世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2023年 河西回廊の旅 4日目 : 武威観光2日目

2023年シルクロード河西回廊の旅4日目(2023-09-17)の記録です。

この日も前日に引き続き武威に滞在し、まったり観光です。

武威市博物館は施設も新しく展示も充実していたので、歴史に興味がある人にはおすすめです。 漢代の木簡や唐代の墓誌なども展示されていて、一人で「読める、読めるぞ...!」と(心の中で)盛り上がってしまいました。

そしてこの日は前日とは別のホテルに泊まる予定だったのですが、思わぬトラブルが。。。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

武威で行った観光地の入場料や定休日などの情報は別ページに書きました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食

泊まったホテルでは朝食を出していないので、朝食を求めてホテル近くを歩きます。

人が並んでいた煎饼果子のお店を見かけたので、ここで買うことにしました(写真は行列がはけた後に撮影したもの)。

子供が行列に割り込んできたので「さーてどう注意したものか」と思ったところ、お店の主人が「後ろのお客さんの方が先だよ」と言ってくれました。ありがたい。

メニューはこちら。確か「一蛋一烤肠一火腿」を注文したと思います。今思うと、日本ではあまり食べる機会のない肉松にしてもよかったかな。 辛さは控えめ、豆乳は砂糖少なめでお願いしました。

目の前で煎饼果子を焼き上げる様はとても鮮やかで、思わず食い入るように見てしまいました。結果、動画を撮りそびれました。

大抵の人は持ち帰って食べるみたいです。私は近くのベンチで食べました。

焼きたてのパリッとした食感に、辛味噌(?)のピリッとした風味がほどよく効き、とても美味しかったです。 ホテルの朝食バイキングとかも良いのですが、こういう小さなお店や屋台での朝食も好きです。

雷台漢文化博物館

バスに乗って、今日の観光地1つめ、「雷台漢文化博物館」(もしくは「雷台景区」)に向かいます。 「博物館」という名前ですが、漢代の墓 + 小さい博物館x2 + 雷台観(道教寺院)からなる複合施設(?)です。 甘粛省博物館の銅の馬はここの漢代の墓から出土したものです(以下の記事参照)。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

場所や開館時間などは別の記事に書いたので、そちらをご覧いただければと思います。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

高徳地図の案内では敷地の西側に誘導されたのですが、正門は敷地の南側です(上の写真)。

入って少し歩くと、墓から出土した青銅器の拡大レプリカが並んでいます。 こういう「昔の様子を再現した彫像を並べてみました!」みたいなの、中国の観光地でよく見かけるのですが、別にそんなハリボテめいたものを作らなくても...と思ってしまいました。

雷台観。残念ながら修復のための閉鎖中でした。 で、この観の建つ土台の中から見つかったのが、これから向かう漢代の墓です。

漢墓

墓は2基あり、いずれも中に入れました。 注意書きによると人数制限もあるそうなのですが、この日は特に管理してる人はいませんでした。 ただ、このときは観光客が少なかったので、連休などは事情が異なるかもしれません。

崩落を防ぐため、内部はガチガチに補強されています。 複数の墓室を通路が結ぶような形になっており、特に通路は天井が低いので要注意です。

すぐに見て取れる通り、レンガ造りです。現代の「レンガ」という言葉からイメージするものに比べるとだいぶ平たい薄目のレンガです。トルコで見た古代ローマの建造物のレンガも同様の形だったのですが、何か理由があるのでしょうか。

また、通路の出入り口部分ではレンガでアーチを作っているのが見て取れます。あまり中国の建築でアーチを見かける機会は少ない気がするので、ちょっと意外でした。 後漢はだいたい帝政ローマと時期が近いと思うのですが、古代ローマの建築で多用されたアーチの影響を受けたのか否かなども気になります。

レンガで作られた模様も印象的です。楼閣を表現したものでしょうか。

こちらは井戸。日常史や技術史に興味があるので、これは気になります。解説パネルによると後漢時代の井戸でここまで綺麗に保存されているのは非常に珍しいとのこと。 なお、井戸の底には人民元の紙幣がたくさん落ちているのですが、これは「この井戸に落としたものは遠くにあるはずなのに大きく見える」という噂があるからだとか(観光客どうしの会話で聞いた内容のため、真偽不明です。)。 入場チケットを投げ入れたおじさまもいたのですが、入場チケットはこのあと陳列館に入るときに必要だったので、後で困ったんじゃないかな。。。

漢文化陳列館

漢代の河西回廊(特に武威)の歴史を解説する小さな博物館です。 上述した通り、チケット確認がありました。

展示室を見渡すような写真を撮りそびれたのですが、漢代河西地方の農業・牧畜、匈奴との戦役や、シルクロードにおける文化交流などが主題です。 展示品は雷台を始めとした漢代墳墓の副葬品が多いようです。

解説パネルなどでさらっと史記漢書からの引用が書かれているのですが、これ来訪者が読める想定なのか気になります。

亀の形をしたミニチュアのかまど。なんともユーモラスで面白いです。たぶん、亀の口の部分から煙が出るようになってたのかな、と想像されます(もちろん、これは副葬品としてのミニチュアのものなので、実際に使うことはできないと思いますが。)。

穀倉のミニチュア。切妻造りと寄棟造りの屋根がきちんと区別されていて面白い。

涼州詞陳列館

こちらもチケット確認がありました。

涼州詞」についての博物館ですが、特に何か実物を展示しているわけではないです。 涼州詞やその背景(主に涼州の風土や文化?)について様々な角度から解説されています。

ちなみに私の事前知識は「涼州詞 = 唐詩のうち涼州を題材にしたもの」というものだったのですが、上記パネルによると見事に間違いだったみたいです。

漢唐天馬城

以上で雷台漢文化博物館は見終わったのですが、その東隣に「漢唐天馬城」なる観光施設が整備されたようなので、少し覗いてみました。 現地でスタッフの方に聞いた話では、5月にできたばかりだそうです。

野外スペースには、当時の様子を再現した像?などが飾られています。

それぞれ「涼州詞」「天馬歌」「大漢賦」と書かれた建物が中心施設のようです。

スタッフの方に話を聞いたところ、ここは博物館ではなく「体験館」とのことで、どうもショーやアトラクションが中心となったテーマパーク(?)のようです*1。 私は興味があまり出なかったのとこの後予定があったのでパスしました。 なお、身份证があれば各館で入場券を買えますが、身份证がない場合は「大漢賦」と書いてある建物で買えるとのことでした。

昼食

午後は武威市博物館を見に行くので、バスでそちらに移動します

社会主義計画都市っぽさを感じさせる街並みです。

さてこの近辺、上の写真からも想像がつく通り、飲食店がほとんどありませんでした。 高徳地図で検索して、少し歩いたところで適当に入ったお店で臊子面と卤肉をいただきました。

2人で切り盛りしている小さいお店で、「お会計はセルフで」という旨書いてありました。 スマホ支払いで、支払うと店舗側の端末から受け取った金額が大音量で流れます。 お店の人は作業しながらでも受け取った金額を確認できて便利そう。

武威市博物館

公式サイトや休館日などの情報はこちらのページに書きました。

めちゃくちゃ新しく、施設については甘粛省博物館よりも立派だと思います。 ただ、一部パネルのみのものもありました(本物は甘粛省博物館にあったり。)。

こちらにも書いた通り、いくつか展示があるうちのメインのもの(河西回廊の歴史を先史から清代までさらうもの)の、漢代以降だけを見ました。以下、印象に残った展示をいくつか紹介します(相変わらず、文字が書かれたものに偏った紹介ですが。。。)。

漢代

一番印象に残ったのが、こちらの「王杖詔書令冊簡」。 2000年以上前のものですが、くっきり文字が読めます。特に、右から4枚目の「皇帝陛下」が目立ちます。

肝心の内容は : 漢代、70歳以上の老人(の一部)には「王杖」「鳩杖」と呼ばれる杖が与えられ、様々な特権を享受したそう*2*3で、この木簡にはそのことを示す詔勅などが書かれているとのことです。 確かに、右から7枚目をよーく見てみると「制詔 御史年七十以上杖王杖比六百石...」と読める気もしますし、ところどころに「鳩杖」という語も見えます*4。ちなみに参考文献[2]p.202には「王杖十簡」(上の王杖詔書令冊簡とは別のもの)の一部の現代語訳が書かれている*5のですが、その訳の内容は、上の写真の右から7枚目の簡に書かれた内容に類似しているように思われます。

で、この「王杖」「鳩杖」と呼ばれる杖の先端には鳩の飾りが付けられているそう*6*7なのですが、なんとその実物もすぐ隣に展示されています。

文献史料と考古史料を突き合わせて歴史を語るという営みが大好きなので、この一連の展示はとても興味深かったです。

ちなみに鳩杖の鳩はアイスのモチーフになっています。中国の観光地あるあるらしいです。今思えば話題作りに買ってみても良かったかな(と思わされるという意味で商売がうまい。)。

次に印象に残ったのが、木製の動物を象った副葬品の数々。

甘粛省博物館で見た青銅製の馬もそうなのだけど、この時代の馬の像は口を大きく開けているものをけっこう見かける気がします。

こちらは「獬豸」と呼ばれる、伝説上の一角獣のようです。

魏晋南北朝時代

墓誌。上半分にでかでかと「墓志」と書かれているのが印象的です。解説員の方(博物館公式)曰く、官名や、当時の書体や書法が知れるだけでなく、なんと埋葬場所についての記載があるので、当時の都市(姑臧)の場所の情報が得られるとのこと。

こちらは墓から見つかったもの。「藻井」と書いてあるので、おそらく、ドームに近い形状*8の墓室の天井中央部分に嵌められていたものかと思います。

他にも、穀倉や竈を模した副葬品などが展示されていました。

唐代

並べられているのは、唐代の墓誌の数々。

史書に記載のないような人々の人生についても伺い知れるのではないかと思うとわくわくします(と言っても、私には読めないですが。)。

こちらは吐谷渾に嫁いだ唐の王族と、その一族の墓誌

そのうちの1つ。 最初に被葬者の名前と肩書が書かれ、その次に墓誌を書いた人の名前と肩書が書かれているようです。 3行目、「公主隴西?紀生也即大唐太宗文武?皇帝之女也」まではギリギリ読める気もします(素人のあて推量です。)。

ところどころに〇の中に波線が入った記号のようなものが描かれているのですが、これが何なのか気になりました。

木製の俑。漢代の馬の時も思ったのですが、木製品がここまで残っているのはやはり乾燥した気候ゆえでしょうか。

宋代以降

西夏の陶磁器。左のものは、類例を前日に西夏博物館でも見ました。

こちらも西夏の陶磁器。「扁壺」と呼ばれるようで、解説パネルによると遊牧や戦役の際に馬上で携帯するのに適した形だそうです。とはいえ、革袋などに比べると重いし割れやすいと思うので、これを馬で運ぶのは怖い気もする...?

西夏文字維摩詰所説経下巻。文字の列がガタついていたり、文字の向きが傾いていたりしており、活版印刷で印刷されたものであることを示唆しているとのことです(解説パネルと、博物館の公式解説員の方のお話。)。

西夏時代の板絵。なんと色まで残っており、驚きました。

ホテルのトラブル

観光も終わったので今夜のホテルに移動します。 バスがなかなか来なさそうだったので、タクシーで移動しました。 「翌朝も早いし、ホテルに早くついて早く夕飯食べて早く寝るぞー」と思っていたのですが、ホテルにたどり着くまでが長かった。。。

ホテルその1

翌日は朝の電車で別の都市に移動するので、武威駅前のホテルを予約していました。 が、チェックインしようとすると「すみません、パスポートには対応していなくて...」と言われ、チェックインできませんでした*9

ちなみに「宿泊拒否!」という居丈高な雰囲気ではなく、スタッフさんはとても申し訳なさそうにしていて親身に対応してくださいました。 trip.com経由で全額返金してもらえる旨と、あとは近くにパスポート対応可の4つ星ホテルがあることを教えてくれました。

ホテルその2

ということで、気を取り直してすぐ近くの4つ星ホテルに向かいます。 幸いにして当日空き部屋もあり、無事にチェックインできました。

...のですが、部屋でくつろいでいたところフロントから電話で呼び出しを喰らい「外国人ならパスポートで登録できる。ただ、あなたは中国人なのでパスポートじゃなくて身份证じゃないとシステム上登録できない」と言われてしまいました*10。 「国外育ちだし身份证は存在しない」旨説明したのですが、「システムが受け付けない」の一点張りで、結局宿泊を断られて追い出されました。

公安局派出所へ

このへんの話題は公安局の管轄のはずなので、近くの派出所に行って事情を話して相談してみました。 ホテルの人と電話でしばらく相談してくれたものの、「システムの仕様が対応してないので、このホテルに泊まるのは難しい。昨日のホテルに泊まるのが良いと思う。そこはうちの派出所の担当じゃないから、なんでうまく行ったかわからないけど。」と言われ、前日と同じホテルに泊まることになりました。駅からは少し離れてしまいますが、背に腹は代えられません。

ちなみに派出所の人はとてもフレンドリーでした。 待っている間の雑談で「日本って給料良いんでしょ?」と聞かれたのですが、「いやー、インフレと円安できついっす」と返してしまいましたw

ホテルその3

タクシーで前日泊まったホテルに移動し、無事空き部屋もあったので宿泊できました。めでたしめでたし。

教訓 : 同じ都市内であっても、ホテルが変われば担当の公安局派出所も変わりうる。そして、派出所が変われば対応も変わりうる。都市全部で一律の対応だったら宿なしになるところだったので助かりました。ということで、ホテルのチェックイン周りのトラブルがあったときは、同じ都市内でも少し場所を変えて別のホテルをあたってみると良いかもしれません*11

夕食

前日と同じ涼州市場に行き、前日も見かけたマーラータンの全国チェーン(というかなんなら東京や大阪にもある)のお店で夕食をとりました。

前日このお店を見かけたときは「わざわざ河西回廊まで来てここで食べなくても良いかなー」と思っていた(東京で何度か行ったことがある)のですが、この日はトラブルがあった後なので、冒険せず慣れた味のこちらにすることにしました。チェーン店の安心感はすごい。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

  • [1] 柿沼陽平(2021)「古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで」中央公論新社 ISBN: 978-4-12-102669-9
  • [2] 宮宅潔(2021)「ある地方官吏の生涯 木簡が語る中国古代人の日常生活」臨川書店 ISBN: 978-4-653-04379-9

*1:あまり自信はないです。

*2:参考文献[1]p.72~p.73「70歳以上の者は政府から表彰されることもあり、そのときには特別な杖が賜与された。それは持ち手の部分にハトの飾りがついたもので、鳩杖などとよばれる(図3-2)。なぜハトかはよくわかっておらず、当時の下っぱの役人もくわしくは知らなかったようである。ひとたび鳩杖を賜与された老人は、キャリア官吏同然の待遇を与えられ、役所のなかでもゆっくり歩いてよく、かれをなぐった者は国家反逆罪に問われるなど、いくつかの特典を与えられた。」

*3:参考文献[2]p.202「七十歳以上の老人には肉刑は科されなかった(二年律令83)。さらに「王杖」とか「鳩杖」と呼ばれる特別な杖が彼らには与えられる(二年律令355)。この杖を持つ者は高級官吏と同様の扱いを受け、役人もこれを丁重に扱わねばならなかった。」

*4:筆者にはきちんと釈読する能力はないので、これはあくまで素人の感想程度のものと割り引いていただければと思います

*5:参考文献[2]p.202「制。御史に詔していうには「七十歳になって王杖を受け取った者は六百石(官秩の一つ)の官吏と同様に扱い、官署に入っても小走りせずともよく、耐刑以上の罪を犯したとしても、通常通り二尺の木簡を用いて告発されることはない。不届きにもこれを召し出して辱める者がおれば、大逆不道罪になぞらえて処罰する」と。建始二年(前三一)九月甲辰(二十五日)に下された(武威磨咀子一八号漢墓出土王杖十簡)」

*6:参考文献[1]先の注での引用箇所。

*7:参考文献[2]p.203「『続漢書』礼儀志によると、王杖の長さは九尺(約二メートル)もあり、その上端に鳩の飾りが付けられていた。杖に「鳩」が付けられるのは、鳩はむせばない鳥だと考えられていたからで、老人が食べ物をのどに詰まらせないように祈ってのことらしい。」

*8:午前中に見た墓室からすると上から見て円形のドーム形状というわけではない、という理解です。

*9:trip.comには「全ての国・地域のお客様がご宿泊いただけます」と書いてあったのですが、話を聞くと、中国大陸の居民身分証以外に、香港・澳門・台湾の身分証のようなものには対応しているのですが、パスポートは対応できないとのことでした。

*10:私は中国籍ですが、身份证はありません。

*11:まあこの事例そのものは在外華僑にしか関係ないので、このブログの読者で直接参考になる方は限られていると思いますが。