2023年シルクロード河西回廊の旅8日目(2023-09-21)の記録です。この日は主に敦煌郊外の玉門関と陽関を観光しました(と鳴砂山・月牙泉も少し)。 茫漠とした大地に漢代の遺跡がぽつぽつと残る様には寂寥感を覚える一方、これらの遺跡で数々の木簡が発見され往時の人々の姿を生き生きと伝えている*1と思うと、知的好奇心が大いに刺激される場所でもありました。
今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
朝食
この日は敦煌の市街地からタクシーをチャーターして敦煌郊外を観光します*2。 出発が朝8時で、ホテルの朝食だと間に合わないので、近くのお店でさくっといただきました。
鶏湯麺と呼ばれる麺らしい。やや赤いですが辛味はなく(たぶんトマト?)、具としてはキノコのような食感のものが入っていました。 中国では朝から麺を食べる機会はそこそこあるけど、炊いたご飯を朝に食べることはあまりない気がする...? 14元でした。
移動
迎えに来たタクシーに乗り、いよいよスタート!
と言いつつ、最初にガソリン(ガス?)スタンドで燃料補給です。 給油時は私は車から降ろされ、少し離れたところで待つように言われました。たぶん安全のため...?
市街地を出て少し走るだけで、良い眺め。写真中央左の構造物は漢代ののろし台と説明された記憶があります。
しばらく走ると、茫漠とした大地が広がる景色を見ることができました。
ずっと砂だけの景色が広がっているわけではなく、ちらほら緑が広がるところもありました。 運転手さん曰く地下水があるかないかの違いだそうです。 あと、南大湖、火烧湖と呼ばれる湖が近くにあるらしい。
だいたい1時間半近く走って、玉門関に到着しました。
玉門関
概要など
- 玉門関の観光地はいくつかの見どころからなります(上図参照) : 博物館、大方盤城、長城、小方盤城。(このうち小方盤城が本来の意味での玉門関だったはず。)それぞれの見どころ間はそこそこ距離があり、シャトルバスが出ています。(後述。)
- 入場チケットは、パスポートを見せて紙のチケットを買いました。バスチケットはWeChatのミニプログラムで購入して、QRコードを見せて乗車する方式でした*3。入場とバス、合計で90元だったと思います。
- 音声ガイドもあります。(英語のもあるみたいです。)wechatのミニプログラムで決済→QRコードを見せて受け取り→退出時にQRコードをもう一度見せるとデポジットが戻ってくる、という流れで利用しました。
- 見学の流れ : 入場してまず博物館を見学し、博物館を出たところでシャトルバスに乗れます。バスは毎時0, 30分に発車するようです。バスは博物館→大方盤城→長城→博物館の順に回りました(小方盤城は博物館から歩いてすぐです。)。大方盤城と長城のところでそれぞれ約30分と約20分停車し、その間に見学しました*4。
- ゆっくりと見て、だいたい3時間近く滞在しました。(これは長い方だと思います。)
博物館
こちらの模型は玉門関を俯瞰できてうれしい。 音声ガイドによると、川の流れを利用して穀物などを運び、大方盤城に貯蔵していたそうです。
漢代の箸! それも副葬品などではなく、長城ののろし台で実際に兵士たちが使っていたものだろうと思うと、一見地味ですが、興味を惹きます。 現地の木で作ったのかなー、とか、これで何を食べてたのかなー、など気になる。
大方盤城
博物館をざっと見て、シャトルバスで大方盤城に移動します。
短い移動でしたが、 砂ばかりの場所もあれば、 緑豊かな場所もあり、と変化に富んでいました。
だいたい15分ほどの移動で到着。バスはここで約30分停車します。
で、お目当ての大方盤城(または河倉城)はこちら
高さもあり、意外と大きく感じました。 現地の解説パネルによると、東西約135m、南北約18m、現在残る壁の最大の高さは約6.7mとのこと。 創建は前漢時代で、兵士たちのための食料や衣類などの備品を保管する倉庫だったとのことです。 参考文献[1]で、確か「兵士たちが穀物を受け取りに行き、確かに受け取った」旨を記録した木簡が登場した記憶がある*5のですが、ここまで取りに来たのかなーと想像が膨らみます。
壁にはしましま模様が見えますが、おそらく版築で作った痕跡でしょうか。
ぐるっと周りを一周することができます。これは裏側から見たところ。 壁に開いている穴、建築当初に開けられたものなのか、後から浸食で空いたものなのか気になります。 建築当初に開けられたものの場合、下側にある穴は出入口だと思うのですが、上にあるのは窓だったのかな。
反対側に目を転じると、緑が広がる様子が見えます。 さきほど博物館の模型で見た川でしょうか。
大方盤城の近くにも植物は生えていて、このトゲトゲした植物が目立ちました。
長城
来たバスに乗ると、そのまま長城跡まで行ってくれました。 約20分の移動で、こちらでは停車時間は約20分。
さて、万里の長城と言えば北京近郊のものや2日前に訪れた嘉峪関のものが有名です。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
が、それらは明代に作られたもの。対して、こちらの敦煌玉門関の長城跡は、なんと漢代に造られたもの。
近づいてみると、土でできた部分の間に草が挟まっていることがよくわかります。 本来はこんなにしましまが目立つ構造だったわけではなく、土の部分だけ侵食が進み、しましま状に残っているとのことでした(音声ガイド)。
明代の長城だと草を挟む作り方はしていなかったと思うのですが、なぜ違いがあるのか気になります。
こちらは長城に隣接して設けられたのろし台の1つ。ぱっと見た感じ、レンガのようなものが使われているように見えます。
小方盤城
再びバスに乗り、博物館に戻ります。博物館から歩いてすぐのところに小方盤城があります。 確か、これこそが「玉門関」という「関」の本体だったはず。
旗やら太鼓やらで漢代の軍隊っぽい雰囲気を醸し出してる...? (あと、大音量で音楽が流れてました。)
こちらが小方盤城。解説パネルによると、現存する漢代の遺構の中でも保存状態が最も良いものの1つとのこと。
裏側。
なんと中に入ることができます。
解説パネルによると版築工法で建てられたとのことで、壁のしましま模様を見ると納得感があります。
関を出たところには展望台があります。 北を眺めると、水の流れ(たぶん疏勒河)とその周囲に緑が生い茂る景色を望むことができ、乾燥地域における河川の重要性を感じました。
ただ、移動中にタクシーの運転手さんに聞いた話では、10年前はこんなに乾燥していなくて、もっと緑が多かったとのことです。 また、さらに漢代まで遡ると、漢代のこの地はオアシスがつらなり、今ほどの不毛の地ではなかったようです*6。 このへんの話、どうやって過去の気候を推測するのかとか、どういう要因で乾燥化が進んでるのかなど興味が出ました。
植物と言えば、このあたりの乾燥地に生える代表的な植物を音声ガイドで紹介していたのでメモ*7:
- 红柳(hongliu) : 地下30m近くまで根を伸ばすこともあるとか。薬効あり。
- 罗布麻(luobuma)
- 甘草(gancao)
- 芦苇(luwei)
- 骆驼刺(luotuoci) : とげとげがついてる草。ラクダが好んで食べると言っていた気がする...?
昼食
玉門関から、陽関の近くまで移動します。
道中、道に砂が堆積しているところを見かけて、運転手がスピードを落として通過する一幕がありました。 曰く、乗り上げると滑るらしいです。 強い風が吹く時期は、こうやってところどころ道路に砂が積もり、移動に支障が出ることがあるそうです。
周りは乾燥した土地が広がる中、ここは緑豊かで、オアシスの街という趣を感じました。
道路脇を透明度の高い水が流れていました。運転手さん曰く、山からの雪解け水とのこと。
ブドウ棚の下でお昼をいただきます。日光を遮れるので嬉しい。 この後運転手さんに聞いたのですが、中国西北部では夏は日差しが強すぎるので、日が落ちてから人々が街に繰り出すとのことでした。 武威の広場も夜の方がやたらと賑わってたもんなー、と納得しました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
ブドウのサービスあり。さすがに1人では食べきれなかったので、運転手さんと山分けしました。
あまり1人客は想定していないお店っぽくて、量が多い。64元。観光地価格かな...?
陽関
- パスポートを見せて紙のチケットを買いました。お代は60元。(入場料と電動カートの料金の合計だったと思います。)
- 敷地内には博物館もあります。
- なお、古い建物はほとんどなく、漢代の烽火台の跡があるのみのようです(基本は現代の再建)。ただ、狼煙台のあたりから眺める景色はとても良かったです。
- 約2時間滞在しました。
博物館
博物館の展示。主に漢代の敦煌近辺が主題になっていたと思います。
ちょっと気になったのがこちらの莚(?)。 漢代にはまだ「食事の際に椅子に座る」という習慣は一般的ではなかったはず*8なので、食事の際に床や地面などに敷いていたのかな、と想像されました。 にしても、植物繊維製のものがよく残っててすごい。。。(さすが乾燥した地域)。
ここまでいくつかの博物館を周って既知の内容も多かったので、詳細は略。
のろし台跡
博物館を出て当時の様子を再現した建物(現代の再建だし別にいっか、と思って写真はあまり撮っていません。。。)の間をしばらく歩くと、電動カート乗り場に出ます。 のろし台には、このカートに乗って行くことができます。
遊歩道も整備されていますが、それ以外の場所も比較的自由に歩くことができます。 日陰がほとんどないので、暑い時期に行く場合は要注意。熱中症防止の塩飴をひたすら舐めていた記憶があります。
遠くを眺めると、ひたすら荒涼とした大地が広がります。 往時はこれほど乾燥していなかったかもしれないですが、とはいえ自動車もない時代にこんな土地を進むのはさぞ大変だったろうなと想像されました。
他グループのガイドの解説を横から聞いたところ、見えるのはタクラマカン砂漠方面だとか*9。
移動
一通り観光し終わったので、敦煌市街地に戻ります。
道中、写真は撮りそびれたのですが、観光スポットなどについていろいろと教えてもらいました。
- 道中で狼煙台跡をちょくちょく見かけました。
- 日中合作の映画「敦煌」の撮影のために造られた「敦煌古城」なる場所があるそうです。
- 中国各地の古建築や文化財などを再現したスポット(もともとは映画撮影のために造られたとか)があるらしいです。若者には人気の観光地とのこと。たぶんこれのこと...?
- 何やらまぶしく光る塔があると思ったら、タワー式の太陽熱発電所と教えてもらいました。溶融塩を利用しているとのこと(詳細は理解していません。)。曰く、世界第2位の規模らしい。
さて、敦煌市街地が近づいてきた時点でまだ17時前と時間に余裕があった*10ので、鳴砂山・月牙泉まで送って行ってもらうことにしました*11。
鳴砂山・月牙泉
ゲートはいくつかありますが、私は北側のゲートを使いました(たぶんこれが一番メジャーだと思います。)
上の写真の「游客中心」と書かれた建物の窓口でパスポートを見せてチケットを買いました。お代は110元。チケットは購入から3日間有効とのこと。
ゲート外には貸衣装屋がたくさんあります。 コスプレ(?)で自撮りに興じる人がたくさんいました。日本ではあまり見ない文化なので面白い。
靴カバーのレンタルがありました。 ちなみにゲート外でも靴カバーや日焼け防止の帽子などがたくさん売られていました。 私は「まあ靴カバーはなくてもいっか」と思ったのですが、この後山を登って靴の中が砂だらけになりました。
ヘリコプターやモーターグライダーでの遊覧飛行メニュー。一瞬興味が出たのですが、高いのでやめておきました。
暑さで若干疲れたので、ハンバーガー店で夕食にして、ちょっと休憩。
敷地内で見かけた、ラクダ型のごみ箱。
で、本物のラクダにも乗れるのですが、料金は100元かつかなりの待ち行列ができていたので、やめておきました。 課金要素多い。 ちなみに65歳以上などはラクダ乗りは禁止らしいので、乗りたい方はお早めに。
山の上には徒歩でも登れます。 階段や梯子のようなものが用意されてる箇所がいくつかあり、そこから登るのが一般的かと思います。 行列の進みが遅いので途中から階段をそれて登ってみたのですが、足元が沈んでかなりきついです。まだ雪山登山の方が楽。。。
上から月牙泉を眺めたところ。
反対側にも見事な砂山が広がります。 ちなみにこのへんではバギーにも乗れるようです。 課金要素多いな(2回目)。
しばらくここで景色を眺めていたのですが、どうやら日が沈む頃からショーがあるとのことで、混雑する前に降りることにしました。
降りながら行列を横から見たところ。 下りは(砂が靴に入るのを気にしなければ)楽なので、上りの行列の横を涼しい顔をして下ります。
歩道でラクダのコースがたまに交わるのですが、信号機が設けられていました。
マークもきちんとラクダ。 ただ、ほとんど守られてなかったですね。 原則ラクダ優先でした。
タクシーに乗ってホテルに戻りました。
翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com
参考文献
- [1] 籾山明(2021)「漢帝国と辺境社会 長城の風景 増補新版」志学社 ISBN: 978-4-909868-05-3 (※初版は1999年刊の中公新書)
- [2] 高啓安 著, 高田時雄 監訳, 山本孝子 訳(2013)「敦煌の飲食文化 (敦煌歴史文化絵巻)」東方書店 ISBN: 978-4-497-21205-4
*1:参考文献[1]参照。ただし、敦煌漢簡だけではなく、居延漢簡も利用しています(p.9, p.14など参照)。
*2:タクシーチャーターは前日に駅からタクシーを乗ったときにお願いしておきました。
*3:WeChat Payがロックされていたのですが、この前日にロックが解除されたので無事に買えました。
*4:なお、ゆっくり見たかったら自分が乗ってきたバスを見送り、その次の便のバスを待っても良い気もします。
*5:執筆辞典で当該書籍が手元にないため、きちんと確認できていません。
*6:参考文献[1]p.216「ハラ=ホトや楼蘭など、生命のかけらもない沙漠の遺跡を目にしたときに、私たちは驚きとともに「なぜこんな厳しい環境の中に住んだのか」との疑問を口にする。だが、その答えは実に簡単、「当時の環境が今日ほど過酷ではなかったから」である。」
*7:音声ガイドで聞いたのでピンインはたぶんあってるけど、漢字は適当に変換して出てきたもの。興味が出たら後で詳しく調べたいです。
*8:参考文献[2]p.136(普段の食事ではなく宴席の文脈ですが)「食事をする者は地面にじかに座るか、四角い低い台に腰かけた。少なくとも南北朝時代まではこのようなスタイルで食事をしていた。」
*9:この写真の方向とは別の方向だった気がしますが。
*10:中国は全土を北京時間で統一しているので、北京よりだいぶ西にある敦煌ではこの時期は日没が20時頃と遅い。
*11:もともとはかなり混むらしいし行かなくても良いかなー、と思っていた。