世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

2023年トルコ旅行記 3日目 セルチュク観光とカラハユットへの移動

2023年のゴールデンウィークのトルコ旅行3日目(2023-04-28)の記録です。

トルコ旅行全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

ホテルの客室からの眺め。奥の丘の上に見えるのがアヤスルク城塞で、この後訪問予定です。

ホテルの朝食は思ったより遅めで、朝8時からでした。

「朝早く出てエフェス遺跡を観光する」とかじゃなくて、前日に行っておいてよかったです。

セルチュク観光

セルチュク散策

朝食後、徒歩で博物館に向かいます。

のどかな街並みが続きます。

このときは大統領選挙の投票日を間近に控えていたので、それを感じるものも見かけました。

博物館に向かう道で渡った歩道橋はこんな感じだったので、夜とかに来ると治安が良くないのかもしれないです。

とはいえ、このときは朝でしたし、博物館の近くではこんな光景が見られました。

エフェス博物館

  • 主にエフェソス遺跡や近辺で出土した品々を展示しています。museum pass対象。
  • それほど大きな博物館ではないと思うのですが、私の場合はじっくり見たら2時間ほどかかりました。
  • 写真撮影可、フラッシュ禁止だったと記憶しています。
  • バーチャルミュージアムがあります(めちゃくちゃ重かったですが...) : İZMİR EFES MÜZESİ

私は先に遺跡に行きましたが、予定が許すなら先に博物館に行ったほうが遺跡に行ったときの感動が大きくなったかもしれません。

以下には個人的に目を惹いたものだけピックアップして取り上げます。

泉の彫像

入って最初のエリアには、エフェソス遺跡の泉などに飾られていた彫像がずらりと並びます。

下の写真はトラヤヌスの泉にあった彫像たち。

テラスハウスの発掘品

下のマルクス・アウレリウス帝の彫像は特に保存状態が素晴らしかったです。2世紀の作品。

トラヤヌス帝と軍隊を描いた象牙製品。こちらも2世紀の作品。2000年近く前の象牙製品が残りうるということに驚きました。

他にも、骨製のスプーンやガラス瓶などの生活用品から、ブロンズ製の像など多種多様な品々が展示されていました。

中庭

中庭には彫像や柱頭などに加えて、棺や墓碑などが展示されていました。

写真手前の棺は、側面の処理が粗いことから、製作途中で放棄されたのではないかという話がありました(団体客のガイドさんの解説を立ち聞き)。 だとしたらどういう事情で放棄されたんだろう。。。

こちらの棺、蓋と本体の接合部が欠けていますが、これは盗掘によるものとのこと(これもガイドさん情報。)。

棺のようなデザインながらはるかに小さいもの(幅50cm程度)のものもありました。

トルコ語で"osthotek"、英語で"osthotec"と書かれていたのですが、googleで"osthotec"で検索してもヒットが200件以下だったので、かなりマイナーな単語かミススペルかもしれません。 とりあえずいくつか見つかったページをざっと見た範囲では、火葬後の骨を納める容器だったとのことです(きちんと調べて出典をつけたい。)。 ちなみに、キリスト教が広まる以前のローマ帝国では土葬と火葬いずれも行われていたとのことです*1

こちらは家族の姿を描いた墓碑のようです。この場合、被葬者は誰だったのかが気になります。

アルテミス像

たぶんこちらの博物館の所蔵品で一番有名な2点。

イーサベイ・ジャーミィ

残念ながら修復工事中のようで、囲いに覆われており中に入ることはできませんでした。

色違いの石を組み合わせ装飾に、セルジューク朝あたりの時代に近いものを感じます(このあとコンヤのモスクやマドラサでも多数目にすることになりました。)。

横から。こちらからは堅固で無骨な印象を受けます。

こちらは聖ヨハネ教会(後述)あたりから見下ろしたところ。全体像が良く分かります。 中庭と、横長の切妻屋根の礼拝室から成っており、ペルシアよりはシリアの様式(というかウマイヤモスクあたり)に近いものを感じました。

ヨハネ教会とアヤスルク城砦

こちらの2つの観光地は入場券が共通でした。museum pass対象。

こちらの門がそのまま入場口になっています。

ヨハネ教会。石材と煉瓦を組み合わせてつくられていることが分かります。

確かこれがアプス。

ここからさらに丘の頂上部に上ると、内城(解説パネルではInner Castleと表記)にたどり着きます。

解説パネルによると、6世紀ビザンツ帝国の治下で建造され、アイドゥン侯国時代やオスマン帝国時代も利用されたようだとのこと。

ここまで来ると標高も上がり、街や郊外の眺めが素晴らしかったです。 お昼時に行ったからか、内城まではそこそこ登るからか、観光客もあまり多くはなかったのでおすすめです。

内城の門への進入口は折れ曲がっていることが見て取れます(内部への入り口は写真右奥のアーチの下)。

内部には建物もいくつか残っています(ただし、発掘/復元されたものも多いようで、どこまでが当初の姿かは私にはわからないです。)

モスク

ハマム

貯水槽

ハマムと貯水槽があるということは、ここに水が供給されたいたということのはず。 ですが、上の遠景の写真で見た通りそこそこの標高があるので、ここに中世の技術で水を供給していたのはすごいなと改めて思いました。 なお、駅に向かう途中に水道橋が一部残っています(復元したものかも。)。

昼食

ゆっくり観光しすぎて時間ギリギリになっていたのですが、駅に向かう途中のロカンタで昼食。

意図せずしてベジタリアンメニューになった気がするのですが、美味しかったです。 左側のは確かフェンネルだったと思います。

カラハユットへの移動

トルコ国鉄でセルチュク→デニズリ

セルチュク駅に向かいます。

トルコ国鉄(TCDD)セルチュク駅から、事前に予約したデニズリへの電車に乗りました。 予約方法や乗り方については別記事を参照。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

電車では隣席の方が英語で話しかけてきてくれたので、いろいろと雑談をしました。

  • 工学系の大学生とのこと。親はジャンダルマ(国家憲兵)、その前は軍人だったとのことで、親の転勤で子供のころ何度も引っ越しをしたとのことでした。
  • トルコ各地の方言について訊いたところ、西部(沿岸部?)は早口で、最初は何を言っているか理解できなかったとか。また、東部のクルド語の訛りが入ったトルコ語は理解に苦労したとのことでした。
  • トルコ語母語話者は他のテュルク系の言葉をどれくらいわかるか聞いたところ、「アゼル語はほぼ理解できる」「ウズベク語は単語は一部わかるものもあるものの、文法の違いが大きくて分からない」とのことでした。
  • トルコ語のキーボード、主なものとしてQ/Fキーボードの2種類がある(Qはqwertyと類似したもの、Fはトルコ語の入力に適した独自のもの)のですが、どちらを使うか訊いたところ、Qタイプ派でした。周りもほぼQタイプを使っているとのこと。「タイプライター時代を経験した年上世代の人だと、Fタイプを使う人もいる」と聞きました。
  • 軍人やジャンダルマの家族は、そのことを示す身分証を持っていると言って見せてくださいました。これを示すと、格安で宿泊できる施設があるらしいです。

およそ3時間半の旅でしたが、話しているうちにデニズリに到着しました。 多少遅れた(約15分程度?)のですが、ほぼ定刻。

トルコ国鉄のデニズリ駅からデニズリのオトガルまで

トルコで最初に歩いた街がセルチュクだったので、それ比べるとデニズリは高い建物もあって都会感がありました。

TCDDのデニズリ駅からオトガルまではすぐ近くで、徒歩10分かからないくらい。 下の目立つ目立つ建物がオトガルです。

ちなみに、オトガルに入る前に手荷物検査がありました。 ただ、(このオトガルはこのあと何回か利用したのですが)手荷物検査をまじめにやっているときもやっていないときもあり、基準が謎でした。 担当者にも依るのかも。

オトガル内のトイレはチップ制で、2TLでした。

オトガルからカラハユットまで

デニズリのオトガルは、地上が長距離バスの発着場で、地下がドルムシュの発着場でした。 オトガル建物内のエスカレーターで地下に下れます。

地下の乗り場はこんな感じ。上に番号があるので、これを目印に乗るドルムシュを探せます。

ちなみに行き先と乗り場の一覧はこんな感じ(これは翌日撮影したものです。):

パムッカレとカラハユット方面のドルムシュは76番乗り場から出ていました*2

このときは、乗車して10分待たずに発車しました。 時間が夕方と遅いこともあってか、あまり観光客らしき人はおらず、ほとんど地元の方のようでした。

都会を感じる。

道中で見かけた、やたらと見覚えのある看板

標高を上げていきます。このへんまで来ると緑が広がるのが印象的。

およそ50分ほどでカラハユットの噴水のあたりに到着しました。運賃は16TLでした。

ホテル

ゆっくりしたかったので、夕食はホテルで。下の写真の通りで、135TL。 フライドポテトの量が思ったより多く、パンにポテトの炭水化物コンボでおなかが膨れました(前日からずっとこういったミスをしてる気がする。)。

カラハユットは温泉街で、宿泊したホテルでは部屋にバスタブがありました。

普通の冷水/お湯の蛇口とは別に温泉が出る蛇口(写真に写っているもの)があり、これのおかげで部屋で温泉を楽しめます。 お湯は少なくとも42℃以上はありそうな熱いもので、泉質は鉄っぽいものでした(温泉に詳しくないので語彙が貧弱。)。

翌日に続きます。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

*1:参考文献[1] 第8章 ライフサイクルからローマ社会を見る p.284「五世紀ころまでにはキリスト教の影響で土葬が一般的となるが、それ以前は土葬と火葬が併存していたようである。」

*2:さも「番号を探したのでスムーズに乗れた」かのように書いていますが、私が上の乗り場案内の存在に気付いたのは翌日なので、このときは実際は乗り場を訊いて乗りました。