2024年シルクロード新彊の旅3日目(2024-09-13)の記録です。 この日は1日ハミの街を観光します。 行く前はあまり大きな街ではないしそんなに見るものはないかなーと思っていたのですが、博物館の展示が存外に良く、特に翼竜の化石が興味深かったです。
今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
朝
この日もホテルで朝食。 油条と豆乳の組合せはいかにも中国北部っぽいので満足。
バスに乗って博物館に移動します。 上の写真は中心市街地あたりのものですが、博物館はここから少し離れた南側のエリアにあります。
哈密市博物馆
ということでやってきました博物館。
私が訪れたときは
- 入場無料
- 個人客は予約不要
- 定休日は月曜
微信(WeChat)に公式アカウント「哈密博物馆」があるので、最新情報はそちらを参照ください。
さて、まだ開館時間*1には少し早かったので外で待つのですが、なんと館外には翼竜の群れが埋まった巨大な化石「翼之巢」が(ケースに収められた状態ですが)鎮座していました。解説によると2016年に発掘されたもの。 なお、「逆光で撮りにくいし写真は後で撮っておくか。」と思ったら見事に撮り忘れました。気になったらそのタイミングで写真を撮りましょう(自戒)。
博物館に足を踏み入れると目に入る中央の像は、ハミ近郊出土の前漢期の銅鏡をモチーフにしたものだそう*2*3。
自然科学系の展示
まずは自然科学系(というか翼竜や恐竜)の展示から見ることにします。
恐竜の骨格模型もあるのですが、
やはり翼竜の化石群の扱いが大きく、こちらがかなりアピールされていたと思います。 種名は天山哈密翼龙(Hamipterus tianshanensis)で、新種として報告されたようです*4。
上の方は頭骨のうち顎の部分だそう。 歯らしきものが生えているのが見て取れます。
これなんかは頭蓋骨がはっきりと分かります。
とまあ素人目線で見ると「ほー、こんなにたくさん翼竜の化石が見つかっているのか~」くらいしかわからないのですが、
化石を比較することでこの翼竜は雌雄で形態が異なる(とさかの形)ことが分かったり、化石の断面を顕微鏡で観察することで翼竜の年齢が分かったり、さらには卵の化石のCT画像から発育の情報が得られるなど、様々な発見があったそうです。
それらの研究成果の論文も掲示されていました。
Curerent Biology誌での新種報告論文は、表紙を飾るものになったようです: www.cell.com
なお翼竜だけではなく同時代の生物の化石(中国他地域のものですが)も展示されており、 魚竜や、 鳥に極めて類似した恐竜Anchiornisなどが印象に残りました。 後者の化石、羽毛の跡が見事に見えますね。
改めてなんですが、ハミでこんなに多数の翼竜の化石が見つかっていたのは知りませんでした*5。 もともとこの博物館も歴史系の展示目当てで来たのですが、現地に行くとこういう予期せぬところの知識が得られて嬉しいです。
歴史系の展示
翼竜の展示だけで既に満足度が高いですが、もともとの目当てだった歴史の展示に進みます。分量的にはこちらの方が多いです。
秦以前
先秦時代のハミ近辺の墓の分布。
ここで紹介されている天山北路墓地は市街地での発掘例だそうです*6。 だいたい紀元前2000年頃のものだそう。
陶器/土器を中心に数々の出土品が並べられていたのですが、
興味を惹かれたのはこちら。
パネルの解説によると、塤と呼ばれる笛の一種だそうです。
こちらは天山北路とは別の墓からの出土の、「鍑」と呼ばれる調理器具。 去年の西安や蘭州の博物館でも見かけたので、そろそろ見慣れてきました。 西北部以外でも見かけるのかとか分布範囲が気になります(遊牧民の文化の影響を受けたものだそうなので、南部だと少ないのかな、とか。)。
amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
こちらは先ほどより少し時代が下り、西周時代の古墓群。 乾燥した土地だからか、木製の品などの有機物もよく保存されています(日本だとなかなかこうはいかないので羨ましい。)。
特に驚いたものが、こちらの中央の革靴!と、
餅*7。 個人的には日常生活に関わる歴史に興味があるので、こういうものを見るとだいぶわくわくします。
ちなみに東方書店から近々「大地からの中国史 史料に語らせよう 」という本が出るらしいので、かなり気になってます。 www.toho-shoten.co.jp
なお、餅や他にも農具が出土したことから農業の存在が示唆されるものの、解説パネル曰く牧畜が主だったと考えられるそうです。(∵)副葬品として皮革製品や毛織物、動物の肉などが多数見つかっており、一方で穀類が副葬された墓は相対的に少ない。
こちらの墓からは、箜篌とみられる弦楽器が11件見つかっているそう。 竿の部分のギザギザがフレットみたいなものかと一瞬思ったのですが、箜篌はハープのような楽器のようなので、違いそう? 弦がどう張られてどう演奏されたか気になります。 ところでそもそも論として、文献上の品名を発掘品と対応させるのは一筋縄ではいかない気もするんだけど、どうやってるんだろう。
こちらは別の墓からの品ですが、またもや塤。 さきほど見たものよりは穴も多く、音階が演奏できそうです。
山羊?の飾りのついた銅鏡。 博物館入口のオブジェの元になったものかと思います。 入り口の解説によると遊牧文化の影響を受けたものだそう。 後ろに反り返った大きな角を持つ山羊(?)のモチーフ、西安の博物館でも似たようなものを見た記憶があります。 やはり西北部は農耕と遊牧の2つの文化の境域にあるからでしょうか*8。
漢代
漢代になると、西域についての情報が中国中央にも知られるようになり、その情報が「漢書」「史記」などの文献として現在まで伝えられてきています。 文字で記録された歴史が好きなので、昔の筆まめな人々に感謝です。
さて、解説パネルによるとかの有名な張騫もここハミの地を経由し、巴里坤湖*9のほとりで一時期暮らしていたそうです(たぶん、匈奴の捕虜になった時のこと。)。 旅が終わってから読んだ本には、蘭州あたりを出て匈奴の捕虜になってからの行路は詳細不明、と書いてあった気がする(要出典)のですが、古い本なのでもしかするとその後の研究で書き変わったのかも?
石碑のレプリカ(のはず)。 新疆では漢代の石碑が4つ見つかっているのですが、なんとそのうち3つがハミにあるそうです(新彊の中では中原に一番近いと考えれば尤もな気もします。)。
3つの石碑の名前と百度百科のページはこちら
- 任尚碑 : https://baike.baidu.com/item/%E4%BB%BB%E5%B0%9A%E7%A2%91/55756069
- 裴岑碑*10 : https://baike.baidu.com/item/%E8%A3%B4%E5%B2%91%E7%BA%AA%E5%8A%9F%E7%A2%91/15094339
- 焕彩沟碑 : https://baike.baidu.com/item/%E7%84%95%E5%BD%A9%E6%B2%9F%E7%9F%B3%E5%88%BB/23810551
魏晋南北朝以後
これ以後の展示物は割とあっさり目だった気がします(か、私が疲れてすっ飛ばし気味に見ていたからかも。)。
ハミ郊外には唐代の城も残されているとのことです。
こちらは(レプリカですが)唐代の石碑「姜行本纪功碑」。 解説によると、唐が麴氏高昌国を滅ぼした際の遠征について記したものだそうです。 高昌国のあったトルファンに翌日移動すると思うと、ここで出会えたのもなんだか感慨深いです。
最後は清代。 チベット仏教の仏像や陶磁器などが展示されていました。
モスク?の門のレプリカ。 この後、午後の散策で似たようなものを実地で見ることができました。
こちらは別コーナーに置かれている「弥勒会見記」の回鶻文写本。
仏典かと思ったのですが、後で調べたところ弥勒菩薩について書かれた文学作品とのことでした。 ここには1枚だけ展示されている*11のですが、数百ページ(!)まとめて発見されていて、回鶻文で書かれたほぼ完全な文献という非常に貴重なものだそうです*12。 ということには現地で気が付かず、軽く見るだけで流したので今思うと惜しいことをしました。
哈密市非物质文化遗产保护中心
続いて博物館と同じ敷地内のすぐ隣にある、哈密市非物质文化遗产保护中心(哈密木卡姆传承中心とも呼ばれるようです。)。
新彊(というよりハミ)の様々な民族の文化を紹介する展示や、タイミングがあえばウイグルムカームの演奏や踊りを見ることができます。 このときはスタッフの方に訊いたところちょうど上演中とのことで、正面の入り口ではなく向かって右側の建物横側の入り口を案内され、そちらから演奏会場に入れました。
会場はこんな感じ。大型バスでやってきたたくさんの観光客で満員大入りでした。 なお肝心の演奏なんですが、電子音楽入り(録音も流してる?)になってて、生の楽器の演奏が聞こえにくい気がしました。 民謡の歌手の方による独唱もあり、節回しはこのあたりの香りを感じるものながら、伴奏の音楽はなんともモダンな電子音楽だったのも印象に残っています。 *13
終演後、建物の正面入り口から展示を見に行きます。 入口入ってすぐはこんな感じのやたらた派手な造り。
ハミのムカームについて。 ただ、こういったパネル展示多めで、動画や録音などはあまり多くなかった気がします。
そして、ここハミの街の名を冠したハミ瓜の特集展示もありました! なんでここでハミ瓜の展示が?と思ったら、ハミ瓜栽培は自治区の無形文化遺産、かつ国の農業文化遺産でもあるそう。 ちなみにハミ瓜の名前の由来は、清の康熙帝にハミの領主が献上したことだとか。
主に清代の文献から、ハミ瓜に関する記述が引用されています。 「瓜州よりもハミの瓜の方が美味しい」みたいにしれっと瓜州(敦煌)が比較対象にされていたり、ブドウはやっぱりトルファンが引き合いに出されたりと、他地域との比較も興味深いです*14。
様々なハミ瓜の模型も。 模様だけでもこんなにいろんなものがあるとは知りませんでした。
祭りなどについても。こちらの阔克麦西热甫は麦西热甫(meshrep)の一種。 meshrepはUNESCOの無形文化遺産*15の1つに登録されています。 こちらの解説にあるハミの阔克麦西热甫はお祭りのようなものかと思ったのですが、UNESCOの解説を見ると一般的なmeshrepは伝統的な集会のようで、歌舞音曲が披露されるだけでなく、住民間の紛争を解決する調停の場としても機能していたそう*16。
みんな大好き食の話。
ウイグル族の料理だけでなく、
回族や漢族の食についての展示もありました。 普段米を主食にしている人間なので、こういった小麦粉を使った多種多様な料理には心惹かれるものがある気がします。
個人的に気になったのはカザフ族の食の話。 遊牧・牧畜寄りの生活だからか、ここで紹介されていた他の民族のものとは毛色が異なるようです。 解説を読むと特に乳製品の利用が盛んなようで、”苦勒提(酸奶疙瘩)”というのはヨーグルトを乾燥させたものと書いてある+発音からしてクルトのこと、”阿克艾勒木齐克(奶豆腐)”はフレッシュチーズの一種のようです。
昼食
一通り見終えたので、そろそろお昼にするかーと移動開始。
途中、車に満載されたハミ瓜を見かけました。 観光客用に出してるようでさっき展示を見たばかりで気になるけど、これはご飯にはならないからなー、昼食後に食べるかーと見送り*17。
屋台(?)はほとんど営業してませんでした。 暑いし、たぶん夜に盛り上がるのかな。 ところでこの「我在~很想你」みたいな看板、中国の観光地だとだいたいどこでも見かけるのだけど、流行ってるのかな。
とはいえ屋内でやっているお店はあったので、手近なところに入ってラグマンをいただきました。 「一人で食べ切れる量」と言われて一皿頼んだら、これまた量が多い。 ちなみに味は美味しかったです。 麺は確か、うどんよりは細くスパゲティよりはやや太いくらいで、ほどよいコシのあるもの。 具に白菜とかきくらげが入っていたり、山椒が使われてるあたり、中国他地域からの影響かも?*18 油が多いものの熱いお茶がデフォルトでついてきたので助かります。
哈密回王墓
さきほどの博物館から通りを挟んで向かいにある回王墓に向かいます。 こちらは後の回王府とあわせてハミ郡王家(清代にジュンガルとの戦の功でこの地の統治を認められた領主?)ゆかりの地です。
入場料などは写真の通り。
こちらは様々な文化圏の様式の建築が同じ敷地に並んでいて、伝統建築が好きな人間としては楽しめました。
たとえばこちらはいかにもペルシア・イスラーム文化っぽい、大ドームを戴いた墓。
大ドームだけでなく、タイルにもペルシア要素を感じます。
お次は中央アジアっぽいエイティガール・モスク。 解説によると17世紀中ごろ創建で、その後18~19世紀頃にかけて拡張されたようです。
どのへんが中央アジアっぽいかというと、こちらの内部の造り。 平屋根を無数の木の柱が支える造りはウズベキスタンでも見たものです。
ウズベキスタンはヒヴァの大モスクを訪れたときの旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
「平屋根を無数の柱が支える」だけなら他の地方でもあるのですが、柱はイランだと煉瓦、トルコだと石のものがほとんどで、木の柱は見なかった気がします。 たとえばトルコの石の柱を用いたモスクの例だと、コンヤのアラアッディン・ジャーミーや amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
カイセリのウル・ジャーミーあたり。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
最後は、ここ新彊ではやや異色な気もする、東アジア木造建築。
軒先を見ても日本や中国の他地域で見慣れた東アジアの様式に見えます*19。 なお、円形や八角形(?)の屋根はなかなか見慣れないなーと思ったら、解説曰く満州やモンゴルの様式だそうです。
と、散々東アジアっぽいと書いてしまったのですが、こちらの墓も内部にはなんと最初に見た墓と同様のドームが設けられていました。 一つの建築にこんなにいろんな要素が入ってるとは思わなかったです。 文化交流の様子を感じさせるという意味で興味深い。
こうやって並べて見ると両者の様式の違いが際立ちます。
「歴史陳列館」という建物もあったのですが、内部は復元品とか当時を想像した油絵とかがメインだったのでざっと見るだけにしました。
哈密回王府
続いて、すぐ隣の哈密回王府。 さきほども書いたハミ郡王家の宮殿。と言いたいところですが、元の宮殿は残念ながら焼け落ちてしまったので、それを再建したものです。
マップ。
やたら中原風なんですが、実際に再建前のものもこういった様式のものだったそうです。 この後見かけた解説によると、ハミ郡王が北京を訪れた際に紫禁城の姿に感銘を受け、帰る際に中原の工人らを招いて宮殿を建てたとのこと。
中国の歴史系観光地あるある(?)、人形で往時の様子を再現したもの。 左の2人は赤系統の鎧(?)をまとっていますがこれは理由があって、ハミ群王家は清朝の八旗の鑲紅に属していた*20からのようです。
こちらの牌坊から続く急階段を上り、
門をくぐると
正殿?前の広場に出ます。
ただこの建築、近づいてみると分かるのですが、きちんと伝統的な工法に則した建て方ではなくて、あくまで伝統建築風の建築です。 具体的には、斗栱(組物)が見るからにニセモノ感があります*21。 まあでもこのへん突っ込み始めると日本でも例はあるので、どこまで突っ込むべきか悩ましい*22
なお、先ほどの写真では中原風の建築しか映っていないですが、少し視線をずらすとすぐ横に中央アジア・西アジア風の建物も共存しています。
建物内には王府や王墓、新彊の文化の解説もありました。
散策
地図を見ると、古そうなマザールorモスク?が近くにあるそうなので、歩いて行ってみることにしました。
このへん(ハミの市街地の南部)は北部とは違って昔の街の姿が残っているっぽいです。 道行く人もウイグル族と思しき装いの人が多かったと思います。 年配の女性はスカーフで髪を隠してる人が目についたり(でも隠してるのは耳から上だけ。このへんはウズベキスタンの年配の女性も同様でした。)
民家の上に突き出た部分、壁には穴が設けられているあたり、ブドウを干すための小屋とかでしょうか(このあとトルファンで似たものをいくつも見かけて、そちらではブドウを干す小屋という解説があった記憶があります。)。
道端のお店のナン。 気になるけどどう考えても食べきれないので見送り。
お目当ての場所はこちら。
残念ながら扉が閉まっていて、中には入れませんでした。
が、博物館でも展示されていた門の装飾は見ることができました。 建物のドームはペルシャを感じるのですが、門の装飾は組物を重ねるような形で東アジアの雰囲気を感じます*23
この後バス+徒歩で「哈密肃州寺」というモスクを見に行ったのですが、こちらは工事で近づけませんでした。
ついでに隣の公園を少し散歩したのですが、何やら遊具?健康器具?のようなものが多数。
こちらはクスリと笑ってしまった顔はめ、じゃなくて体型はめ?パネル。 一番左は肥満寄りなので「长时间中低强度运动,节食」というのも納得なのですが、一番右が「加强力量训练」なのは細すぎるのもダメということかな、たぶん。
本屋
さてさて、あんまり観光らしくはないのですが、せっかく中国、しかも新彊に来たということで、現地の本屋さんを訪れてみることにしました*24。 特に何かを買う予定はないのですが、新疆らしい本が置いてあったりするかなーというのがお目当て。
こちらの新華書店では入口にロッカーがあって、大きい荷物はそこに預けるよう言われました*25。
新華書店お約束のプロパガンダ本は華麗に流して奥に進むと、新疆らしくアラビア文字の本もありました。 たぶんウイグル語、のはず。。。*26
中国語によるウイグル語の教材や、ウイグル語による中国語の教材も並んでいます。 特に印象的だったのが、右の写真の左下に並んだ赤い本。なんと、新華字典のウイグル語版(漢字をウイグル語で説明するもの)でした。
2階は中国語の本がほとんど。 他の地域でも見る本がほとんどだと思いますが、左宗棠特集コーナーがあるのは新彊らしい気がします。
他にも古代漢語や中国史の本など眺めたのですが、写真は割愛。 あとは、店内に椅子と机がおいてあり、座って本をゆっくり読めるのが印象的でした。
注意書き。 観光地とかだと「游客止步」と書かれたものを良く見るのですが、書店では来店客のことを「读者」(読者)と呼ぶのか~というところが面白い気がします*27。
書店を出てバスを待っていたら、何やら見慣れない車が目に飛び込んできました。 車体には「多功能抑尘车」と書かれており、土埃を押さえるために水を撒いているようです。
ハミで見たいものはだいたい見たので、翌日の電車の出発時刻を早めることにしました*28。
ちなみにハミ近郊の絶景で有名な「哈密魔鬼城」(もしくは「大海道景区」)には行きませんでした。 ホテルのフロントにもおすすめされた(というか「ハミにくる観光客はほとんどここが目当て」とも言われた)のですが、今回は歴史/文化メインのつもり+難易度が高そうだったのでパスしました*29。
こちらのスレッドに詳しく書いてくださっている方がいらしたので、気になる方には参考になるかもです。
哈密から西に200㎞近く、そこには人煙の全くない無人区が見渡す限り広がる。まるで火星に降り立ったようだ、ということで火星基地なんて呼び名まであるそうだ。
— まゆ (@mohumohumayu) 2024年8月16日
前漢から唐にかけてここには敦煌、哈密、吐魯蕃を繋ぐ交易路が通っていた。この過酷な大地の大海原を、古の人々は大海道と呼んだという。 pic.twitter.com/wfrrsNc7Js
夕飯
お昼のラグマンが量が多かったので、夕食はテイクアウトで軽く済ませることにします。
果物屋さんで、お店の人におすすめされた蟠桃という平べったい桃と、生のプルーン(西梅)を購入。 トマトが並んでるのが面白いのですが、どうもトマトは果物扱いっぽいです*30。 ハミ瓜も気になったのですが、まるまる1個からの販売っぽくて「1人じゃ食べきれないかなー」と言われたので諦めました。
あとは昨日通りがかったナン屋さんでサモサ(烤包子)も。
ホテルに着いたらサモサは少し冷めていましたが、塩気の効いた羊肉がごろごろと入っており、美味しかったです。 意外とボリュームもあり、当初2個買うか迷ったけど、1個にしておいてよかった。
果物はこれで全部で9元近くとお安い。 蟠桃は思ったより甘くてジューシーでめっちゃくちゃ美味しかったです。 あまりに美味しかったのでこの後何回か別の街でも買ったのですが、他のはこれほどではなく、このときのハミのものが一番美味しかったです。当たり外れがあるのかな。 ちなみにサモサでお腹いっぱいになったので、果物は半分だけ食べて残りは翌日の朝ごはんになりました。
翌日に続きます。
*1:写真のタイムスタンプを見ると、朝10時。ただし、北京時間なので実質朝9時くらいの感覚です。
*2:実物は高さ16cmらしいのではるかに小さいです。台座に刻まれた解説より。
*3:後で展示室でもとになった実物を見かけました。
*4:後述のcurrent biology誌参照。
*5:というかそもそも中国での古生物学の発掘状況の話は全く知りませんでした。
*6:ここでの天山北路は、いわゆる「シルクロード」の天山北路ではなく、ハミ市内の道路の名前のはず。
*7:中国語で饼と言えば、日本でイメージするような米をついたもちではなく、穀物の粉を練って整形して焼いたりしたもの。
*8:別に南部でも良く出土するとかならこの推察は間違いなので、どう分布してるのかとか要確認。
*9:ハミ市街地からは山を挟んで北に位置します。
*10:この旅の後の方で、ウルムチの新疆ウイグル自治区博物館で実物を見ました。
*11:というかレプリカor写真等かもしれないのですが、記憶があやふや。。。
*12:百度百科 https://baike.baidu.com/item/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E4%BC%9A%E8%A7%81%E8%AE%B0/7145772 博物館公式webページの動画 https://hamimuseum.com/?relic_54/173.html
*13:このへん、観光客向けのショーとするためにこのように変化したのか、それとも伝統音楽が活きているが故にこういった現代的な要素を取り入れて発展しているのかで評価がだいぶ変わるので意見は保留。後者については、日本でも和楽器バンドとかよさこいソーランみたいなのあるしなーというのを念頭に置いてます。
*14:ちなみにブドウとトルファンの話を書いている「阅微草堂笔记」、後の展示でも引用されていたので気になって調べてみたら、百度百科曰く、これは清代の奇談怪談小説?だそう。
*15:正確には、「緊急保護が必要な無形文化遺産」"List of Intangible Cultural Heritage in Need of Urgent Safeguarding"
*16:https://ich.unesco.org/en/USL/meshrep-00304
*17:ちなみに昼食を食べたら量が多くてお腹いっぱい過ぎてハミ瓜を食べる余裕がなくなりました。無念。。。
*18:今回の旅で何度もラグマンを食べたのですが、お店によって具の種類はいろいろでした。
*19:細かいことを言うと、角の垂木の処理が扇垂木になってる(中国は確かだいたいこの様式)あたりは日本の主流派とは異なる点。
*20:現地解説パネルより。
*21:本来は斗が梁を挟むように支えるはずなのに、平面状の板が上にでんと乗ってるので、全然斗栱の形になっていないです。。。
*22:大阪城はコンクリ再建ですし、あと富士山+五重塔+桜で有名な新倉山浅間公園の五重塔なんかは組物が全くない形で作られちゃってますし。。。
*23:斗がないので組物というのは不正確ですが。
*24:この旅では、基本的に全ての都市で新華書店に行きました。
*25:テロ対策かな?と思ったのですが、おいてある手荷物検査機は使っている気配はなく、また、他の街の新華書店に行ったときは「リュックが開けられないようにお店の用意した袋に入れて持ち込む」というフローだったので、どうも盗難防止な気がします。
*26:新彊では、ウイグル語だけでなく、カザフ語やクルグズ語も同様の改良アラビア文字を用いて表記してたはず。
*27:と言っても他に用例を見てないので過度な一般化かもです。
*28:このへん中国鉄路12306の公式アプリからさくっと変更できるので便利。
*29:日帰りツアーがあるらしいので、ホテルの方に頼んで手配していただければ行け
*30:ホテルの朝食ビュッフェでも果物と一緒に並んでいました。