世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2023年冬 西安と蘭州の旅 5日目 : 咸陽(茂陵と咸陽の博物館)

2023年冬 西安と蘭州の旅5日目(2023-12-17)の記録です。 この日は咸陽に移動し、茂陵(あの漢の武帝の陵墓)と、咸陽の博物館2つを訪れました。 当初は茂陵がメインで咸陽の博物館はついでのつもりだったのですが、後者も思った以上に展示が興味深かったです。 特に咸陽博物院の漢代のミニ兵馬俑はおすすめです。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

移動

宝鶏駅へ

この日も朝7時過ぎの電車*1で移動なので、5時半頃起床と早起きです。 あたりは真っ暗で、朝食を買うお店も見当たらなかった(ホテルのスタッフに訊いたものの、開いてるお店が見つからなかった)ので、とりあえず駅に向かいます。 ちなみに前日に蘭州から到着した駅は宝鶏南駅で、今日の出発地は宝鶏駅で全くの別物。

残念ながら駅内のレストランも営業前。 自販機にインスタント麺が売られてたけど、あんまり気分じゃないなー、と朝食諦めてそのまま乗車することにします。

電車

この日の列車は、見慣れない緑色のものでした。 後で検索したところ、型番(?)はCR200J。 twitter(X)でご教示いただいたところによると、諸事情で中国の鉄道ファンからは嫌われることの多い存在だそうです。

朝食を食べそびれたのですが、こんなときのためのカロリーメイト。 他にも羊羹など行動食を持ってきました。発想が登山。

途中で15-30分くらい臨時で停車して、まさかの鈍行に2回も抜かれました。この列車、高速鉄道じゃなかったのか...?

停車中に車内放送があり、15分程度遅れるとか(実際は30分以上遅れた)。

西安で乗り換え予定の乗客が車掌に間に合うか聞いたら「たぶん間に合わない。アプリでキャンセルすると手数料をとられるかもしれないから、駅で遅延した旨伝えて振替手続きしてもらうのが良い」旨返していました。 中国鉄路で乗り換えはあまり使ったことがないのですが、乗り換えで遅延が発生したら対応してもらえるということを学びました。

茂陵へ

興平駅で下車します。写真は撮りそびれたのですが、比較的小さい駅だったと思います。 ここからタクシーで茂陵に向かいます。

乗ったタクシーは客席と運転席の間に鉄格子があるタイプのものでした。 これ、本来は強盗対策だと聞いていて、治安が良くなった(というか現金を持たなくなった)のであまり見かけなくなった気がします。 今回のタクシーでも助手席に乗り合いで別の客を乗せてたので、もはやあまり防犯の意味はないみたい。 なお運転手はかなり訛りが強く、やや会話が大変でした。

かなりの農村風景の中を走ります。 煉瓦の壁にペンキで一言と電話番号だけを書いた簡素な広告もちらほら見かけました。

茂陵博物館

概要

  • 漢の武帝とその臣下などの陵墓群、および付属する博物館です。
  • 公式webページ : https://www.maoling.com/
  • webページには予約が必要と書かれていましたが、予約なしで当日券を購入して入れました*2。購入時にパスポートを見せました。

2つのエリアからなっており、互いに1kmほど離れています。特にシャトルバスなどもなさそうだったので、私は歩いて移動しました。

  • 1つは上の写真の「茂陵博物馆」と書かれた部分です。こちらには博物館や、霍去病などの陵墓があります。観光としてはこちらがメインだと思います。
  • もう1つは武帝の陵墓です。こちらは博物館などはないようです。

武帝の時代について予習していくとより楽しめると思います。私は昭和堂の「概説中国史」などを読んでいきました。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

博物館

屋内展示

敷地内に、いくつか写真のような展示室があります。 基本的には、茂陵などで発掘された漢代の品々が展示されています。

こちらの博物館の有名展示品(国宝)その1、玉製の「铺首」(環状のドアノッカーを固定する台座)。 解説によると、白虎、朱雀、玄武、青龍が象られているとのこと。 がしかし、写真がヘタでこの写真ではよくわからない。。。

こちらのまばゆいばかりの馬は銅製鍍金の品。

他にも、人や動物の俑や、文字の書かれた瓦などがありました。

あとは、武帝の業績の展示館もありました。 が、入って冒頭を見た限りだと、人形で有名な逸話などを再現したもののようで、あまり興味がなかったのでパス

石像

霍去病の墓前の「马踏匈奴」。高校世界史の資料集にも(たぶん)載ってる有名なものです。

なにやらユーモラスな牛。 背中になにか模様のようなものが刻まれているのですが、もしや鐙を表わしたものとか???

陵墓

こちらの敷地のメインは、霍去病の陵墓です。 匈奴との戦争で活躍した武将ですね。

近づいてみたら、後ろの石碑は清の乾隆年間のものでした。 どういう経緯でこの碑が立てられたのか気になる。

ちなみにこの陵墓ですが、なんと上に登れます。

のどかな農村風景が広がりますが、その中にぽつぽつと盛り上がった陵墓が分布しているのが見えて興味深かったです。 上の写真で一番目立つのが、確か茂陵(武帝の陵墓)だったはず。 茂陵、大きすぎる上に木に覆われていて近くではサイズ感がよくわからないので、遠くから見たほうが分かりやすい気がする。

茂陵

博物館がある側のものを一通り見たので、茂陵本体に向かいます。

こんな感じの農村の道をだいたい1kmくらい西に歩けば着きます。 ちなみに歩いている途中でトゥクトゥク(?)の運転手に声をかけられて名刺を渡されました。 見学後の移動手段を考えてなかったのでこれはラッキー。

大きすぎてもはや山ですね。 こちらでもチケットの確認があり、さきほどの博物館側で購入したチケットを見せればOK。

2つ石碑が写っているのですが、手前のものは1960年代のものでした。

奥のものは、霍去病の陵墓と同じく清の乾隆年間のもののよう。

陵墓の周りをぐるっと一周してもよかったのですが、寒い上にさきほどの霍去病墓の上からの眺めで満足したので、さくっと切り上げます。

先ほど名刺をもらったトゥクトゥクの運転手に電話し、咸陽の旧市街まで送ってもらいました。

鳳凰台というところ(たぶん廟)で下ろしてもらったので、ついでに軽く見学

傷んでいるものが多いながら、石碑もいくつも展示されていました。 古いものでは北周時代の墓碑もありました(写真、左から2つ目のもの。)。 1400年以上前の品なんですが、こんな屋外で展示して良いのか。。。

昼食

前日が昼夜ともにチェーン店だったので、この日はご当地ものが食べたいなと思い、ビャンビャン麺のお店にします。 三合一を頼み、親切にもラー油の量をどうするのか訊いてくれたので、少な目でお願いしました。

これぞビャンビャン麺という、ベルト状の幅広麺ですねー。 ただ、麺の長さはやたらと短いものだった気がします。こういうものだっけ???

味ももちろん美味しかったのですが、何よりも外が寒いので冷えた体には温かい食事がとてもありがたく、あっという間にぺろりといただいてしまいました。 お代は15元。

店内の様子。右にある「面汤自助」というのは、麺のゆで汁はセルフサービス、という意味。 お茶ではなく麺のゆで汁が用意されていました。 9月に行った張掖の麺料理のお店でもこのパターンでした。 あと、家庭だと水餃子のゆで汁を飲んだりもしますね。

咸陽博物院

こちらの博物院、当初は近いしついでに寄っていこう、とついで程度に思って旅程に入れたのですが、思った以上に良かったです。

予約が必要と書いてあった気もしますが、当日パスポート番号と電話番号を紙に書いて入場しました。

咸陽はかつて秦の都があったことから、秦関連の展示品が多かったです。

竜の文様が刻まれた煉瓦。咸陽の秦の宮殿跡から発掘された品だそうです。

こちらはなんと宮殿の排水設備だとか。

「権」と呼ばれる分銅。 と言ってもただの分銅ではなく、高校の世界史でも紹介される、始皇帝による度量衡の統一時に配布された標準器です*3*4。 本で何度か読んでいたので、実物を見ると感慨深いです。 この分銅に書かれた文面については欠落が多いものの、右のパネル参照。どうやら当時の度量衡統一の詔勅の一部が書かれているようです。

漢の兵馬俑

午前中に漢の武帝の陵墓(茂陵)を訪れた通り、この近辺には漢の皇帝の陵墓が集中しています。 で、そのうち漢の初代皇帝、劉邦の墓の陪葬墓から見つかったのが、こちらの兵馬俑

秦の始皇帝兵馬俑と比べるとミニチュアサイズ(だいたい30cmくらい???)なのですが、この数をずらりと並べると壮観です。

よーく見ると、左の2人とそれ以外を比べると分かるように、顔つきも異なります。

騎兵もずらり。

もう少し少数ずつ詳しく解説した展示もあります。

こちらはポーズ(というよりも役職や兵種)が異なる俑の比較。

ミニチュアとは言え物量がすごく、正直これを見れただけでも満足でした。

石碑

屋外(ただし屋根付き)には石碑も多数展示されていました。 ざっと見た限りでは明清のものが多かったですが、宋元のものもあるし、しれっと唐やそれ以前のものもありました(さすがに唐以前のものは傷んでいるものが多かったですが。)。

これは写真左からわかる通り、元代の石碑。 右の写真にあるように「重陽王祖師仙跡記」と題されています。 解説の銘板によると、道教の一派、全真教の開祖の業績を記した石碑とのことです。 全真教、山川の「詳説世界史研究」を読んだときにちらっと見たことがあるのですが、開祖が咸陽の人とは知りませんでした*5。 本で読んだ情報がこうやって訪れた現地と紐づいて地に足の着いた(?)知識になるのが好き。 あと、こういう石碑、読めるようになりたいなー。

咸陽博物院だけ見たら西安に移動しようと思っていたのですが、入場するときにもう1つ博物館が近くにあることを知ったので、寄っていくことにします。 1kmないくらいだったので、歩いていきました。

咸陽古渡遺跡博物館

ということで、やってきたのはこちらの博物館。 かつて咸陽にあった渡し場を主題にした博物館です。 前近代の経済や水運の話には個人的にかなり興味があるので、偶然気づけて良かった。

かつてこの近辺の水系には多数の渡し場があり、そのうち最も著名なものが、ここ咸陽の渡し場だったとか。 秦代の時点に既に渡し場としてにぎわっており、後に関中八景の1つと称されるようにもなったそうです*6

唐代には西方と都長安をつなぐルートの経由地としても栄え、往時の繁栄を物語る品々がここ咸陽(の近郊?)から出土しているようです。

中でもひときわ目立つのが、こちらの黄金の水差し。 なんとも精巧な模様が目を惹きます(金属工芸品には詳しくないのだけど、たぶん打ち出し細工と呼ばれる手法???)。

2002年には渡し場の遺跡が偶然見つかって発掘作業が行われ、こちらの石碑もそのときに発見されたものだそう*7。 石碑は明代のもので当時の護岸(?)工事について記されており、使った資材の種類や量、工事に携わった人々の人数などが詳しく述べられているようです*8。 前近代の土木技術について、モノ自体とこういう文字史料の両面から迫れると面白そう。

明清の頃には、景徳鎮など南方の陶磁器が陝西省に数多くもたらされ、一部は咸陽を経由して甘粛や新彊にまで輸送されたそうです*9

博物館の出口から川の南岸を見渡したところ。

移動

今度こそ一通り観光し終えたので、西安市街地に向かいます。

まずは渭水南岸にバスで移動。 確か西安のバスとは別システムだったと思うのですが、WeChatのミニプログラム「乘车码」のQRコードでで問題なく乗れました。

渭水南岸あたりからはありがたいことに西安地下鉄1号線が伸びているので、これに乗るだけで西安市街地に移動できます。

夕食

西安市街地のホテルにチェックイン。

夕食はこれまたご当地っぽいものということで、ホテル近くで水盆羊肉を頂きます。

水盆羊肉はあっさり目で、パクチーなどのハーブも効いています。

羊肉は柔らかい上に味がばっちりついており、美味しかったです。 胃に優しそうだし、体も暖まる。

ただ、ちょっと量が足りなかったので、帰りに見かけた屋台で牛肉餅を買いました。

作るところも面白い。(一言断って動画撮れば良かったかな。)

思った以上に大きいのですが、もうパリパリサクサクの食感がとてもよかったです。 味も山椒がピリリと効いて美味しい。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

  • [1] 冨谷至・森田憲司[編] (2016)「概説中国史 上 古代-中世」昭和堂 ISBN: 978-4-8122-1516-6
  • [2] 冨谷至(2014)「木簡・竹簡の語る中国古代 : 書記の文化史 増補新版」岩波書店 ISBN: 978-4-00-026859-2

*1:国鉄路 C162 宝鶏 7:06 → 8:29 興平

*2:ただオフシーズンで閑散としていたからかも。繁忙期でも予約なしで入れるかは分からないです。

*3:参考文献[1]p.61「度量衡も統一しそれを徹底するために標準器を各地に配布した。」

*4:参考文献[2]p.26「統一直後に施行された有名な度量衡統一の政策にあって、中央、地方の各官署に向けて頒布された権・量・衡の標準器、それらは伝世品、出土品あわせてかなりの数が今日存在している。様々な形状をした量器、衡器、分銅の全ての外面には、度量衡統一を命ずる皇帝の詔が刻字されたり、押印されたりして記されているのである」

*5:コトバンク 改訂新版 世界大百科事典 「王重陽」「中国,金代の道士。新道教の一派,全真教の創立者陝西省咸陽大魏村の人。」

*6:以上、解説パネルより。

*7:解説パネルより。

*8:と言っても、こんな断片だけではここまでの内容が分かるはずがないので、展示されていない断片があるか、それとも別の文献史料と突き合せたか...?

*9:解説パネルより。