世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2023年 河西回廊の旅 3日目 : 蘭州から武威への移動と武威観光

2023年シルクロード河西回廊の旅3日目(2023-09-16)の記録です。

この日は鈍行列車で蘭州から西に向かい、武威の街を観光します。

武威は複数の見どころが徒歩圏内に集中しており、街歩きも楽しかったです。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食

この日も朝早くから電車移動なので、朝食はホテルではなく外で。 前日夜に食べすぎたので、軽くお粥(皮蛋瘦肉粥)だけにしました。5.5元。

ちなみにお店は凉皮のお店なのですが、凉皮以外にもいろいろとありました。 むしろ、他のお客さんと店員さんとのやり取りをちらっと聞いた限りでは朝早くだと凉皮はないみたいです(あまり自信はありません。)

武威への移動

蘭州駅

7:44出発の電車*1なので、7時過ぎには駅につくようにしました。この日も駅入場はとてもスムーズ(パスポートを見せてざっと安全検査を受けるだけ)で、全く並ばずに済みました。eチケットのため、乗車券の引き換えも必要なし。

前日利用した西安北駅や蘭州西駅は新しい駅のようですが、この日の蘭州駅は古い駅のようでした。 事前に高徳地図などで調べたり当日ざっと見渡した限りでは、駅内部にはレストランやフードコートなどはあまりなさそうでした。

乗車

発車時刻の25分ほど前に改札が開始されました。電光掲示板によると発車時刻5分前に改札終了とのことでした。

今回は高速鉄道ではなく、より伝統的な(?)列車です。 ホームから乗車する際に、再度パスポートの確認がありました。

乗ったのは、軟座の車両。

団体客(親戚の集まり?)の乗車時にかなり賑やかになったり、お婆さんが電話中になぜか大泣きを始めて周りが宥めるという一幕もあったのですが、思ったより車内は静かでした(とはいえもちろん日本よりは賑やか。)。この後乗った硬座はこれと比べるととても賑やか(婉曲表現)でした。

ちなみに、上の話で出ていたお婆さんですが、後に激しい頭痛を訴え、医療関係者を募る車内放送が流れる一幕がありました。医療関係者が名乗り出て診察し、血圧が高すぎるのが原因だったようで「降圧剤を持っている人は分けてほしい」という車内放送も流れました。降圧剤を飲んで落ち着いたようなので良かった。

川の流れを見ながら「そういえば蘭州で黄河を見そびれた。。。」ということを思い出しました。博物館以外観光できなかったので、また行きたい。

10:47頃、ほぼ定刻で武威駅に到着しました。やはり西安や蘭州に比べると小さめの駅という印象を受けました。

武威駅から市街地への移動

駅正面。さっき「小さめの駅」と言ってしまったのですが、やっぱり正面から見ると駅舎は大きいですね。

駅前の社会主義核心価値観。このときは日差しが強くその割に遮るものがないので、このオブジェにはかなり助けられました。

市街地中心部へは、路線バスで移動しました(写真は、下車後に乗ったのとは別の車両を撮影したものです。)。

路線バスの詳細はこちら参照:

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

昼食

昼食は文廟近くのお店で武威の名物らしき「三套车」*2をいただきました。

行麺なる麺と、腊肉、後はナツメを使ったお茶の三点セットのことのようです。

麺の具は、人参、セロリ、きくらげ、あとはネギかにんにくの葉のようです。 「暑いのにあんかけ麺なの…?」と一瞬思ったのですが、強く効いた生にんにくの香りが食欲を刺激し、箸が進みました。 あと、お茶はほんのりした甘みとナツメの香りが美味しかったです。実は前日に蘭州で牛肉麺を食べたときもほんのり甘いお茶を飲んだのですが、そのときのお茶もたぶんこれに近いものだったと思います。

ちなみに大/小の選択肢があったので小で頼んだのですが、量が多くてお腹いっぱいになりました。これで19元でした。

武威観光

さて、お腹も満たされたので、観光していきます。 それぞれの観光地の概要や入場方法については、下記の観光情報まとめの記事を参照。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

西夏博物館

名前の通り、西夏(大夏)を主題にした博物館です。

11世紀から13世紀の河西回廊は、西夏の統治下にありました。西夏の都は興慶府(現在の寧夏回族自治区銀川市)に置かれていました*3が、ここ武威(当時の名前は西涼)にも輔郡(陪都)が置かれていたとのことです。 ということで、武威では西夏の文物がよく出土し、それらの一部がこの博物館に展示されている、という次第です*4

展示構成は、政治史、社会経済史、文化史、最後に西夏についての研究史に大別でき、概ねこの順番に並んでいたと思います(若干うろ覚えなので、100%の自信はありません。)。 最後の研究史は省略しますが、それ以外で興味をもった展示などをざっと紹介します。

政治史

最初のパートでは、西夏の政治史のうち涼州(武威)が関係する部分が解説されています。

具体的には、西夏が武威や涼州を征服するあたりから始まり(写真右側は当時使われた大砲。)、

1038年の建国のあたりでは公文書や瓦の実物や、西夏の官位や軍制についてのパネルなどが展示されています。

西夏の公文書。西夏文字活版印刷のもの(しかもだいたいは仏教経典)を見たことはあるのですが、手書きのものは初めて見ました。これを読むのは大変そう。。。

管位の表についてのパネル。内容の細かいところよりも、「源自俄藏西夏文献《西夏官阶封号表》残卷」(「ロシア所蔵西夏文献《西夏官阶封号表》残巻より」の意)という出典が気になりました。 ちょっと調べたところ、カラホト遺跡出土の文献のようです*5

こちらは「天盛律令」についてのパネルで、元は同じくカラホト遺跡出土のもののよう*6

いずれもカラホト遺跡出土の西夏文字の文献のよう*7ですが、出土当時は未知の文字だったわけで、そこから文字の解読とここまでの情報の復元までなされていることに感動を覚えました。

出土品の仏教経典。

そしてこちらが、この博物館で恐らく一番有名な展示品「凉州重修护国寺感通塔碑」です。 11世紀に涼州大雲寺を西夏の皇室主導で修繕した際に立てられた石碑で、寺の由来などが記されているとのことです*8

片面には西夏文字が刻まれ、

もう片面には漢字が刻まれています。 両者の内容は(細かい点で相違はあるものの)概ね一致するとのことです*9

あまり間近で文字をじっくり見ることはできないのですが、「人の背丈を超える黒光りする石にびっしりと1000年ほど前の文字が刻まれていて、しかもそれが今の人類に解読されている」という事実に圧倒される思いでした。

社会経済史

牛の売買契約。左のものは漢字ですが、右のものは恐らく西夏文字でしょうか。 西夏では牧畜が盛んだったとのことです。

こちらはパネルですが、墓などから見つかった家畜の像など。

焼き物。上の写真のものと、下の写真のパネルのものは、おそらく掻き落としの技法*10で作られたものだと思います。 北宋のもので類似した品をいくつか見たことがあり、西夏とも同時代なので、北宋などで作られたものが持ち込まれたのか、はたまた西夏で作られたのかが気になります。後者であれば、北宋などと技術交流があったのかなども気になりました。

文化史

こちらに並べられているのは、西夏の言語/文字関係の書物のようです。

  • 「音同」(または「同音」)は、西夏文字を音で分類した字典のよう*11
  • 「三才杂字」は、識字教科書?*12

語学が好きな人間としてはとっても気になります。

儒教も教えられていたようで、西夏文字で書かれた論語儒教経典なども残されているようです(展示品は複製品ですが。)。

今回一番興味を持ったのは、こちらの活版印刷の展示。 活版印刷は宋で発明されたものの宋ではあまり主流とはならず*13、対して西夏では主な印刷手段として用いられたようです。

西夏文字も数千文字あると思うのでなぜ宋と違って活版印刷が普及したのか気になります(ぱっと思いつくのは、乾燥した気候で、木版を彫れるような木材が希少だったからとか...?)

こちらは、活版印刷技術で印刷された仏典。複製品とは書かれていないのでたぶん当時のものだと思うのですが、とても綺麗に保存されていて驚きました。 このときは気づかなかったのですが、文字ががたついている(きれいに一直線上に乗るようには並んでいない)のが、木版印刷ではなく活字印刷であることを示唆しているそうです*14

文廟

お次は、西夏博物館から道路を挟んですぐ向かいにある文廟に向かいました。 入場方法や入場料などは武威の観光情報についてまとめた記事を参照。 なお、チケット売り場はあまり目立たないので、要注意。私は気づかずにそのまま入場しそうになってスタッフの方に止められました(←

建築は明代のものだそうです(ガイドツアーの解説を横から立ち聞き)。

緑豊かで緑豊かで落ち着いた空間で、散歩するだけでも良いところ*15なのですが、石碑が陳列された建物や印刷博物館など、様々な見どころもありました。

石碑

入って序盤の方にある建物には、石碑が並べられていました。解説を見る限り、元~清のものが多いようです。

元代の石碑。なんとも美しい楷書が刻まれています。一行目にある「翰林学士」はなんとか分かる。

清代の墓標。こちらは行書ですかね。

肝心の文章の意味は私には分からないのですが、「何百年も前に石に刻まれた文字が今もはっきりと残り、情報を伝えている」ということそのものに静かな興奮を覚えました。 また、中国のSF小説「三体」で「人類の文明を遥か未来に伝えるために、石に文字を刻む」という話があったことを思い出しました。

扁額

文廟内の文昌宮桂籍殿には、多数の扁額が飾られています。 なんと最古のものは康熙年間のものだそうです。それが下の写真。

右が康熙年間のもの、左が民国期の最新のもので、ちょうど最古と最新のものが横に並んでいるとのことです。ざっと200年くらい時期が異なる扁額が隣り合っていることになるようで、興味深いです。 他にも、雍正、乾隆、嘉慶、道光などは見つけられました。

こちらの「書城不夜」は、学び舎が夜まで賑い不夜城の様相を呈していたことを現すそうです。

(ここまで、伝聞形の書き方をしている部分は、全てガイドツアーの解説を横から立ち聞きしたものです。)

印刷博物館

中国印刷博物館*16の分館もありました。

主に西夏(とその後の中国)における活版印刷技術の歴史について紹介しています。

パネルによる解説がメインのようですが、このパネルの解説がありがたかったです。 というのも、元の王禎など今まで知らなかった印刷技術史の固有名詞をることができたので、今後調べ物をする際のとっかかりになりそうだからです。

南城門

続いて、少し歩いて南城門に向かいます。

楼閣は2001年に再建されたもの*17で、内部は「武威市五涼文化博物館」という博物館になっています。

ちょっと分かりにくいのですが、楼閣の北側(確か北東側)に入り口があります(上の写真)。 入場方法などはこちらを参照。

急な階段を登ると、街を見渡すことができます。 すぐ目の前の広場はこの時間帯はまだ閑散としていたのですが、夜に訪れたときは大いににぎわっていました。

近くで見た楼閣。

楼閣の内部は博物館で、魏晋南北朝時代涼州(前涼から北涼まで)の歴史と文化について展示しています。

「中原の戦乱を横目に涼州が中原の文化をよく保ち発展させ、後の中国文化に影響を与えた」という話が主題のようです。 展示はレプリカやパネルが多めだったと思います。石造の小さな仏塔(?)なども展示されていたと思うのですが、写真を撮りそびれました。

夕食と夜の街歩き

涼州市場

この日行く予定の観光地は一通り周ったので、夕食を食べに行きます。

飲食店や服屋、靴屋などの商店が立ち並ぶアーケード商店街です。

飲食店は地元の名物料理(たぶん)を推している店から全国チェーンのお店まで様々なお店がありました。

夕飯は「砂鍋」という煮込み料理を食べました。 具は鶏肉や野菜いろいろと麺。麺なコシはないけど弾力性があるもちっとしたもので、食感が面白かったです。

食べ終わるころには夜の帳が下り始め、街も電飾の光に彩られていました。

南門広場

夜になったら賑わいそうと思っていたので、夕食後の散歩もかねて行ってみました。

城門は綺麗にライトアップされ、その南側の広場は昼間とはうってかわって多くの人で賑わっていました。

夜に賑やかになるのは、昼間は日差しが強くて暑いからかもしれません。 昨年行ったイスファハーンも同様だったのを思い出しました。

談笑や散歩をする人もいれば、踢毽子や、胡弓を伴走にカラオケに興じる人々もいました。

また、複数のグループが広場舞を踊っていました。 中にはおそろいの衣装で社交ダンスのような踊りを披露している団体もいて、興味深かったです*18

夜市

城門広場のすぐ近くには、屋台が立ち並ぶ夜市も開かれていました。

入ってみるとながーい屋台街がひたすら続き、中は休日ということもあってかかなりの人混みでした。 観光客と地元の人どっちが多いんだろう。地元客でこの人数だったらすごい。

当初は端まで歩いてみようかと思ったのですが、あまりに長かったので諦めて途中で引き返しました。

こちらの醤汁香豆腐なるものが気になったのですが、分量が多くかつ既に夕食を食べた後だったので諦めました。残念。。。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

*1:国鉄路 Z6205 蘭州 7:44 → 10:46 武威

*2:店名が「凉州名小吃 老王三套车」なので、たぶん武威名物。たぶん。。。

*3:中国大百科全书《西夏https://www.zgbk.com/ecph/words?SiteID=1&ID=49860 より

*4:以上、展示室冒頭の「前言」解説パネルより。

*5: 中国大百科全书《西夏官阶封号表》 https://www.zgbk.com/ecph/words?SiteID=1&ID=50261

*6:中国大百科全书《天盛改旧新定律令https://www.zgbk.com/ecph/words?SiteID=1&ID=23299 に「简称《天盛律令》」という記載あり。

*7:天盛律令については、中国大百科全书《天盛改旧新定律令https://www.zgbk.com/ecph/words?SiteID=1&ID=23299 に「原文是西夏文」という記載あり。西夏官阶封号表については、中国大百科全书《西夏官阶封号表》 https://www.zgbk.com/ecph/words?SiteID=1&ID=50261 の参考文献に「西夏文《官阶封号表》考释」とあるので、おそらく西夏文字で書かれているという理解です。

*8:博物館の解説パネル、および 中国大百科全书《凉州重修护国寺感通塔碑》https://www.zgbk.com/ecph/words?SiteID=1&ID=393541

*9:中国大百科全书《凉州重修护国寺感通塔碑》https://www.zgbk.com/ecph/words?SiteID=1&ID=393541

*10:陶芸に詳しいわけではないので、「焼成前の焼き物の表面を削って模様を出す手法」という雑な理解です。

*11:中国大百科全书《同音》https://www.zgbk.com/ecph/words?SiteID=1&ID=50246

*12:中国大百科全书《杂字》https://www.zgbk.com/ecph/words?SiteID=1&ID=50249

*13:参考文献[1]p.203「宋代には粘土を焼いてつくった活字による印刷法も発明されていたが, 字の数が多いという漢字の特質もあって, 広く用いられたのは木版印刷のほうであった。」

*14:翌日訪れた武威市博物館で似たような品が展示されていて、そこで解説を聞いたときに知りました。

*15:政治色の強い展示やお馴染みのスローガンもあったのですが、そこはスルーで。

*16:おそらく、北京にある https://www.printingmuseum.cn/ のこと(ロゴが一致しているので)。

*17:現地の解説パネルの情報。

*18:食後の運動に行うラジオ体操?みたいな立ち位置だと思っていたので、意外でした。