世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2023年冬 西安と蘭州の旅 8日目 : 西安(西安碑林博物館、西安城壁)

2023年冬 西安と蘭州の旅8日目(2023-12-20)の記録です。 この日のメインは西安碑林博物館、この西安の旅の主目的その2です。 数々の石碑が林立する様は壮観で、SF小説「三体」の中で人類の文明を石に刻んで記録しようという場面があったのを思い出しました。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食

この日の朝食はホテルの外で食べることにします。 ホテル近辺を歩き回って、人が集まっているお店にしました。(ちなみに、夜に観光客向けにやっていたような屋台はたいていまだ閉まってました。)

油条と茶叶蛋と豆浆で5元。 実は今回の旅で「油条と豆浆」という中国北方の王道の朝食をいただくのはこれが初めて。 ただ、豆浆はやや薄い気がする...?

朝食後、バスで西安碑林博物館の近くまで移動します。

ちなみにこのへんで体調が怪しくなってきました。 今回の旅、バスなどで周りで咳をしている人の割合が2割くらいいた気がするので、それかな。。。

西安碑林博物館

概要

  • 公式webページ : https://www.beilin-museum.com/
  • 本記事執筆時点(2024年4月)で、大規模改装のため、展示室の大半が閉鎖されているようです。詳しくは上記公式webページのお知らせ(「公告」)を参照ください。また、新館整備に伴い、以下の展示室の情報も恐らく役に立たなくなる可能性が高いと思いますが、記録として残しておきます。
  • チケット/入場 : チケットは前日にwechatから購入しておきました。身份证番号不要でパスポートでも購入できましたが、電話番号の箇所には中国の携帯電話番号を入力しました。当日はスマホ画面のQRコードスキャンで入場できました。入場料50元*1
  • 公式ガイドあり(英語もあり)。私は音声ガイド機を利用しました。
  • 展示室にはほぼ暖房がついていません。(そもそも石碑の展示室は伝統建築で、扉もあけ放たれている)ということで、この時期は寒いです。(たぶん夏は暑い。)*2
  • 前日に訪れた陝西歴史博物館と比べると少なめでした。朝(と言っても9時半ごろ)は人もまばらで、昼過ぎには少し増えましたが、それでもかなり余裕がありました。
  • だいぶじっくりまったり見たので、5時間ほど滞在しました(たぶんだいぶ長い方。)。敷地内にレストランなどはないので、事前に買ったパンを食べました*3

なお、石碑の個数が非常に多く、解像度が低いと「どれも石に文字が刻まれている」だけに見えてしまうので、見どころは事前に押さえて予習していった方が楽しめると思います。 私はちょっと本を読んだり、公式微博の解説動画を見たりしました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

屋外

門を入ってすぐの池。 これ自体も実は元代か宋代にまで遡る由緒あるものだそうです*4。 写真右奥でチケットの確認があります。

このへんはかつての孔子廟です。 まだ朝ということで人も少なく、静謐な空気を楽しめます。 写真奥の門のところで音声ガイド(30元、デポジット100元)を借りました。

孔子廟エリアにも、屋外ですが展示物があります。 こちらは「景云钟」と呼ばれる鐘です。 しれっと屋外に置かれていますが、なんと国宝級文物だそう。

銘文は時の皇帝睿宗によるもの。景雲二年と記されており、なんと1300年以上前の品です*5。 本文の拓本が西安碑林博物館の公式webページで見れます : https://www.beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=153

こちらの馬も国宝級文物。

ただの馬ではなく、よーく見ると文字が刻まれています。 私の目では読み取れなかったのですが、「大夏真興六年」(西暦424年)の紀年が刻まれているそうです。 五胡十六国時代、赫連勃勃が興した大夏の年号だそう*6

さらに奥に進むと、いよいよ碑林の本体部分のお目見えです。 最初に迎えてくれるのが、こちらの碑亭。 西安碑林の象徴としてもよく使われる写真です。

碑亭の下に収められているのは、唐の皇帝玄宗(楊貴妃安史の乱で有名なあの玄宗)の手による石台孝経。 儒教経典の1つ「孝経」の本文と、玄宗自身による注を彫ったものです*7。 これも国宝級文物。そろそろ感覚が麻痺してきた*8

私は書芸術は解さないのですが、それでもなんとも端正と言いたくなるような隷書です。 写真がいまいちですが、よーく見ると割注も彫られています。

裏に回るとまた様々な書体で彫られた文字が見られます。 左下を拡大すると右の写真の通り、びっしりと人名らしきものが彫られています。 ただ、下の方を拡大して見てみると「萬歴」「乾隆」「嘉慶」のような明清時代の年号らしきものも見えるので、もしかして後世に追加で彫ってるかも...?

第一展示室

碑亭の後ろから、第一展示室に進みます*9

第一展示室は、展示室まるまるが「開成石経」と関連する石碑に占められています。 開成石経は、唐の開成2年(837年)に12部の儒教経典を114枚228面の石に彫ったもので、彫られた文字はなんと約65万字にも及ぶとのこと*10。 中国の歴史上、儒家の経典石刻を作る国家的事業は7回行われたものの、そのうちほぼ完全な形で残るのはこの「開成石経」と清の「乾隆石経」(北京国子監)のみだそうです*11*12

中身は全く分からないのですが、びっしり書かれた文字の存在感がすごいです。 なお、部屋一面に石碑が立ち並ぶ様子は私の写真がいまいちであまり伝わらないので、公式webページの写真を見たほうが良いと思います : https://www.beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=280

近づいて見たところ。 「複数の段組みに分かれているのは、拓本をとりやすくするため」とどこかで読んだ気もしますが、記憶が怪しいので要出典。確かに、巻子本にするならあまり縦長過ぎない方が使いやすそうな気はします。 当時は印刷技術も未発達だったため、このような石経が模範の役割を果たしていたとのこと*13

石経本体だけでなく、その後の歴史の積み重ねを示す石碑もとても興味深いです。 こちらは「京兆府府学新移石経記」と題した、北宋時代の石碑。 曰く : 開成石経はもとは長安国子監に置かれていたのですが、唐末の戦乱などを経て長安城が縮小された*14ため、城外に取り残されてしまった。 その時、部下の進言により当地を統べる将軍が開成石経などを城内に運び、北宋時代には現在の西安碑林の地に安置されるにいたった*15*16。 そういえば9月の旅で訪れた大雁塔は今の城壁の外だよなー、ということを思い出しました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

こちらの小さめの石碑は、明代に地震で開成石経が損傷したため、損傷部分を補刻したものだそうです*17。 その経緯を記した石碑も展示されていたのですが、ガラスの反射でうまく撮れなかったので写真は割愛。

こちらは清代に新たに彫られた「孟子」。 開成石経にはもともとは孟子は入っていなかったのですが、宋代以降に孟子の地位が上がったため追加されたそうです*18。 こちらにも経緯を詩の形で記した石碑があったのですが、同じくうまく撮れなかったので写真は省略。

振り返ってみるとあんまり見れてないものも多いし、もう一度行きたくなってきた。。。

第二展示室

続いて、唐代の名碑が一堂に会する第二展示室。 石碑が所狭しと林立する様はまるでゼーレ(違

石碑どうしの間はかなり狭く、歩く際に気を付ける必要があるところもありました(きっと新館に移ったらもっと広々と展示されるんだろうなと期待。)。 ガラスで表面を保護しているものが多いので、反射で写真を撮りにくい点は注意。

この展示室の石碑の中でも随一の知名度を誇るのが、こちらの「大秦景教流行中国碑」。 大秦(古代ローマ)の景教(ネストリウス派キリスト教)が唐に伝わり広まる様子などが書かれています*19。 他にも古代ローマの地理/自然環境/物産、唐代のシリア・イランとの政治/経済関係などについても言及されているそう*20。 この石碑は高校の世界史でも登場しているかもしれません*21

がっつり拡大したので画質が粗いですが、石碑の題の上に十字架が描かれているのが分かります。

右の写真から景浄なる僧侶*22が記したということが見て取れます。 左の写真には「大唐建中二年」とあり、西暦に直すと781年となることが分かります。

明らかに漢字ではない文字ですね。 これはシリア文字だそう*23*24

ネストリウス派キリスト教と言えば、431年のエフェソス公会議で異端と宣告されそこから東に伝わってきた*25わけですが、5月にエフェソス(セルチュク)に行ったなー、というのを思い出しました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com 自分が旅したところがこうやってつながると面白いです。

顔真卿の顔氏家廟碑の一部(確か背面だったはず)。楷書で有名な顔真卿ですが政治家でもあり、安史の乱に際しては配下の軍を率いて鎮圧にあたったとか。

更に近くで見たもの。書家の筆跡もさることながら、それを石の上に斯様に美しく刻み付けた石工の腕にも驚嘆せざるを得ません。

こちらは「三蔵聖教序碑」(または「集王聖教序碑」)。 三蔵法師こと玄奘の漢訳経典に対して唐太宗李世民がつけた序と、時の皇太子(後の高宗)による序記などを石碑にしたものです。 これだけでも豪華な登場人物に驚くのですが、加えて文字は「書聖」として知られる王義之のもの。 と言っても、王義之本人は晋代の人で既に亡くなっており、これは王義之の真筆の文字を集めて石碑にしたものです*26

「大智禅師碑」。 背景や内容などはよくわかっていないのですが、隷書が好きなので、つい眺めてしまいました。 書芸術はよくわからないのですが、均整の取れた隷書が整然と石の表面を埋め尽くしている様には心惹かれました。

他にもこの展示室だけでいくつも石碑があるのですが、長くなりそうなので割愛します。 「这些字真美...!」と感嘆しながら写真をとりまくっているおじさまもいらっしゃり、書芸術を解する人だとさぞ楽しめるだろうなと少し羨ましくなりました。 その一方、小さい子供が石碑の下部の亀の形の部分に登ろうとして警備員に怒られる、という一幕もあったり。

展示室から出ると中庭があるのですが、中庭を囲む回廊の壁には多数の墓誌(個人の事績を刻んで墓に収めた石)*27が埋め込まれています。

ここには北魏時代のものが多かった記憶があります。 こういうのが読めると、(もちろん書かれた内容をそのまま信じるわけにはいかないですが)正史には残っていない人々の情報が得られそうで面白そうです。

第三展示室

「篆书目录偏旁字源碑」。 北宋時代の石碑で、「説文解字」の部首などを篆書で記し、その下にその音を表わす文字を楷書で記しています。

確か、楷書が1文字のものはそのままの発音で、2文字のものは1文字目の音母と2文字目の韵母を組み合わせた発音になる?というような説明だったと思います*28

後半には、この石碑を作った経緯などを記した序文もあります。 冒頭、「昔秦相李斯...謂之小篆」くらいは読み取れる。

この石碑の裏は「京兆府小学规碑」として、別の内容が刻まれています。 「小学」と呼ばれる教育機関の校則のようで、「生徒」「教授」「学長」など見覚えのある語彙が見て取れます*29

学生を3つのクラス(?)に分けることとそれぞれの教育内容らしきものも書かれています(たぶん)。 1000年前の校則が残ってるのすごいな。。。 碑林博物館の公式webサイトで全文の拓本を見ることができます : https://www.beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=3417

「曹全碑」。後漢時代(!)の石碑で、曹全なる人物の功績を記したものです。 公式webページの拓本はこちら : https://beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=145 中身を読める語学力はないのですが、よーく見ると見覚えのある固有名詞らしきものがあって興味深いです*30

冒頭、「君諱全字景完敦煌效穀人也」とあり、敦煌群の人ということが分かります。

左は涼州(現在の武威?)、右は張掖。 さきほどの敦煌も含めて、これらの年は9月の河西回廊の旅で周ったので、こうして見ると感慨深いです。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

こちらは疏勒(現カシュガル?)。 そういえば、敦煌を流れていた河は確か疏勒河という名前だった気がします。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

あと、これは全然自信がないのですが、この写真中央のはもしや黄巾の乱を率いた「張角」かも?(時代的にはだいたいあってそう)

裏面に回ると何やら一覧のようなものが彫られています。 たぶん、石碑をつくるにあたっての出資者と出資額のようなもの...?*31

他にも、後漢の石経の断片、篆書と楷書が対比された千字文など、興味深いものがいくつもありました。

第四展示室

こちらの展示室はこれまでとは様相が変わり、詩文や絵を刻んだものがメインです。

特に絵が刻まれたものは文字が分からなくても楽しめるのでおすすめ。

太华全图。西安の西にある華山を描いた、清康熙年間のものだそうです*32 よーく見ると地名らしきものが書かれています。

「关中八景图」。こちらも清康熙年間のもので、陝西省関中地方の名勝と、対応する詩が刻まれています。 咸阳古渡は、ちょうど先日博物館として訪れました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

こちらは少し古く、明の嘉靖年の「黄河図説」。 絵と文字で当時の黄河の流れなどが説明されているようです。 当時の地理を知る資料になりそうで興味深いです。 拓本はこちら https://www.beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=3402

猫様。 お土産屋の店員さんによると、猫はもう一匹いて、お気に入りの場所を争うライバルだそう。 ちなみにお土産屋には法帖なども売られていました。

第五展示室

第五展示室には宋代以降の石碑が展示されています。

大きな文字が記された石碑が目立ちます。 ちなみに一番右の「寧静致遠」は康熙帝の筆によるものです*33

ただ、私は書芸術というよりも書かれた中身の方に興味があるので、文字たくさんの石碑の方が気になります。 建築や土木工事などの記録の石碑もいくつかありました :

こちらは1460年代の「新開通済渠記」で、運河/水路?の開削について記した石碑。

「大元重修宣聖廟記」は、元朝治下において孔子廟を修復した石碑*34

これは石のつやからも察せられる通り新しめで、1820年の「重修蘭州城碑記」。蘭州に行ってきたばかりなので気になります。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

土木・建築の話は史書に記載が少なそうな印象がある(いや、でも清くらい最近になるとそうでもないかも?)ので、こういった石碑から情報が得られると面白そうです。

西安石刻芸術室

石碑以外の様々な石造物が展示されています。

画像石いろいろ。こちらに並んでいるのは、主に後漢時代のものだそうです。

李寿(唐高祖のいとこ)の墓の扉(左)と墓誌(右)。

同じく李寿の石棺。

ひときわ目を惹くのが、こちらの10トンもある巨大な犀。 もともとは唐の高祖の陵墓の前に置かれたものだそう。 史書によると、他国から犀が唐に送られたこともあったそうです*35。 そういえば、今回の旅で先日訪れた乾陵にもダチョウらしき鳥のレリーフがあったのを思い出しました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

その他

他にも下記のような展示があったのですが、いずれも私は興味が薄くざっとしか見ていないので、省略します。

  • 第六展示室 : 主に詩文
  • 第七展示室 : 淳化閣帖
  • 石刻芸術館 : 仏教芸術

城壁への移動

碑林を観光し終えたので、城壁の外に出て、城壁沿いに散歩して城壁の上に登れるところを目指します。

目指すのは写真中央の門。 ただし、この車道を横断する必要はなく、

地下鉄駅の通路を通っていくことができます*36

西安城壁には、東西南北の門と、他いくつかの門から登って見学することができます。 今回は南の永寧門から入ります。 城壁を半周した(南→西→北)のですが、体感としては永寧門が一番観光客が多いようです。

このときの門と営業時間の一覧。

西安城壁

古都西安を囲む城壁ですが、この城壁は明代に造られたものです*37

さきほどの門をくぐって中に入ると、正面に現れるのは箭楼。 ただ、解説の銘板によると箭楼は20世紀の再建だそうです。 なお、まだここは城壁内部ではないです。

ここを左(たぶん、左だったはず。。。)に回り込み 門をくぐると 先ほどの箭楼の裏に出ます。 コスプレしている集団が写っているのですが、なんか1人だけ地域設定が違う人が混じっている気がする。。。 箭楼、表側はレンガに覆われた堅牢な見た目でしたが、こちら(城壁の内部)側から見ると無骨な印象は和らぎます。 防御のため外側を堅牢なものにするのは納得感があります(と言っても20世紀の再建なので、当初の姿通りかは分からないです。)。

ちょうど模型があって理解の助けになりました。 下(南)から入ってきて、今いるのは、四角く囲まれた空間。 門の外にこうやって城壁で囲まれた空間を作るケースは、日本の城郭でも見た記憶があります*38

後ろを向くと、永寧門の本体。

ここを抜けると城内に出ることができます。 が、これだと城壁の見学が終わってしまうので、戻って永寧門横の階段から城壁の上に登ります。

城壁の上に楼閣が連なる様子が見て取れます。

城壁の内側。中央の車道の先に見えるのは、かつて時を告げていた鐘楼です*39。 鐘楼は翌日見に行きます。

さて、城壁の上はぐるっと一周できるのですが、一周は10km以上*40あって歩くのはなかなか大変なので、南門から少し歩いたところにレンタサイクルがあります。 お代は45元(加えてデポジット100元を払います。デポジットは自転車返却時に返金されます。)で、ちょっと高いかな、と思いつつせっかくなので借ります。 写真のようにタンデムのもあるのですが、少し乗りづらそう...?

南門から時計回りに走ることにします。実際に走ってみたところ、道はでこぼこがあるので、マウンテンバイクだけどそこそこ揺れます。 人も多いのでスピードの出し過ぎには注意。 なお、南門近くは人が多いからか自転車禁止です。

西に走ってから南門の方を振り返ったところ。 城壁の長大さが感じられます。

左側が城壁外、右側が城壁内。 城壁内外を比較すると、城壁内のほうが一昔前の建物が多くて、高くて新しい建物は城壁外に多い気がします。

西門にやってきました。

近くで。 あんまりきちんと見えていないのですが、斗拱(組物)はそれほど複雑ではなさそう...?(でも柱の上以外にも置かれていますね。)

西門箭楼。こちらは再建ではなく、明清時代のものがそのまま残っているそうです*41。 南門箭楼と比べると、城壁内側も煉瓦で覆われていますね。

漢服撮影をちらほら見かけました。反射板持ってる撮影スタッフもいたりとなかなか気合が入っています(たぶん観光客の自撮り用。そういう趣旨の広告を見かけた記憶があります。)。 ちなみに動画撮影のときに自分が映り込んでしまってリテイクになるという一幕もありました(すみません。。。)。

北西の角では目立つ寺院がありました。 城壁の上にも解説の銘板が置かれており、広仁寺と言い、陝西省唯一のチベット仏教寺院とのこと。

北門にたどり着く頃には夕焼け空になっていました。

北門箭楼。側面が煉瓦で覆われていて、庇(?)が城壁内側にしかないことがよくわかります。

寒い(というか風邪っぽい)ので一周せずに北門で降りることにしました。 スタッフさんには「ここバスも地下鉄も不便だよ」と言われたけど、もう半周する気力もないので降ります。 自転車を返して紙にサインをもらい、それを窓口に渡せばデポジットを返金してもらえます。

夕食

バスで移動し、夕食は西安名物の1つ、羊肉泡馍をいただきます。

実は9月の旅行の際にも来たお店なのですが、美味しかったので再訪です。

凉菜5元と、羊肉泡馍(优质)40元でした。 注文時に「馍を丸のままにするか、切ってあるものにするか」訊かれるのですが、せっかくなので丸のままのを頼みます。 で、これを自分でちぎります。

けっこう硬くて力がいるのですが、気長にちぎります。

だいたいこんな感じ。 もっと細かくちぎった方が美味しかったかも?

ちぎったものをこちらに食券と一緒に持っていくと、番号札を渡されます。 ちなみに、一連の手順のことを知らないお客さんが丸のままの馍を持ってきて、「それは自分でちぎるんだよ」と店員さんに説明を受けたりもしていました。初見じゃわかんないですよね。

席でしばらく待っていると、先ほどの番号札と引き換えに、馍にスープを注いだものを運んできてくれます(ただし、番号を呼ばれるので反応する必要がある。)。

2日前も別のお店で羊肉泡馍を食べたのですが、あちらとはだいぶ味わいが異なりました。 先日のはあっさりめなのに対し、こちらはこってり感があり、さらにスパイスも効いていました。 こってりした味わいに、つけあわせの甘酢漬けニンニクがよく合います。 書いててまた食べたくなってきた。日本でも食べられる場所あるかな。

翌日に続きます。

参考文献

  • [1] 中国中央電視台[編], 河内利治[監修], 樋口將一[訳] (2013)「中国書道の至宝: 書と人をめぐる三千年の物語」科学出版社東京 ISBN: 978-4-336-05756-3 ただし、本書はドキュメンタリー番組がもとになっており、訳者自身が本書内で述べている通り脚色が加わっていると思しき箇所もあります。そのため、出典として用いるには、学術的正確性という面で心許ないと思います。
  • [2] 木村靖二, 岸本美緒, 小松久男 編(2017)「詳説世界史研究」山川出版社 ISBN: 978-4-634-03088-6
  • [3] 漢字文献情報処理研究会 編(2021)「デジタル時代の中国学リファレンスマニュアル」好文出版 ISBN: 978-4-87220-227-4
  • [4] 冨谷至(2014)「木簡・竹簡の語る中国古代 : 書記の文化史 増補新版」岩波書店 ISBN: 978-4-00-026859-2
  • [5] 愛宕元 (1991)「中国の城郭都市 : 殷周から明清まで (中公新書)」中央公論新社 ※2023にちくま学芸文庫から再版あり。

*1:たぶん繁忙期はもっと高いはず。

*2:でもこのへんは改修が終わったら様変わりしそう。

*3:これも大規模改修で状況は変わりそう。ちなみに守衛さんに「レストランとかありますか?」と訊いたら「ないから、外卖を頼んでゲートのところで受け取るのが良いと思う」と言われました。これは賢い。。。

*4:新浪微博 西安碑林公式アカウント 動画「泮池 “百年”雪松带你看千年碑林(六)」https://weibo.com/u/2622629300?tabtype=newVideo&layerid=4710736817818357

*5:以上、現地解説パネルより。

*6:現地解説パネルより。公式webページも参照 https://www.beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=160

*7:https://beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=2580

*8:ということで、以後も国宝級文物がいくつかあるのですが、特に言及しません。 https://www.beilin-museum.com/index.php?m=home&c=Lists&a=index&tid=110 参照。

*9:本当は右(東)側の入り口から入るのが経書の順番的には正しいそうです。新浪微博 西安碑林公式アカウント 動画「开成石经 “百年”雪松带你看千年碑林(九十五)」 https://weibo.com/u/2622629300?tabtype=newVideo&layerid=5020833338099415

*10:以上、現地の解説パネルより。

*11:参考文献[1]の「《開成石経》-西安碑林の誕生」の章より。

*12:西安碑林公式webページ https://beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=2583 「石经是中国古代碑刻中的重要类别,在中国历史上曾多次刻立石经,至今有文字可考的共有七次,即东汉《嘉平石经》、曹魏《正始石经》、唐《开成石经》、后蜀《广政石经》、北宋《嘉祐石经》、南宋《绍兴石经》、清《乾隆石经》。但其中五次刻经已损毁,仅留存一些残石,惟有唐《开成石经》和清《乾隆石经》得以完整保存下来,碑林一室陈列的就是《开成石经》。」

*13:現地解説パネルより。ただし、拓本をとって利用していたかまでは言及されていません。

*14:参考文献[5]p.184「唐の滅亡とともに、その都城長安城は壊滅してしまい、五代以後には官署区であった皇城部分が修築されて存続するものの、東西二・八キロ、南北一・八キロという小城郭に過ぎなくなる。城内面積で唐城のわずか一六分の一という規模である。」

*15:参考文献[1]の「《開成石経》-西安碑林の誕生」の章より。

*16:新浪微博 西安碑林公式アカウント 動画「京兆府府学新移石经记 “百年”雪松带你看千年碑林(四十三)」

*17:写真内の解説参照

*18:現地解説パネルより。

*19:https://beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=2577

*20:参考文献[1]の「大秦景教流行中国碑」の章。

*21:参考文献[2] p.123に写真あり。

*22:キリスト教なので司祭などと呼ぶべき?碑林の公式webページでは「传教士」と書かれています。

*23:参考文献[2] p.123

*24:西安碑林公式webページ https://beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=2577 「特别珍贵的是碑多处刊刻了古叙利亚文,这是东方教会的官方文字。」

*25:参考文献[2]p.64

*26:以上、公式webページより https://beilin-museum.com/index.php?m=home&c=View&a=index&aid=2579

*27:参考文献[3]p. a.222「一方の墓誌は、死者の事績を黄泉の国に伝えるため、死者とともに土中に埋められました。」

*28:以上、音声ガイドより。ただし記憶があいまい。

*29:ただ、ここの「学長」は日本語の学長の意味(教育機関の長)ではなく、生徒の中から選ばれる役職のようです。「於生徒内選□学長二人至四人」。

*30:と書いたのですが、文章の区切りがわからず固有名詞として誤読しているだけの可能性もあります。

*31:このへんの話は参考文献[4]に書かれていた気もするのですが、手元にないのでまだ確認できず。。。

*32:解説パネルより

*33:解説パネルより。

*34:「宣聖廟」は孔子廟のこと。コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「孔子廟」より。

*35:以上、解説パネルより。

*36:最初別の地下道に入ったら、全然別のところに出てしまいました。。。

*37:参考文献[5]p.184「元に代って明代になると、領域の縮小によって西北地区に立地する西安の軍事的重要性が高まり、戦略要地として大幅な増修が加えられる。(中略)その後の補修を経ながらも、ほぼそのままの規模で現在にまで残る西安城がこれであり、中国城郭の全体像として目にすることができる代表格の城郭である。」

*38:確か桝形虎口?要出典

*39:現地解説パネルより。

*40:高德地图でざっと目測すると12km以上。百度百科 https://baike.baidu.com/item/%E8%A5%BF%E5%AE%89%E5%9F%8E%E5%A2%99/1227840?fr=ge_ala によると13.74km。参考文献[5]p.186「さて西安城の城壁規模は、(中略)城周一一・九キロの横長の方形である。」

*41:南門箭楼の解説の銘板曰く、南門箭楼以外の3つの箭楼は往時の姿が保存されているとのこと。