世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2023年冬 西安と蘭州の旅 7日目 : 西安(陝西歴史博物館)

2023年冬 西安と蘭州の旅7日目(2023-12-19)の記録です。 この日は今回の旅の主目的(の1つ)、陝西省歴史博物館を観光します。 朝から閉館時間ぎりぎりまで滞在したのですが、それでも全部は見て回れないくらいの充実した展示でした。 西安に行くならイチオシです(予約が手間ですが。。。)。

今回の旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

博物館への移動

そろそろ野菜不足を感じたので、この日の朝食はホテルのビュッフェにしました。

ホテルの近くから、バスで博物館に向かいます。 時刻表はないようなのですが、中心部だと5分~10分に1回の高頻度でバスが来るので、「待っていれば割とすぐ来る」という感覚で利用できました。

陝西省歴史博物館

概要

  • 公式webページ : https://www.sxhm.com/
  • 定休日 : 月曜日(ただし祝日の場合は開館)
  • 開館時間 :
    • 夏期と冬季で異なります。私が行ったときは冬で、9:00~17:30開館だったと思います。最終入場は閉館1時間半前まで。
    • また、閉館15分前あたりから各展示室への入場が停止され、展示室からの追い出し(?)も始まっていたので、閉館時間ギリギリまで自由に見学できるわけではないです。なお、閉館間際は人が少ないので、最初に見た展示のうち気になるものをもう一度見たり写真を撮ったりしました。
  • 入館料 : 無料。ただし、「大唐遺宝」の展示と「唐代壁画珍品館」は有料です。確か合計で270元だったと思うのですが、あまり自信がありません(大唐遺宝だけなら30元程度だった記憶があるのですが、壁画館はお高めです。)(この値段も繁閑に応じて変わるかも。)。これら有料の展示のチケットは、博物館に入場した後に館内で購入しました。

予約と入場

原則予約が必要です。詳細は公式webページ参照。

  • WeChatの公式アカウント、またはmeituan(美团)アプリから予約できます。
  • 2日前から予約可能です*1。ただし一気に売り出されるわけではなく、10時、11時、18時、19時(中国時間)と4回に分けて少しずつ予約枠が出されるようです。私は茂陵を観光中に予約しました。
  • パスポート番号で予約可能でした。携帯電話番号を入れる箇所では中国の携帯電話番号を入れました。日本の携帯電話番号が使えるかは未確認です。
  • 上の写真右側の窓口(「東4」と書かれたところ)で紙のチケットを受け取りました*2

上の写真の左側には大きい荷物を預ける場所もありました。

10:30からの枠で予約したのですが、10:20に入れました。繁忙期もこれでOKかは分からないです。

ガイドについて

博物館の外でガイドの営業をちらほら見かけたのですが、これは非公式のもので、本来は禁止されているようです*3。 博物館の公式ガイドは、館内に入ってから依頼できます。

また、音声ガイド機の貸し出しもあります。代金30元、デポジット100元です。中国語のものを利用しました。英語版があるかは確認していません。

混雑について

訪問したのはオフシーズンの平日のはずなのですが、なかなかの混雑でした。

ちょっと極端ですが、一番混雑していた展示室の様子。 これは最初の方の展示(先史時代~周のあたり)です。 他はこれほど混雑していなかったので、朝に入った場合はむしろ後半の展示から見ていった方が空いているかもしれないです。

たまたま聞こえたのですが、お客さんがスタッフさんに「冬でこんなに混んでたら夏休み期間とかどうなるの?」(意訳)と聞いたら「千万别来」と返されてました。 混雑でエアコンの効きも悪くなってスタッフも熱中症になりそうで大変らしい。。。

無料部分の展示

企画展?

企画展(?)として、唐代の音楽についての展示がありました。 さすがに音楽そのものは分からないのですが、壁画からわかる楽器の種類や、文献からわかる音楽の種類などの解説パネルがメイン。

ひときわ目を惹いたのはこちらの三彩の俑。 駱駝の背の上に楽士たちがひしめく様が生き生きと表現されています。 琵琶、笙、排簫あたりの楽器は判別可能。

日本の雅楽などについても言及がありました。 こういう文化のつながりは面白い。

前秦

西周時代の水道管(左)と空芯磚(右)。 咸陽の博物館などで秦代の水道管をみてすごいなと思ったのですが、さらに西周まで遡れるのですね。 空芯磚は恐らく重量軽減のためかな。 イランのペルセポリスでも中がくりぬかれた石材を見かけた記憶があるのですが、技術的な課題に対して似たような解決が違う素材で独立に試みられていたとしたら面白いです。

ずらりと並ぶ青銅器の数々*4

多友鼎。 解説パネルによると、内側には279文字もの長さの銘文が鋳込まれていて、西周時代の将軍多友の武功が述べられているとのこと。

青銅器の展示は次の部屋にも続きます。 こちらは先ほどと比べるとやや変わった形の青銅器の展示が多いようです。

何やらユーモラスな造形の牛型の尊。

こちらの「觥」、酒器の一種だそうなのですが、なんとも精巧な造形です。

側面。器の形に気を取られていたのですが、表面には饕餮や竜、鳳凰のようなモチーフが描かれています*5

こちらは「盉」と呼ばれる水差し?*6 宴の前などに手を(?)洗うのに用いられ、「盤」はその水を受けるのに用いられたとか*7。 様々な動物のモチーフがあしらわれているのが印象的です。

ちなみに上の3つの青銅器、どちらも出土地が宝鶏市と書かれていました。 先日の宝鶏青銅器博物館の展示品もかなりのものでしたが、宝鶏おそるべし。

おもりと升。 始皇帝が度量衡を統一するにあたり全国に配布したとされるものです。 音声ガイドで毎年(か一定の頻度で?)回収して較正していたと話していた気がするのですが、ちょっと記憶があいまいです。 どういう根拠でそれが分かるのかとか、どうやって較正していたのかとか気になります。

石をつなぎあわせた鎧。 「さすがに重すぎるのでは?」はと思ったら、やはりこれは実用品ではなく、実際の鎧は革鎧だったそうです*8

青銅の龍。 後ろに映った人と比べても分かる通り、なかなかの大きさで驚きました。 ちなみに出土時はバラバラだったらしく、これは綺麗につなげて修復したものとのことです。

跪座の俑。 現代の中国では椅子に座るけど、魏晋南北朝より前くらいは椅子がなかったので、正座した俑が出てくると納得感がある。

始皇帝兵馬俑もあったのですが、人が多かったのと、9月に兵馬俑博物館で十分たくさん見てきたので、写真は撮っていません。 9月の旅行の記事はこちら

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

漢代のセクションでは、当時の日常生活の様子が垣間見える品々が展示されており、とても興味深かったです。 「副葬品の明器で生前の生活を再現する」という当時の習慣のおかげで、今の我々が2000年前の日常生活に思いを馳せられるのはありがたい。

左のものは、ため池を模したものだそうです。中にいるのは蛙や亀、巻貝の類でしょうか...? 右は恐らく、豚小屋を再現した焼き物。(なんで二階部分に建物があるんだろ?)

お次は、漢代の副葬品の定番(?)*9のミニチュアの穀倉の数々。 右の写真の一番右は、おそらくミニチュアの碾き臼で、穀物を粉にして食べる習慣があったことを示唆しているように思います*10

こちらの品、音声ガイドによると、中に調味料を入れて下から火で加熱し、肉などをつけて食べたのではないかと考えられているそうです。 さながら火鍋のようですね。 ただこれ、どこまで証拠がある推論かは説明されていなかったので、根拠が気になります。 付着物とかの分析もしたのかな。

こちらは「鍑」と呼ばれる調理器具。元は遊牧民のもので、野外で使うのに便利な形だったそうです(立てて使うのにも、上からつるして使うのにも適しているらしい。)*11。 9月に行った蘭州の甘粛省博物館でも鍑が展示されていて、「遊牧民族の影響を受けたもの」という説明があった気がします。 こういう、異なる文化圏の交流を示唆するような品が好き。 googleで検索してみたら、「鍑の研究-ユーラシア草原の祭器・什器-」というその名もずばり鍑を取り扱う研究書も見つかったので、ちょっと気になります。

漢代の俑。 秦のものよりも漢のもののほうが色が残っています。 これは、秦のものは焼成後に漆を塗って彩色して完成とするのに対し、漢のものは彩色後に2次焼成しているからだそうです*12。 ちなみに展示されていたかどうかは忘れたのですが、服を着ていない俑の方が出土例が多いそうです(作るのが容易だからだそう。)。 服を着ていない俑、本来は陶製の胴体に、木製の腕などを挿したり布製の服を着せたりしたそうですが、さすがに木製や繊維製の部分は残っていないとか*13

象牙製の算木。らしいのですが、このシンプルな見た目からどうやって「算木として使われていた」と論証できるのか気になります。

魏晋南北朝

こちらのセクションでは、北周時代のソグド人の墓がひと際目を惹きました。

まずはこちらの門。

近づくと精巧な装飾がよく分かります。 一部に金箔が残るところもあるようです。

そして驚いたのがこちらの石榻。 浮彫に彩色と金箔が施され、当時の生活の様子が生き生きと描かれています。

拡大。 こういう生活の話は文献史料だけだとわからないことも多そうなので、こういう図像史料は当時の文化を知る貴重な手掛かりになりそう。

ちなみに墓の主は安伽という人物のソグド人とのことです。 苗字からして現在のウズベキスタンはブハラ出身っぽいですね。

こちらは俑いろいろ(さきほどの安伽墓とは無関係)。 左は髪型が印象的です。 右のは楽士の俑。 右から2人目の阮咸のような楽器を持った人、バチのようなものまで再現されていて芸が細かい。

鎮墓獣など。 人面獣身の鎮墓獣、唐三彩でいくつか見たことがあるのですが、それらと比べるとかなりユーモラスな造形です。 ところで漢代の鎮墓獣は一角獣のようなものをいくつか見たのですが、もしかして人面獣身の鎮墓獣は漢代にはあまりなくて、魏晋南北朝時代から流行りだしたものだったり?

漢代の副葬品の一角獣は、たとえばこちらで見たりしました: amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

陵墓の壁画。右のものは顔と服装の組合せにひっかかったのですが、男装した女性とのことなので納得。

左は鏡。金と銀を用いて平脱という手法で文様が表されています。 右は龍。天を舞う龍とは形が違うのでは? と思ったら、どうやら唐代以前の龍は地を歩く形をしていて、空を飛ぶ形になったのは宋代以降という話を先日twitter(X)で見かけました*14

見事な細工の施された皿、盃、椀。 唐三彩などは日本の展覧会でも見る機会がそこそこあるのですが、唐代の金属細工はほとんど見たことがありませんでした。 こういう意味でもやっぱり現地の博物館を訪れるのは良い。 ちなみにこれでも十分美しいと思うのですが、この後訪れた「大唐遺宝」展(追加料金が必要)では、さらに精巧な金銀細工がこれでもかと陳列されていました。

俑いろいろ。 人間も人間以外の動物もあり、あまりの数に圧倒されます。 このへんでお腹が減ってきて、あんまりきちんと見れなかったものもあるので、もう一度行きたい。

舞を踊ったり 音楽を奏でたり。

さきほど「人間も人間以外の動物もあり」と書いたのですが、半人半獣の俑もありました。 人面獣身のものは鎮墓獣などよく見かけますが、こちらは逆に体が人間で頭が人間でないもの。 十二支をモチーフにしたもののようで、どことなくユーモラスな印象を受けます。

五代十国以降

五代十国以降は1つのセクションにコンパクトにまとめられています*15

現代の「幻方」。縦横斜の数字を足した和が等しくなるよう数字が配置されているそうです(いわゆる「魔法陣」?)*16。 数字がアラビア圏の表記方法で描かれているところが面白いです。 なお解説パネルによると、この品は、中国で現存するアラビア数字による魔法陣としては一番古いものだとのこと。

明代の俑。 唐代以降もこの風習が続いているとは知らなかったので、これは興味深かったです。 被り物にバリエーションがあるので、どういう違いがあるのか気になる。 足元の板に炭で職位などが記されているらしい*17ので、職位と服装を突き合わせて比較すると面白そうです。

昼食

ここまで見てきて、既に14時。

きりも良いので、館内の地下の食堂でいったん昼食にします。

お腹の調子がよくないので辛くないもの、ということで卤肉饭にします。 ポテトがあるから飲み物はコーラかなと思いきや、酸梅汤でした。 お値段は48元(博物館内だからかお高い気がする。)。

食の歴史にまつわる豆知識が書かれていて面白い。

大唐遺宝

こちらは数十元とは言え有料だからか、先ほどよりは人がぐっと減ります。

解説パネルによると、1970年に西安市の南の何家村で偶然発見された財宝の数々を展示しているとのこと。 これらの品々は、上の写真の容器に収められた状態だったそうです。 まさかこのセクションが一か所からの出土品のみで構成されているとは思わなかったので驚きです。

玉器などもあったのですが、豪奢で優美な金銀細工の数々が印象的でした。

銀製の盃(いわゆる「耳杯」)。 一部に鎏金が施され、外側には水鳥が描かれています。

金の椀。こちらはさきほどの無料の展示のところでも類似のものがありましたね。 外側の装飾、これを手作業で打ち出す(?)のは気の遠くなるような時間がかかりそうです。

こちらの銀器、変わった形だなーと思ったら、解説パネル曰く契丹族の「皮囊」(革袋)の影響を受けたもののようです。 もうちょっと後の時代に焼き物で革袋の形状を模して作られたもの*18は以前見たことがあるのですが、金属器というのは初めて見ました。 こういう、異文化の交流を示す品は興味深い。

銀製の皿。 こちらも動物の部分に鎏金が施されています。 「飞廉」と呼ばれる神話上の生き物を象ったもの。

こちらは桃を模した形の皿に「獾(huān)」(アナグマ?)をあしらったもの。解説によると、「双獾」は「双欢」の音に通じ、縁起を担ぐものなのではないかとのこと*19

金のカップ

こちらも金のカップ。 各側面に楽人などが立体的にあしらわれています。 写真がいまいちで伝わりにくいのですが、これには感動しました。

メノウ製のリュトン*20。 先ほどの金のカップと並んでで、この展示で最も目を奪われた品です。 ちなみに解説パネルによると、口元の金の部分は取り外し可能な栓になっているそうです。 とはいえ、おそらく実用に供する品ではなく、芸術品として扱われたと考えられているとのこと。

あまりにも美しいのでじっくり眺めながら何枚も写真を撮ってしまいました。

壁画

前日に訪れた墓など、いくつかの墓から移動された壁画を保存・展示しているセクションです。 こちらは写真撮影禁止です。 また、靴カバーが用意してあり、これを靴につけて入る必要があります。

200元以上とお高いこともあって、他に見学者は2組ほどしかいませんでした。 壁画の保存のためか照明は落とされていて、見学者が近づくと(足音に反応して?)照明がつく仕組みになっていました*21

肝心の壁画についてですが、儀仗や狩猟など、当時の宮廷文化をうかがい知れる場面が描かれているものが多かったように思います。 また、当時の建物が描かれたものもあり、建築史においても有用な史料になるかもしれません。 ただ、嘉峪関のときに見た日常の習俗(特に食文化)を描いたようなものなどはあまりありませんでした。

移動

閉館時間ギリギリまでいたのですが、全部の展示は見終われず、撤収します。 「前近代のものは全て見ることができて、近代のものへの興味は薄いので、最低限見たいものは一通り見れたかな」と思う一方で、もっとじっくり見たかった感もあるので、また来たい。

バスでホテルまで戻ります。地下鉄と違って手荷物検査もないし駅内をやたらと歩く必要もないし、とっても便利。

街中で防寒用の帽子が売られているのを見かけました。 西安に来てからやたらとケモミミつきの帽子をかぶっている人が多くてなんでだろうと思っていたのですが、謎が解けた気がします(たぶん、あまり防寒装備なしでやってくる観光客向け)。

夕食

「そろそろ小吃系のお店以外も行きたいなー」と思って、夕食はホテル近くの锅贴(焼き餃子)のお店にしました。

餃子はニラの香りが効いていて美味しい。

野菜も補給できて満足です。44元。

店員さんに量を確認して「餃子と、野菜炒め1皿で1人分にちょうど良いと思う」と言われて頼んだけど、そこそこ多かったかも...?

ホテルへの帰りに見かけたバスの行列。 西安の中心部、バスの路線数が多く頻度もかなり高くて便利ですが、ここまで行列になっているのを見ると「大丈夫? 運行しすぎて大赤字だったりしない...?」と少し心配になります。(ただこれ、同じ路線のバスが詰まってるわけではなく、違う路線のバスだった記憶があります。複数の路線が止まるバス停もそこそこあり、乗り換えて移動することもありました。)

翌日に続きます。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

  • [1] 山本堯 (2023)「中国青銅器入門 : 太古の奇想と超絶技巧 (とんぼの本)」新潮社 ISBN: 978-4-10-602303-3
  • [2] 柿沼陽平(2021)「古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで」中央公論新社 ISBN: 978-4-12-102669-9

*1:夏休みや大型連休はちょっと違う旨の記載もありました。

*2:これはたぶんパスポートで予約したから。身份证で予約した場合は不要かもしれません。

*3:と注意書きがあった or 放送が流れてた気がするのですが、やや記憶が怪しいです。

*4:この写真ではほとんど人がいませんが、これは閉館間際に撮ったものです。

*5:このへんは参考文献[1]のおかげで多少は分かる(気がする)ようになりました。

*6:参考文献[1]p.19では「酒に香草の煮汁を混ぜる、もしくは酒を温める器。」とあるので、解釈が異なるようですね。

*7:確か「箸がなく手づかみで食べていたので」と音声ガイドで聞いた記憶もかすかにあるのですが、あまり自信がありません。

*8:音声ガイド情報。

*9:定番というかはよくわからないですが、宝鶏の博物館や、9月に訪れた武威の博物館などでも何度も見かけた記憶があります。

*10:参考文献[2]p.90~p.94で、漢代に主食に何を食べていたかが紹介されています。

*11:音声ガイド。

*12:音声ガイドの情報。

*13:これも音声ガイド情報。

*14:https://twitter.com/Cecelia_zhang0/status/1742245785536692481 ただし、きちんとした裏取りはしていません。

*15:宋以降、中華の中心はもっと東側に移り、西安は地方都市という立ち位置になったという理解なので、この博物館で宋以降の時代の扱いが小さいのは納得感はあります。

*16:解説パネルの情報。

*17:音声ガイド情報

*18:「皮囊壺」でgoogle検索すれば見つかります。

*19:唐代の漢字音(中古音)でもこれが成り立つかは、私にはわからないです。

*20:古代ペルシアや古代ギリシャなどに見られる酒器の一種。

*21:靴カバー、「床を保護する必要はないのでは?」と不思議に思ってたのですが、たぶん足音を軽減して照明がつく範囲を制限するためとか...?