世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2023年冬 西安と蘭州の旅 7日目 : 西安(陝西歴史博物館)

2023年冬 西安と蘭州の旅7日目(2023-12-19)の記録です。 この日は今回の旅の主目的(の1つ)、陝西省歴史博物館を観光します。 朝から閉館時間ぎりぎりまで滞在したのですが、それでも全部は見て回れないくらいの充実した展示でした。 西安に行くならイチオシです(予約が手間ですが。。。)。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

博物館への移動

そろそろ野菜不足を感じたので、この日の朝食はホテルのビュッフェにしました。

ホテルの近くから、バスで博物館に向かいます。 時刻表はないようなのですが、中心部だと5分~10分に1回の高頻度でバスが来るので、「待っていれば割とすぐ来る」という感覚で利用できました。

陝西省歴史博物館

概要

  • 公式webページ : https://www.sxhm.com/
  • 定休日 : 月曜日(ただし祝日の場合は開館)
  • 開館時間 :
    • 夏期と冬季で異なります。私が行ったときは冬で、9:00~17:30開館だったと思います。最終入場は閉館1時間半前まで。
    • また、閉館15分前あたりから各展示室への入場が停止され、展示室からの追い出し(?)も始まっていたので、閉館時間ギリギリまで自由に見学できるわけではないです。なお、閉館間際は人が少ないので、最初に見た展示のうち気になるものをもう一度見たり写真を撮ったりしました。
  • 入館料 : 無料。ただし、「大唐遺宝」の展示と「唐代壁画珍品館」は有料です。確か合計で270元だったと思うのですが、あまり自信がありません(大唐遺宝だけなら30元程度だった記憶があるのですが、壁画館はお高めです。)(この値段も繁閑に応じて変わるかも。)。これら有料の展示のチケットは、博物館に入場した後に館内で購入しました。

予約と入場

原則予約が必要です。詳細は公式webページ参照。

  • WeChatの公式アカウント、またはmeituan(美团)アプリから予約できます。
  • 2日前から予約可能です*1。ただし一気に売り出されるわけではなく、10時、11時、18時、19時(中国時間)と4回に分けて少しずつ予約枠が出されるようです。私は茂陵を観光中に予約しました。
  • パスポート番号で予約可能でした。携帯電話番号を入れる箇所では中国の携帯電話番号を入れました。日本の携帯電話番号が使えるかは未確認です。
  • 上の写真右側の窓口(「東4」と書かれたところ)で紙のチケットを受け取りました*2

上の写真の左側には大きい荷物を預ける場所もありました。

10:30からの枠で予約したのですが、10:20に入れました。繁忙期もこれでOKかは分からないです。

ガイドについて

博物館の外でガイドの営業をちらほら見かけたのですが、これは非公式のもので、本来は禁止されているようです*3。 博物館の公式ガイドは、館内に入ってから依頼できます。

また、音声ガイド機の貸し出しもあります。代金30元、デポジット100元です。中国語のものを利用しました。英語版があるかは確認していません。

混雑について

訪問したのはオフシーズンの平日のはずなのですが、なかなかの混雑でした。

ちょっと極端ですが、一番混雑していた展示室の様子。 これは最初の方の展示(先史時代~周のあたり)です。 他はこれほど混雑していなかったので、朝に入った場合はむしろ後半の展示から見ていった方が空いているかもしれないです。

たまたま聞こえたのですが、お客さんがスタッフさんに「冬でこんなに混んでたら夏休み期間とかどうなるの?」(意訳)と聞いたら「千万别来」と返されてました。 混雑でエアコンの効きも悪くなってスタッフも熱中症になりそうで大変らしい。。。

無料部分の展示

企画展?

企画展(?)として、唐代の音楽についての展示がありました。 さすがに音楽そのものは分からないのですが、壁画からわかる楽器の種類や、文献からわかる音楽の種類などの解説パネルがメイン。

ひときわ目を惹いたのはこちらの三彩の俑。 駱駝の背の上に楽士たちがひしめく様が生き生きと表現されています。 琵琶、笙、排簫あたりの楽器は判別可能。

日本の雅楽などについても言及がありました。 こういう文化のつながりは面白い。

前秦

西周時代の水道管(左)と空芯磚(右)。 咸陽の博物館などで秦代の水道管をみてすごいなと思ったのですが、さらに西周まで遡れるのですね。 空芯磚は恐らく重量軽減のためかな。 イランのペルセポリスでも中がくりぬかれた石材を見かけた記憶があるのですが、技術的な課題に対して似たような解決が違う素材で独立に試みられていたとしたら面白いです。

ずらりと並ぶ青銅器の数々*4

多友鼎。 解説パネルによると、内側には279文字もの長さの銘文が鋳込まれていて、西周時代の将軍多友の武功が述べられているとのこと。

青銅器の展示は次の部屋にも続きます。 こちらは先ほどと比べるとやや変わった形の青銅器の展示が多いようです。

何やらユーモラスな造形の牛型の尊。

こちらの「觥」、酒器の一種だそうなのですが、なんとも精巧な造形です。

側面。器の形に気を取られていたのですが、表面には饕餮や竜、鳳凰のようなモチーフが描かれています*5

こちらは「盉」と呼ばれる水差し?*6 宴の前などに手を(?)洗うのに用いられ、「盤」はその水を受けるのに用いられたとか*7。 様々な動物のモチーフがあしらわれているのが印象的です。

ちなみに上の3つの青銅器、どちらも出土地が宝鶏市と書かれていました。 先日の宝鶏青銅器博物館の展示品もかなりのものでしたが、宝鶏おそるべし。

おもりと升。 始皇帝が度量衡を統一するにあたり全国に配布したとされるものです。 音声ガイドで毎年(か一定の頻度で?)回収して較正していたと話していた気がするのですが、ちょっと記憶があいまいです。 どういう根拠でそれが分かるのかとか、どうやって較正していたのかとか気になります。

石をつなぎあわせた鎧。 「さすがに重すぎるのでは?」はと思ったら、やはりこれは実用品ではなく、実際の鎧は革鎧だったそうです*8

青銅の龍。 後ろに映った人と比べても分かる通り、なかなかの大きさで驚きました。 ちなみに出土時はバラバラだったらしく、これは綺麗につなげて修復したものとのことです。

跪座の俑。 現代の中国では椅子に座るけど、魏晋南北朝より前くらいは椅子がなかったので、正座した俑が出てくると納得感がある。

始皇帝兵馬俑もあったのですが、人が多かったのと、9月に兵馬俑博物館で十分たくさん見てきたので、写真は撮っていません。 9月の旅行の記事はこちら

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

漢代のセクションでは、当時の日常生活の様子が垣間見える品々が展示されており、とても興味深かったです。 「副葬品の明器で生前の生活を再現する」という当時の習慣のおかげで、今の我々が2000年前の日常生活に思いを馳せられるのはありがたい。

左のものは、ため池を模したものだそうです。中にいるのは蛙や亀、巻貝の類でしょうか...? 右は恐らく、豚小屋を再現した焼き物。(なんで二階部分に建物があるんだろ?)

お次は、漢代の副葬品の定番(?)*9のミニチュアの穀倉の数々。 右の写真の一番右は、おそらくミニチュアの碾き臼で、穀物を粉にして食べる習慣があったことを示唆しているように思います*10

こちらの品、音声ガイドによると、中に調味料を入れて下から火で加熱し、肉などをつけて食べたのではないかと考えられているそうです。 さながら火鍋のようですね。 ただこれ、どこまで証拠がある推論かは説明されていなかったので、根拠が気になります。 付着物とかの分析もしたのかな。

こちらは「鍑」と呼ばれる調理器具。元は遊牧民のもので、野外で使うのに便利な形だったそうです(立てて使うのにも、上からつるして使うのにも適しているらしい。)*11。 9月に行った蘭州の甘粛省博物館でも鍑が展示されていて、「遊牧民族の影響を受けたもの」という説明があった気がします。 こういう、異なる文化圏の交流を示唆するような品が好き。 googleで検索してみたら、「鍑の研究-ユーラシア草原の祭器・什器-」というその名もずばり鍑を取り扱う研究書も見つかったので、ちょっと気になります。

漢代の俑。 秦のものよりも漢のもののほうが色が残っています。 これは、秦のものは焼成後に漆を塗って彩色して完成とするのに対し、漢のものは彩色後に2次焼成しているからだそうです*12。 ちなみに展示されていたかどうかは忘れたのですが、服を着ていない俑の方が出土例が多いそうです(作るのが容易だからだそう。)。 服を着ていない俑、本来は陶製の胴体に、木製の腕などを挿したり布製の服を着せたりしたそうですが、さすがに木製や繊維製の部分は残っていないとか*13

象牙製の算木。らしいのですが、このシンプルな見た目からどうやって「算木として使われていた」と論証できるのか気になります。

魏晋南北朝

こちらのセクションでは、北周時代のソグド人の墓がひと際目を惹きました。

まずはこちらの門。

近づくと精巧な装飾がよく分かります。 一部に金箔が残るところもあるようです。

そして驚いたのがこちらの石榻。 浮彫に彩色と金箔が施され、当時の生活の様子が生き生きと描かれています。

拡大。 こういう生活の話は文献史料だけだとわからないことも多そうなので、こういう図像史料は当時の文化を知る貴重な手掛かりになりそう。

ちなみに墓の主は安伽という人物のソグド人とのことです。 苗字からして現在のウズベキスタンはブハラ出身っぽいですね。

こちらは俑いろいろ(さきほどの安伽墓とは無関係)。 左は髪型が印象的です。 右のは楽士の俑。 右から2人目の阮咸のような楽器を持った人、バチのようなものまで再現されていて芸が細かい。

鎮墓獣など。 人面獣身の鎮墓獣、唐三彩でいくつか見たことがあるのですが、それらと比べるとかなりユーモラスな造形です。 ところで漢代の鎮墓獣は一角獣のようなものをいくつか見たのですが、もしかして人面獣身の鎮墓獣は漢代にはあまりなくて、魏晋南北朝時代から流行りだしたものだったり?

漢代の副葬品の一角獣は、たとえばこちらで見たりしました: amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

陵墓の壁画。右のものは顔と服装の組合せにひっかかったのですが、男装した女性とのことなので納得。

左は鏡。金と銀を用いて平脱という手法で文様が表されています。 右は龍。天を舞う龍とは形が違うのでは? と思ったら、どうやら唐代以前の龍は地を歩く形をしていて、空を飛ぶ形になったのは宋代以降という話を先日twitter(X)で見かけました*14

見事な細工の施された皿、盃、椀。 唐三彩などは日本の展覧会でも見る機会がそこそこあるのですが、唐代の金属細工はほとんど見たことがありませんでした。 こういう意味でもやっぱり現地の博物館を訪れるのは良い。 ちなみにこれでも十分美しいと思うのですが、この後訪れた「大唐遺宝」展(追加料金が必要)では、さらに精巧な金銀細工がこれでもかと陳列されていました。

俑いろいろ。 人間も人間以外の動物もあり、あまりの数に圧倒されます。 このへんでお腹が減ってきて、あんまりきちんと見れなかったものもあるので、もう一度行きたい。

舞を踊ったり 音楽を奏でたり。

さきほど「人間も人間以外の動物もあり」と書いたのですが、半人半獣の俑もありました。 人面獣身のものは鎮墓獣などよく見かけますが、こちらは逆に体が人間で頭が人間でないもの。 十二支をモチーフにしたもののようで、どことなくユーモラスな印象を受けます。

五代十国以降

五代十国以降は1つのセクションにコンパクトにまとめられています*15

現代の「幻方」。縦横斜の数字を足した和が等しくなるよう数字が配置されているそうです(いわゆる「魔法陣」?)*16。 数字がアラビア圏の表記方法で描かれているところが面白いです。 なお解説パネルによると、この品は、中国で現存するアラビア数字による魔法陣としては一番古いものだとのこと。

明代の俑。 唐代以降もこの風習が続いているとは知らなかったので、これは興味深かったです。 被り物にバリエーションがあるので、どういう違いがあるのか気になる。 足元の板に炭で職位などが記されているらしい*17ので、職位と服装を突き合わせて比較すると面白そうです。

昼食

ここまで見てきて、既に14時。

きりも良いので、館内の地下の食堂でいったん昼食にします。

お腹の調子がよくないので辛くないもの、ということで卤肉饭にします。 ポテトがあるから飲み物はコーラかなと思いきや、酸梅汤でした。 お値段は48元(博物館内だからかお高い気がする。)。

食の歴史にまつわる豆知識が書かれていて面白い。

大唐遺宝

こちらは数十元とは言え有料だからか、先ほどよりは人がぐっと減ります。

解説パネルによると、1970年に西安市の南の何家村で偶然発見された財宝の数々を展示しているとのこと。 これらの品々は、上の写真の容器に収められた状態だったそうです。 まさかこのセクションが一か所からの出土品のみで構成されているとは思わなかったので驚きです。

玉器などもあったのですが、豪奢で優美な金銀細工の数々が印象的でした。

銀製の盃(いわゆる「耳杯」)。 一部に鎏金が施され、外側には水鳥が描かれています。

金の椀。こちらはさきほどの無料の展示のところでも類似のものがありましたね。 外側の装飾、これを手作業で打ち出す(?)のは気の遠くなるような時間がかかりそうです。

こちらの銀器、変わった形だなーと思ったら、解説パネル曰く契丹族の「皮囊」(革袋)の影響を受けたもののようです。 もうちょっと後の時代に焼き物で革袋の形状を模して作られたもの*18は以前見たことがあるのですが、金属器というのは初めて見ました。 こういう、異文化の交流を示す品は興味深い。

銀製の皿。 こちらも動物の部分に鎏金が施されています。 「飞廉」と呼ばれる神話上の生き物を象ったもの。

こちらは桃を模した形の皿に「獾(huān)」(アナグマ?)をあしらったもの。解説によると、「双獾」は「双欢」の音に通じ、縁起を担ぐものなのではないかとのこと*19

金のカップ

こちらも金のカップ。 各側面に楽人などが立体的にあしらわれています。 写真がいまいちで伝わりにくいのですが、これには感動しました。

メノウ製のリュトン*20。 先ほどの金のカップと並んでで、この展示で最も目を奪われた品です。 ちなみに解説パネルによると、口元の金の部分は取り外し可能な栓になっているそうです。 とはいえ、おそらく実用に供する品ではなく、芸術品として扱われたと考えられているとのこと。

あまりにも美しいのでじっくり眺めながら何枚も写真を撮ってしまいました。

壁画

前日に訪れた墓など、いくつかの墓から移動された壁画を保存・展示しているセクションです。 こちらは写真撮影禁止です。 また、靴カバーが用意してあり、これを靴につけて入る必要があります。

200元以上とお高いこともあって、他に見学者は2組ほどしかいませんでした。 壁画の保存のためか照明は落とされていて、見学者が近づくと(足音に反応して?)照明がつく仕組みになっていました*21

肝心の壁画についてですが、儀仗や狩猟など、当時の宮廷文化をうかがい知れる場面が描かれているものが多かったように思います。 また、当時の建物が描かれたものもあり、建築史においても有用な史料になるかもしれません。 ただ、嘉峪関のときに見た日常の習俗(特に食文化)を描いたようなものなどはあまりありませんでした。

移動

閉館時間ギリギリまでいたのですが、全部の展示は見終われず、撤収します。 「前近代のものは全て見ることができて、近代のものへの興味は薄いので、最低限見たいものは一通り見れたかな」と思う一方で、もっとじっくり見たかった感もあるので、また来たい。

バスでホテルまで戻ります。地下鉄と違って手荷物検査もないし駅内をやたらと歩く必要もないし、とっても便利。

街中で防寒用の帽子が売られているのを見かけました。 西安に来てからやたらとケモミミつきの帽子をかぶっている人が多くてなんでだろうと思っていたのですが、謎が解けた気がします(たぶん、あまり防寒装備なしでやってくる観光客向け)。

夕食

「そろそろ小吃系のお店以外も行きたいなー」と思って、夕食はホテル近くの锅贴(焼き餃子)のお店にしました。

餃子はニラの香りが効いていて美味しい。

野菜も補給できて満足です。44元。

店員さんに量を確認して「餃子と、野菜炒め1皿で1人分にちょうど良いと思う」と言われて頼んだけど、そこそこ多かったかも...?

ホテルへの帰りに見かけたバスの行列。 西安の中心部、バスの路線数が多く頻度もかなり高くて便利ですが、ここまで行列になっているのを見ると「大丈夫? 運行しすぎて大赤字だったりしない...?」と少し心配になります。(ただこれ、同じ路線のバスが詰まってるわけではなく、違う路線のバスだった記憶があります。複数の路線が止まるバス停もそこそこあり、乗り換えて移動することもありました。)

翌日に続きます。

参考文献

  • [1] 山本堯 (2023)「中国青銅器入門 : 太古の奇想と超絶技巧 (とんぼの本)」新潮社 ISBN: 978-4-10-602303-3
  • [2] 柿沼陽平(2021)「古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで」中央公論新社 ISBN: 978-4-12-102669-9

*1:夏休みや大型連休はちょっと違う旨の記載もありました。

*2:これはたぶんパスポートで予約したから。身份证で予約した場合は不要かもしれません。

*3:と注意書きがあった or 放送が流れてた気がするのですが、やや記憶が怪しいです。

*4:この写真ではほとんど人がいませんが、これは閉館間際に撮ったものです。

*5:このへんは参考文献[1]のおかげで多少は分かる(気がする)ようになりました。

*6:参考文献[1]p.19では「酒に香草の煮汁を混ぜる、もしくは酒を温める器。」とあるので、解釈が異なるようですね。

*7:確か「箸がなく手づかみで食べていたので」と音声ガイドで聞いた記憶もかすかにあるのですが、あまり自信がありません。

*8:音声ガイド情報。

*9:定番というかはよくわからないですが、宝鶏の博物館や、9月に訪れた武威の博物館などでも何度も見かけた記憶があります。

*10:参考文献[2]p.90~p.94で、漢代に主食に何を食べていたかが紹介されています。

*11:音声ガイド。

*12:音声ガイドの情報。

*13:これも音声ガイド情報。

*14:https://twitter.com/Cecelia_zhang0/status/1742245785536692481 ただし、きちんとした裏取りはしていません。

*15:宋以降、中華の中心はもっと東側に移り、西安は地方都市という立ち位置になったという理解なので、この博物館で宋以降の時代の扱いが小さいのは納得感はあります。

*16:解説パネルの情報。

*17:音声ガイド情報

*18:「皮囊壺」でgoogle検索すれば見つかります。

*19:唐代の漢字音(中古音)でもこれが成り立つかは、私にはわからないです。

*20:古代ペルシアや古代ギリシャなどに見られる酒器の一種。

*21:靴カバー、「床を保護する必要はないのでは?」と不思議に思ってたのですが、たぶん足音を軽減して照明がつく範囲を制限するためとか...?

2023年冬 西安と蘭州の旅 6日目 : 西安(乾陵)

2023年冬 西安と蘭州の旅6日目(2023-12-18)の記録です。 前日に西安に着いたばかりですが、この日は西安から少し足を延ばして、唐代の陵墓「乾陵」を観光します。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食

朝8時前に起床。字面だけ見ると朝遅いのですが、だいたいこの時間が日の出です(中国は広い割に全国が1つの標準時間なので、西部だとこうなる。)。

朝食は近くの胡辣汤のお店でいただきます。 お値段17元。胡辣汤は意外と辛かったです。あと、羊のくさみがけっこうある...?

レジのお爺さんからどこの人か聞かれたので「住在日本的華僑」と言ったら「你在日本干什么呀?你知道吗,我们跟日本有仇恨(略)」みたいなことを言われました。 前回9月と今回の旅でけっこういろんな人と話したのですが、このタイプの話をしてくる人と出くわしたのはこれが初めてな気がする*1

乾陵までの移動

乾陵までのアクセスは、都市間バス → タクシーと、ちょっとひと手間かかります。

まず、地下鉄で城西客运站に移動します。

入ってすぐ右手に自動券売機があるのですが、これを使うには中国のいわゆる「身份证」が必要です。 ということで、奥に進んで右手側(上の写真の右奥)の有人窓口でパスポートを見せてバスチケットを購入します。

乾县行きのチケットを買うのですが、乾县行きには高速と低速があってどっちか聞かれるので要注意。もちろん高速で。 アリペイで支払ったのですが、有人窓口に来ている他のお客さんは現金で買っている人も多かったです*2

こちらが紙のチケット*3 お代は27.2元。 ちなみにこの路線は「流水班」と言うタイプの路線でした : 事前に決まった発車時刻がなくて、だいたい満員になる or ある程度の時間間隔が経ったら発車するようです*4。 終バスの時刻は決まっているので、そこだけ要注意*5

なんだか良い香りがするなーと思ったら、ナツメを使ったお菓子(?)のお店がありました。 この系列のお店、2日前に宝鶏でも見たし、その前に蘭州でも見かけた気がする。流行ってるのかな。 香りに誘われて買いたくなったのですが、朝食が量多めでおなかがいっぱいだったので残念ながら見送ります。

建物から乗り場に出るときにパスポートチェックがありました。 上の写真では少し暗くて見にくいですが、行き先が書かれているので、これを見て自分の買ったチケットの行き先のバスに乗ります。

乗車時にはチケット確認がなかったのですが、乗ってからしばらくして乗客が増えてからまとめて確認されました(機械でバーコード読み取り)。 乗車後だいたい15分ほど待って出発。

道中は農地が続きます。果樹らしきものが多かった気がする。

乾县のバスターミナルには1時間くらいで到着しました。 タクシーの運転手が集まってきたので、運賃と車両(白タクじゃなくてきちんとしたタクシーであること)を確認して乗車。

タクシーで乾陵ビジターセンターまで移動します。 乾陵のあたりは見どころがいくつも散在しているのですが、そのうち「游客中心」(もしくは「乾陵博物馆」「永泰公主墓」)と書かれているあたりにあります。

このやたらと大きくて新しい建物がビジターセンター。ただし、これは裏側から見た姿で、正しい入り口はこの反対側でした(まあこっちからも入れたのですが。)。 下車時にタクシー運転手は名刺を渡してくれたので、帰りは電話して呼ぶことにします*6

乾陵景区

概要

  • 唐代の陵墓群です。主に「乾陵」「永泰公主墓」「懿德太子墓」などからなります。中でも乾陵はなんと高宗と武則天の合葬墓です。
  • ビジターセンター(上の案内図の1番)で共通入場券と観光バス乗車券を購入しました。各陵墓などでもチケットは売っているようなのですが、そちらで買うにはどうも身份证が必要なようで、パスポートを見せたら「ビジターセンターで買うように」と言われました。
  • 「各陵墓を見る→シャトルバスで次の陵墓に行く」という行程でだいたい一通り周れます。共通入場券と観光バス乗車券はいずれも紙で、チケット上のQRコードを係員がスキャンする形で利用しました*7
  • ちなみにこの時期は閑散期だからか、バスは一部行程をスキップしていました(後述)。
  • 歴史的背景(被葬者が誰か)を予習していった方が良いと思います。私は中公新書の「唐 ユーラシアの大帝国」を読んでいきました。

永泰公主墓エリア

ビジターセンターから最も近い(徒歩ですぐ)のが、こちらの永泰公主墓があるエリアです。

仿唐乾陵地下宫

こちらはなにやら人形で武則天の生涯を再現した施設のようです。 私はあまり興味がなかったので、さっと一周しただけで出ました。

永泰公主墓

こちらの入り口から墓室の内部に入ることができます。

墓室への下り坂はけっこう急です。 ちなみに、このときは他の観光客がほとんどいなかったのですが、スタッフの方に聞いた話では人が多い時期はここにも行列ができるそうです。 あと、閉鎖空間で換気が効かないので、あまりたくさんの人間が入らないように入場制限もしているとか。

墓室内部。 壁画がありますが、墓内の壁画はたいていが複製品で、本物は陝西歴史博物館にあるそうです*8。 奥には石棺(をさらに覆うもの?)のようなものもあったのですが、これも複製品かな...?

陵墓の上にも登れます。

乾陵博物館

永泰公主の墓誌の蓋部分と、墓誌銘の拓本*9。 千数百年前の文字ですが、基本的には今の漢字とほぼ同じ形で、1つ1つの文字は読み取れると思うとわくわくします。 漢文(もとい古代漢語or文言文)を齧って、博物館でこういうのを読めるようになりたい。

墓の壁画。ただ、これは複製品な気がします*10

副葬品の俑。後ろからよく見ると猫(?)もいてどことなくユーモラスさを感じさせます。 他にも俑(特に胡人のもの)が多数展示されていました。

懿德太子墓

シャトルバスに乗って懿德太子墓に向かいます。 そこそこ大きな観光バス(マイクロバスよりは大きい)なのに自分1人しか乗ってなくてかなり申し訳ない。

懿德太子墓。ここのゲートで入場券の確認があります。

こちらは華表と呼ばれる、装飾用の柱だそう*11。 よーく見ると表面に文様が刻まれています。 ただ、野ざらしにされているにしては綺麗すぎるので、当時のものではなく複製品な気もします。

懿德太子墓も墓室に入れます。

敷地内には出土品陳列室と壁画館という展示施設もあったのですが、残念ながらどちらも閉まっていました。

これとは別に懿德太子の生涯を解説した展示は開いていたのですが、軽く見るだけにしました。

なお、この時点で14時を過ぎているので、さすがに空腹が激しくなってきました。とりあえず羊羹を食べます。

乾陵への移動と昼食

シャトルバスで乾陵に移動します。 地図を見る限りこの近辺にレストランがありそうだったのですが、オフシーズンだったからかかなりの数が閉まっていました。 ピンチ。

バスは陵墓の一番下ではなく、真ん中くらいのところ*12まで山道を登って停車しました。 ハイシーズンだと下まででで、オフシーズンは上でまで登ってくる、ということかもしれません。

幸いにして、バス停近辺にレストランが1店舗開いていました。 他に誰も客はいなかったし店内も寒かったけど、本当に助かりました。

ビャンビャン麺。めっちゃ量が多く、あたたかくて嬉しい。 なお外は寒い(-5℃~0℃くらい)上に、この観光は基本的に野外を歩き回るので、だいぶ体が冷えます。 そういう意味でも暖かい食事は最高でした。

乾陵

ビャンビャン麺を食べてHPが回復したので、観光に復帰します。

乾陵は天然の山そのものを利用しており、ここまで見てきた陵墓に比べてスケールが大きいです。 なんと、道の先に見える奥の山が陵墓本体。

石像/石碑いろいろ

陵墓に向かう大通りの両側には、多数の石像が並びます。

左のレリーフはダチョウを表わしたものです。 ダチョウは西方からの朝貢などでもたらされたそうで*13、往時の国際的な交流を感じさせます。 右の馬の彫像は、鞍だけでなく鐙など馬具が精巧に再現されているのが印象的です。

「無字碑」を呼ばれる、建立当時は文字の刻まれなかった石碑。 なのですが、他の観光客が「無字碑って言うけど文字あるやん」って突っ込んでたとおり、今は文字が刻まれています(かなりうっすらとしか見えないですが。)。 解説の銘板によると、宋金以後に誰かが勝手に刻んだものらしい。。。

こちらはもう1つの石碑「述聖紀碑」。こちらは武則天撰文の文面が刻まれているとのこと。 文字はかなりうっすらとしか見えないですが、

こちらの解説パネルを見ると残っている文字もそこそこあるようですね。 本文の書きだしが「朕聞」とあるので、皇帝として書いた文章であることが見て取れます*14

六十一蕃臣像。高宗と武則天の時代に唐に臣従した周辺民族/国家の長を象ったものだそうです*15

ほとんどの石像は頭部がありませんでしたが、こちらは比較的よく残っており、髪型が印象的です(恐らく、唐の中央の高官らとは異なった髪型)。

像の背中には文字が刻まれているものもあります。 解説パネルによると、国や部族の名前、官名や本人の名前などが刻まれていたそうです。 残念ながら今はほとんど読み取れないみたいです。

背面の文字と頭部がもっと残ってたら、当時の様々な民族の髪型について窺い知れる貴重な史料になっていたかも...?

乾陵の碑。20世紀半ばのものも、清代乾隆年間のものもありました(写真は清代乾隆年間のもの。)。 思えば前日にいった茂陵(漢武帝の陵墓)にも乾隆年間の碑がありました。流行ったのかな。

山頂まで

さて、たいていの観光客はここで帰るのですが、せっかくだし行ってみるか、ということで陵の山頂の方に向かってみます(この時点では山頂まで行く気はなくて、「傾斜が急になったら引き返すか」程度のつもり)。

途中まではきちんとした舗装道です。 ただ、傾斜もそこそこつくので、雪や凍結があったら諦めると思います。 看板にも「雨や雪の日はやめとけ」(意訳)と書いてありました。

途中から舗装がなくなります。 登山道と言っても差し支えない気がします。 土がそこそこ滑りやすいタイプのものだったり、たまに凍結があって滑ります(実際、滑っている人も見かけました。)。 よーく見ると写真の石にも「小心」と書かれています。 なお、さっきまでずっと寒い寒いと感じていたのですが、体を動かしているのでかなり暑くなり、ダウンを脱いで歩きます。

途中、すれ違った若者から「乾陵はどこですか?」と訊かれました。 話を聞いたら、私とは反対側(北側)小道から登ってきたそうです。そちらにも道があったとは。。。 「今我々がいるこの山が乾陵だけど、石像や石碑があるのはこの先」と伝えました。

山頂には何かがあるわけではなく、必死の思いで登ってきたおば様が「真坑人!」と言っていて笑いました(気持ちは分からないでもない。)。 とはいえ、眺めはそこそこ良いです(天気が良かったらもっと良いはず)。

振り返ると、闕(?)らしきものが見えます。 ただ、他の陵墓がぱっと見てわかるわけではなさそうです(もしくは自分の観察眼が貧弱)。

なお、SOS用の機械やゴミ箱がありました。 ここまでゴミ回収に来るのすごいな。。。

山頂には先ほどとは別の若者グループもいて、会話を聞いたらこちらも北側から登ってきたようです。 ただ、「え、これ向こうに降りて、また戻りで登って降りるの?」と絶望の声を上げていました。。。

10分くらいの滞在で下ることにします。 下りは楽かと思いきや滑りやすいので要注意。 先ほどの乾隆帝時代の碑から、だいたい往復40分(山頂滞在時間含む)かかりました*16

章怀太子墓

最後に章怀太子墓に行こうとシャトルバスに乗ったら、ビジターセンターに戻ってきてしまいました。 運転手に訊いてみたところ、今は章怀太子墓はバスのルートから外されている(オフシーズンだから?)とのことだったのですが、「見たいなら乗せていくよ。」とありがたいことに乗せていってくださいました。 到着後、「君を待つから、10分くらいで戻ってきてね。」(意訳)と言われました。

壁画は恐らく複製品だと思うのですが、斗栱らしきものが描かれている点が気になります。 唐代の建築はあまり残っていないと思うので、こういう墓の壁画など地下に残されたものから手がかりが得られると面白そう。

こちらのエリアは小さかったので、10分もかからずに見終えてバスに戻り、ビジターセンターに戻りました。

西安への移動

ビジターセンター前にはタクシーはいなかったので、昼のタクシー運転手に電話をかけて迎えに来てもらいます。 乾县から西安への終バスは18:30なんですが、この時点で17:50。 運転手さんからは「たぶん間に合うけど、万が一間に合わなかったら拼车(乗り合い)を手配して西安に戻ることもできるから、連絡して。」と言われました。これは本当にありがたい。

なんとかバスターミナルにたどり着くとまだ終バスの時間には余裕がありました。セーフ。 ターミナル内には客は誰もおらず、安全検査もパスポートチェックもなしでチケットを売ってくれました。なんならターミナルに入らずに直接バスに乗ってバス内で支払う乗客もちらほら。 余裕がなかったので写真はなし。

バスはもう来ていたので、すぐに乗車します(時間になる前に発車して置いていかれたらやってられんと思ったので...。)。ただし、結局18:30きっちりまで待って出発していた。きちんとしてる。

西安のターミナルに到着後、地下鉄で移動してホテルに帰着。だいたい20時半前でなかなか疲れました。

夕食

夕食は昨日と同じお店で、羊肉泡馍にしました。 ほぼ1日寒い屋外を観光した上に長距離バスでの移動後なので、五臓六腑に染み渡るような美味しさです。

疲れてて中国語レベルが下がったからか、若い店員さんに「你是从哪个国家来的?」(「你是哪里人?」ではなく)と聞かれました。 日本の華僑と答えたけど、「日本行ってみたいんだよ~。ところで東京の人って仕事がかなり忙しいって本当?」などなど和やかに会話が進みました。 朝の誰かさんとは大違いや。

しかもありがたいことにサービスで飲み物もいただいてしまいました(オレンジ味のファンタに近いもの。西安名物とのこと。)。 肉夹馍や、特に夏には凉皮とあわせるのがおすすめだそうです。

ホテルに戻ります。 外気温は氷点下ですが、屋台が賑わっていて驚きました。

翌日に続きます。

*1:ちなみに一番よく訊かれた話題は「日本って給料良いんでしょ?」でした。

*2:QRコード支払いが使えるなら券売機で買うほうが便利なはずなので、そちらが利用できない人が窓口に来ているのかなーと思います。

*3:パスポート番号と名前は塗りつぶしました。

*4:携程で時刻表を調べたときの説明。

*5:携程のWeChatミニプログラムで調べれば分かります。ただ、始バスの時刻は書いていなかった気がします。。。

*6:オフシーズンだからか、帰りの時間帯に客待ちのタクシーなどもなかったので、これは本当に助かりました。

*7:と言いつつ、シャトルバスでチケットをチェックされたのは最初の乗車時だけで、それ以外の乗車時にはほとんど確認されませんでした。閑散期だったからかな。。。

*8:スタッフさん情報

*9:墓誌銘は本物もあるのですが、拓本の方が文字が読み取りやすかったです。

*10:左の壁画の現物を陝西省歴史博物館で見かけた記憶があるので。。。

*11:解説パネルより

*12:上の「概要」で載せた写真の赤丸6 (☆マークがあるあたり)

*13:現地解説パネルより。

*14:たぶん。普通は「朕」は皇帝の1人称だと思うのですが、一方「太后」とも書いているので、位置づけがよくわからない。。。

*15:解説パネル

*16:ただ、私はある程度登山をやっている人間なので、参考になるかどうかは分かりません。

2023年冬 西安と蘭州の旅 5日目 : 咸陽(茂陵と咸陽の博物館)

2023年冬 西安と蘭州の旅5日目(2023-12-17)の記録です。 この日は咸陽に移動し、茂陵(あの漢の武帝の陵墓)と、咸陽の博物館2つを訪れました。 当初は茂陵がメインで咸陽の博物館はついでのつもりだったのですが、後者も思った以上に展示が興味深かったです。 特に咸陽博物院の漢代のミニ兵馬俑はおすすめです。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

移動

宝鶏駅へ

この日も朝7時過ぎの電車*1で移動なので、5時半頃起床と早起きです。 あたりは真っ暗で、朝食を買うお店も見当たらなかった(ホテルのスタッフに訊いたものの、開いてるお店が見つからなかった)ので、とりあえず駅に向かいます。 ちなみに前日に蘭州から到着した駅は宝鶏南駅で、今日の出発地は宝鶏駅で全くの別物。

残念ながら駅内のレストランも営業前。 自販機にインスタント麺が売られてたけど、あんまり気分じゃないなー、と朝食諦めてそのまま乗車することにします。

電車

この日の列車は、見慣れない緑色のものでした。 後で検索したところ、型番(?)はCR200J。 twitter(X)でご教示いただいたところによると、諸事情で中国の鉄道ファンからは嫌われることの多い存在だそうです。

朝食を食べそびれたのですが、こんなときのためのカロリーメイト。 他にも羊羹など行動食を持ってきました。発想が登山。

途中で15-30分くらい臨時で停車して、まさかの鈍行に2回も抜かれました。この列車、高速鉄道じゃなかったのか...?

停車中に車内放送があり、15分程度遅れるとか(実際は30分以上遅れた)。

西安で乗り換え予定の乗客が車掌に間に合うか聞いたら「たぶん間に合わない。アプリでキャンセルすると手数料をとられるかもしれないから、駅で遅延した旨伝えて振替手続きしてもらうのが良い」旨返していました。 中国鉄路で乗り換えはあまり使ったことがないのですが、乗り換えで遅延が発生したら対応してもらえるということを学びました。

茂陵へ

興平駅で下車します。写真は撮りそびれたのですが、比較的小さい駅だったと思います。 ここからタクシーで茂陵に向かいます。

乗ったタクシーは客席と運転席の間に鉄格子があるタイプのものでした。 これ、本来は強盗対策だと聞いていて、治安が良くなった(というか現金を持たなくなった)のであまり見かけなくなった気がします。 今回のタクシーでも助手席に乗り合いで別の客を乗せてたので、もはやあまり防犯の意味はないみたい。 なお運転手はかなり訛りが強く、やや会話が大変でした。

かなりの農村風景の中を走ります。 煉瓦の壁にペンキで一言と電話番号だけを書いた簡素な広告もちらほら見かけました。

茂陵博物館

概要

  • 漢の武帝とその臣下などの陵墓群、および付属する博物館です。
  • 公式webページ : https://www.maoling.com/
  • webページには予約が必要と書かれていましたが、予約なしで当日券を購入して入れました*2。購入時にパスポートを見せました。

2つのエリアからなっており、互いに1kmほど離れています。特にシャトルバスなどもなさそうだったので、私は歩いて移動しました。

  • 1つは上の写真の「茂陵博物馆」と書かれた部分です。こちらには博物館や、霍去病などの陵墓があります。観光としてはこちらがメインだと思います。
  • もう1つは武帝の陵墓です。こちらは博物館などはないようです。

武帝の時代について予習していくとより楽しめると思います。私は昭和堂の「概説中国史」などを読んでいきました。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

博物館

屋内展示

敷地内に、いくつか写真のような展示室があります。 基本的には、茂陵などで発掘された漢代の品々が展示されています。

こちらの博物館の有名展示品(国宝)その1、玉製の「铺首」(環状のドアノッカーを固定する台座)。 解説によると、白虎、朱雀、玄武、青龍が象られているとのこと。 がしかし、写真がヘタでこの写真ではよくわからない。。。

こちらのまばゆいばかりの馬は銅製鍍金の品。

他にも、人や動物の俑や、文字の書かれた瓦などがありました。

あとは、武帝の業績の展示館もありました。 が、入って冒頭を見た限りだと、人形で有名な逸話などを再現したもののようで、あまり興味がなかったのでパス

石像

霍去病の墓前の「马踏匈奴」。高校世界史の資料集にも(たぶん)載ってる有名なものです。

なにやらユーモラスな牛。 背中になにか模様のようなものが刻まれているのですが、もしや鐙を表わしたものとか???

陵墓

こちらの敷地のメインは、霍去病の陵墓です。 匈奴との戦争で活躍した武将ですね。

近づいてみたら、後ろの石碑は清の乾隆年間のものでした。 どういう経緯でこの碑が立てられたのか気になる。

ちなみにこの陵墓ですが、なんと上に登れます。

のどかな農村風景が広がりますが、その中にぽつぽつと盛り上がった陵墓が分布しているのが見えて興味深かったです。 上の写真で一番目立つのが、確か茂陵(武帝の陵墓)だったはず。 茂陵、大きすぎる上に木に覆われていて近くではサイズ感がよくわからないので、遠くから見たほうが分かりやすい気がする。

茂陵

博物館がある側のものを一通り見たので、茂陵本体に向かいます。

こんな感じの農村の道をだいたい1kmくらい西に歩けば着きます。 ちなみに歩いている途中でトゥクトゥク(?)の運転手に声をかけられて名刺を渡されました。 見学後の移動手段を考えてなかったのでこれはラッキー。

大きすぎてもはや山ですね。 こちらでもチケットの確認があり、さきほどの博物館側で購入したチケットを見せればOK。

2つ石碑が写っているのですが、手前のものは1960年代のものでした。

奥のものは、霍去病の陵墓と同じく清の乾隆年間のもののよう。

陵墓の周りをぐるっと一周してもよかったのですが、寒い上にさきほどの霍去病墓の上からの眺めで満足したので、さくっと切り上げます。

先ほど名刺をもらったトゥクトゥクの運転手に電話し、咸陽の旧市街まで送ってもらいました。

鳳凰台というところ(たぶん廟)で下ろしてもらったので、ついでに軽く見学

傷んでいるものが多いながら、石碑もいくつも展示されていました。 古いものでは北周時代の墓碑もありました(写真、左から2つ目のもの。)。 1400年以上前の品なんですが、こんな屋外で展示して良いのか。。。

昼食

前日が昼夜ともにチェーン店だったので、この日はご当地ものが食べたいなと思い、ビャンビャン麺のお店にします。 三合一を頼み、親切にもラー油の量をどうするのか訊いてくれたので、少な目でお願いしました。

これぞビャンビャン麺という、ベルト状の幅広麺ですねー。 ただ、麺の長さはやたらと短いものだった気がします。こういうものだっけ???

味ももちろん美味しかったのですが、何よりも外が寒いので冷えた体には温かい食事がとてもありがたく、あっという間にぺろりといただいてしまいました。 お代は15元。

店内の様子。右にある「面汤自助」というのは、麺のゆで汁はセルフサービス、という意味。 お茶ではなく麺のゆで汁が用意されていました。 9月に行った張掖の麺料理のお店でもこのパターンでした。 あと、家庭だと水餃子のゆで汁を飲んだりもしますね。

咸陽博物院

こちらの博物院、当初は近いしついでに寄っていこう、とついで程度に思って旅程に入れたのですが、思った以上に良かったです。

予約が必要と書いてあった気もしますが、当日パスポート番号と電話番号を紙に書いて入場しました。

咸陽はかつて秦の都があったことから、秦関連の展示品が多かったです。

竜の文様が刻まれた煉瓦。咸陽の秦の宮殿跡から発掘された品だそうです。

こちらはなんと宮殿の排水設備だとか。

「権」と呼ばれる分銅。 と言ってもただの分銅ではなく、高校の世界史でも紹介される、始皇帝による度量衡の統一時に配布された標準器です*3*4。 本で何度か読んでいたので、実物を見ると感慨深いです。 この分銅に書かれた文面については欠落が多いものの、右のパネル参照。どうやら当時の度量衡統一の詔勅の一部が書かれているようです。

漢の兵馬俑

午前中に漢の武帝の陵墓(茂陵)を訪れた通り、この近辺には漢の皇帝の陵墓が集中しています。 で、そのうち漢の初代皇帝、劉邦の墓の陪葬墓から見つかったのが、こちらの兵馬俑

秦の始皇帝兵馬俑と比べるとミニチュアサイズ(だいたい30cmくらい???)なのですが、この数をずらりと並べると壮観です。

よーく見ると、左の2人とそれ以外を比べると分かるように、顔つきも異なります。

騎兵もずらり。

もう少し少数ずつ詳しく解説した展示もあります。

こちらはポーズ(というよりも役職や兵種)が異なる俑の比較。

ミニチュアとは言え物量がすごく、正直これを見れただけでも満足でした。

石碑

屋外(ただし屋根付き)には石碑も多数展示されていました。 ざっと見た限りでは明清のものが多かったですが、宋元のものもあるし、しれっと唐やそれ以前のものもありました(さすがに唐以前のものは傷んでいるものが多かったですが。)。

これは写真左からわかる通り、元代の石碑。 右の写真にあるように「重陽王祖師仙跡記」と題されています。 解説の銘板によると、道教の一派、全真教の開祖の業績を記した石碑とのことです。 全真教、山川の「詳説世界史研究」を読んだときにちらっと見たことがあるのですが、開祖が咸陽の人とは知りませんでした*5。 本で読んだ情報がこうやって訪れた現地と紐づいて地に足の着いた(?)知識になるのが好き。 あと、こういう石碑、読めるようになりたいなー。

咸陽博物院だけ見たら西安に移動しようと思っていたのですが、入場するときにもう1つ博物館が近くにあることを知ったので、寄っていくことにします。 1kmないくらいだったので、歩いていきました。

咸陽古渡遺跡博物館

ということで、やってきたのはこちらの博物館。 かつて咸陽にあった渡し場を主題にした博物館です。 前近代の経済や水運の話には個人的にかなり興味があるので、偶然気づけて良かった。

かつてこの近辺の水系には多数の渡し場があり、そのうち最も著名なものが、ここ咸陽の渡し場だったとか。 秦代の時点に既に渡し場としてにぎわっており、後に関中八景の1つと称されるようにもなったそうです*6

唐代には西方と都長安をつなぐルートの経由地としても栄え、往時の繁栄を物語る品々がここ咸陽(の近郊?)から出土しているようです。

中でもひときわ目立つのが、こちらの黄金の水差し。 なんとも精巧な模様が目を惹きます(金属工芸品には詳しくないのだけど、たぶん打ち出し細工と呼ばれる手法???)。

2002年には渡し場の遺跡が偶然見つかって発掘作業が行われ、こちらの石碑もそのときに発見されたものだそう*7。 石碑は明代のもので当時の護岸(?)工事について記されており、使った資材の種類や量、工事に携わった人々の人数などが詳しく述べられているようです*8。 前近代の土木技術について、モノ自体とこういう文字史料の両面から迫れると面白そう。

明清の頃には、景徳鎮など南方の陶磁器が陝西省に数多くもたらされ、一部は咸陽を経由して甘粛や新彊にまで輸送されたそうです*9

博物館の出口から川の南岸を見渡したところ。

移動

今度こそ一通り観光し終えたので、西安市街地に向かいます。

まずは渭水南岸にバスで移動。 確か西安のバスとは別システムだったと思うのですが、WeChatのミニプログラム「乘车码」のQRコードでで問題なく乗れました。

渭水南岸あたりからはありがたいことに西安地下鉄1号線が伸びているので、これに乗るだけで西安市街地に移動できます。

夕食

西安市街地のホテルにチェックイン。

夕食はこれまたご当地っぽいものということで、ホテル近くで水盆羊肉を頂きます。

水盆羊肉はあっさり目で、パクチーなどのハーブも効いています。

羊肉は柔らかい上に味がばっちりついており、美味しかったです。 胃に優しそうだし、体も暖まる。

ただ、ちょっと量が足りなかったので、帰りに見かけた屋台で牛肉餅を買いました。

作るところも面白い。(一言断って動画撮れば良かったかな。)

思った以上に大きいのですが、もうパリパリサクサクの食感がとてもよかったです。 味も山椒がピリリと効いて美味しい。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

  • [1] 冨谷至・森田憲司[編] (2016)「概説中国史 上 古代-中世」昭和堂 ISBN: 978-4-8122-1516-6
  • [2] 冨谷至(2014)「木簡・竹簡の語る中国古代 : 書記の文化史 増補新版」岩波書店 ISBN: 978-4-00-026859-2

*1:国鉄路 C162 宝鶏 7:06 → 8:29 興平

*2:ただオフシーズンで閑散としていたからかも。繁忙期でも予約なしで入れるかは分からないです。

*3:参考文献[1]p.61「度量衡も統一しそれを徹底するために標準器を各地に配布した。」

*4:参考文献[2]p.26「統一直後に施行された有名な度量衡統一の政策にあって、中央、地方の各官署に向けて頒布された権・量・衡の標準器、それらは伝世品、出土品あわせてかなりの数が今日存在している。様々な形状をした量器、衡器、分銅の全ての外面には、度量衡統一を命ずる皇帝の詔が刻字されたり、押印されたりして記されているのである」

*5:コトバンク 改訂新版 世界大百科事典 「王重陽」「中国,金代の道士。新道教の一派,全真教の創立者陝西省咸陽大魏村の人。」

*6:以上、解説パネルより。

*7:解説パネルより。

*8:と言っても、こんな断片だけではここまでの内容が分かるはずがないので、展示されていない断片があるか、それとも別の文献史料と突き合せたか...?

*9:解説パネルより。

2023年冬 西安と蘭州の旅 4日目 : 宝鶏青銅器博物館

2023年冬 西安と蘭州の旅4日目(2023-12-16)の記録です。 この日は宝鶏に移動して観光です。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

宝鶏への移動

蘭州西駅

朝6時前、朝早くでまだ日も出ておらず、気温約-15℃。 タクシーで蘭州西駅に向かいます。

蘭州西駅も西安北駅と同じく新しい駅で、2階には飲食店が並んでいます。 まだ夜明け前なのに営業しているところも多くて嬉しい。

ということで、駅内で朝食にします。 蘭州なので、やはり蘭州牛肉麺。この旅では3回目の牛肉麺です。 この牛肉麺パクチーが入ってなかった気がします。 前日のお店はパクチー入りで、2日前のお店はパクチーなし(緑は葉ニンニクだけ)だった気がするのでお店に依るかもです(もしくは別料金で足せる?)

ご当地名物的な料理もお店によっていろいろなので、同じ料理をいくつかのお店で食べ比べるのも面白い気がします。 何よりも、1つのお店だけで食べて「期待ほどじゃないな、がっかり…」となるともったいないし、自分好みの味に出会えると嬉しい。

乗車。7時前なのですが、外はまだ真っ暗。

トンネル区間も多いので、車内ではひたすら寝ます。

宝鶏南駅

2時間ちょっとで宝鶏南に到着しました。 降りる人は少なかったです。

駅出口でタクシー運転手がたくさん待ち構えてて、眠くて深く考えずについていってしまいました。 が、車についてみたら白タクだったし、冷静に考えたら価格もぼったくり。 普通に考えて車両を確認してから誘いに乗るべきなので、これは痛恨のミス。

宝鶏青銅器博物館

概要

  • 公式webサイト : http://www.bjqtm.com/
  • 月曜定休。その他詳しい営業時間については上記webサイト参照。
  • 事前予約が必要と書かれていますが、事前予約には中国の携帯電話番号と身份证が必要です(パスポートでは予約できませんでした)。ということで現地にそのまま行ったところ、予約なしで入場できました*1。連休などで予約枠がいっぱいのときにもこれで通用するかどうかは分かりません。なお入場無料です。
  • だいたい2時間ちょっと滞在しました。秦の青銅器や、玉器の展示などざっとしか見てない部分も多いので、全部じっくり見るともっと時間がかかりそうです。
  • 青銅器の分類や用途などについて少し予習していくと良いかもしれません。私は「中国青銅器入門 太古の奇想と超絶技巧 」(参考文献[1])を事前に読んでいきました。本の感想などについてはこちら参照。

「青銅器博物館」と名前についていますが、青銅器以外の展示品も多いです。 上の写真の通り、3階(メインの出入り口はここ)は青銅器、4階は玉器、土器や陶器、鏡が展示されています。 2階は企画展示室が2つありました。

青銅器

宝鶏周辺から出土した周と秦の時代の青銅器を主に展示していました。 古代中国の青銅器は日本だと美術品として扱われることが多い気がする(たぶん)のですが、この博物館ではがっつり歴史の文脈で語られる部分も多いのが印象的です。

展示冒頭には、2003年に宝鶏市の楊家村でまとまって出土した青銅器が並べられています。 物量がすごい。

左は「壺」と呼ばれる酒器、右は「盉」と呼ばれる水または酒を入れる容器。 いずれも西周の品です。 話が逸れるのですが、このへんの青銅器の名前と用途については上でも触れた「中国青銅器入門 太古の奇想と超絶技巧 」に分かりやすい記載があります(イラストつきで代表的な器形を一覧できて便利。)。

こちらも2003年楊家村出土の「盤」と呼ばれる青銅器。 がっつり銘文が書かれています。

丁寧に釈文も示されています。 素人感想なのですが、現代の漢字とは大きく異なる字形で書かれた文を釈文に直せること自体が興味深いです(どうやって文字の同一性を担保してるんだろう。)。

肝心の内容ですが、ここから西周の王統について詳しい情報が得られ、「史記」に記載された内容と整合しているとのこと。 伝世文献史料と出土史料をつきあわせて歴史を論じる話が大好きなので、これはかなり面白い。

西周時代の「卣」(ゆう)*2饕餮文の角が器面から立体的に浮き出ているのが印象的。

こちらは「何尊」と呼ばれる西周時代の「尊」。 広くとった展示コーナーに展示されている、特別な品です。

というのも、この銘文には「中国」という語が書かれており、今のところ「中国」という語の最古の用例なんだとか*3

西周の青銅器ばかり取り上げてしまいましたが、他にも殷や秦のものもあったと思います(西周のものでおなか一杯になって、他の青銅器の写真を撮りそびれた。。。)。

土器・陶磁器など

青銅器以外の展示があるとは知らずに行ったのですが、王統や合戦の話よりは日常生活の話に興味がある身としてはこちらも非常に興味深かったです。

漢代の小さな竈いろいろ。 副葬品として造られたミニチュアだと思いますが、当時の調理の様子がうかがい知れるかもしれません。

左下に描かれているのは魚でしょうか。

こちらは右奥の魚(?)に加え、数々の数々の調理器具も見て取れます。 手前左の人物は竈の火の番をする者かもしれません。

こちらは時代がとんで宋代の墓の彫刻煉瓦(?)。 植物文様や武人の彫刻だけでなく、日常生活の様子を描いたものもあります。

これなんかは調理の様子でしょうか。

机と椅子で食事をする様子が見て取れます。確か漢代は椅子に座る習慣がなかった気がする(要出典)。

他に饅頭(?)を蒸篭で蒸していると思しき場面もありましたが、暗くて写真がうまく撮れず。。。

こちらは確か唐代の鏡。

玉器の展示はざっとしか見ていないので割愛。

臨時展

このときは2つの展示があり、

1つは兔にちなんだ文物や図像の紹介(確かパネル解説がメイン)、

もう1つは青銅器から往時の礼制などについて紹介するものでした。

西周時代、身分によって所持できる鼎の個数などが決まっていたよう(たぶん)。

たぶんこの臨時展に関係する内容が書かれていると思うのだけど、釈文と訳文を写真に撮りそびれた。。。

飲食店街

博物館の外は大量の飲食店などが並んでいます。 が、閑散としていてほとんど観光客がおらずお店もほぼ閉まっていたようです。 寒いしオフシーズンだからかな。

ここからバスで宝鶏駅あたりまで移動します。 WeChatのミニアプリから乗車QRコードを設定して、無事に乗れました。都市ごとにICカードを買ったりする必要がないので旅行者としては便利。

写真は撮っていないのですが、青銅器博物館あたりがやたらと小綺麗だったのに対して、宝鶏駅駅周辺はもうちょっとガヤガヤしていて、よくある中国の地方都市、という雰囲気でした。

昼食

朝早起きで眠くてお店を探す元気がなかったので、昼食は「魏家凉皮」という、安定の(?)チェーン店らしきお店にしました。

ちなみに店内は子連れの女性が多く、その他もほとんど女性客だった気がします。

とりあえずメニューにデカデカ書いてあった「牛肉飯」を頼んでみます。 茶碗蒸しライクなものについてきた醤油には「寿司醤油」と書かれてたし、もしかして和食インスパイアな何か...???

金台観

昼食後、歩いて金台観に向かいます。

この図の下側(方角だと南側)から登ります。

なかなかの階段ですが、上に見えるのが南門で、ここがやっと金台観本体の入り口のようです。 ここには守衛さんがいて、通常は身份证を提示しますが、パスポートを見せたら無事に入れました(無料)。

「観」とは道教の寺院のことですが、ここは現役の宗教施設らしく、「未成年者は宗教施設立入禁止」という旨の看板も一部にありました*4

霊官殿。解説パネルによると1573年建造とのこと。

玉皇殿。建物の配置だけ見ると、これが中心的な建物のようです。 ただ、礼拝者はあまり多くなくて、むしろこの後見る窑洞のような廟の方に人が集まっていました。

ガラスにがっつり反射して見にくいですが、石碑がありました。

最後の1行には「大明天順六年」と記載があり、どうやら15世紀のものらしいことが分かります。 あと、その1つ前の行には「寶雉縣」(?)と書かれており、宝鶏の地名がこの時代からあったものであることが読み取れます(たぶん)。

奥には、窑洞のような廟がいくつも並んでいました。

それぞれの洞に神像が祭られています。

更に階段を登ると、市街地を一望できます。

一番上にある書院。これはやたらと綺麗なので、たぶん近現代の建物。

夕食

引き続きめちゃくちゃ眠いので、早めにホテルに移動してゴロゴロ。

お昼に続いて、夕食も探す元気がなかったので、手近なチェーン店にします。 ということで、歩行者のdicosで。

セットの飲み物、暖かいものもあり、豆乳も選べるのがいかにも中国らしい気がします(なお、暑いすぎて火傷するかと思った。)。

食後は歩行者街を散歩。

ナツメの香りが漂うお店に行列ができていました。 旅先で行列を見るとついつい並んでみたくなってしまう性分なのですが、残念ながらさきほど夕食を食べたばかりで食欲がなかったので見送ります。

「数码衣库」ってなんだろうと思ったら、スマホカバーなどのお店でした。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

  • [1] 山本堯 (2023)「中国青銅器入門 : 太古の奇想と超絶技巧 (とんぼの本)」新潮社 ISBN: 978-4-10-602303-3

*1:通常とは別の窓口でパスポートを見せて、パスポート番号を紙に書きました。

*2:読みからの変換で出すのが大変そうなので、手書き文字変換を利用。

*3:とはいえ、解説には今とは意味が異なるであろう旨も書かれています。

*4:先日の蘭州の西关清真大寺でも見かけた。

2023年冬 西安と蘭州の旅 3日目 : 蘭州観光(街歩きなど)

2023年冬 西安と蘭州の旅3日目(2023-12-15)の記録です。 この日は蘭州の街中をぶらぶら観光します。 前回9月に来たときは博物館だけで通り過ぎてしまったのですが、思った以上に見どころがいくつもあって魅力的な街でした。 とりあえず朝から食べる蘭州牛肉麺は最高なのでおすすめ。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食

朝起きたら、なんとうっすら雪が積もっていました。 気温が低くて雪がサラサラ(だしそもそも量が少ない)だからか、「溶けて凍結してツルツル」といった状況にはならなくて助かりました。

とはいえ、そこそこ滑ります。右の写真のスロープの部分とか、本来の滑り止めの意味が雪で埋もれてなくなってました。 念のため小股で歩いたのですが、現地の人は小走りに駆けていく人もいてさすが。

ホテルに朝ご飯がなかったので、蘭州らしく(?)朝から蘭州牛肉麺を食べます。 向かったのはホテル近くの、高德地图で調べて良さそうだったこちらのお店。

席の方の写真は撮ってないですが、朝からたくさんの人で大賑わいでした。 平日だし、多くの人は地元の方かな。 日本だと朝食を外で食べる習慣も朝から麺を食べる習慣もあまり一般的じゃない気がするので興味深い。

食券を買って、奥のカウンターで店員さんに渡します。 テイクアウトしている人もいました。

麺待機中。 立ち上るスープの香りと、赤いラー油の見た目がなんとも食欲をそそります。 動画は撮りそびれたのですが、目の前でパクチーやラー油を手際よく盛り付ける様子を見るのも好きです。

ということで、お待ちかねの牛肉麺。肉と卵がついてくるセットにしました。これで17元。

パクチー、ラー油、スープのスパイスと、様々な香りが渾然一体となっててほんとに美味しいです。 日本のラーメンが旨味重視だとすると、こちらは香り重視と言えるかもしれません。 そういう意味では、昨日のお店は葉ニンニクが強すぎた感があって、個人的には今日のお店のほうが好みかな。 朝から美味しいものを食べて身も心も暖まりました。

お店の前にあった面白い標語「不要打架 打输入院 打赢坐牢」。それっぽく訳すなら「喧嘩はやめよう 負けたら入院 勝っても刑務所」とか…?

いったんホテルに戻ってから、歩きで移動します。

こういう景色を見ると、蘭州は都会だなーと感じます(前回がっつり街歩きしたのが武威の街なので、比較対象が武威。)。

府城隍庙

入場無料。20分くらい滞在しました。 城隍廟は、どうも都市の守り神としてその土地ゆかりの人物などを祭る廟のようです*1

こちらの廟で祭られているのは、楚漢戦争の時代の漢の将軍、紀信(現在の甘粛省天水の人)とのこと。 廟は北宋時代創建にされ、現在の建物は清の乾隆年間の18世紀後半の建築とのことです*2

入り口の牌楼。 いつも思うけど、牌楼って出入りを制限する門としての役割を果たせないので、完全に飾りのはずで、どういう経緯でできたのか気になります。 あと、斗栱(組物)をここまで何段も重ねるのも日本ではあまり見ない気がします。 東アジアの伝統木造建築はかなり類似性がある一方、こういった地域ごとの違いを詳しく見ていくのも面白そう。

入ってすぐの中庭、スローガンまみれで笑いました。 右側のスローガンは、旅先で休日を過ごす労働者の心にくるものがあります。

その次の中庭。 バドミントン(?)のネットが貼られていたり、卓球に興じる人がいたり。

ちなみに写真は撮りそびれたのですが、廟の敷地内には奇石や、置物いろいろ、古いコインなどを扱うお店がいくつも入居していました。 もしや今はもう廟としては使われていないっぽい?

煉瓦の壁に木の組物というのも中国らしいですね。 日本の伝統木造建築(寺社など)だと、煉瓦は使わず、土壁の上に漆喰を塗る印象があります。

こういうの好き。

一通り見たので、次の目的地に移動します。

途中で通った张掖路步行街。 飲食店が数多く立ち並んでいます。

马子禄牛肉面もありました。 日本(神保町)にも支店(?)がある有名店です。 思った以上に大きくて驚きました。 せっかくなのでここで食べていきたいところですが、まだお昼には若干早いので先に進みます。

张掖路步行街を北に抜けると、黄河の川辺に出ます。 写真左に見える橋が次の目的地の中山橋です。 ちなみに写真で対岸に見えるのはその次に行く、白塔山公園。

黄河鉄橋(中山橋)

1909年完成で、もう100歳を超えるとのこと。 なんと、この橋ができるまで黄河本流には常設の橋がなかったそうで、記念すべき黄河の第一橋、という位置づけのようです(要出典。)。

「中山橋」の文字の下あたりで記念撮影する人が多く、上の写真を撮るまでそこそこ待ちましたw 「写真撮ってもらえませんか?」と2組くらいにお願いされて撮ったり。

現代の橋からすると、鉄骨の太さも、橋の道路の幅も、どちらも細い印象を受けます。 あと、遠目に見たときはアーチ橋かと思ったのですが、やたらとカクカクしてるなー、と不思議な印象を受けます(あとで博物館で伏線回収予定。)。

なお、100年以上経った今も、歩いて対岸まで渡ることができます。

北岸まで渡ったところ、石碑がありました。

冒頭には「創建蘭州黄河鉄橋碑記」とあり、

最後の1行には「大清宣統元年」とあります。

他にこれを眺めている人は見かけなかったので、ちょっとした発見をした気分になって嬉しい。

鉄橋の来歴などが書いてあるんだろうなー、読みたいなーと思いつつ、読解する力がないので写真だけ撮って次に向かいます。

白塔山公園

中山橋を渡ってすぐのところ(上の写真)から登っていきます。

入場無料。開園時間は右の写真参照。 左の写真からも分かる通り、いろいろな施設が点在しています(というかどこまでが「白塔山公園」の範囲かよくわからない。。。)。 今回は白塔寺まで登り、ぐるっと回って蘭州碑林に寄ってから降りてきました。所要時間はだいたい1.5時間くらい。 左の方の文溯閣(四庫全書を所蔵)も興味があったのですが、遠いのでパス。 ちなみに「こんなところに四庫全書あったっけ?」と思ったら、もともと瀋陽にあったものが中ソ対立の煽りを受けて疎開したものという話を見ました*3

斜面に寺院建築などが点在します。

道は舗装されていますが、そこそこの高低差を登ります。 気温-10℃~-5℃くらいで最初は寒いなーとか言っていたのですが、日も出てきて斜面を登っていくので、一気に暑くなり、途中からダウンコートを脱ぎました。

また、雪があまり積もらなかったのか、はたまた綺麗に除雪されていたのか、地面に雪がほとんど残っていなくて助かりました。 急斜面が多いので、雪が残ってたらたぶん途中で帰ってたな、これ。

塔寺の白塔。現存のものは15世紀半ばに建てられ、かつては白く塗られていたそうです*4

と、歴史的な建造物もありますが、今回の主なお目当ては、上からの蘭州市街地の眺め。 蘭州が、山と山の間、黄河の両岸に広がる細長い街であることがよくわかります。

蘭州碑林は現代の石碑が多いようだったので、軽く見るだけにします。 「大明宣徳四年」と書かれた大きな石碑もあったのですが、やたらと綺麗だったので複製品かなー。。。

帰りはロープウェイで楽しようと思ったら運行していなかったので、徒歩で下ります。

季節柄観光客が少ない上にここはマイナールートだったようで、野犬の群れと遭遇して焦りました。 が、小さめの犬種で、人を見ると逃げてくれたのでセーフ。

蘭州黄河橋梁博物館

中山橋の方に向かう途中、上の博物館が見えたので、寄ってみることにします。 博物館の1階と2階は劇や俳優などについての展示で、その上に橋梁博物館があります。入場口は共通、入場無料。

展示は大雑把には2つに分けられるようで、前半は中国各地や世界の橋の紹介、後半は黄河鉄橋(中山橋)についての展示。

展示はパネルや模型が中心です。

中山橋ができる前は、浮橋、筏、さらには氷結した川面を渡っていたとのこと。 川面の氷結を確認するために、命綱をつけた人間を渡らせて氷が割れるかどうか確認していたそうです*5。過酷や。。。

中山橋は西洋の技術者と共同で建造されたもので、なんと左の写真のとおり材料もドイツから海路を経由して輸送したとか。

手前左の人物は、橋の建築を清側で主導(?)した陝甘総督の升允。

1909年に開通した時の様子。 よーく見ると、左上の写真では駱駝が橋を渡っていて、ここ蘭州で駄獣として駱駝が使われていた例として興味深いです(もっと西の方だけかなと思ってた。)。

あと、橋の形が今と異なり、典型的なトラス橋の形をしていることが見て取れます。 ここでようやく伏線回収なのですが : 中山橋の形はアーチ橋にしてはやたらと角ばってるなと思ったら、もともとトラス橋として設計され、後になって上に部材が追加された今の形になったそうです*6

あまり大きい博物館ではなく、30分ほどの滞在で一通り見れました。 中山橋とセットで行くと知識も深まって楽しいのでおすすめ。

再び中山橋を渡って、南岸に戻ります。 12月半ばでも黄河は凍る気配もなく滔々と流れてるけど、昔はこれが氷結して表面を渡れたのかな...?

昼食

张掖路步行街に戻ってお昼にします。

马子禄が気になっていたのですが、このとき既に14時半近くで閉まっていました。

ということで、こちらの肉まんのお店にします。 清真(ハラール)と書かれているだけあり、肉まんのお肉は豚肉ではなく牛肉です。

メニューが1籠(右の写真)単位で書かれていたので1籠で注文しました。これで24元。 ただ、よくよく見たら1個単位(ただし5個以上)で注文できるようです。 周りの人の注文を見た感じ、包子を減らして胡辣汤やお粥と合わせるのが正解だったっぽい。 あと、「素包」は具が「韭菜+豆腐+蛋清+银耳」の組合せで気になるので、試してみたかったなー。

ほかほかの肉まんを齧ると、中はお肉ぎっしり。 味も食べ応えもばっちりでした。

黒酢とラー油が机においてあって、他のお客さんを見るとつけて食べるようなので、私も試してみました。 つけなくても美味しいけど、つけると味に変化があってこれもよい。

お店から出るときに気づいたけど、清真(ハラール)らしい注意書きもあります。

バスに乗って、次の目的地に移動します。

兰州水车博览园

  • 入場無料。
  • 現地にあったパネルによると、6:00-24:00まで開いているそうです。

巨大な蘭州水車。 かつて蘭州の灌漑などに用いられていたそうです*7(この公園にあるものはおそらく復元品。)。 蘭州水車は写真右に映る人と比べると大きさがよくわかります。

近くで見るとひときわ大きい。 蘭州水車の直径は約16mで、1952年の段階でも252基の水車が黄河両岸に並んでいたそう*8で、さぞ壮観だったろうと想像されます。 写真残ってないかなー。

ちなみに、黄河の流れをすぐ近くで眺めることもでき、思ったよりも速い流れと多い水量が印象に残りました。

水車にちなんだ(?)社会主義革新価値観のオブジェ。 なかなか芸が細かい。

他にも様々な水車が展示されています。 ただ、残念なことにこのときはどの水車も動いていませんでした。 警備の方に聞いたら「冬は止めてる」とのこと。(最高気温が氷点下で凍るし、言われてみれば当たり前や…。) 動くところが見てみたかったなー。 これを読んだ方は冬以外の時期に行きましょう。

現地の解説パネルによると、蘭州水車は明代は16世紀半ばに、銅像の人物、段続が発明したそう。

ただ、シリアのハマーの水車も似たような構造であちらの方が古かったと思うので、本当に独立に発明されたのか、どのような点が異なるのかなど気になります。 前近代の農業や技術の歴史にはかなり興味があるので、詳しく調べたい。

ホテルへ移動

バスに乗り、ホテルに移動します。

途中、西关清真大寺(モスク)に寄り道。ただ、あまり観光客向けではなさそうだったので、外から写真を撮るだけにしました。

ちなみにそのすぐ隣は巨大な大学病院。蘭州は都会だなー(本日2回目。)。

再びバスに乗って、西に移動します。 翌日は蘭州西駅から電車移動なので、街の西側にホテルを取ってあります。

日本ではあまり見かけない連接バス

夕食

昼食の時間が遅くしかも量も多かったので、夜は軽めに済ませます。

羊肉串と牛奶鸡蛋醪糟、32元。

翌日に続きます。

*1:中国大百科全书やwikipediaの情報なので、要きちんとした出典。

*2:以上、現地の解説パネルより。

*3:ただし、これはwikipedia情報なので、要出典。

*4:麓の解説パネルより。

*5:展示の再現CG。

*6:展示によると、1954年にこの工事が行われたとのこと。

*7:現地の解説パネルより。

*8:現地の解説パネルより。

2023年冬 西安と蘭州の旅 2日目 : 蘭州観光(甘粛簡牘博物館)

2023年冬 西安と蘭州の旅2日目(2023-12-14)の記録です。 この日は西安から蘭州に移動し、甘粛簡牘博物館を観光します。 簡牘(木簡・竹簡)がこれでもかと並べられている様は圧巻でした。 2000年も前の文字が漢字として読み取れる形でこれだけ残り、歴史を今に伝えていることそのものに感動しました。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

蘭州への移動

この日は朝早くの高速鉄道*1で蘭州に移動します。 前日泊まったホテルは西安北駅の近くで、高速鉄道駅への送迎車があったので、前日チェックイン時にお願いしておきました。

西安北駅

朝6時15分頃に西安北駅到着。 保安検査は全く並ばずにすいすい通過。

駅構内で朝食にします。肉夹馍と瘦肉皮蛋粥などのセット32元。 おかゆは胡椒が効いていて、卵は五香の香りが良かったです。 前回も同じものを食べてた気がする。

ご飯を食べてるうちに改札が開く時刻になったので、水などを買ってそのまますぐに改札に向かいます。

乗車

前回9月の旅でほぼ同じ時刻の便に乗ったときは乗車時の曙光が印象的だったのですが、今回は真っ暗。 冬になって日が短くなったことを感じます。あと寒い。 あまりにも外が真っ暗なので、乗車後、乗客のほとんどは寝ていました。ということで静かな旅になりました。

車内のお酢?の広告。写真見返して気づいたのですが、車体外面にも広告が書かれていますね。

道中の光景は前回の旅と被るので省略。前回の旅のときの記事はこちらです。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com ちなみに今回は雲が低く垂れこめていて天気も悪かったです。(冬は乾燥して天気が良いはずなのでは...。)

定刻通り、10時半前頃に蘭州西駅に到着しました。

蘭州西駅

駅舎。前回は地下鉄で移動したので蘭州西駅の駅舎を見る機会がなく、今回初めて見ました。 今回はここからバスで移動します。

バスは駅のすぐそばの地下のようなところにも乗り場があるのですが、私の乗る路線はペデストリアンデッキで大通りを渡って向かいから乗車するものでした。 このへんバス停の案内があまり親切でなくて難易度が高い気もするのですが、高德地图のおかげで問題なく正しいバス停までたどり着けました。

ペデストリアンデッキからの眺め。社会主義計画都市っぽさがある気がします。

バスには事前に設定しておいたWeChatミニアプリ「乘车码」のQRコードをスキャンして乗車しました。

昼食

まだ11時と若干早いですが、お昼を食べに行きます。 この後行く博物館の近くの蘭州牛肉麺のお店です。

店名からも察せられる通り、こちらのお店はスパイシー路線(?)のようです。

ラー油の色がやたらと濃い気がする。

牛肉麺、牛肉、小皿の漬物(?)で19元。 ラー油は少なめにしてもらったもののかなり辛く、しかもニンニクの葉もたっぷりでした。 パクチーはなかったように思います*2。 朝早くの移動で眠かったのですが、これを食べて辛さのあまり目が覚めました。

簡牘博物館

昼食のお店から、歩いて今日の観光の目的地の簡牘博物館に向かいます。

基本情報

2023年の9月あたりにオープンしたばかりの新しい博物館で、「簡牘」、つまり木簡・竹簡をテーマにしています。 月曜休館。開館時間などの詳細はWeChatの公式アカウントから見れます。

入館してすぐに、簡牘をモチーフにしたオブジェなどが出迎えてくれます。

音声ガイドを聞きながらゆっくり見て回り、5時間ほど滞在しました。

入場について

事前にWeChatの公式アカウントから事前に予約し、QRコードを提示して入場しました。 ただ、このときは人はかなり少なかったので、予約なしでも入れたかもしれません。 なお、予約時はパスポート番号で登録できた(「身份证」じゃなくてもOK)ですが、電話番号が必要で私は中国の携帯電話番号を使いました。日本の電話番号でも登録できるかどうかは未確認です。

手荷物検査があって、消毒用アルコールが可燃物として持ち込み禁止と言われたのですが、ロッカーに預ければ問題ないとのことなので、ロッカーを利用します。 一瞬ここで「コインロッカー」と書きかけましたが、これコインは受け付けないんだった。 AlipayかWeChatで操作しました。

音声ガイド貸出

音声ガイドは、前回9月の旅で甘粛省博物館で利用したものと同じタイプのもののようです。 貸し出しも返却も完全自動です。ただし、こちらもAlipayかWeChat Payで操作/支払いします。

ちなみに本体とイヤホンは別々の料金です。自前のイヤホンを持っていたら代金を少し節約できます。 本体は返却しますが、イヤホンはそのままもらえます。

ロッカーも音声ガイド貸出も、中国は現地のITサービスを利用できれば(この仮定、大事)とても便利なのですが、スマホを持ってないと大変そうです。

展示

常設展示は、以下の4部構成になっています。

  • 简牍时代
  • 简述丝路
  • 边寨人家
  • 书于简帛

简牍时代

こちらは簡牘そのものについての基礎知識を伝える展示、という位置づけのようです。 簡牘の定義や分類や製法から、まとまって出土した著名な簡牘、簡牘の用途などを概観することができます。

並んでるのは一見地味な簡牘なのですが、約2000年近く前の木に墨で書かれた文字が判読できる状態でここまで残されてきたと思うとワクワクします。 「うおおお、2000年前の文字が判別できる!!! 読める...! 読めるぞ!」と内心盛り上がったり。

簡牘の形いろいろ。

一番左の「簡」は通常の簡牘、1つ飛ばして「両行」は読んで字のごとく2行分の幅がある幅広の簡牘*3、「木楬」は物品の名前や数量/文書名などを書いた荷札のようなもの*4、「封検」は情報を記した木簡の上に重ねて封印するために利用されたもので宛先や配達方法が記載されます*5。 既に本で読んで知っている情報ではあるのですが、こうやって実物を並べて説明されると実感が伴ってきます。

真ん中の検には「刺史」(官名)と書かれている気がする...?

ちなみにもうちょっと後の展示で封検の使い方が解説されていました。

懸泉置木簡について。 写真にもある通り出土が比較的新しくて、予習で読んだ本の中には元の出版年代が古く懸泉置木簡を扱えていないものもありました。

検。右側の釈文の通り、「懸泉置以亭行」と書かれているのがはっきりと読み取れます。 ちなみに、展示されているだいたいの簡牘について釈文が付されていました。

他にも、居延漢簡や馬圏湾漢簡など、まとまった出土例について、出土時期や発掘調査の経緯などが紹介されています。

続いて、簡牘の様々な用途についてのコーナー。 このへんになると、多数の簡牘を見すぎて、感覚が段々と麻痺してきます。

こちらは檄(「檄を飛ばす」の檄)として用いられた觚。 「府告居延甲渠...」と読めます。 上級の役所から下級官庁に送られた文書かな。

甘粛省で発掘される木簡には、当時の長城の防衛施設に残された上のような軍事行政文書が多いのですが、もう1つのカテゴリが、書籍の類。

こちらは識字教科書「蒼頡篇」の一部。 左の簡牘の冒頭2文字はたぶんタイトルにもなっている「蒼頡」かな...?

こちらはかけ算表。

どちらも敦煌の馬圏湾遺跡出土のものと書かれているところが気になります。 馬圏湾遺跡は長城の防衛施設だったと思う*6ので、そこに勤務する書記が使うためor書記を目指す人の教育・学習用だったのかもしれません*7*8

简述丝路

「简述丝路」の展示では、簡牘に書かれた内容からシルクロードについて何が分かるかを展示しています。

まずは自然環境の話。個人的にはこれに一番興味を惹かれました。

「自然環境のことなんか当時記録につけることあったのかな?」と思ったのですが、別の趣旨で書かれた簡牘から自然環境についての記述を拾い出すことができるようです*9。 たとえば、右の写真の簡牘では、「弱水(エチナ河・黒河)を渡河する際に、激しい水流のため、符や衣服などが流されてしまった」という報告が書かれていて、ここから当時の弱水が水量豊富であったことが示唆されるとか(音声ガイドの情報。)。2000年前のこの地は、今ほど乾燥していなかったようですね*10

他にも、冷害や地震の報告の簡牘もあった気がします(うろ覚え。)。

こちらは置(駅站)の位置の話。 右は、里程簡と呼ばれる、置と置の間の距離などを記載した木簡です。 発掘された遺跡と、当時の置の名前を照合するのに役立ちそう。

かなり驚いたのはこちら。なんと当時の壁に書かれていた文章がそのまま残されています。よくばらばらにならずに残ってくれたものだと思います。 「四時月令」と書かれていて、内容は農事のスケジュールなどを規定したもののようです(要出典)。

シルクロードを往来した人々の記録もあります。 このへんはだいたい懸泉置出土の簡牘で、「誰々を送り出した」などの記録がされていたようです。

他にも、シルクロードを通して伝わった動植物などについての展示もありました。

边寨人家

こちらの展示では、河西回廊に住んでいた当時の人々の暮らしに焦点があてられています。 「简述丝路」でシルクロードを行き来した人々の記録はあったのですが、あちらはどちらかというと貴人や高官がメインのようで、対してこちらは一般庶民(または長城に配備された兵卒や下級役人たち)が主役。

食品について書かれた簡牘。食材の種類や量が列挙されたものもあります。

こちらは馬が死んだことの責任を巡って、誰の責任かを調査した記録だそう。文字がえらく崩れた書体で書かれている気がします。

またトラブル関係ですが、こちらは長城勤務の兵士どうしの喧嘩に関する記録。 まさか自分のやらかしが2000年も後まで伝わるとは思ってなかっただろうなー。

展示室の壁際にはこうやって束になった簡牘も並べられているのですが、こちらはもちろん本物ではなく模造品。ただ、触ろうとした人が博物館のスタッフに止められてました。

平日で人も少なく静かな館内だったのですが、このへんで校外学習のためか小学生(たぶん)の集団が入ってきて、展示室がだいぶ賑やか(婉曲表現)になってました。

书于简帛

こちらは書道史の観点から簡牘について解説する展示のようです。

簡牘の実物は少なく、簡牘に書かれた文字を拡大したパネルなどがメインです。(書かれた文字の形に着目するなら、確かにこの展示形態の方が見やすい。) 私は書芸術には明るくないので、このへんはざっと軽く見るに留めました。

なお、書そのものではないのですが、簡牘に利用される木材がしれっと展示されていて、興味を惹かれました。

ホテルと夕食

博物館は蘭州市街地の西側にあるのですが、ホテルは東側に取ってあるので、バスで東に向かいます。ちなみに蘭州の市街地は東西に長いです。

ちなみにこのとき乗ったバスは午前乗ったものとは異なり、乗車時と下車時の2回QRコードをスキャンする必要がありました。 恐らく、バス停間の間隔が大きいタイプの路線で、乗車区間の長さによって運賃が変わるのだと思います。 車内放送で「请勿提前刷卡」って書いてたけど、ほとんどの人が乗ってすぐとかに下車用スキャンをしてて笑いました。

ホテルにチェックインして、近くで夕飯を食べに向かいます。

気温は氷点下なのですが、意外と屋台があってびっくり。

外で食べるのは寒そうなので、屋台街の隣にあるこちらのお店で羊串にします。 店内はポップで清潔。

飲み水が出てきたのですが、冷たい水ではなく熱々のお湯で助かりました。 外は寒いし、そもそも羊の脂の融点は人間の体温より高いらしい*11ので、暖かいものを飲めて嬉しい。

羊串の注文は10串単位からだったのですが、1串が意外と小さいということを前回の旅で学習したので、怯まず合計20串ほど注文します。

クミンの香りの利いた羊串がどんと積まれた様を見ると、中国西北部に来たなーと感じられます。 味は前回9月の旅の嘉峪関の方が上かも?ですが、なんだかんだ日本では食べてなかったので久々の羊串で、美味しくぺろりといただきました。

メニューで「牛奶鸡蛋醪糟」なるデザートが蘭州名物として推されていたので、こちらも注文してみました。 牛乳に甘酒のようなものと、卵、胡麻やナッツなどが入っているようです。 温かくほんのり甘く優しい味わいで、スパイスの利いた羊串の後に食べるとちょうどよかったと思います。

合計お値段78元でした。

歩いてホテルに戻ります。

翌日に続きます。

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参考文献

  • [1] 大庭脩(2020)「木簡学入門 」志学社 ISBN: 978-4-909868-01-5 (※1984年刊の講談社学術文庫を再刊したもの)
  • [2] 籾山明(2021)「漢帝国と辺境社会 長城の風景 増補新版」志学社 ISBN: 978-4-909868-05-3 (※初版は1999年刊の中公新書)
  • [3] 冨谷至(2014)「木簡・竹簡の語る中国古代 : 書記の文化史 増補新版」岩波書店 ISBN: 978-4-00-026859-2
  • [4] 柿沼陽平(2021)「古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで」中央公論新社 ISBN: 978-4-12-102669-9

*1:D2649 西安北 7:04 → 10:23 蘭州西

*2:か、あってもニンニクの葉が強すぎてパクチーの香りが検知できなかった。

*3:[1]p.28~p.29, [3]p.68。ただし、[1]では幅を1.8cm~2.8cmとしているが、[3]では幅は通常の簡(幅1cm~2cm)の倍としている。

*4:[1]p.46, [3]p.85

*5:参考文献[1]41~p.42、参考文献[2]p.16、参考文献[3]p.82、参考文献[4]p.52~p.54。参考文献[4]では「検」という言葉は出てきませんが、図2-1左側や図2-2などで解説されているものは、他の文献で述べられた「検」に該当するかと思います。

*6:馬圏湾漢簡の展示のところで、馬圏湾烽燧(のろし台)との記載がありました。

*7:参考文献[3]p.142, p.144によると、居延漢簡/敦煌漢簡の中に見られる字書の断片は、初心者の書記が練習用に筆写したもの(が廃棄されたもの)ではないかと考えられる、とのこと。

*8:このへんの事情、参考文献[2]の補遺「書記になるがよい」にも書かれていたと思います。

*9:このへんの話、参考文献[4]を思い出しました。具体的には、たとえ日常生活を主題にした文献でなくても、日常についての記述が断片的にあり、それらを拾い集めて利用することができる、という点です。

*10:参考文献[2]p.216によると、往時の河西回廊はオアシスが連なる緑豊かな地であったとのこと :「ハラ=ホトや楼蘭など、生命のかけらもない沙漠の遺跡を目にしたときに、私たちは驚きとともに「なぜこんな厳しい環境の中に住んだのか」との疑問を口にする。だが、その答えは実に簡単、「当時の環境が今日ほど過酷ではなかったから」である。」

*11:日本食肉総合センター 用語集 「融点」 http://www.jmi.or.jp/info/word/ya/ya_009.html 「融点は鶏肉で30~32℃。馬肉、豚肉、牛肉の順で高くなり、羊肉は44~55℃でいちばん高い。」

2023年冬 西安と蘭州の旅 1日目 : 日本から西安の移動

2023年冬 西安と蘭州の旅1日目(2023-12-13)の記録です。 初日は直航便で東京から西安に飛び、翌朝の移動に備えて西安北駅(高速鉄道駅)に宿泊します。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

空港へ

西安は東京より少し寒いくらいかなーと思ったのですが、ちょうど旅行の日あたりから気温が下がり最高気温0℃、最低気温-10℃くらいの予報。 蘭州は-15℃くらいまで下がるそう。

ということで、暖かい格好で空港に向かいます。 インナーとしてモンベルのジオライン(中厚手)を上下に着込んだのですが、東京だと最高気温15℃なので暑い。。。

成田エクスプレス車内では日本語よりも外国語のほうがよく聞こえてきました。

成田空港にて

今回は海南航空の直行便で成田から西安に向かいます。

チェックインカウンターが見つからないなと思ったら、あんまり使ったことがない場所にありました(成田空港初心者)。

チェックインカウンターではほとんどの人が中国語話者でした。 前に並んでた人と少し話したのですが、西安在住の人でした。 北海道を旅してこれから帰国するとのこと。日本は3回目で、東京~大阪の定番ルート、沖縄、そして今回の北海道だそうです。 私はまだ北海道も沖縄も行ったことないので、私より日本の観光地を周ってる気がします(←

この日は保安検査場も空いており、ほぼ並ばずに順調に通過できました。

フライト

機内持ち込み荷物が多く、乗務員も整理に手間取っていたようです。 しかも成田の免税店の袋が多くて、着陸後に取り間違えないか心配や。。。

富士山! 登ったことはあるのですが、斜め上から見下ろすと形がよくわかって面白い。

機内食は米とパンともみじ饅頭とポテトサラダで、炭水化物多めな気がする。

機内の飲み物で、水やお茶やリンゴジュース以外に、「椰子水」があったので頼んでみました。 ココナッツミルクではなく、半透明の液体でした。 後でgoogle検索したら「ココナッツウォーター まずい」とサジェストされていましたが、ほんのり甘い優しい味で私は好みでした。

前回9月の旅のフライトに比べると、日が沈むのが早かった気がします。 西安に近づいた頃には真っ暗だったので、上空からの写真はなし。

20分遅れくらいで着陸しました。 3人くらい名指しで先に降りるように言われた乗客がいて、それ以外は座って待っててね、と言われました。 なんでだろう(咳をしていたので検疫対象、とか???)。

空港からホテルへの移動

今回も荷物は35Lのバックパック1つだけなので、預け荷物を待つことなくさくっと空港を出ます。 ちなみにターンテーブルには寄らずに出口に直行したら、スタッフの方に「預け荷物ない? 取り忘れてない?」と心配されていったん止められたりしました。

機内食が足りなかったので、カロリー(日本で買ったカレーパン)と水の補充。 水は自販機から買ったのですが、日本の自販機のようなタイプのものではなく、alipayでスキャンして扉を開けて商品を取り、自動で精算するタイプのものでした。 前回の中国旅行ではこのタイプのものは使わなかったので、ちょっと新鮮で面白かったです(写真撮りそびれた、残念...。)。 alipay信用スコアが一定点数以上ないと使えないそうなのですが、信用スコアを事前に有効にしておいただけで、特に問題なく使えました。

空港からホテルまでは前回と同じく地下鉄で移動します。

乗り方は前回の旅行の時に書いたこちらの記事参照。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com 今回はWeChatミニアプリの乗車用QRコードを利用しました。 「SUICAとかのICカードの方が処理が速くて便利では???」とずっと思ってた*1のですが、QRコード方式だと物理カードを買わなくてよいので旅行者にとっては嬉しいということに気づきました*2。 実際、この後何都市か周ってもミニアプリの操作だけで都市を切り替えられました。

社内の液晶画面では、広告の下に社会主義核心価値観や「ゴミは分別しましょう」「マスクをつけましょう」などのテロップが流れていました。 車内でマスクをしてた人は半分くらいだったと思います。

終バスもなくなっていたので、歩いてホテルに向かいます。寒いですが、1kmちょっとなのでセーフ。

ホテルは問題なくチェックインできたと思ったのですが、チェックイン後にフロントから電話がかかってきて「中国籍ならパスポートじゃなくて身份证が必要」と言われました*3。 「こんな寒い夜に宿を追い出されるのはやばい」と思ったのですが、中国の移民管理局のwebページと法律を見せて説明したらOKもらえました。 前回の旅で武威のホテルを追い出された経験が活きてよかった(よくない。もうちょっとすんなりチェックインしたい...。)。

翌朝は蘭州に向かいます。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

*1:実際、改札前でスマホ操作のために立ち止まる人がそこそこいた。

*2:家にイスタンブールカードが眠っているのを思い出しながら。

*3:私は「国籍は中国だが日本生まれ日本育ちで身份证がない」というレアケースです。