世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2023年トルコ旅行記 8日目 ギョレメからカイセリへの移動とカイセリ観光

2023年のゴールデンウィークのトルコ旅行8日目(2023-05-03)の記録です。 カッパドキアへの玄関口として通過されることも多いようですが、セルジューク朝の名残を色濃く残す街なので、この時代の歴史が好きな方にはおすすめです。 また、中心街に出てしまえばあとは徒歩で主要な観光地を周れるので、自由気ままに観光しやすい街だと思います。

トルコ旅行全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

ギョレメからカイセリ中心部への移動

ギョレメからカイセリへのKamil Koçのバスを予約してあるので、時間より少し早めにギョレメのオトガルに向かいます*1

ちなみにギョレメには野良犬が多く*2、このときもバス待ちの間に犬が寄ってきたりしました。犬種はゴールデンレトリーバーやシェパードなどに近く*3、大きいのでちょっと怖い。。。(あと狂犬病ワクチン打ってない、という理由もある。)。 ただ、このときの個体は幸いにしておとなしく、足元でひたすらくつろいでいました。

犬や他の旅行者を眺めながら待つものの、どうも時間になってもバスが来ない...? というところで、 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com に書いたBus Trackerの存在に気づきました。ギョレメのオトガルは本当に小さくてスタッフもいなさそう*4だったので、これは助かりました。

ちなみに、待ってる間にも他の行き先のバスが次々来ます。自分が乗るバスがどれか見極めないと間違ったバスに乗る or 乗るべきバスを逃すこともありそうなので、要注意です。

結局、定刻30分くらい遅れで出発しました。とりあえず無事に乗れてよかった。

カッパドキアから離れると、意外に緑豊かな景色も広がっていました。

おおよそ1時間の乗車時間、短い移動でしたが、途中でいろいろとありました :

  • 停車場所を巡って、運転手と乗務員が、他のバスの運転手や乗務員と喧嘩を始めそうになるという一幕がありました(怒鳴りあったり、軽く掴みかかったり。仲裁が入ったので殴り合いにはなりませんでした。)。
  • 確かこの乗車時、途中で検問があった記憶があります*5。バスを道端の検問所に止めて、警察が車内に入ってきて乗客のIDカードのようなものを確認していました。私もパスポートを見せたのですが、軽く一瞥しただけで返されました。また、全ての車を検問で止めていたわけではなく、普通の乗用車は検問なしで通過しているものも多かったです。普通の乗用車はランダムに選んで検問するのかもしれません。

カイセリのオトガルはこちらの立派な建物。

オトガルは市街地中心部から西におおよそ8km*6離れています。 地球の歩き方によると公共交通機関で中心部に移動できるようなのですが、チケットの購入が面倒そうだったので、タクシーで移動しました。 オトガル前のタクシー乗り場から乗車し、セルジューク文明博物館まで120TLでした*7。 ちなみに運転手はセルジューク文明博物館の場所が分からなかった(もしくは私のトルコ語が下手で通じなかった)のですが、google mapsを見せたら一発で解決しました。技術の力は偉大。

セルジューク文明博物館

  • 公式webページ(英語あり) : http://www.selcuklumuzesi.com/ 開館時間や入場料については公式webページ参照。
  • Museum pass対象外です。入場料は当時は10TLでした*8
  • 解説パネルは一部英語があるのを除いて、ほぼ全てトルコ語です。ということでほぼ読んでいませんが、一部、google lensを使ったりもしました。また、インタラクティブなマルチメディア展示もありましたが、それらもトルコ語のようでした*9

日本にいるとこんなにたくさんのルーム・セルジューク朝の品々を見る機会なんてめったにないので、セルジューク朝推しにはたまらない博物館でした。

解説が分からなくても展示の品々だけで楽しめたのですが、解説が読めるともっと楽しめる気がします。 もっとトルコ語力が身に着いたらまた行ってみたいです。

入り口について

入り口は南東側にあったと思います。

一見すると上の写真の立派な門が入り口に見えるのですが、下の写真のもう少し小さい門が入り口です。

入り口前には下の写真のような案内板があり、目印になります。

建物について

展示もとても興味深いのですが、まずは建物について。 建物は13世紀に建てられたもので、元は病院兼医学教育を行うメドレセ(マドラサ)だったようです*10。 この後のカイセリ街歩きでも、メドレセをリノベーション(?)して利用しているケースをいくつか見かけて、とても興味深かったです。

2つの中庭があり、それぞれ中庭の周りをイーワーンや小部屋が囲む、典型的なマドラサ建築の形式のようです。

入り口から入ってすぐの第1の中庭。

写真奥、元々は半屋外空間だった大イーワーンにガラスをはめて、屋内空間として利用しています。 エアコンがある現代だとこうするのが合理的ですよね。 古い建物が現代も生き残って使われつつ、時代の変化に応じて少しずつ使われ方が変わっていく様も興味深いです。

この雰囲気がたまらない。

続いて、奥の第2の中庭。こちらの方が大きいです。

日差しを避けつつも明るさを享受でき、外の喧騒からも守られた空間はなんだか落ち着きます。(でもアナトリアの冬でこれは寒そう。)

こちらは館内にあった模型。たしか博物館の建物の模型だったと思うのですが...、解説部分を記録に撮りそびれたので100%の自信はありません。

展示

展示は宮殿のタイルから日常の品々まで多岐にわたりますが、ここでは気になったものだけ紹介します。

陶磁器製のランプなど。

こちらはKeykubadiye Sarayı*11からの発掘品の陶磁器。

同じく、Keykubadiye Sarayıから発掘されたタイルのうち、2枚。双頭の鷲はセルジューク朝の紋章としてよく利用された図像だったと聞いたことがあります*12。 2枚目は精巧な人物が描かれています。イスラームの芸術は宗教関係だと具象表現は少ない印象があるのですが、やはり世俗(この場合は宮殿)のものだとこういった具象的な表現も用いられるようです*13

ところで、2枚のタイル、どちらも八芒星の形をしていますが、どうもこれもルーム・セルジューク朝のシンボルのようで、Seljukian starやSeljuk starと呼ばれるようです。

星の頂点は8個の美徳を象徴しているのだとか。

動物の姿などが彫られた、青銅製のベルトのバックル。

こちらは鏡! 東アジアの古代の鏡は日本の博物館でいくつも見たことがあるのですが、西アジアのものを見たのはこれが初めてかもしれません。 中央には2頭の動物が背中合わせに描かれ、周囲をアラビア文字らしき文字が縁取っています。これ読めると面白いんだろうなー。どの言語*14で何が書かれているのか気になります。

分銅(左)と携帯式の天秤(右)。ここから当時の度量衡が分かれば面白そうです。

当時の隊商宿(han)の分布を示した地図。多くの道が都であるコンヤに向かっていることが見て取れます。

街歩き

最初にも書いたように、カイセリの観光地の場所は狭い範囲に集中しており、歩いて回るのにちょうどよい街でした。

このときは大統領選挙の最中で、政党の旗や国旗がはためいていました。

サハビエ・メドレセ

こちらは、サハビエ・メドレセ。もとは13世紀*15に建てられたメドレセとのことです。 建物外観を撮ろうとしたのですが、見事に選挙用のもろもろに遮られてしまいました。

装飾の施された入り口を近くで見ると

内部には複数の書店が入っていました*16

数百年前の建物が日常に溶け込んでる様、なかなか好きです*17

メドレセ外側の水場には、何やら銘文が刻まれているようです。何が書かれているのか気になる。

街の光景いろいろ

日本ではなかなか見かけないタイプのバスなので、こういうのを見るとテンションが上がります。

そろそろお腹が空いてきたので、お昼のお店に向かいます。 コンヤでトルコのスープ(チョルバ)が美味しかったので、カイセリでもスープ専門店を検索して評判がよさそうなところに行くことにしました。 ということで、お店まで引き続き街中を歩いていきます。

現代の建物ですが、なんとなくメドレセの入り口に近いものを感じます。ちなみにTEKNOSAでgoogle検索したところ、家電量販店みたいです。

トラム。なんと窓なしの全面広告仕様。乗っていないのでわからないのですが、地上を走るのに中から外が見えないのはなんだか不思議な気がします。 2両目、「トルコ最大の」は分かったのですが、何の広告かわからなくてググったところ、ウェディングドレスなどのお店のようです。

こちらはバザール(Kapalı Çarşı)。

このへんは一番きれいに整備されていたところです。 ちょっとこの通りから逸れると、古き良き雰囲気の(?)バザールの光景も広がります(写真は撮りそびれました。)。

何も考えずにgoogle mapsの案内に従ってバザールをつっきろうとしたのですが、ちょっと迷いました。 で、親切な方が道を案内してくださり、バザールを出て無事にお目当てのランチのお店にたどり着きました。

スープ専門店で昼食

探していたのは、こちらのスープ専門店*18

ガラスウィンドウにsulu yemeklerとある通り、スープ以外にも煮込み料理なども出していました。 mercimek, paça, yaylaなど、スープの名前も書かれています。

パンはテーブルの上の箱の中のものを取るスタイル。

頼んだのはパチャ(このときは70TL)。 こってりクリーミーな味のスープにたっぷりお肉も入っていて、とても美味しかったです。 レモンを絞ったりトウガラシのピクルスをかじったりして味変するのもまたよし。

お店の方に声をおかけして、カウンターの写真も撮らせていただきました。

カイセリ城

昼食を満喫したので、引き続き観光。カイセリ城に向かいました。

内側の城門をくぐると意外にも広々とした空間が広がっていました(というよりも、「内部の建物はきれいさっぱりなくなってしまい、城壁しか残っていない」という方が適切かもしれません。)。

現地の解説パネル(英語併記あり)によると、ルーム・セルジューク朝の頃には内城が築かれていて、その後改修や再建を繰り返したようです*19。 20世紀になって以降も、民間人が住んだり、もろもろ取り壊されたり、スラムができたり、などいろいろな紆余曲折を経て今の姿があるようです(詳細は省略。)。

今はおしゃれなお店も立ち並んでいます。

ちなみに、本当のお目当ては考古学博物館だったのですが、閉館中でした。

地震の影響で閉館中」という情報はgoogle mapsなどの口コミで見かけていたので、一応想定内ですが、残念*20

フナトハトゥン・キュッリエ

お次は、カイセリ城から道を渡ってすぐのフナトハトゥン・キュッリエ。

13世紀、ルーム・セルジューク朝の統治下で、マーペリ・フナト・ハトゥン(アラーウッディーン・カイクバードの妻)によって建てられたキュッリエです*21

キュッリエとは、モスクなどを中心とした公共複合施設のこと*22で、この例ではモスク、メドレセ、ハマムから成ります*23。 上の写真だと、左側がメドレセ、右側がモスクです。

ハマムは入っていないのですが、男女別の入り口の案内がありました(写真を撮りそびれました。)。 google mapsの口コミを見てもマッサージなどについてのコメントが書かれているので、なんと現役のようです。

こちらはメドレセの正面入り口。 入り口脇の案内(下の写真)によると、今はCulture and Art Centerとして利用されているとのこと。

内部はこんな感じ。

工芸品のお店やカフェなどが入っていました。

続いて、お隣のモスク。

コンヤでルーム・セルジューク朝時代の建物を見たときも感じたのですが、やはり石材に施された彫刻が見事です。

内部。こちらはメドレセとは違い、今も現役の祈りの場となっていました。

中央の区画はドームを戴いていますが、

他はアーケードが連なり、モスク全体の大空間の一体性は感じにくいようです。 このへんはやはり後世のオスマン帝国の建築とは異なりますね。

ミフラーブ。タイルもなく石がそのままむき出しになっていますが、精巧な浮彫が目を惹きます。

墓塔いろいろ

この日見たかった分の観光地は一通り周ったので、ホテルに向かって歩きます。

が、せっかくなので街中に点在する墓塔を巡っていくことにしました。 いずれも、駐車場の端にあったり、道路の中央分離帯にあったりと、歴史を感じさせないギャップの激しい場所に生えているのが印象的でした。

Şah Kutluğ Hatun Kümbeti

解説の銘板によると14世紀に建てられた墓塔とのこと。

このときはかわいい門番もいました。

Alaca Kümbet

こちらも14世紀に建てられた墓塔(解説の銘板の情報)。

先ほどのものと比べると、少し装飾が簡素に見えました。

四角柱の上に塔が乗っているのかと思いきや、後ろから見ると少し不思議な形になっていることが見て取れます*24

なお、そこそこ大きい道路の中央分離帯のような箇所にあります。

Döner Kümbet

同じく14世紀に建てられた墓塔(解説の銘板)。外面ほぼ全面に浮彫があり、今回見たものの中で最も装飾が豊かでした。

これまた道路の中央にあります。

ホテルと夕食

まだまだ明るいですが、ホテルにチェックイン。

部屋の窓からエルジェズ山が見えます。

お昼のお店が美味しかったので、夕食も同じお店に行きました。 お店の方も覚えていたようで、「お、また来たか!」とばかりに笑顔で迎えてくださいました。

tas kebabı(たぶん)とmercimek çorbası、180TL。 どちらも美味しかったです。tas kebabıも良かったのですが、mercimek çorbasıの優しい味わいの安心感がすごい。 こういうお店、日本にも出店しないかな。

翌日に続きます。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

  • [1] 飯島英夫[写真・文] (2013)「トルコ・イスラム建築紀行」彩流社 ISBN: 978-4-7791-1947-7

*1:オトガルという割に小さいので、これを本当にオトガルと呼んで良いのか自信がないですが。

*2:と言ってもエフェス遺跡にもいたので、トルコ国内で特段多いかどうかは分からないです。あくまで日本基準で「多い」という程度の意味です。

*3:犬種に自信がない。

*4:小さな旅行代理店などはあるもののバス会社のスタッフではなさそう。Kamil Koçの窓口はあるのですが、このときは閉まっていました。

*5:ただ、完全に自信があるわけではなく、もしかしたら別の便の乗車時かもしれないです。

*6:カイセリ城を起点として、google mapsで徒歩での道のりを検索した結果。

*7:今はインフレでもっと高いはず。

*8:執筆時点で公式webページを見ても10TLのままなのですが、インフレ下で本当にこのままだったらすごい。

*9:もしかしたらどこかに英語に切り替えるボタンがあったかもしれないので断定はできないですが。

*10:公式webページの記載では博物館の建物について"Also known as “Çifte Madrasah” Gevher Nesibe Hospital and Giyasiye Madrasah"と書かれています。参考文献[1]p.38 では「ゲヴィフェリ・ネーシベ医学博物館」「チフテ・メドレセともいわれ」と紹介されていおり、当該建物の建設年が1204~1214年と述べられていました。

*11:解説によると、13世紀に建てられたルーム・セルジューク朝の宮殿で、カイセリの市街地から10kmほど離れたところにあるとのこと。

*12:要出典

*13:少ないサンプルに基づいた素人の感想です。要出典。

*14:宗教関係はアラビア語のはずですが、宮廷ではペルシア語が用いられていたと聞いた記憶があります(要出典)。

*15:建物外面にあった、解説の銘板に記載。

*16:本が重ねられていますし、看板を見るとkitabeviでたぶん書店(kitapが本、evが家なので。)。でもkitapçıも書店の意味だった気がしていて、違いは理解していません。

*17:でもこれはあくまで旅行者だから言えることで、実際にこの街に住んでみたら、古い建物にいろいろと不便を感じるのかもしれません。

*18:場所は、この記事の最初の地図参照。なお、altın tabakで検索すると、カイセリではいくつものお店が見つかります。系列店なのか、それともこのお店と特に関係ないのかはわからないです。

*19:ただ、この解説パネル、機械翻訳なのか英語が若干怪しく、私のコメントもあまり自信がないです。

*20:なお、本記事執筆時点(2023年9月)でgoogle mapsの口コミを確認したところ、直近1か月ほどの口コミも複数あったので、現在は開館しているものと思われます。

*21:以上、現地の解説の銘板から。

*22:要出典

*23:解説の銘板によると、当時は"imaret"なる施設もあったものの現存しないとのこと。

*24:「不思議な」と書いたのですが、モスクなどで見かけるドーム移行部の技術と思えば自然かもしれません。