世界史ときどき語学のち旅

歴史と言語を予習して旅に出る記録。西安からイスタンブールまで陸路で旅したい。

中国 シルクロード 河西回廊の旅 + 西安の旅の予習・復習に読んだ歴史の本のメモ

2023年9月の西安から河西回廊の旅と、12月の西安の旅にあたり、予習・復習として歴史の本をいくつか読んだので、メモとして残しておきます。

なお、私は政治史(もっと具体的には、王位継承や、王朝の転変や、戦役など)への興味が薄くて、もっと時間スケールの長いゆっくりと変化する歴史(環境史、技術史、経済史、文化史などなど)のほうに興味があります。ということで、ここで取り上げる本や感想は偏っているかと思うので、ご注意ください。

河西回廊の旅のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

世界史全般

まずは概要ということで、以下の本のうち中国史の部分を読みました。

それぞれの本の詳細については、以前トルコ旅行の予習にあたって

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

に書きました。

国史

昭和堂「概説 中国史」上・下

www.showado-kyoto.jp

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X(twitter)等で最近の概説書として評判が良いようなので、読んでみました。

先秦から現代までだいたいどの時代区分もおおむね同程度の分量でバランスよく扱われています。各章は政治史を基本にしつつ経済や文化にも目配りしているかと思います(ただ、比重や章の中での配置は、章によって若干の違いがあったと思います。) なお、章によっては記述のスタイルが異なるものもありました。(e.g.)先秦の章は先行研究や発掘報告などを引用して論じていく形。

また、巻末の「中国史研究の手引き」には史料の探し方や事典の使い方などが丁寧に述べられており、大学で歴史学の訓練を受けたことがない身としては大変興味深かったです。

白状すると宮中の権謀術数や権力闘争の話は、流し読みした部分も多いです(政治史に興味が薄いので。)。逆に経済史や文化史への興味が強いので、このあたりはメモをとりつつ読みました。 気になったことがいろいろある(九章算術の中身見てみたいなーとか、序章で漢文はエリートのものという記述がある一方で庶民を含む様々な社会階層の人々が碑を立てた話もあってじゃあ実際どの程度の人々が碑文を読めたのかなー、とか)ので、ここを起点にいろいろと読んでみたい+現地で見てみたいです。

「唐 東ユーラシアの大帝国」中公新書

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唐の通史の本です。 西安郊外の唐代の皇族の陵を訪れるので、唐代の歴史をさらうために読みました。

副題「東ユーラシアの大帝国」が示唆する通り、ユーラシア史の観点、特に遊牧民の文化が唐にどのように影響を与えていたか、という視点からの叙述になっています(特に王朝成立期)。 内容としては、政治史に主眼が置かれています。戦役や宮中の権謀術数、権力闘争など目白押しです。対して、経済や文化など、より長い時間スケールについての記述は少なかったです。

国史の枠に収まらない唐の姿を提示するという点では興味深いのですが、やや牽強付会の感が否めない記述も気になりました*1。 また、政治史への興味が薄い私のような読者にはあまり向かない本だったかと思います。

「古代中国の24時間」中公新書

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主に秦漢時代を扱い、その時代での日常史を24時間の時間の流れに沿って描き出した本です。事件史よりも、日常生活/文化/経済など、ゆっくりと変化する歴史に興味がある身としては、とても楽しく読めました。

朝から夜までをたどる構成にはなっていますが、時系列で誰かの生活が描かれている、というわけでは必ずしもないかと思います。どちらかというと、「24時間をいくつかの時間帯(=本の章)に分け、その時間帯に出てくる活動を主なトピックとして、その章で論じる」という構成に近いと感じました。(e.g.)朝食を食べる時間帯の章で、当時の食事情が語られている。

個人的には、膨大な注で出典が明記されている点が嬉しかったです。と言っても、素人ゆえ一次文献までたどることは難しいのですが、どのような文献が出典になっているかを眺めるだけでも興味深かったです。 出典は簡牘史料や考古学の成果もありますが、大半が伝世文献です。

伝世文献について、たとえ日常生活を主題にした文献でなくても、日常についての記述が断片的にあり、それらを拾い集めて利用することができる、という点に驚きました。(e.g.史記漢書のような史書や、詩経や玉台新詠のような詩集、さらには韓非子なども。)これは著者もプロローグでも触れていました「幸か不幸か、中国古代史の史料はそれほど多くなく(中略)まともな研究者なら一〇年間もかければ読みとおせる量である。」「著者は、じっさいに一〇年間ほどにわたって、漢文を毎日少しずつ読み、日常に関する記述をみつけては、そこに付箋をつけてゆく作業をつづけた。」

河西回廊あたりについて

敦煌歴史文化絵巻」シリーズ

www.toho-shoten.co.jp

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甘肃教育出版社の「走进敦煌丛书」シリーズのうちの一部を訳出したシリーズです(「敦煌の飲食文化」の日本語版あとがきより。)。東方書店のwebページで「走进敦煌丛书」で検索すると、中国語の原書は他に8冊はあるようです*2

敦煌の民族と東西交流」と「敦煌の飲食文化」は、敦煌文書や敦煌莫高窟の壁画などの史料から、かつての敦煌の姿を描き出そうとした本です。史料からの引用もされ*3、カラー図版も豊富に掲載されています。 ただ、どちらも若干記述が淡々としており読み進めるのに少し集中力が必要だったため、どちらも通読はしていません(興味のある章のみを選んで読みました。)。 また、図版や写真が若干粗くて見にくいように感じられました。

  • 敦煌の民族と東西交流」
    • こちらは敦煌近辺の諸民族の政治史について主に述べた本と言えると思います。
    • 月氏と漢から始まり、唐や吐蕃を経て、おおよそ10世紀頃までの敦煌の歴史が語られます。西夏以降については記述がありませんでした。
    • p.176に「中国の経済や文化の重心も南に移り、海のシルクロードが盛んになり、しだいに陸のシルクロードが本来もっていた役割に取って代わっていったことによって、敦煌は徐々に東西文化交流の中に占めていた重要な地位を失っていったのである。」との記述もあり、またそもそも敦煌文書の年代が西夏より後のものは少なかったはずなので、まあそれはそう。
  • 敦煌の飲食文化」
    • タイトルの通り、食材から料理/調理法、食器に食事の作法まで、飲食について広く語った本です。
    • この手の日常文化史に興味がある評者にとってはとても興味深い話題が多かったです。たとえば、(遊牧民の影響を受けたからか)肉としては羊肉が最も多く消費されたり(p.10)、食事でフォークのようなものが用いられていたり(p.59)、酢が盛んに醸造/消費されていたので敦煌では酸っぱい味の料理が多かったのではないか(p.16, p.215)、などなど。ただ、あくまで寺院や帰義軍の文書が主要史料になっているようで、庶民の食生活についても成り立つかは留保がつくかと思います*4
    • また、当時の飲食文化そのものを主題とした史料が残っているわけではないようで、様々な史料から飲食文化を復元していく様子が垣間見られて興味深かったです*5。たとえば、寺院の農園経営や出納の記録(饗宴で消費した食材、労働者に配給された穀物など)を読み解くことにより、往時の敦煌でどのような食材が生産/消費されていたか、どのような食材からどのような料理が作られていたか、細かいところでは1枚の餅(bing3)を作るためにどの程度の量の小麦が用いられたか、などの情報が得られています。また、敦煌ではないのですが、嘉峪関の魏晋墓磚画の図面が数多く使われており、調理や食事の風景が鮮明な絵として残っている点に強く興味を惹かれました。

対して、「よみがえる古文書」は敦煌文書そのものの入門書になっており、敦煌文書の概要や、それらの意義を解説しています。歴史の本を読んでいると「なぜそれが分かるのか?」という推論過程がつい気になってしまう性分なので、推論の出発点としての史料そのものを知ることができて個人的にはかなり楽しかったです。個人的にはこの3冊で一番面白かったです。

  • 最初の1章で敦煌文書の概要をおさえてくれているので、全体像をつかめてよかったです。(e.g.) 90%は仏教経典であるが、残り10%にも多種多様な文書が含まれる(p.2)*6。唐後期から五代・北宋のものが多いが最古のものは4世紀終わり頃までさかのぼる(p.2)。などなど。
  • 2章では、敦煌文書の発見と流出の過程、そして現在の所蔵状況を概観します。
  • ここまでは30ページくらいですが、その次の3章「敦煌遺書の内容および価値」が約150ページあり、この本の大半を占めています。内容としては、文献をジャンル別*7に分け、それぞれのジャンルでどのような文献が見つかっており、それらにどのような意義があるかを述べています。たとえば、
    • (1)敦煌文書の文献は古い時代の写本なので、伝世文献の校勘に役立つ、
    • (2)今は散逸してしまった書物や、当時実用に供されていた文書類から、史書などからはうかがい知れない往時の様子についての示唆が得られる、などです。
  • 個人的に特に興味深かったのは、民間互助組織「社邑」(または「社」)の文書類です(p.82~p.91)。社の規定と名簿(「社条」)、社の回覧板(「社司転貼」)、社の帳簿(「社歴」)などが残されていて、たとえば、社条の中には「構成員の家族や構成員が死亡した場合に、他の構成員が食料などを持ち寄って葬儀の酒食の準備をすること」などと定められたものがあるとのことでした(p.85)。史書にはなかなか現れない民間社会の様子が垣間見られて面白かったです。また、古代ローマでも民間の葬儀組合が存在した話を聞いた記憶があるので、これらの類似性も気になりました。

トピック別いろいろ

木簡・竹簡(簡牘)についての本いろいろ

9月の旅で甘粛省博物館や武威市博物館などで漢代の木簡をいろいろと見て興味を持ったので、帰国後に木簡・竹簡についての本を何冊か読みました。 詳細は別の記事として、以下にまとめました。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

中国書道についての本いろいろ

12月の旅では西安碑林博物館に行くので、予習として中国書道の本などを読んでいきました。

※別記事に書きます。

「中国青銅器入門 太古の奇想と超絶技巧 」とんぼの本

www.shinchosha.co.jp

12月の旅で宝鶏青銅器博物館に行くので、青銅器の本を読みました。

著者自身が述べている通り、「とんぼの本」らしく豊富なカラー写真を掲載しており、この分野に馴染がない読者にとってもとっつきやすい本だと思います。 特に、イラストで青銅器の代表的な器形を一覧として示したページがありがたかったです。

主な章立ては、鑑賞の切り口別に分けられ、「器種」「文様」「銘文」の3つの章からなっています。また、最後に鑑賞史についての短い章もありました。 3つの章の並びは、巨視的な視点から微視的な視点への順番になっているようで、少しずつ詳細に踏み込んでいくようで読みやすかったと思います。

銘文についての章では釈文と現代語訳が掲載されており、何が書かれているかを知ることができます。 また、牧野の戦いについての記述を例に、文献史料と出土史料の整合性を確認して史実を検証していく手法の話も述べられていました。 個人的には、青銅器の美術品としての側面よりも史料としての側面に興味があったので、これは嬉しかったです。

「中国の城郭都市 殷周から明清まで」

www.chikumashobo.co.jp

注 : リンク先は筑摩書房のものですが、私が読んだのは中公新書版です。

12月の旅では西安の旧市街(城壁で囲まれている)をぶらぶらするので、城郭都市の話が気になって読んでみました。

新石器時代から清までの中国の城郭都市について、時代に沿って論じた本です。 章立ては「秦漢時代の城郭都市」「魏晋南北朝時代の城郭都市」など、時代ごとに区切られています。 扱う城郭は皇帝の住まう都城だけでなく、地方の群城/県城なども含まれています。 あとがきでも述べられている通り、著者の専門などの要因で、唐宋以前が詳しく、元代以降はかなり簡潔。

個別具体の城郭都市についての言及(発掘成果などに基づく壁の長さ、高さなどや、城郭都市の平面図など)はかなりの分量を占めていたと思います。 ただ、正直に言うと、これら個別の例の部分はかなり読み飛ばしました。。。

個人的にはむしろ、一般論に近い部分(城郭都市の発展の歴史や、城郭の防御方法など)に興味を惹かれました。宋代の経済発展に伴う城郭都市の変容や、戦国の「墨子」唐代の「通典」宋代の「武経総要」などの文献とそれらから分かることの紹介や、宋代の都市を表した当時の石刻地図(「蘇州平江府図」「桂州静江府城池図」)が残っていることなどなど。

なお、現存する西安城壁は主に明代のもので、この本でも「明清時代の城郭都市」の章である程度詳しく解説されていました。

*1:たとえば、p.30の「李淵の娘が軍の先頭にたって参戦したのは、遊牧社会の気風を反映したものとみなせる。」。この文の最後に「かもしれない」という一言があるだけでも違和感は薄まるのですが。。。

*2:これで全部かどうかは分かりません。

*3:基本は翻訳されたものが掲載されています。一部には、翻訳と元史料の記述が併記されています。

*4:p.10に、(敦煌でどの動物の肉が食されているか、という文脈で)次のような記述がありました。「豚肉や鶏肉については記載がないが、敦煌で豚や鶏が飼育されていなかったということを意味するわけではない。蔵経洞から出土した社会経済文書の多くが寺院や帰義軍の官署のものであるためであり、民間で飼育される家畜及び家禽の状況についてすべてを反映してはいないからである。」

*5:このへんは「古代中国の24時間」にも近いのですが、「どういう情報から何が分かるか」という過程に興味があります。

*6:政治・軍事・経済から、地理・社会・民族・言語、数学・天文・暦法、はては音楽・舞踏・体育まで

*7:宗教文献、歴史地理文書、社会史文書、俗文学文献、科学技術文献、四部書(古典籍)。

2023年 河西回廊の旅 9日目 : 敦煌観光(莫高窟など)と蘭州への移動

2023年シルクロード河西回廊の旅9日目(2023-09-22)の記録です。この日は主に敦煌莫高窟を観光しました。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食と移動

この日は時間に余裕があったので、朝食はまったりとホテルでビュッフェ。

食後、敦煌莫高窟数字展示中心にタクシーで向かいます(ホテルのスタッフ曰くバスはないそう。)。

莫高窟

見学手順は少しややこしいので、別記事にメモとしてまとめました amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

石窟

石窟は公式ガイドを伴って見学します。石窟内は撮影禁止なので写真はありませんが、ガイドさんから聞いた話などは以下の通り :

  • 壁画の鮮やかな青は、主にラピスラズリで描かれたものとのこと*1
  • 石窟と壁画は唐代のものが主。ただし、塑像は後に修復を受けたものが多い。前室の壁は北宋のものが多い。
  • 前室の壁画には寄進者の姿が描かれたり、名前が書かれていたりもする。宋代の寄進者と元代の寄進者とが描かれたところでは、服装の違いが印象的。特に帽子とか。
  • 壁画には、描かれた場面や佛の名前が書き込まれているものも多く、何が描かれているかを同定する際に役立つ。
  • 南北朝時代の石窟の壁画には、山海経の怪物や西王母(鳳凰の上に乗った輿)などが描かれている。また、飛天も筋骨隆々とした男の姿で描かれている。これらは、唐代のものとは様式が異なる。

博物館

敷地内にはいくつか博物館や展示がありました。

藏经洞陈列馆

「藏经洞陈列馆」はチケット確認されるエリアの中にあり、ガイドさんに頼んだら見学ルートに組み入れてもらえました。 敦煌文献がテーマで、展示は主にパネルとレプリカです*2。でもレプリカでも面白い。

たとえば、これは唐代の九九表のようです(もちろんレプリカ)。 本で読んで存在は知っていたのですが*3、どういう形式で書かれているかはきちんと知らなかったので、実際に(レプリカですが)眺めてみると興味深かったです。

こちらは「敦煌文献には、いろんな文字で書かれたものがあるよ」というパネル(もちろん、比率としては少ないとは思いますが。)。 言語や文字が好きな人間としては気になる。

美術館

こちらはチケット確認があるエリアの外なので、ガイドツアー解散後に自由に見学できます。

石窟の形の解説や、

壁画のレプリカなどがあります。こちらは撮影自由。

往時の日常生活が垣間見られる絵を集めた展示もありました*4

敦煌石窟文物保护研究陈列中心

こちらもチケット確認エリアの外。

パスパ文字! 他にも、西夏文字モンゴル文字、シリア文字などの文献もありました。 いずれも西夏時代以後のもの。

塑像の作り方の解説。 ちなみに敦煌石窟の仏像が彫刻ではなく塑像なのは、ここの石が彫刻に向かない材質のためだそうです*5

石窟の実物大(たぶん)レプリカもあり、中に入ることもできたのですが、写真撮影禁止でした。

移動

一通り見学し終えて、敦煌莫高窟数字展示中心(市街地から遠い場所ですが、タクシーが何台か止まっていました)からタクシーで市街地の敦煌博物館に向かいました。

お昼を食べそびれたので、日本から持って行った羊羹で済ませました。 たぶん莫高窟のレストランで食べておけばよかったと思います。

敦煌博物館

予約無しで行きました。 入り口では紙のチケットは出せなかったので、出口の方でパスポートを見せて紙のチケットを入手しました。ついでに荷物もここに預けておきました。

このときは体調がいまいちでざっとしか見れなかったのですが、それでも面白く感じられるものがいくつもありました。

漢代の品々いろいろ。右端のものは石臼だそうです。 穀物を粉にひいた後、どう調理して食べていたのか気になります。

靴底。音声ガイドによると、麻と綿が使われてるそうで、文献上の記載よりも綿の利用が早かったことがわかった、とのことです。 こういう、「伝世文献と出土品を突き合わせて歴史を明らかにする」話が好き。

魏晋南北朝時代の墓から出土した画像磚。嘉峪関で見学した墓のものと似ています。 こういう日常風景が描かれたものには一段と興味を惹かれます。

他、仏像などもあったと思うのですが、仏像は莫高窟でお腹いっぱいだったのでスキップしました。

夕食

タクシー移動。

夕食は再び羊串。嘉峪関で行ったときと同じ系列のお店にしました。

ちょっとおなかの調子がいまいちだったのと、この後夜行列車に乗るので、辛さ控え目にしていただきました。

夜行列車で移動

駅まで

夜行列車*6に乗って蘭州方面に移動するため、駅までタクシーで向かいます。 このとき乗ったタクシーの運転手は若い方でアニメの話題を振られたのですが、「実はアニメほとんど観ない」と返したら、「え、せっかく日本に住んでるのに!?」と驚かれました。 あと、好きなアニメのタイトルで"mingren"と言われて最初わからなかったのですが、どうもナルトのようです。ググってみたところ、どうも「鸣人」と書くよう。

夜行列車

駅には早く着いたのですが、歯磨きしたり水を買ったりしたらちょうどよいくらいの時間になりました。

いよいよ乗車!

日本だとなかなか寝台列車に乗る機会はないので、思わずワクワクしてしまいました。

今回は軟臥と呼ばれる席を予約しておきました。4人1室のコンパートメントです。

ここでちょっと面白い話が。同室のお姉さまに「昨日、玉門関、陽関、鳴砂山にいなかった?」と聞かれて、前日の行程がほぼ一致していることが判明しました。 私は気が付かなかったのですが、全観光地で遭遇していたようです。 ちなみにこの方は玉門関→陽関→雅丹→鳴砂山となかなかの強行軍だったそうです(雅丹はかなり遠いので。。。)。 聞けば、音楽関係の出版社に勤めていて出張で敦煌に来て、仕事の前日に観光を詰め込んだとのことです。行動力がすごい。

また、同室のおじいさんからは「日本では股引*7履かないって聞いたけど、本当? 寒くないの???」と聞かれたので、「中国北部に比べるとそんなに寒くないですよ~」と返したり。 言われてみると確かに、東京近辺だと履かなさそう。

軟臥は特に消灯時間は決まっていなくて、各部屋で自由に消灯して良いとのことでした。

乗車時間はだいたい11時間。 多少揺れますが、横になれるので夜行バスと比べるとはるかに快適に過ごせました。

翌日に続きます。

amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

*1:ただし、参考文献[1]p.62~p.63によると、青色の顔料の全てがラピスラズリというわけではないようです。

*2:実物の大半は国外にあるので、それはそう。

*3:参考文献[2]p.124~p.125

*4:参考文献[3]では、敦煌の食文化を論じるにあたってこのような壁画も史料として利用していました。

*5:参考文献[1]p.53「敦煌莫高窟がある崖壁は、コンクリートの荒打ちのような「第四期玉門系礫岩層」に属し、砂岩や石灰岩のようには彫刻には適さない。そこで尊像は、木芯あるいは石胎の彩色塑像が作られた。塑像は、河西一帯の石窟に共通する技法といえる。」

*6:国鉄路 Y669 敦煌 20:35 → 翌日7:25 蘭州西

*7:確か"衬裤"と言っていた気がする...?

2023年 河西回廊の旅 8日目 : 敦煌観光

2023年シルクロード河西回廊の旅8日目(2023-09-21)の記録です。この日は主に敦煌郊外の玉門関と陽関を観光しました(と鳴砂山・月牙泉も少し)。 茫漠とした大地に漢代の遺跡がぽつぽつと残る様には寂寥感を覚える一方、これらの遺跡で数々の木簡が発見され往時の人々の姿を生き生きと伝えている*1と思うと、知的好奇心が大いに刺激される場所でもありました。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食

この日は敦煌の市街地からタクシーをチャーターして敦煌郊外を観光します*2。 出発が朝8時で、ホテルの朝食だと間に合わないので、近くのお店でさくっといただきました。

鶏湯麺と呼ばれる麺らしい。やや赤いですが辛味はなく(たぶんトマト?)、具としてはキノコのような食感のものが入っていました。 中国では朝から麺を食べる機会はそこそこあるけど、炊いたご飯を朝に食べることはあまりない気がする...? 14元でした。

移動

迎えに来たタクシーに乗り、いよいよスタート!

と言いつつ、最初にガソリン(ガス?)スタンドで燃料補給です。 給油時は私は車から降ろされ、少し離れたところで待つように言われました。たぶん安全のため...?

市街地を出て少し走るだけで、良い眺め。写真中央左の構造物は漢代ののろし台と説明された記憶があります。

しばらく走ると、茫漠とした大地が広がる景色を見ることができました。

ずっと砂だけの景色が広がっているわけではなく、ちらほら緑が広がるところもありました。 運転手さん曰く地下水があるかないかの違いだそうです。 あと、南大湖、火烧湖と呼ばれる湖が近くにあるらしい。

だいたい1時間半近く走って、玉門関に到着しました。

玉門関

概要など

  • 玉門関の観光地はいくつかの見どころからなります(上図参照) : 博物館、大方盤城、長城、小方盤城。(このうち小方盤城が本来の意味での玉門関だったはず。)それぞれの見どころ間はそこそこ距離があり、シャトルバスが出ています。(後述。)
  • 入場チケットは、パスポートを見せて紙のチケットを買いました。バスチケットはWeChatのミニプログラムで購入して、QRコードを見せて乗車する方式でした*3。入場とバス、合計で90元だったと思います。
  • 音声ガイドもあります。(英語のもあるみたいです。)wechatのミニプログラムで決済→QRコードを見せて受け取り→退出時にQRコードをもう一度見せるとデポジットが戻ってくる、という流れで利用しました。
  • 見学の流れ : 入場してまず博物館を見学し、博物館を出たところでシャトルバスに乗れます。バスは毎時0, 30分に発車するようです。バスは博物館→大方盤城→長城→博物館の順に回りました(小方盤城は博物館から歩いてすぐです。)。大方盤城と長城のところでそれぞれ約30分と約20分停車し、その間に見学しました*4
  • ゆっくりと見て、だいたい3時間近く滞在しました。(これは長い方だと思います。)

博物館

こちらの模型は玉門関を俯瞰できてうれしい。 音声ガイドによると、川の流れを利用して穀物などを運び、大方盤城に貯蔵していたそうです。

漢代の箸! それも副葬品などではなく、長城ののろし台で実際に兵士たちが使っていたものだろうと思うと、一見地味ですが、興味を惹きます。 現地の木で作ったのかなー、とか、これで何を食べてたのかなー、など気になる。

大方盤城

博物館をざっと見て、シャトルバスで大方盤城に移動します。

短い移動でしたが、 砂ばかりの場所もあれば、 緑豊かな場所もあり、と変化に富んでいました。

だいたい15分ほどの移動で到着。バスはここで約30分停車します。

で、お目当ての大方盤城(または河倉城)はこちら

高さもあり、意外と大きく感じました。 現地の解説パネルによると、東西約135m、南北約18m、現在残る壁の最大の高さは約6.7mとのこと。 創建は前漢時代で、兵士たちのための食料や衣類などの備品を保管する倉庫だったとのことです。 参考文献[1]で、確か「兵士たちが穀物を受け取りに行き、確かに受け取った」旨を記録した木簡が登場した記憶がある*5のですが、ここまで取りに来たのかなーと想像が膨らみます。

壁にはしましま模様が見えますが、おそらく版築で作った痕跡でしょうか。

ぐるっと周りを一周することができます。これは裏側から見たところ。 壁に開いている穴、建築当初に開けられたものなのか、後から浸食で空いたものなのか気になります。 建築当初に開けられたものの場合、下側にある穴は出入口だと思うのですが、上にあるのは窓だったのかな。

反対側に目を転じると、緑が広がる様子が見えます。 さきほど博物館の模型で見た川でしょうか。

大方盤城の近くにも植物は生えていて、このトゲトゲした植物が目立ちました。

長城

来たバスに乗ると、そのまま長城跡まで行ってくれました。 約20分の移動で、こちらでは停車時間は約20分。

さて、万里の長城と言えば北京近郊のものや2日前に訪れた嘉峪関のものが有名です。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

が、それらは明代に作られたもの。対して、こちらの敦煌玉門関の長城跡は、なんと漢代に造られたもの。

近づいてみると、土でできた部分の間に草が挟まっていることがよくわかります。 本来はこんなにしましまが目立つ構造だったわけではなく、土の部分だけ侵食が進み、しましま状に残っているとのことでした(音声ガイド)。

明代の長城だと草を挟む作り方はしていなかったと思うのですが、なぜ違いがあるのか気になります。

こちらは長城に隣接して設けられたのろし台の1つ。ぱっと見た感じ、レンガのようなものが使われているように見えます。

小方盤城

再びバスに乗り、博物館に戻ります。博物館から歩いてすぐのところに小方盤城があります。 確か、これこそが「玉門関」という「関」の本体だったはず。

旗やら太鼓やらで漢代の軍隊っぽい雰囲気を醸し出してる...? (あと、大音量で音楽が流れてました。)

こちらが小方盤城。解説パネルによると、現存する漢代の遺構の中でも保存状態が最も良いものの1つとのこと。

裏側。

なんと中に入ることができます。

解説パネルによると版築工法で建てられたとのことで、壁のしましま模様を見ると納得感があります。

関を出たところには展望台があります。 北を眺めると、水の流れ(たぶん疏勒河)とその周囲に緑が生い茂る景色を望むことができ、乾燥地域における河川の重要性を感じました。

ただ、移動中にタクシーの運転手さんに聞いた話では、10年前はこんなに乾燥していなくて、もっと緑が多かったとのことです。 また、さらに漢代まで遡ると、漢代のこの地はオアシスがつらなり、今ほどの不毛の地ではなかったようです*6。 このへんの話、どうやって過去の気候を推測するのかとか、どういう要因で乾燥化が進んでるのかなど興味が出ました。

植物と言えば、このあたりの乾燥地に生える代表的な植物を音声ガイドで紹介していたのでメモ*7:

  • 红柳(hongliu) : 地下30m近くまで根を伸ばすこともあるとか。薬効あり。
  • 罗布麻(luobuma)
  • 甘草(gancao)
  • 芦苇(luwei)
  • 骆驼刺(luotuoci) : とげとげがついてる草。ラクダが好んで食べると言っていた気がする...?

昼食

玉門関から、陽関の近くまで移動します。

道中、道に砂が堆積しているところを見かけて、運転手がスピードを落として通過する一幕がありました。 曰く、乗り上げると滑るらしいです。 強い風が吹く時期は、こうやってところどころ道路に砂が積もり、移動に支障が出ることがあるそうです。

周りは乾燥した土地が広がる中、ここは緑豊かで、オアシスの街という趣を感じました。

道路脇を透明度の高い水が流れていました。運転手さん曰く、山からの雪解け水とのこと。

ブドウ棚の下でお昼をいただきます。日光を遮れるので嬉しい。 この後運転手さんに聞いたのですが、中国西北部では夏は日差しが強すぎるので、日が落ちてから人々が街に繰り出すとのことでした。 武威の広場も夜の方がやたらと賑わってたもんなー、と納得しました。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

ブドウのサービスあり。さすがに1人では食べきれなかったので、運転手さんと山分けしました。

あまり1人客は想定していないお店っぽくて、量が多い。64元。観光地価格かな...?

陽関

  • パスポートを見せて紙のチケットを買いました。お代は60元。(入場料と電動カートの料金の合計だったと思います。)
  • 敷地内には博物館もあります。
  • なお、古い建物はほとんどなく、漢代の烽火台の跡があるのみのようです(基本は現代の再建)。ただ、狼煙台のあたりから眺める景色はとても良かったです。
  • 約2時間滞在しました。

博物館

博物館の展示。主に漢代の敦煌近辺が主題になっていたと思います。

ちょっと気になったのがこちらの莚(?)。 漢代にはまだ「食事の際に椅子に座る」という習慣は一般的ではなかったはず*8なので、食事の際に床や地面などに敷いていたのかな、と想像されました。 にしても、植物繊維製のものがよく残っててすごい。。。(さすが乾燥した地域)。

ここまでいくつかの博物館を周って既知の内容も多かったので、詳細は略。

のろし台跡

博物館を出て当時の様子を再現した建物(現代の再建だし別にいっか、と思って写真はあまり撮っていません。。。)の間をしばらく歩くと、電動カート乗り場に出ます。 のろし台には、このカートに乗って行くことができます。

遊歩道も整備されていますが、それ以外の場所も比較的自由に歩くことができます。 日陰がほとんどないので、暑い時期に行く場合は要注意。熱中症防止の塩飴をひたすら舐めていた記憶があります。

遠くを眺めると、ひたすら荒涼とした大地が広がります。 往時はこれほど乾燥していなかったかもしれないですが、とはいえ自動車もない時代にこんな土地を進むのはさぞ大変だったろうなと想像されました。

他グループのガイドの解説を横から聞いたところ、見えるのはタクラマカン砂漠方面だとか*9

移動

一通り観光し終わったので、敦煌市街地に戻ります。

道中、写真は撮りそびれたのですが、観光スポットなどについていろいろと教えてもらいました。

  • 道中で狼煙台跡をちょくちょく見かけました。
  • 中合作の映画「敦煌」の撮影のために造られた「敦煌古城」なる場所があるそうです。
  • 中国各地の古建築や文化財などを再現したスポット(もともとは映画撮影のために造られたとか)があるらしいです。若者には人気の観光地とのこと。たぶんこれのこと...?
  • 何やらまぶしく光る塔があると思ったら、タワー式の太陽熱発電所と教えてもらいました。溶融塩を利用しているとのこと(詳細は理解していません。)。曰く、世界第2位の規模らしい。

さて、敦煌市街地が近づいてきた時点でまだ17時前と時間に余裕があった*10ので、鳴砂山・月牙泉まで送って行ってもらうことにしました*11

鳴砂山・月牙泉

ゲートはいくつかありますが、私は北側のゲートを使いました(たぶんこれが一番メジャーだと思います。)

上の写真の「游客中心」と書かれた建物の窓口でパスポートを見せてチケットを買いました。お代は110元。チケットは購入から3日間有効とのこと。

ゲート外には貸衣装屋がたくさんあります。 コスプレ(?)で自撮りに興じる人がたくさんいました。日本ではあまり見ない文化なので面白い。

靴カバーのレンタルがありました。 ちなみにゲート外でも靴カバーや日焼け防止の帽子などがたくさん売られていました。 私は「まあ靴カバーはなくてもいっか」と思ったのですが、この後山を登って靴の中が砂だらけになりました。

ヘリコプターやモーターグライダーでの遊覧飛行メニュー。一瞬興味が出たのですが、高いのでやめておきました。

暑さで若干疲れたので、ハンバーガー店で夕食にして、ちょっと休憩。

敷地内で見かけた、ラクダ型のごみ箱。

で、本物のラクダにも乗れるのですが、料金は100元かつかなりの待ち行列ができていたので、やめておきました。 課金要素多い。 ちなみに65歳以上などはラクダ乗りは禁止らしいので、乗りたい方はお早めに。

山の上には徒歩でも登れます。 階段や梯子のようなものが用意されてる箇所がいくつかあり、そこから登るのが一般的かと思います。 行列の進みが遅いので途中から階段をそれて登ってみたのですが、足元が沈んでかなりきついです。まだ雪山登山の方が楽。。。

上から月牙泉を眺めたところ。

反対側にも見事な砂山が広がります。 ちなみにこのへんではバギーにも乗れるようです。 課金要素多いな(2回目)。

しばらくここで景色を眺めていたのですが、どうやら日が沈む頃からショーがあるとのことで、混雑する前に降りることにしました。

降りながら行列を横から見たところ。 下りは(砂が靴に入るのを気にしなければ)楽なので、上りの行列の横を涼しい顔をして下ります。

歩道でラクダのコースがたまに交わるのですが、信号機が設けられていました。

マークもきちんとラクダ。 ただ、ほとんど守られてなかったですね。 原則ラクダ優先でした。

タクシーに乗ってホテルに戻りました。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

*1:参考文献[1]参照。ただし、敦煌漢簡だけではなく、居延漢簡も利用しています(p.9, p.14など参照)。

*2:タクシーチャーターは前日に駅からタクシーを乗ったときにお願いしておきました。

*3:WeChat Payがロックされていたのですが、この前日にロックが解除されたので無事に買えました。

*4:なお、ゆっくり見たかったら自分が乗ってきたバスを見送り、その次の便のバスを待っても良い気もします。

*5:執筆辞典で当該書籍が手元にないため、きちんと確認できていません。

*6:参考文献[1]p.216「ハラ=ホトや楼蘭など、生命のかけらもない沙漠の遺跡を目にしたときに、私たちは驚きとともに「なぜこんな厳しい環境の中に住んだのか」との疑問を口にする。だが、その答えは実に簡単、「当時の環境が今日ほど過酷ではなかったから」である。」

*7:音声ガイドで聞いたのでピンインはたぶんあってるけど、漢字は適当に変換して出てきたもの。興味が出たら後で詳しく調べたいです。

*8:参考文献[2]p.136(普段の食事ではなく宴席の文脈ですが)「食事をする者は地面にじかに座るか、四角い低い台に腰かけた。少なくとも南北朝時代まではこのようなスタイルで食事をしていた。」

*9:この写真の方向とは別の方向だった気がしますが。

*10:中国は全土を北京時間で統一しているので、北京よりだいぶ西にある敦煌ではこの時期は日没が20時頃と遅い。

*11:もともとはかなり混むらしいし行かなくても良いかなー、と思っていた。

敦煌莫高窟の見学手順のメモ(2023年9月版)

2023年9月のシルバーウィークに西安から敦煌を旅しました。 このとき、敦煌莫高窟を訪れたのですが、見学手順が少しややこしいので、実際に体験した手順をメモしておきます。

なお、夏休みや5/1連休、10/1連休、春節などの連休シーズン、また逆にオフシーズンの場合は勝手が違う可能性があります。

このときの旅全体のまとめはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

莫高窟数字展示中心へ移動

いきなり大事な話 : 莫高窟に直接行っても見学できません。 莫高窟数字展示中心でチケットを購入する必要があります。

数字展示中心は市街地から少し離れています(敦煌駅の方面にある)。 ホテルのスタッフ曰く路線バスでは行けないそうなので、タクシーで移動しました。

チケット購入

上の写真が敦煌莫高窟数字展示中心の入り口で、左側に進むとチケット売り場があります。

莫高窟の通常のチケットは原則として予約制で、WeChatの公式アカウント「莫高窟参观预约网」から予約可能です*1

ただし、外国語チケットは通常チケットとは別枠の扱いで、こちらは当日でも購入できました。 上の写真の窓口でパスポートを見せて外国語チケット買いたい旨伝えれば買えるようです*2。 代金は258元で通常チケットより高め*3

チケット売り場の人には「外国語のツアーは11:30からか午後からしかない」(このとき10時前)と言われたのですが、入り口のスタッフには「とりあえず並んで、中のスタッフに声をかけて」と言われたので、正常参観の入口から並びました。

動画を見る

まず、館内シアターで敦煌莫高窟の紹介動画を見ます。

動画の音声は中国語ですが、シアターに並ぶ前にスタッフに声をかけて外国語チケットを見せると、英語音声のイヤホンを貸してくれます*4

動画は2本あり、それぞれ違うシアターで上映されます。

  • 1本目は敦煌莫高窟の歴史を解説した動画です。中国の時代劇っぽい再現動画でした。
  • 2本目はドームシアターに場所を移し、莫高窟の仏像や壁画などの美術的側面を紹介する動画を見ました。ドームシアターだけあって没入感があり面白かったです。没入感という意味では、座席は後ろのほうがよさそう。

てっきり2本とも同じシアターで見ると思っていたので、1本目が終わった途端に急いで出ていく人たちを見て不思議に思ったのですが、2本目のシアターで良い席を確保するためだったのかもしれません。

バス移動

動画を見終わったら、専用のバスに乗って莫高窟に移動します。

「同じタイミングでシアターで動画を観た人は全員まとめて移動」のような厳密な管理はされておらず、随時来たバスに乗る方式のようでした。 バスに乗る前にお手洗いに行くのも自由。

乗車時間はだいたい15分くらいだったと思います。

莫高窟ガイドツアー

莫高窟に着いたら、参観入出口と書かれたところに並びます。

ここで再度チケットを確認されます。

莫高窟は自由に見学することはできず、公式ガイドに引率されて見学します。 通常チケットの場合は、並んでる間にいくつかのグループに分けられて、担当のガイドからイヤホンを渡されていました。

ここで「日本語ガイドを探してます」と言ったところ、別の場所で待機し、日本語ガイドの方に案内していただきました*5。 通常チケットの場合は複数人*6のグループで周ることになるのですが、このときは日本語ガイド希望者が他にいなかったので、マンツーマンで周るという非常に贅沢な経験ができました。

いくつもある窟の中から、ガイドさんが選んだ窟を見学しました。 どの窟を見るかは事前に決まっているわけではなさそうで、他のグループが見終わったところや、他に誰も見ていないところなど、観光客が分散するように窟を選んでいるようです*7

なお、窟内はいずれも撮影禁止でした。

博物館について

「藏经洞陈列馆」はチケット確認があるエリア内にありました。ガイドさんに見たいと伝えたら、見学ルートに入れていただけました。(通常チケットのグループで見る場合、ここも必ず見学ルートに含まれているかどうかは分かりません。)

展示内容はいわゆる敦煌文書(または敦煌文献)についてのものでした。 展示物はパネルやレプリカがほとんどですが、敦煌文献についての本を事前に読んでいたので、個人的には興味深かったです。

敦煌石窟文物保护研究陈列中心」はチケット確認があるエリアの外にあり、ガイドツアー解散後に自由に立ち寄ることができました。

チケット確認エリア外に、「美术馆」と「院史陈列馆」もありました。前者は壁画関係の展示がメインでした。後者は私は見ていないです。

「藏经洞陈列馆」「敦煌石窟文物保护研究陈列中心」「美术馆」の展示はいずれも原則として撮影可でした。(ただ、「敦煌石窟文物保护研究陈列中心」の石窟のレプリカは撮影禁止だったと思います。)

バスで戻る

石窟や博物館の見学後、バスに乗って莫高窟数字展示中心に戻り、見学終了です。 バスに乗るタイミングは自由でした。

莫高窟の本体の方には(チケット確認エリア外に)レストランがあったので、タイミングがあえば戻る前にここで昼食にするのも良いかと思います。 なお、莫高窟数字展示中心にも軽食を食べることができるカフェがありました。

*1:事前予約を試みたのですが、登録に中国の携帯電話番号が必要で、私はこのときは中国の携帯電話番号を持っていなかったので予約できませんでした。当日は通常チケットは売り切れていたようです。

*2:私の場合は日本育ちの中国籍で、中国パスポートを見せたら最初は「いや、中国人は通常チケットの対象だし、外国語チケットは売れない。」と言われました。ただ、日本の在留カードを見せて日本在住であることを説明したらOKが出て無事に買えました。

*3:なお、2024-01-02時点でWeChatの公式アカウント「莫高窟参观预约网」を確認したところ、オフシーズンの外国語チケットは160元と大幅に安くなっていました。

*4:ただ、中国語の音声の動画を見ながらイヤホンから英語が流れる、という方式で聞きづらいので、私は結局イヤホンを使わずに中国語音声を聞きました。

*5:ガイドの方はすぐ出てきたのですが、常にこうなのか、それとも運よく日本語ガイドの方がいるタイミングで行けたからかはわからないです。

*6:あんまり真面目に数えていないのですが、たぶん10人くらい?

*7:ガイドさんが次に見学する窟を決める際に少し逡巡するようなそぶりがあったことからの推測です。

2023年 河西回廊の旅 7日目 : 嘉峪関観光と嘉峪関から敦煌への移動

2023年シルクロード河西回廊の旅7日目(2023-09-20)の記録です。 この日は嘉峪関の魏晋南北朝時代の墓を見学し、敦煌に移動します。

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食

前日と同じお店で朝食をいただきました。 肉まんに豆腐脳、あと油条も追加して、合計で8.5元でした。

新城魏晋墓

バスが出ていないので、タクシーのチャーターを前日のうちにお願いしておきました。 乗っている間にタクシーの運転手さんから聞いた話:

  • 嘉峪関市は1960年代頃にできた。鉄鋼業が主産業。
  • ぶどう畑やワイナリーもあり、観光地にもなっている。
  • 雨は少なく、一夏に軽い雨が降る日が数日くらい。
  • 主食は小麦だけど、今は米も食べる。小麦は「拉条」(発音はlatiao。たぶんこの文字?)に加工して食べるのが主流。

市街地から魏晋墓まではだいたい30分近くで着きました。

入場料は31元でした。特に予約せずに行って入れました。 というか、前日の長城関連の観光地に比べると観光客ははるかに少なく、私以外には1グループ3人くらいしか見かけませんでした。

なお、通常は解説員による解説をお願いできるらしいのですが、この日は担当者不在でした。

展示

まずは入場ゲート近くの展示室に。 1室だけの小さな展示です。ちなみに私が来たときは他に誰もいなかったので鍵がかかっていて、警備の方に声をかけて開けていただきました。

様々な副葬品なども展示されているのですが、写真中央の木棺が一番目を惹きました。1000年以上前の木製の棺がきれいにそのまま残っていることに驚きを禁じえません。

複数の木材を組み合わせて棺の形にしている様子が見て取れます。

そして棺の蓋には絵が描かれていました。 絵は湾曲した板のくぼんだ側に描かれていたので、おそらく棺の内側を向いていたものかと思われます。 絵柄は人の上半身と蛇(龍?)の下半身をした姿の何か。古代中国神話に登場する者でしょうか(伏羲や女媧がこの姿で描かれていることが多いと聞いた記憶があります。(要出典。))。

こちらはレンガ。左下のものの模様は鳳凰でしょうか。

なお、墓室の再現模型(たぶんほぼ実物大)もあり、中に入ることもできました。

展示を一通り見たので、墓そのものに向かいます。 展示室からは少し離れていて、私はタクシーに乗せてもらって移動しました。

一見何もない大地が広がりますが、地下には複数の墓があり、写真中央の建物の地下のもの(確か6号墓)は見学することができます。 内部は写真撮影禁止でした。 確か大きな荷物は持ち込めなかったと思います(バックパックはタクシーに置いてきました。)。

壁には絵が描かれたレンガがいくつも(ざっと数えて50~80個くらい?)はめられていました。 絵の内容は農業や家畜の解体、料理や食事など日常風景が多く、史書などからはわからない往時の日常生活を知るための貴重な史料になるのではないかと思います。 参考文献[1]では、敦煌(というよりも広く中国西北部?)の食文化に論じるにあたり、これらの壁画が多数紹介されていました。 また、絵は着色されており、炎や血などを表わすために赤系統の色が用いられているようでした。

写真撮影禁止だったので、壁画の様子については前日の長城博物館の展示などを参照ください。

当時のメモによると :

  • 3つの部屋からなり、それぞれを通路がつなぐ構造になっていました。一番手前部屋は左右にとても小さな耳室がありました。一番奥の部屋以外は壁画が描かれたレンガが多数壁にはめ込まれていました。
  • 一番手前の部屋の壁画には、主に農業の様子や、家畜、屠殺などが描かれていました。
    • 牛耕の様子の絵が3枚くらい。桑の葉をとる様子が2枚(後から来たグループのガイドの話で桑の葉をとっているということを知りました)、豚の屠殺が3枚くらい。屠殺の絵では、豚を乗せた台の下に地を血入れる容器がある様子まで描きこまれています。
    • 家畜は馬、豚、ヤギ?、鶏など。
    • 鳥の毛を抜いている様子や、腊肉らしきものをつるす様子を描いたものもありました。
  • 2番目の部屋は、左右両面に5×5の壁画があり、料理や食事の様子が主に描かれていました。
    • 入って左側面は女主人の生活、右側面は男主人の生活、と描き分けられているようです。
    • 両面とも、フォークのような器具が描かれていました。フォークが壁にかかってるときは何も刺さってないように見えましたが、別の場面では何かが刺さっているように見えます。これが羊串の起源だそうです。「羊串」の図は3枚くらいありました。前日の羊串のお店のナプキンの箱に描かれた図案はこれを基にしたしたもののようです。
    • 壁の両側いずれにも、2本足の鍋のようなもので調理をしている様子も描かれていました。鍋の下のぐるぐるはたぶん火を表している...?
    • 食事の風景と思しき場面では、主人(大きく描かれている)は床に座っており(正座?)、椅子は見当たりませんでした。
    • 右側面の上段は騎馬の図や、笏をもった図など。また、右側面最下段には、尺八のような笛と阮咸のような弦楽器の演奏が描かれていました。

個人的には、前日の長城などの観光地よりも遥かに感動しました。 時間を忘れて見入っていたのですが、警備の人に「あまり長時間いると壁画にも良くないよ」と言われたので出ました(たぶん30分くらいいた気がします。)。 仰る通りなので申し訳ない。。。

写真と解説を載せた本が売られていたので、176元とそこそこのお値段しましたが、思わず買ってしまいました。

昼食

タクシーに乗って市街地に戻ります。タクシーチャーター代は、合計で120元でした。

前日に羊串を食べたばかりなのですが、この日のタクシー運転手さんからも「嘉峪関と言えば羊肉」と言われたので、運転手さんにおすすめのお店を聞いて行ってみました。

店の扉が開いてたので店内に入ったのですが、やたら人が少ないなと思ったら「12時から営業開始だから、座って待っててね」言われました。すみません。。。 12時を回ったころから、平日昼なのに人が次々と入ってきていました。

羊肉も美味しかったのですが、右のモツ(羊肚)はお酢(たぶん)の酸味とニンニクの香りが効いていて、とっても美味しかったです。 羊串と言えばクミンに唐辛子とばかり思っていたのですが、バリエーションがあって良いですね。

野菜も忘れずに。 あとは白米も頼みました。白米はなぜか店の外から運んできて、その場で会計を求められました。どうも違う店のを融通したっぽい...?(結局最後にまとめて会計にしました。)

合計65元でした。

敦煌への移動

昼食も食べたので、この日は後は高速鉄道(D2749便)で敦煌まで移動するだけです。

嘉峪関南駅

路線バスで嘉峪関南駅に移動します。

2日前の記事にも書いた通り駅の周りにはお店はほぼないのですが、待合室内には売店ハンバーガー屋がありました。

ところで中国で見かけるハンバーガー屋は、牛肉のパテよりフライドチキンを挟んだものが多い気がするのですが、気のせいでしょうか?

改札は出発時刻20分くらい前に開始しました。

乗車

この旅で5回目の鉄道移動なので、そろそろ慣れてきました。 なお、このときは嘉峪関南駅から敦煌へ乗り換えなしで行ける便だったのですが、時期によっては見つかりませんでした。 その場合は(1)嘉峪関から鈍行で敦煌に向かう、(2)高速鉄道で柳園南駅まで行きそこからバスで敦煌まで移動する、のいずれかになる気がします(ただし(2)のバスは1時間以上かかったはず。。。)。

この日は平日だったのですが満席のようで、デッキで立つ人などもいました(座席なしの切符が販売されているということ...?)。

ところどころ、巨大な風車の風力発電所が何箇所かあったのが印象に残っています。

まったいらな砂漠が広がるかと思えば、

ところどころ岩っぽいところもあり、意外と変化もありました。

途中から時速150kmくらいと遅めになった気がします*1

敦煌駅から敦煌の市街地まで

さて、敦煌駅に着いたものの、ここからが大変でした。 敦煌駅から敦煌の市街地には距離があるのですが、バスはすぐに満員になって行ってしまいました。しかもこれが最後の便という声も聞こえました。

で、タクシーも次々来るのですが、なかなか捕まりません。 というのも、そもそも乗客の数が多くてタクシーの数が足りないのと、、、タクシー乗り場にタクシー待ちの列ができていたのですが、その列に並ばずにタクシーを乗り場より手前で捕まえる人がたくさんいたためです。。。

「まあ時間に余裕はあるし」と気長に待ち(小心者なのでタクシーを奪えなかっただけという説もある)、他のお客さんと相乗りで乗せてもらいました。市街地中心部のホテルまで25元でした。

乗車中、「翌日は玉門関と陽関に行くつもり」という話をしたら、運転手さんから「チャーターする?」と訊かれたので値段(300元とのこと)を確認してお願いすることにしました。

夕食

ホテルの近くでハンバーガー店を見かけたので、ちょっと趣向を変えてみようかなと思い、夕飯はここで。

バーガーとロールと飲み物のセットで17元でした。 頼んでから気づいたのですが「香辣鸡排」と書いてあり、意外と辛かったです。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

*1:車内の液晶画面に速度が表示されていた記憶があります。

2023年 河西回廊の旅 6日目 : 嘉峪関観光

2023年シルクロード河西回廊の旅6日目(2023-09-19)の記録です。

この日はシャトルバスを利用して、嘉峪関の万里の長城関連の観光地を一通り周りました。 入場料やシャトルバスなどの情報については以下の記事に別途書いたので、詳しくはそちらを参照していただければと思います。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

今回の旅全体のまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

前日の旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

朝食

ホテル内のレストランは休業中のようで、外に探しに行きます。 まだ9月下旬に入ったばかりで、既に朝8時前でしたが、外はなかなか寒かったです(一方で昼間は暑いので、やはり乾燥した地域は一日の温度差が大きいですね。)。

ホテルの近くで「早餐」の看板を出しているお店を見かけたので入ります。

頼んだのは、油条、豆乳、ゆで卵(茶叶蛋)、肉まん。合計で9.5元でした。

サクサクの油条となみなみと注がれた温かい豆乳、「そうそう、中国の朝食と言えばこれだよなー」と感慨深いです*1。 実は今回の旅では油条を食べるのはこれが初。

関城(嘉峪关关城景区)

入場ゲートまで

まずは、路線バスに乗って関城景区に向かいます。 だいたい20分ちょっと乗って終点の関城景区(关城景区)で降り、少し歩けばチケット売り場などがある入り口に到着です(バスは景区の北側に着きますが、入り口は東側にあります。)。

入り口あたりからの写真。 写真左側にチケット売り場があります。 写真右側にはレストランやお土産屋が並んでいます。

レストランやお土産屋の並ぶ区域。写真奥にもさらに伸びています。

私は予約していなかったので、窓口で紙のチケットを購入しました。

入場ゲートはチケット売り場から意外と遠く、しばらく歩いた先にあります(上の写真の中央奥。近くで写真を撮るのを忘れた。。。)。

関城の内部への門まで

チケット確認を終えると、すぐこの景色。 平日なのに多くの人で賑わっていました。

さきほどの写真の門をくぐって少し歩いたところで、音声ガイドがあるということで、借りてみました。 英語もあります(ただしかなり中国訛り)。お値段確か15元。100元くらいのデポジット混みで支払って、後で返金される仕組みでした(このへんのお金のやり取りもすべてAlipayで行いました。)。

番号のボタンは操作する必要はなく、解説対象のスポットに近づくと自動で音声が流れる仕組みでした。 こちらで操作しなくてよいという意味では一見便利なのですが、一方で解説を聞きながら歩こうとするとスポットを離れたと判定されて解説が止まったり、隣の別の解説が流れたりと、制御がしにくくやや不便な気もしました。

楼閣が立ち並ぶ関城の本体部分に向かいます。 ここまで綺麗だと「再建されたものでは?」と思ってしまうのですが、団体さんのガイドの話を聞く限りでは、長城自体は8割方明代のものが残っているそうです。 やはり降水量の少なさのおかげか。 ただし、楼閣は近代の再建も多かったです。

城壁部分を近くで眺める。後日敦煌で見た漢代の長城は、土と草木(?)を交互に重ねた構造だったのに対し、こちらは基本的には土だけでできているそうです(これまたガイドさんの話から。)。

何やらイベントがあるようで、その設営準備が進んでいました。

戯台(劇を演じるための舞台。)。辺境の軍事基地にも戯台があるのは意外に思われたのですが、この戯台は18世紀末の建造だそうなので、そのころには嘉峪関はもう国境地帯ではなかった気もします(うろ覚え)。

こちらは関帝廟。ただし、20世紀末の再建です。 団体客のガイドさんの話を立ち聞きした限りでは、関帝廟があるのは、ここに勤めていたのが武人だったからとか、関帝信仰が盛んな地域の出身者が多かったからだそうです。

関城の内部

いよいよ本体部分の中に入っていきます。 ここ、よく見たら、門の部分だけはレンガが使われているようですね。 下に開口部を設けるから版築がやりにくいのかなーとか、上に楼閣がるから重さを支えるために頑丈なレンガを使ったのかなーなどと思ったのですが、実際のところはどうだったのか気になります。

門をくぐったところ。左側がさきほどの門です。 次の門への動線が直線ではなく、90度曲がる形になっています。 日本の城でも防衛のためにこのような形が用いられて「桝形」と呼ばれていると聞いたことがある(要出典)のですが、こちらも同じ理由でしょうか。 一方が片方に影響を与えたとしたら技術交流の例として興味深いですし、双方が独立に考案したのだとしたら、それも城の防衛の普遍性が感じられて興味深いです。

内部への門をくぐると、城壁の上に登ることもできます。 ちなみに写真左側の斜面は馬道と言って、馬に乗ったまま移動する際に用いられたとのこと(解説パネル情報)。 ただ、馬に乗ったまま昇り降りするにはちょっと急だった気もする...?(馬に乗ったことがないのでわからないですが。)

さきほどの桝形のような形の部分の上に登ったところです。 西から茫漠とした大地を旅してきて、遠くからこの楼閣が見えたらさぞ迫力があっただろうなと想像されました。 ちなみに近くにいた団体客のガイドさんは「これらの立派な楼閣は軍事的な目的というよりは、示威のためのもの」(意訳)と話していました。

親切にフォトスポットの案内もあります。

上の地点から撮影した写真。

楼閣を近くから見たところ。 彩色されており、確かに(仮に当時もこのように彩色されていたのだとしたら)示威のためという用途も尤もかもしれません。

城壁の上はほぼぐるっと一周歩くことができました。

遠くまで伸びる長城。関城だけ見ると点としての観光地ですが、線として伸びる長城を見ると感慨深いものがあります。

左奥はイベントのための仮設ステージ。手前の建物は遊撃将軍府と呼ばれる建物で、軍高官の執務場所だったそうです(今あるものは近代の再建だったと見た気がするのですが、写真が出てこない。。。)

たぶん銃眼。

一方こちらは貫通していないので変だなと思ったのですが、小耳にはさんだガイドさん解説によると、蝋燭などを立てて夜の明かりとするためのくぼみだったそうです。

ここまでだいたい2時間くらい。一通り見て回ったので出口に向かいます。 一番外側の楼閣のあたりから電動カートでショートカットできますが、私は元来た道を戻りました(音声ガイドを返しに行く必要があってたのと、長城博物館に行きたかったので。)。 このへんは詳しくは別記事に載せた景区内の地図参照。

長城博物館

さて、上に書いた通り、出口に向かう途中に嘉峪関長城博物館に寄っていきました。 博物館の公式webページには2022年時点でのお知らせとして事前予約が必要である旨書いてあったのですが、特に予約せずに入れました。 関城のおまけ的なところかなと思ってあまり期待しないで行ったのですが、存外に大きく展示も充実していて良かったです(若干年期が入っている気はしましたが。)。

嘉峪関の長城自体は明代のものですが、こちらの博物館では漢代や唐代など幅広い時代が扱われています。 展示物は兵器や駐屯地の備品のようなものから、河西地域の墓で見つかった副葬品など多種多様でした。

こちらは「転射」と呼ばれる機構の復元模型。 中心の軸のような部分は回転させることができ、軸に開けられた空洞部を通して外の様子を窺ったり、矢を射たりすることができるとのこと。 また、回転させると穴を閉じることもできるそうです。(以上、解説パネルの情報。)

蘭州の甘粛省博物館ではこれの実物(壁に嵌められた木製の部分に対応するもの)が展示されていて「何に使うんだろう?」と不思議に思ったのですが、この復元模型を見て納得しました。 ただ、復元の根拠について、用途の記載が当時の文献にあるのか、はたまた壁にはまったのに近い状況で出土があったのかなどは気になります。

箸や靴などの日常の品々もありました。やはり乾燥した地域はこういうものが良く残るようですね。

木簡いろいろ。 と言ってもこの2つは記録本体としての木簡ではなく、左は「楬(けつ)」という荷札のようなもの*2、右は「検」という封緘に利用される木簡です。 「検」についてはこちらの甘粛省博物館の旅行記に詳しく書きました。

もしかしたら期間限定かもしれないのですが、嘉峪関魏晋墓の画像磚に見る飲食文化というテーマ展示もありました。

何か火を起こして調理しているところでしょうか。

こちらはパネルによると、お酢を濾過しているところとのこと。

羊の屠殺/解体の様子らしい。

旅行前に読んだ本[3]では、往時の食生活を示す史料としてこれらの図が盛んに用いられていました。 政治史というよりは日常生活史に興味がある身としては、非常に興味深いテーマで、見れてよかったです。 実はこの翌日には実際の嘉峪関魏晋墓も見学しました(ただし、そちらは写真撮影禁止。)。

昼食

一通り見学し終わったらだいたいお昼の時間になったので、入り口近くで立ち並ぶ飲食店で昼食をとることにしました。 「正宗兰州牛肉面」みたいな看板を掲げたお店が並んでいるのですが、だいたい観光スポットのお店でこういうのはいまいちなことが多そう...という偏見でチェーンのハンバーガー屋さん(「徳克士」)に入ってみました。 がしかし、若い人がたくさん並んでいたので諦めて、牛肉面のお店に適当に入りました。

オーダーが厨房まで通ってなくてなぜか厨房スタッフが店員にキレるという一幕もありましが、お客が厨房の人をなだめて「ゆっくり待つので急がなくて良いですよ。」と言いつつ「できれば肉多めでお願いします。」とちゃっかり頼んでて笑いました。

味はまあ普通...? お値段は20元でした。

懸壁長壁

シャトルバスに乗って懸壁長壁に移動します。乗り方や料金などについてはこちらの記事に書いたので、気になる方は参照いただければと思います。 とりあえず、関城のチケットで入れます。

名前の通り、すさまじい傾斜の斜面の上を長城が走っています。なお、現在の長城は1980年代に再建されたものです。

上まで登れるのですが、傾斜が急なのでこんな注意書きもありました。

日差しがきつくて暑いですが、せっかく来たので登ります。

登りつつ振り返るとなかなか眺めが良い。

登りきったところあたりからの眺め。 「目の前に広がる大平原からの侵入に備えていたのか」と一瞬思ったのですが、実際はたぶん逆のはずで、今見えているのは長城の「内側」だと思われます。 というのも、長城の狭間胸壁*3は、今見ている方向とは反対側についていたためです(ただし、復元時に間違えていなければ、の話。)

ところどころ石を並べて文字を書いたようなものが見えるのですが、観光客の落書きみたいなものかな...?

帰りは行きとは違ってゆるやかな斜面を下ります(これは下る途中に振り返ったもの)。

一度シャトルバスで関城に戻り、そこからまた別のシャトルバスで第一墩に向かいます。

長城第一墩

墩というのは、のろし台の明代の呼称のことで、ここは明代長城の一番西にあるのろし台だったそうです(解説パネルより)。 こちらも関城のチケットで入れます。

上の写真の門から入り、電動カート(別料金)に乗り、まずは博物館を見に行きました。

博物館は地下にあります。 博物館の展示もいろいろとあるのですが、まずは展示室を抜けて先に向かうと

なんと断崖絶壁からの絶景を眺めることができます。

長城はここで途絶えているようです。 なお、目の前を流れる川は祁連山脈を水源としているようです。 また、川を渡る橋があり、その上からもこの断崖絶壁を眺めることができるそうです。私は行きそびれて、後から気づきました。。。

博物館にはいろいろと解説などがあるのですが、このジオラマが嘉峪関周りの長城関連スポットの位置関係を把握できて一番ありがたかったです。 写真手前が今いる第一墩、中央が関城、奥が懸壁長壁にそれぞれ対応しています。 大雑把に言うと、左側が西で長城の「外側」になるかと思います。

こちらは逆から見たもの。ちょうど山に挟まれた通路のような地を嘉峪関が扼していることが見て取れます。

地上に戻り、第一墩とご対面。

こちらはそのすぐ隣に伸びた長城。北ゲート(入ってきたところ)の方向に伸びています。

近くで見ると、やはり草木は入っていないようです。 ただ、関城の城壁に比べると石が混じっているのが目立つ気もする...?

一通り観光し終えたので、タクシーで市街地に戻りました。17.5元。 翌日行く予定の新城魏晋墓にはバスが出ていないので、ここで翌日のタクシーチャーターをお願いしておきました。

夕食

前日の電車で話した人に「嘉峪関と言えば羊が美味しい」とおすすめされていたので、羊串のお店を高徳地図などで探してこちらのお店に行ってみました。

18時に入店した際にはまだまだ空いていたのですが、食べている間にどんどん客席が埋まり、繁盛していました。 店内に入って思ったのですが、今回の旅でここまで入ったお店では一番きちんとしたところだった気がします。

テーブルの上に置かれた台の上にこのあと羊串が置かれるのですが、なんと内側には蝋燭?がありました。 羊串が冷めないようにということのようでありがたい。

紙ナプキンの箱に描かれているのは、嘉峪関郊外にある新城魏晋墓の壁画のモチーフ。絵の人物が持っているのは羊串と言われています。 ちなみに、新城魏晋墓は翌日見に行きました。

注文はAlipayやwechatのmeituanミニアプリからと言われたのですが、私のmeituanアカウントに問題があって注文できなかったので、店員さんに注文を取っていただきました。

羊肉の串は1ポーション20本(!)でしたが、こちらのお店は半ポーションも可でした。 「半ポーションでも多いかもしれないから、もう半分にできませんか? 料金はそのままで良いので」と相談してみたのですが、「それは申し訳ないし、1本は意外と小さいから食べきれると思いますよ」と言われました。 ということで、羊肉半ポーション10本と羊レバー半ポーション7本、後は野菜炒めと、主食として烤饼を頼みました。 これで65元。

肉もレバーも、臭みもなく柔らかく、味付けも程よい辛さと塩気で美味しかったです。 当初は食べきれるか心配したのですが、美味しくてあっという間にぺろりと食べてしまいました。

テーブルに開いた穴、最初は何かと思ったら、食べ終わった後の串を入れるところでした。うまくできてる。

お店を出るときにはあたりも暗くなっていました。 夏に日が沈んで涼しくなってからテラス席で羊串食べるのも気持ちが良いだろうなーと思いました。 ただ、このときは日が沈むと既に寒いので、テラス席には誰もいませんでした。写真を見返してみたら「天凉请到里面用餐」って書いてありますね。

食後、腹ごなしに少し散歩してホテルに戻りました。

これは散歩中に見つけた、別のお店。

翌日に続きます。 amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

参考文献

  • [1] 大庭脩(2020)「木簡学入門 」志学社 ISBN: 978-4-909868-01-5 (※1984年刊の講談社学術文庫を再刊したもの)
  • [2] 冨谷至(2014)「木簡・竹簡の語る中国古代 : 書記の文化史 増補新版」岩波書店 ISBN: 978-4-00-026859-2
  • [3] 高啓安 著, 高田時雄 監訳, 山本孝子 訳(2013)「敦煌の飲食文化 (敦煌歴史文化絵巻)」東方書店 ISBN: 978-4-497-21205-4

*1:とはいえ、たぶん北方限定だと思います。中国南部ではまた違ったはず。

*2:[1]p.46, [2]p.85

*3:用語があっているのか自信がないです。

シルクロード河西回廊 嘉峪関の観光情報メモ(2023年)

2023年秋の西安から河西回廊の旅で、嘉峪関の街に2連泊しました。 万里の長城の西の端*1として有名な観光地ですが、長城関係の観光地は互いに少し離れているので要注意。 これらの観光地間にシャトルバスが出ているので、これを利用すれば個人でも回りやすかったです。

注 : ここに記載するのは筆者が訪れた2023年9月時点での情報です。また、筆者が嘉峪関を再訪しない限りは更新の予定はありません。

2023年秋の西安から河西回廊の旅そのもののまとめページはこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

嘉峪関に滞在したときの旅行記はこちら amber-hist-lang-travel.hatenablog.com

要約

高德地图で作成
「嘉峪关汽车站」(嘉峪関バスターミナル)と書かれたあたりが市街地です。 移動時間は大雑把なものなので、参考程度に留めていただければと思います。

観光地情報

関城(嘉峪关关城景区)

日本語の観光ガイドブックなどで単に「嘉峪関」などと書いている場合は、こちらのことを指しているかと思います。

  • 公式webサイトは見つけられませんでした。WeChatのミニプログラム「畅游嘉峪关」が一番公式らしきものでした(公式か否かは未確認です。)。
  • 定休日 : 上記ミニプログラムでチケット予約可能日を見る限りでは、定休日はなさそうでした。
  • 入場料 : 关城景区、第一墩、悬壁长城の共通のもので、110元でした。ただしオフシーズンだと安くなるようです。
  • なお、事前予約はしておらず、当日窓口で入場券を購入しました。ただし、人数制限の表示はあった気がするので、ハイシーズンだと入れないこともあるかもしれません。
  • ゲート通過時は、入場券上のQRコードをゲートのかざして入りました。「畅游嘉峪关」の記載によると、チケットは3日間有効とのこと(ただし紙のチケットでも同様かは確認しそびれました。)

また、敷地内(ゲート外)には長城博物館があり、漢代以降の長城地域について展示されています。 やや年期は入っていますが、歴史に興味がある方にはおすすめです。入場無料。 なお、博物館の公式webサイトがあります : http://www.jygccbwg.cn/channels/channel_41_1.html が、内容が古い気がします(見学方法についての案内が2022年12月14日の日付で、予約必須と書かれているのですが、私が行ったときは予約なしで入れました。)。

私は関城本体は2時間ちょっと、長城博物館は1時間ちょっと滞在しました。

懸壁長城(悬壁长城)

公式webサイトや定休日、入場料については上の関城の記載を参照。

長城自体は1980年代の再建ですが、上からの眺めは素晴らしいです。 なお、上までは急な階段を上るので、歩きやすい靴があった方が良いと思います。

私は1時間ちょっと滞在しました。

長城第一墩

公式webサイトや定休日、入場料については上の関城の記載を参照。

後述するシャトルバスは北ゲートに着きますが、そこから見どころの場所までは少し距離があります。 電動カート(往復12元)で運ばれるのもよし、レンタサイクルで行くもよし、歩くのもよしです。 電動カートはだいたい10分から20分ごとに1便出ているようでした。

私は1時間~1.5時間くらい滞在しました。

アクセス情報

他都市からのアクセス

鉄道

嘉峪関駅(鈍行)と嘉峪関南駅(高速鉄道)があります。

私は嘉峪関南駅を利用しました。嘉峪関南駅から市街地中心部へは、30~40分くらいだったと思います。 嘉峪関南駅には駅内部にハンバーガー店はありますが、駅近くには飲食店の類はほぼないようだったので、要注意。

長距離バス

市街地中心部に「汽车站」(バスターミナル)があったので、おそらく他都市にバスでアクセスすることも可能だと思います。 ただ、私は利用していないので詳細は不明です。

長城関連の観光地へのアクセス

市街地から関城景区

市街地から関城景区には、路線バスで行くことができます。 上の写真は関城景区バス停で撮影したものです。

所要時間は、市街地中心部からだいたい20~30分くらいだったと思います。

なお、バスを降りてから入り口まで分かりにくかったので要注意。 バスは北側に停車したのですが、入り口は景区の東側にあります(下の写真参照。)。

タクシーでも行けます。私は帰りはタクシーを利用したのですが、20元しないくらいでした。

関城景区から他の2つの景区へのシャトルバス

関城景区の間は観光バスが出ています。 関城景区の出発地は東南側の駐車場だったと思います。 始バス、終バスや運行期間などは上記写真を参照。

循環ではなく、「関城景区と残り2つの間をそれぞれ往復する」という2路線からなります(上の写真のバスの行き先表示参照。)。 それぞれの観光地を毎時0, 30分に出るダイヤになっており、所要時間はいずれも片道10~15分くらいだったと思います*2

上の写真のブースでチケットを購入できます。懸壁長城と第一墩それぞれ1往復ずつ乗る場合、35元です。 なお、購入方法が少しややこしいです。 正しいフローは「WeChat上のミニプログラムから個人情報などを入力して購入し、乗車時にQRコードを提示する」というもののようです(Alipay不可。)。 ただ、私はこのときはWeChat Payがロックされて使えなかったので、現金で支払い、運転手が私の写真を撮り、他の運転手と共有してくれていました。乗るときには「現金で払った人です。写真を撮ってもらって共有されていると思います。」で通じました。

ちなみにブースの前に立っているおじさんはタクシー運転手で、「バスだと個人情報の入力が必要で面倒だし、チャーターで全部送迎してあげるよ!」(意訳)と営業していました。

*1:正確には明代の長城の西端であり、漢代の長城はこれより西にまで伸びていました。

*2:写真のタイムスタンプから。