺めです。

移動

休憩を終え、盖孜河を遡る形で南に向かいます。

山肌に何やら黒い部分が見えます。影か何かだと思ったのですが、ドライバーさん曰く石炭だそうです。

地図からも分かる通り、ここから本格的に山間部に入り、山間の谷を走っていきます。 この日は天気に恵まれ、絶景を拝むことができていますが、天気が悪いと道中真っ白で景色を見れないそうです(ドライバーさん談)。 7月あたりは山中では雨が降ることもあるとか。 逆に晴れてても雪解け水が増えて土石流が発生することもあるそうです。

このへんは以前は道路が川の向こうの山すそすぐ下を通ってたけど、土砂崩れの危険があったという話を聞いた気がします。

途中、ナンバープレートのついてない車列(マイクロバスと迷彩柄の車)に追い抜かれました。 なんだろうと思ったら、ドライバーさん曰く「当地的领导」だそう。

車窓からは雄大な峰々を仰ぎ見ることができます。 このルート、観光地も良いのですが、道中の景色が素晴らしすぎる。

谷を抜けると、眼前に湖が広がります。 これが目的地の白沙山白沙湖景区。

白沙山白沙湖景区

大観光地だけあり、観光客も多数。 記念写真撮る人が多くなかなか進まないかなー、と思ったけど、「你先走」と通してくれるケースもそこそこあったので、助かりました。

空と湖面の青にはさまれた山の白が鮮やかなコントラストをなし、印象的です。 ただ、全部真っ白なわけではないですね。尾根筋はあまり白くなく、谷筋が白めのようです。 白い部分は、風化してできた白い砂が堆積してできたもののように見えます*5。

一方で、周りの山を見渡すと、他はさして白くないです。 山の地質が異なるから風化しても白い砂にならないせいかなーと思ったのですが、後で読んだものには、「かつて湖水が枯れた時期に湖底の砂が季節風によって吹き上げられたのが、あの白い砂丘」という趣旨の説明もありました*6。

湖の方は、ダム湖も含めた複数の湖を総称して白沙湖と呼んでるようです*7が、google mapsの航空写真を見た感じだと、全て一体化しているように見えます。 もともとの湖の成因については、土石流堆積物やモレーン堆積物による堰止めが有力なようです*8。

課金するとヤク?(中国語だと牦牛)に乗って歩き回ったり写真撮影したりできます。 看板には30元って書いてあったのですが、値切ってあっさりOKもらってるおっちゃんも見かけたので、もうちょい安くなりそう。 なお、ヤクの落とし物(婉曲表現)もちょいちょい見かけたので、足元注意。

ヤクは高地に強い家畜で、チベットやヒマラヤあたりの地域で飼育されている印象が強いです(要出典)。 ってことはこの時点でけっこう標高高いのかと思って後で調べたら、既に海抜3600m以上*9、富士山山頂に近い標高ですね。

ということで、酸素缶も売られていました。 物と支払い用QRコードだけ置いてある無人販売方式でした。盗られないか心配になる。。。

観光客も多いですが、良い景色でした。 たっぷり1時間ほど滞在できて大満足で、次に向かいます。

移動

景区を出発しても、しばらくは白沙山を眺めながら走ります。

我々が訪問したところとは別に、もう一箇所展望台や木道が整備されていました。ドライバーさん曰く、こちらは山が近すぎて写真が撮りにくいとのこと。 ただ、こうして近くで見ると、山体表面の色と白砂の部分の色の違いがよくわかります。

さらに進むと、巨大な雪山が現れます。 こちらはムスターグアタ(慕士塔格峰)。 山頂の標高は約7500mと、日本国内の山しか登ったことがない自分にはちょっと想像がつかない標高です。 なお、2日後にはムスターグアタの氷河の先端まで行きます。

次の目的地のカラクリ湖は、この山の麓にあります。

カラクリ湖

ということで、カラクリ湖(喀拉库勒湖)に到着。 カラはテュルク系言語で「黒」の意味だよなー、と思ったら案の定「カラクリ」は「黒い湖」の意味だそう*10。

湖の住んだ水に、背後にそびえるムスターグアタの威容もよく映えます。 しかもカラクリ湖の成因をたどるとムスターグアタの氷河にたどりつくそう*11で、山が湖を生み、今この景色を目にできると思うと、自然の采配に思わず感謝したくなります。 日本でも富士山に富士五湖、男体山に中禅寺湖、と山と湖の組み合わせはなんとも絵になるものが多いですが、そちらも富士五湖も中禅寺湖も火山噴火による堰止湖で、(成因は違えど)山が湖を生んで景勝地となる、というところの類似性は面白い気がします。

視線を左に向けると、こちらにも雪をまとった美しい峰々が並びます。 こちらは地図からしてたぶんゴングール山方面*12。

谷筋などにでろーんと突出している氷雪は、おそらく氷河なのではないかと思います。 何本もの氷河(たぶん)が流れ出す様はなかなか壮観。

こちらも馬やラクダに乗るオプションつき。ということで”落とし物”もあるので要注意。 ただ、白沙山白沙湖と違って、こちらではヤクは見かけなかった気がします。 あと、馬の写真の背後に映っているようにゲルらしきものが複数並んでいました。もしかすると泊まれるのかも?

こちらも1時間くらい滞在したのですが、雪をまとった峰々と青の対比があまりにも美しく、あっという間に時間が過ぎました。

移動

名残惜しいですが、カラクリ湖を出発し、一路南に向かいます。

ムスターグアタのベースキャンプ?の看板を発見。 登頂を目指す人々が集結する場所でしょうか。 7000m峰は私にとっては本当に未知の世界なので、尊敬します。

道はムスターグアタを囲うように伸びるので、さきほどとは違う角度から山体を拝むこともできました。 さきほどカラクリ湖から見た姿とは異なり、氷河(たぶん)が発達している様子が見て取れます。

そうこうしてるうちに、タシュクルガン・タジク自治県に入ります。

卡拉苏口岸はタジキスタンとの国境、红其拉甫はパキスタンとの国境です。 陸路国境という日本で育つと縁遠い存在を感じられてそれだけでワクワクします。

途中、自分の目を疑うような光景に遭遇しました。 なんと竹馬で歩く人物2人とすれ違いました(写真は2人目を撮ったもの)。 何言ってんだこいつと思われるかもしれませんが、私も自分で何言ってるんだかわからないです。 運転手さん曰く、カシュガルから往復してるらしく、挑戦の様子を動画に投稿して話題になっているそうです。 どこまで行って帰ってきたのかは覚えていないのですが、カシュガルからカラクリ湖までだけでも片道200km近く、歩くだけでも大変で、それを竹馬で歩き通すとは恐れ入りました。。。

またしばらく走ると景色が開けてきて、人の暮らしの気配が戻ってきました。

農村風景の中で小休止。 運転手さんの知り合いと出くわして、生のプルーンをいただいたりしました。

この並木のトンネルも当地の名物だとか? ただ個人的には、険しい山と谷を抜けた先のこの地に、こうやって人が住み生活を営む場所があること自体が感慨深く思われました。

水かなりきれい。これも氷河の雪解け水由来とかなのかな。

休憩を終えてさらに南下していきます。

展望スポット「塔合曼湿地」でしばし景色を堪能します。 蛇行して緩やかに流れる川に、一面に広がる植物の姿は確かに湿原。

あれだけ乾燥した光景の中を走ってきたので、対比に驚きます。 「降水量は少ないけど周りの山の雪解け水は豊富」というのは乾燥地帯のオアシスあるあるですが、こうやって広大な湿地を形成する例はあまり多くなさそう? 比較的平坦な土地ゆえに、雪解け水がとどまり、こうやって湿地を形成しているものと思われます(どうしてこんな広大な平坦地ができたかも気になるところ。せき止め湖の堆積が進んで、湿地になったとか?)。

google mapsより
衛星写真を見ると、周りとの色の違いと、ここに流れ込む水の道筋が見て取れます。

ちなみにここのトイレは壊れて利用不可だったのですが、ドライバーさんは把握していて、事前に別の場所で公衆トイレに寄ってたので、セーフ。 ドライバーさん、仕事ができる...!

ここから今夜の宿のある街、タシュクルガンまではあともう少し! 道路がやたらときれいだなーと思ったら、やはり前年の11月にできたばかりの新しいものだそう。

石头城

この日最後の観光スポット、石头城は、タシュクルガン市街地のすぐそば帕米尔旅游景区の中にあります*13。

一瞬話が飛ぶのですが、道中で、広東夫婦の旦那さんの方が帕米尔(パミール)の帕(pà)をbaと読んで、「正しくはpà」って突っ込まれてたのですが、「有文化的人可怕呀~。」っておどけててお茶目でした。 あと、もしかして帕と怕をかけたダジャレだったのか...?

中国あるある、敷地の入口から観光スポット本体まで距離があるので、カート?で移動です。

博物館

まずは博物館に。 実物よりはパネルがメインの展示でしたが、パミール高原全体の歴史や、タシュクルガン・タジク自治県に点在する文化財、タシュクルガンの石头城そのものについてなど、大小幅広いスケールで当地の歴史を紹介していて興味深かったです。 いわゆる「シルクロード」 の歴史をさらっても、だいたいはタリム盆地周辺のオアシス都市などが主役になることが多いので、パミールの山中の街の歴史について知れる貴重な機会でした。 とは言いながらも、かなり時間がおしてたので、現地ではざっくり見て写真を撮るだけでした(ということで、以下に書いた内容は帰ってきてから復習したもの。)。

前漢の時代、ここタシュクルガンには、「漢書」に記された西域三十六国の蒲犁国があったそう(いつも思うんだけど、史書に登場する都市国家の場所ってどうやって現実の場所と対応づけるんだ。。。)。遊牧民からなる国だったとのこと。

インド方面とタリム盆地の都市を結ぶ道がこのパミールの地周辺を通ります。

仏塔や砦や宿駅?など、人々の往来の名残が今も残されているそうです。

玄奘三蔵もインドからの帰路にタシュクルガンに立ち寄って経を講じたとか(要出典)。ちなみに上の地図中の「朅盤陀国」は、ここタシュクルガンの大唐西域記での呼び名です(要出典)。 今回の旅、トルファンやクチャでも玄奘の足跡に触れているのですが、ここでも名前を聴くとはびっくりでした。我々は鉄道と自動車とで飛ばしていますが、タリム盆地の周辺も、ここパミールの険しい山の中も自分の足(or馬とか)で一歩一歩歩いたのかと思うと気が遠くなります。

トルファンとクチャで玄奘の足跡を訪ねたときの旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

他にも、鳩摩羅什や高仙芝などなど、パミールを越えた人々の業績が紹介されていました。 ちょっと変わったところだと、高仙芝とともに行動してタラス河畔の戦いでアラブ軍の捕虜になり、イスラーム圏各地を旅した杜環なども。

ついで、石头城自体についての展示も。 ここには唐代には葱嶺守捉所が置かれ、後の清の光緒帝の時代にはその一部を利用・改修?して蒲犁庁がおかれたとのこと。

あとで実際に見るように、石头城の建つ場所は小高い丘で、あたりには多数の石がごろごろと転がっているのですが、これらの石は氷河の作用でここまで運ばれてきて丘を形作ったそうです*14。 灰色の川、高地の湖、そして城の建つ丘と、今日1日で氷河にって形作られた様々なものを見たことになりますね*15。

城

時間も限られているので、本物の城の方を見に行きます。

google mapsより
航空写真を見た感じだと、タシュクルガン市街地は、西側から広がる扇状地の上に位置しているようです。 扇状地の先、東側には網目状の広がった川の流れる湿地が広がります。

google mapsより
で、石头城はその扇状地?の先端部分にあります。

南側の入口から城に入ります。 写真でも分かる通り高低差があります。これがさっき書いた、氷河に作られた丘かな。

階段を登ると、眼の前には大小の石が散乱しています。右奥に見えるのが清代の内城。

今立ってるあたりは外城。

自由に歩き回れるわけではなく、遺跡保護のため、木道の上を歩きます。 時間に余裕がなかったので早歩きしたのですが、すぐに息が上がり、深呼吸しないととても早歩きを続けられなかったです。 海抜3000mを超える街*16、というのも納得です。

内城内部にも石が散乱しています。

城壁は基部は一部に石を使っていますが、それ以外はほぼ土作りのようです*17。

東側を望むと、緑豊かな湿原が広がります。 高低差もあって、なかなかの絶景。 この高低差もあってここに城が築かれたのかな。

湿地には遊歩道やイベント用?のステージらしきものも整備されているので、まったり歩き回りたかったのですが、時間切れ。

ということで、湿地は近くで少し眺めるだけ。 とはいえ、乾燥した山肌と眼前の緑の対比は強く印象に残りました。

一通り見たので、カートに乗って撤収! ...と思って駐車場に戻ったのですが、実は外城の北西側には馬面が残っていたよう(衛星写真を見てもわかる)なのですが、現地では気づかず見逃してしまいました。 全体的に駆け足だったし、次行く機会があればもっとゆっくり見て回りたいところ。

夕食

夕飯はタシュクルガンの町中で、ドライバーさんや他のツアー参加者と一緒に火鍋。

火鍋は陰陽型?の鍋で、半分は辛くない味付けにしてもらえたので、セーフ。 ちなみにこれは完全な偏見に基づく感想なのですが、重慶女子は当然辛い物平気で、広東夫婦も旦那さんは意外と辛い物行けるクチでした。

お肉はヤクの肉です。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

  • [1] 今村遼平, 中家惠二, 上野将司 編著 (2021)「シルクロード1万5000キロを往く 上巻 天山南路・天山北路 大草原と氷河の旅」古今書院 ISBN:978-4-7722-4225-7

*1:なお、当日に辺境通行証がスムーズに発行できるのは中国大陸の身分証持ちの方だけだと思うので、そうでない場合は事前に取得しておきましょう。

*2:参考文献[1]p.85「山肌は新第三紀~第四紀の酸化鉄を含む赤色砂岩で構成されるため、紅山と呼ばれている。」

*3:参考文献[1]p.84-p.85「灰色の川」という意味の盖孜河は、名前が示すとおり氷河起源の粘土分を多量に含んで灰色に濁っていた。」ただし、百度百科 https://baike.baidu.com/item/%E7%9B%96%E5%AD%9C%E6%B2%B3/3974944 には「维吾尔语“盖孜”即“灰色”之意」とあるので、名前の由来はちょっと違うかも。

*4:百度百科 https://baike.baidu.com/item/%E7%9B%96%E5%AD%9C%E6%B2%B3/3974944「每年5月至9月为洪水期,12月至次年2月为枯水期」

*5:百度百科 https://baike.baidu.com/item/%E7%99%BD%E6%B2%99%E5%B1%B1-%E7%99%BD%E6%B2%99%E6%B9%96%E6%99%AF%E5%8C%BA/60629721 「白沙山因长期风化作用形成独特地貌,山顶岩石沙化后形成银色白沙覆盖山体,风吹沙鸣的特性使其得名"响沙山"。」

*6:参考文献[1]p.88「以前は湖水の枯れた時期があったようだ。東西方向に長い湖(布崙湖)が、冬には水がなくなり乾涸びて、底の白い沙粒(花崗岩室のマサに相当する砂)が、北西の季節風によって山腹へと吹き上げられて、あたかも雪が積もったように全山が真っ白に見える」ただ、でも航空写真を見ると、季節風の向きが逆じゃないとこうならない気がするけど、これいかに...?

*7:百度百科 https://baike.baidu.com/item/%E7%99%BD%E6%B2%99%E5%B1%B1-%E7%99%BD%E6%B2%99%E6%B9%96%E6%99%AF%E5%8C%BA/60629721 「白沙湖由布伦库勒湖、恰克拉克湖及布伦口水库融合形成」

*8:参考文献[1]p.89「この広い谷と湖の成因については、いま通ってきた山脈の隆起と、土石流堆積物やモレーン堆積物(氷河堆積物)が広い谷の出口を塞いだために生じた堰止湖の性格が強い。」

*9:百度百科 https://baike.baidu.com/item/%E7%99%BD%E6%B2%99%E5%B1%B1-%E7%99%BD%E6%B2%99%E6%B9%96%E6%99%AF%E5%8C%BA/60629721 「景区位于帕米尔高原东部边缘,距离阿克陶县城150公里 ,海拔3663米」

*10:百度百科 https://baike.baidu.com/item/%E5%96%80%E6%8B%89%E5%BA%93%E5%8B%92%E6%B9%96/4748641 「喀拉库勒湖,柯尔克孜语意为“黑湖”」。参考文献[1]p.90には「ウイグル語で「黒い湖(カラクリ)」」という記述あり。いずれもテュルク系言語で語彙に類似したものが多いので、キルギス語とウイグル語どちらでも当てはまるのではないかと思われます。

*11:参考文献[1]p.90-p.91「喀拉庫勒湖は、氷河の父と呼ばれる慕士塔格山(標高7509m)の東面に発達する、巨大なククサイ氷河を水源とするケンシーベルス川(慕士塔格山の北から流下する河川)の堆積物・モレーンによる堰止湖である」

*12:ただ、ゴングール山がどのピークか、そもそも見えてるのか見えてないかは私にはわからないです。

*13:入場時に写真を撮り忘れたので、これは出てきたときに撮った写真。

*14:現地解説パネルには「冰碛台地」とありました。

*15:あと、谷の形はあまり意識していなかったのですが、氷河に削られたU字谷もあったはず。。。

*16:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E9%8E%AE

*17:博物館のパネルにも、「东部的小山岗上耸立着高大的塔什库尔干清代城遗址,即清蒲犁厅旧址,城墙主要用泥土分层垒砌而成。」とありました。